第21話
ここまで来たら乗り掛かった船だ、と思った。
ヴァイオレットの魔神の手掛かり探しは全く上手くいく気配がないのに、アルグの作業の方は腹立たしいくらいに順調だった。ヴァイオレットは少しヤケになったような心持ちで、今度は次の目的地に文句を言わなかった。
またまた別のとある島で見付けた三人目の魔法使いも、まるで抵抗する素振りを見せず、それはあっさり呪いを解いた。
魔法陣がぱちんと弾ける。
細い目で地味な顔立ちの青年魔法使いは、胸に手をあて大きく息を抜いた。
「これでほっとしました。実のところいつ呪いを解かれてしまうのかと、心配で心配で。気が気ではなかったのです」
そう言うわりに、青年は表情が薄く、話す調子も味気ないほどに平坦だった。
そうして顔を付き合わせているこの場所は、やはり、人通りが無い狭い路地。
三人目の魔法使いは名前が分かっていたので、その人物が研修しているはずの事務所にヴァイオレットが乗り込んでいって、名指しで呼び出して来たのだった。
ヴァイオレットとしては、彼が見知らぬ自分の呼び出しに応じるとは思えなかったので、むしろ用件がばれて騒ぎになるのではないかと、いささか緊張していた。それなのに、彼が首を傾げながらも、のこのことついて来たものだから、拍子抜けしてしまった。アルグが現れても顔色一つ変えない。むしろ大きくうなずき納得顔。待機していたヌーの豪腕も、今回は必要なかった。
「ところでアルグカヌク殿。魔法院が魔神の探索を始めたのは知っていますか」
『うむ。そんな話を小耳に挟んだところだ。今更、という感じではあるな』
嘴を上下に振るアルグの言葉を、ヴァイオレットが通訳する。
そうですね、と青年は淡泊にうなずいた。
「世界的にも、その風潮は高まっているようです。十五年ほど前に流行った時も、大した成果は上げられなかったのだから懲りればいいものを。また乗り出すというのですから、やはり実物の存在が明らかになったというのは、大きいのでしょうか。
古い遺跡や博物館などがある島では、悪い輩に狙われるのではないかと、肝を冷やしているそうで」
ヴァイオレットもそうした空気は感じ取っていた。自分たちもまた魔神を目当てに動いているからか、立ち寄った遺跡や博物館で、普通ならそういったものに見向きもしなさそうな柄の悪い連中が、ちらほらと見かけられたのだ。——それはヴァイオレットの隣にいる三人も例外ではないのだけれど。
空の島に不穏が広がりつつある。
そんな気がする。
「いやはや。どうして魔神の封印が解けてしまったのでしょうね」
「ジェーー」
「嘆かわしいことだな、と言っています」
何気なく言われて、鼓動を跳ねさせるヴァイオレット。二度目でも心臓に悪い。アルグの相槌を通訳するのが、ほんの少し遅れた。
青年は気にした様子もなく、うなずいて続ける。
「ええ本当に。
これも聞いた話なのですが、ココネ商会のコルトコネという富豪を知っていますか」
『国を跨いで大きな取引をすることもある大商人だな。かなりの著名人だ。もちろん名前は知っている』
通訳をしながら、ヴァイオレットは内心首を傾げた。全体に印象の薄い平凡な青年だが、話し好きなのだろうか。次々と話題が出て来る。長話になりそうだ。
「その隠居した先代なのですが、趣味で集めている骨董品や美術品がかなりの数になるそうで。こんなご時世だというのに危険を顧みず、別邸を改装して私設の博物館を始めようとしているそうなのです。豪気な話だとは思いませんか。庶民の僕などでは、到底想像できません」
『まったくだ!』
そう受けるアルグも、どういうわけか暢気に話に付き合っているのだった。
不意に、青年が視線を逸らした。それから直立姿勢を崩し、軽く礼をする。
「どうも、長々とお話ししてしまったようです。
本当に、申し訳ない」
『気にするな青年。君の立場も心得ている。
密告するとしたら、初めに会った彼かな。
時間を稼ぐ必要があったのだろう』「——て、え? どういう意味?」
「察しておりましたか。
いやはや、さすがでございます」
青年が初めて表情を崩した。それは、苦笑。
