第20話

 次に一行が向かったのは、また別の島にある図書館だった。

 流れのままアルグの呪いを優先することになっていて、ヴァイオレットとしては不満だ。当然、文句も言ってみた。しかし、魔神の手掛かり探しが行き詰まっているのも確かで、気晴らしだ通り道だと言われてしまえば強くは出られない。他の三人が思いの外ノリノリだったこともあり、それに巻き込まれるように付き合わされてしまった。

 町外れにあるその図書館は魔法院が管理していて、立派な建物だった。書物を収集保管しているだけではなく、研究施設としても使われているらしい。目当ての人物は、そこで研究員の見習いとして働いている女性だ。

 前回と同じように、建物から出てくるところを狙って捕まえようとしたのだが、夜まで待ってもその人物は現れなかった。彼女だけではなく、ここの職員はどうしてかあまり外出しないようで、人の出入りがほとんど無い。

 あまり日数を掛けるつもりもなかったので、ヴァイオレットたちは作戦を変更して、建物の中に忍び込むことにした。

 この図書館は全くと言っていいほど防犯されていなかった。昼間、正面の入り口に受付係が座っているくらいだ。夜間は戸締まりだけと見える。

 そんな状態だから、敷地をぐるり一周する小洒落た鉄柵を乗り越え、裏口——も一応避けて、人気のない窓を音もなく破ると、それだけでもう侵入できた。本業だから……というのもなくはないかもしれない。

 中に入るのは、身動きしやすいようにハッカとヴァイオレット、それに籠に入ったアルグだけだ。暗い廊下を足音を忍ばせ探すと、特に苦労せずその人物は見つかった。そしてすんなり呪いを解いてくれた。

「もちろん解かせていただきますわ。

 あの時は上の者に言われて仕方なく従いましたけれど。賢者様にこんな仕打ちをするなんて……。お許し下さい。わたくしの本意ではありませんの」

 突然の来訪者に驚きはしたものの、赤い鳥の姿を見るなり、彼女は落ち着きを取り戻した。ヴァイオレットよりも少し年上の、やはり若い女性だった。ふわりとした風合いの長い髪を一つに編んで、優しい顔立ちに大きな眼鏡を掛けている。淑やかに微笑んで、一つ一つの言葉を丁寧に繋ぐように話す。その話し方はどこかのんびりとして見えるけれども、眼鏡の奥の瞳には知性の光が宿る。大人の女性——そんな印象を、ヴァイオレットは持った。

 そんな彼女がアルグに注ぐ眼差しは、尊敬の念に溢れている。アルグが賢者と呼ばれ称えられていたのは、もう二十年近く前のことだ。ヴァイオレットも彼女も生まれていない。それでもその功績は今なお色褪せることがない。こういう方面でもこのトリの名前は絶大な意味を持ち、そして間違いなく偉大な人物なのだろう。普段の様子を見ていると忘れがちなその事実を、ヴァイオレットは改めて思い知ったような気分だった。もちろんそれでヘンタイ行為が帳消しになるわけではない。

 籠から顔を出すアルグの前に桃色の魔法陣が現れ、ぱちんと消えた。

 時刻はそろそろ深夜に迫ろうとしている。

 彼女はそのまま泊まり込みで仕事をするのだそうだ。ここに来るまで、図書館の中に宿泊設備のようなものは見当たらなかった。それなのに、薄明かりに照らされて浮かび上がる書棚の群には、他の職員の姿もある。彼らはみんな、寝ずに働くつもりなのだろうか。

「……なんだか、忙しそうですね」

「ええ、そうなのです。

 最近、本部から通達がありまして。各島の歴史や地勢、それから太古の文明について、詳細な情報をまとめて提出するように、と言われておりますの」

「島を一つ一つ……」

「はい。歴史はその島が発見・記録されるようになってから現在に至るまで、全てですわ」

 それらは考えるまでもなく膨大な量になる。「ですから、困ってしまって」と眼鏡を直しながら言う彼女は、しかしその仕事量に不満があるわけではなさそうだった。むしろ、楽しそうだ。

「お二人とも、コードリッカで起きた事件はご存じでしょうか」

 唐突に言われて、ヴァイオレットはどきりとする。表情に出さないように努めつつ、うなずくアルグに合わせる。

「その事件を受けて、あちらに常駐する魔法院の人員を増やすそうです。大変な出来事のようでしたから、善からぬ輩も寄り付きますわね。その警備の意味もあるのでしょう。加えて、事件の実態や遺跡などの調査も改めて行うようですわ」

 あの事件に関する魔法院の正式な見解は、「原因不明、目下調査中」だ。世間でも「コードリッカを襲った化け物の正体は謎」ということになっている。しかし、それは違う。魔法院を始めとした大きな組織や各国は、あの化け物が〈魔神〉だと気付いている。気付いていながら、混乱を避けるために敢えて公表していない。そして世間の人々も、それを薄々感じている。

『魔法院でも魔神に本腰を入れ始めたというわけだな』

「ええ、そのように思います」

 アルグの声がいつになく重々しく響いた。

 長居をするのも申し訳ないので、早々に退散することにした。図書館の蔵書が気にならないでもないヴァイオレットだったが、見付かれば騒ぎになって、親切な彼女にも迷惑をかけてしまう。忙しそうな職員たちは自分の仕事に手一杯で、侵入者なんて見えていなさそうだけれど。

 離れて見張りをしていたハッカが先に出て行く。その後について行こうとしたら、ヴァイオレットは声を掛けられた。

貴女あなた、賢者様のお側で勉強できるなんて、とても幸運ね。

 以前はほとんど弟子をおとりにならなかったのに。うらやましいわ」

 邪気のない微笑みを向けられて、ヴァイオレットは少し視線を逸らしてから、きっぱりと言った。

「わたし、弟子ではありません」

 意外だったのか、彼女は眼鏡の奥で目を瞬かせる。そんな仕草さえ落ち着いて、そして可愛らしく見えた。

「あら、そうでしたのね。でも魔法使いなのでしょう。ならきっと、学べることは多いわね。お互いがんばりましょう」

「……」

 なんとも返事が出来なくて、ヴァイオレットは急いで頭を下げると、それだけを別れにハッカを追った。

 今のヴァイオレットは、魔法が使えない。

 窓枠を越えながら、考えてしまう。

 それでも自分は、魔法使いと言えるのだろうか……?

 建物を出るとそこにハッカの姿は無く、柵の向こうで隠れて待つヌーやチャボと、既に合流しているのだろうと分かった。

 外周の柵までは少し距離がある。もう真夜中で暗いから……。ヴァイオレットは地面を見て、草を踏みしめ、歩いた。

『——魔法はまだ、使えそうにないか』

 控えめな声が、籠の中から掛けられる。ヴァイオレットは気のない足を庭木の暗がりで止めた。小さくうなずく。

 正確に言えば、全く使えないわけではない。ほんの少し——小さな火を指先に灯すとか、そよ風を起こすとか、そんなあまり役に立たない魔法なら使える。アルグの言葉が分かるのだって、魔法と言えば魔法だ。しかし意識してちゃんとした魔法を使おうとすると、何も起こらない。何も……できない。

 原因は魔神のはずだった。だからコードリッカから離れれば、時間が経てば、元に戻ると思っていた。その見込みが甘かったのだろうか。

 ヴァイオレットは唇を結び、籠を持つ手に力を込める。自分に出来るのは、魔法しかないのに……。

 すると籠から気まずそうな鳴き声が漏れてきた。

『——原因の一端は私にあるとも言えるから、責任を感じなくもない』

「……どういうこと……?」

 図書館の窓から漏れる明かりも遠い。ヴァイオレットは立ち尽くしたまま、力なく聞き返した。そちらに注意も向けないでいると、アルグが被さった布を翼で払い除け、縁に身を乗り出すようにして下からのぞき込む。

『私が君の体を借りて魔法を使ったからだ。

 魔神が蘇ると魔法が使えなくなる理由は話したな』

「ええ……」

 魔法を使うとは、どういうことなのか。

 まずは〈生命の大河〉に触れる。世界の大本であり何にでも成りうるその〈水〉——魔力から、思う通りの現象を形作る。

 理屈では、魔法はあらゆる事象を起こすことができる。そうできないのは、魔法使いの頭——知識や経験、もっと言えば想像力が、それに値しないからだ。本来修行によって身に付けるそれらを、未熟者は魔神に頼っている。そこに魔神の意志は介在しない。絶大な力を持つ魔神に刻まれた記憶を勝手に拝借して、引き出している。

 そしてヴァイオレットも、その未熟な魔法使いだったということだ。

 その自覚は何度でも、ヴァイオレットの胸を刺して痛ませた。

「……あなたは、正しいやり方で魔法を使っているのね」

『もちろん。

 その正しいやり方を君の体が覚えてしまった。だから以前と同じ感覚で魔法を使おうとしても使えない。魔神との繋がりが断ち切れてしまったとも言えるかもしれない』

「…………」

 雰囲気としてはヴァイオレットも理解できる。——でも、ちょっと腑に落ちない理屈だった。正しい道筋を覚えたからといって、どうして間違った方に戻れないのだろう。聞けば理路整然と答えてくれそうだ。けれども、そんな考えは意味がない。間違いは、間違い。魔神が復活する度に魔法が使えなくなるのでは、役に立たない。それでは駄目だ。これまでと同じでは、駄目なのだ……。