ヴァイオレットが戸惑っているうちに、路地の前後を埋めて、大量の人が押し寄せてきた。大半が魔法使い。それから島の警備隊。ざわめく空気から、周囲を取り囲み溢れるように人員が配されていると分かる。つまり——。
「そこまでだアマランジル・アルグカヌク!」
「神妙に縛につけ!」「鳥でも油断するな!」
前列の人が叫ぶ。
事態がやっと飲み込めて、ヴァイオレットは息を呑んだ。ヌーが口の端を楽しそうに吊り上げ、拳を打ち鳴らす。
『私を捕らえるには、ちと足りんな。
さ、逃げるぞお嬢さん!』
群青色の魔法陣が、左右の壁に鮮やかに浮かび上がった。光ったと思ったときには壁が轟音と共に破裂して、辺りに粉塵をまき散らす。それは煙幕のように白く視界を塞いだ。
思わず息を詰めて頭を庇う。そんな間もなく、ヴァイオレットは大きな手で押しやられて、無理矢理に走らされた。近くに翼の音を聞く。壁に空いた穴へ飛び込み、逃げる。
「こ、こしゃくな!」
「追え!」「逃がすな!」
後ろから地響きのような足音や怒声が聞こえた。
それらがヴァイオレットたちに追いつくことはなかった。
▽ ▽ ▽
逃げ切った。
なんとか逃げ切った。
危うい場面こそなかったものの、正直ヴァイオレットは生きた心地がしなかった。盗賊まがいのこんな一味に入って一年足らず。あんな人数に追いかけられた経験は、初めてだった。暴れ足りなそうにしているヌーが、信じられない——というより、いっそ頼もしい。アルグは「少ない」なんて飄々と言ってのけたけれど、そんなことはない。あの規模の島なら充分すぎる人数だ。さすが——と言うのも変なのか。しかしそれ以外の言葉も思い付かなかった。
もしもの為に別の場所で待機していたチャボとハッカの手を借りて、ヴァイオレットたちは無事に島を離れる飛空船に乗り込めた。今は空の中を航行中だ。どうやらここまでは追っ手もないようだった。
予め金を握らせて示し合わせていた貨物船の船倉で、ヴァイオレットは力なく座り込んでいた。目の前にはトリがいる。翼を片方ずつ広げて、嘴で羽の乱れを丁寧に整えている。
「——当分の間、呪いの方は手が付けられそうにないわね……」
『そのようだ。
しかし一気に三人も攻略できたのだから、上々』
「次はどうするよ」
ヌーが巨体を縮めて聞く。荷が積まれた船底では、本当に窮屈そうだった。ちなみにチャボとハッカは別便だ。他の島で落ち合う手筈になっている。
アルグが翼を畳み、ぴょんと跳びはね向きを変えた。
『ロジアム・コルトコネのところへ行くぞ!』
「さっきの話に出た人? どうして?」
『その大富豪とは知り合いだ。
青年の話を聞いて思い出した。少し前に「見せたいものがあるから、来い」と誘われていたのだよ。だが私は私でおまえさんたちを追いかけるのに忙しく、まだ行けていなかった。この機会に行ってみようではないか!』
今の今まで追われていたのに、いつの間に思案したのだろうか。アルグは既にその気だった。さらりと誤魔化していたのなんて、もはや驚くに値しない。
ヴァイオレットは足を抱えて座り直す。
「見せたいものって?」
『うむ。何かは知らないが』
「博物館と言っていたわね」
『ロジアムはかなりの好事家で、収集家としても有名だ。太古の時代の遺物や古文書なんかも、たんまりため込んでいるぞ。あそこにあるものは、まだあまり調べられていないのではないかな。
私が手紙を書くから、持って行くといい』
「? あなたも一緒に行くのよね。だったら紹介状なんて、いらないのではない?」
『大商人だけあって、あれはかなり慎重な男だ。こんな鳥が私だと言っても信じないだろう。その点、筆跡は知っている。印も押すからそれで信じるはずだ』
「……そう」
ここへ来て反対する気もないけれど、話を聞くうちに、なんとなく不安を覚えるヴァイオレットだった。何が不安といって、その人物がこのトリと旧知らしいということだ。
とはいえ、次の目的地は決まった。
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