「……どうすればいいの……?」

 分かりきった疑問を口にしている。

 だからアルグの答えも、予想通りだった。

『正しいやり方を覚えればいい』

 魔神に頼らず、〈大河〉から自分を通して魔法を形作る。

「そんなの……わたし……——」

 その先は、口にしてはいけない一言だ。

『できないことはない。

 切っ掛けはもう掴めているはず』

「……」

 それもアルグが使ったからだと言いたいのか。随分簡単に言ってくれるものだと思った。

 例えば、炎を出すだけの魔法。それだけでも、まずどんな炎を生み出したいのか。それをどんな風に使いたいのか。確かに想像できなければならない。複雑な魔法になればより大変なのはあたりまえで。その上そうして組み上げたモノを魔法として実現させるには、それが確かであると、万全に信じられなくてはならない。

 それは、考えるよりも難しい。

 そうした過程を、魔神がやってくれていたようなものだ。今ならそれが分かる。

 ヴァイオレットは菫色の瞳を険しくして、アルグを見た。

「簡単に言わないで。

 わたしは、あなたじゃないの」

 それを言うのも、身を引き裂くような痛みがある。震えそうになる声を、強いて硬く、強くする。

 努力してもできなかった。

 頑張っても上手くいかなかった。

 どうにもならなかった。

 膝を抱えて泣く。独りぼっちで泣いている。そんな自分とは決別したはずだ。そんな……弱い、自分とは。ギイドと出会ったあの時に。

 目の前のトリを見ているようで見ていない。その眼差しを正面から受け止め、アルグが気を逸らすように首を傾げた。

『勘違いされがちなのだが——まあ、今の私からは想像できないだろうから、それも無理ないか? 私もお嬢さんの年齢としの頃は、はっきり言って劣等生だったのだよ』

「…………」

『嘘ではないぞ。

 勉強してもなかなか思うように魔法が使えなくて、成績はいつも下の方だった。同級生には馬鹿にされたものだ。それでも魔法が大好きだったし、幸いにして周りの声があまり気にならない性質たちだったのでね。苦にはならなかった』

 ヴァイオレットはそんな風に語るトリを見つめたまま、何と言っていいか分からなくなった。アルグが逆方向に小首を傾げる。群青の眼がほんの少し細められた。

『私もお嬢さんと一緒だ。

 魔法しかない。いや、私の場合は魔法さえあれば良かった、と言った方がいいのかな。

 とにかく、魔法というのは若いうちはあまり上手くいかないものなのだろう。経験なんて、年を重ねるにつれて勝手に増えるものだし……』

 アルグは一度翼を広げると、その片方を嘴の下に当て、腕を組むみたいな格好をして鼻から息を抜いた。

『そもそも、魔法院でそういう訓練をしないのも悪いな!

 教科書どおりの型にはまった使い方しか教えない。

 魔法はもっと自由でいい。 

 そしてもっと、固有のものだ。

 初めは教科書に載っているような典型例を何度も繰り返し練習して、コツを掴むのも大切なことなのかもしれないが、そこから先は自分で自分のやり方を模索して、己の魔法というものを見付けなければならない。そう再三言っていたのに、全く聞く耳持とうとしないのだからな!』

「はあ……」

 いつになく饒舌だった。

 ぷんぷんして熱く語るうち身を乗り出して、ヴァイオレットが籠を持ち直さなければ落ちてしまいそうなくらいだった。これでは魔法院ともぶつかるはずだ、と思う。

『お嬢さんもだぞ。

 ヒトマネを続けているうちは、いつまで経っても上達しない』

「…………」

 振り上げられた翼と共に矛先が戻ってきて、ヴァイオレットは喉を詰まらせた。ヴァイオレットがギイドの真似をして、影の中に持ち物を収納したりツギハギ人形を使っていたのは——ただ、少しでも近付きたかったから……。なんて言い訳は、とても口にできない。

『言っておくが、あの時も私は、君の力量を越える魔法は使っていない。それが内にありさえすれば、同じ事が今の君にもできる』

「それは……」

 言い過ぎだと思う。

 ヴァイオレットは口を閉ざして、表情を曇らせた。嘘とまでは言わないけれど、だとしてもそれは単なる理屈だ。実現させるには途方もない労力が必要になるに違いなかった。

 それにやっぱり……——。

 ヴァイオレットには、どうしていいか分からない。ここに来るまでだって、試してみなかったわけではない。いろいろとやってみている。それでも、できない……。

 ただうつむく。すると落ち着きを取り戻したアルグが、籠の中からじっとヴァイオレットを見上げているのが分かった。殊更にゆっくりと、嘴を開く。

『私は君の師匠ではないが、年長者として、一つ助言をしてあげよう。

 知識や経験以上に、魔法を使う上で大事なもの。それは「自分」だ』

 ヴァイオレットは静かに首を横に振った。

「よく、分からないわ」

『助言は一つ。解説はしない。

 私は別に、弟子をとらなかったわけではないのだよ。どういうわけか、みんな短期間で止めてしまうだけで』

 アルグは鳥なので、その表情は読み取りづらい。しかしその嘴が、なんとなく笑っているように見えた。

「……そう、なの」

 ヴァイオレットの気持ちは、晴れそうにない。精々悩めと言われた気がした。

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