第15話『戦うОL』

 両刃剣の白刃が閃き、ハルバードが風切音を唸らせ、釘バットが空を切る。三位一体の連携は洗練されつつあった。だが、やはり金ピカ勇者には届かない。

 正面玄関には、すでに瀟洒な雰囲気は残っていなかった。石畳には蜘蛛の巣のように亀裂が入り、窓ガラスは粉々に砕け散り、靄のように砂埃が舞っている。それらが全て、戦いの激しさを如実に物語っていた。

「無駄だと言ってるのがわからないのか?」

 三方からの攻撃をいなしながら、勇者はやれやれとため息をつく。

 無駄? 勝てない? そんなことは百も承知だ。刃を交えて戦力差を測れるほど、モルタたちは戦いに慣れたわけではない。しかしこれだけ攻撃が当たらないのだ。技量の差など嫌でもわかる。

「ぐっ!」

 勇者が振るった聖剣を、モルタは左手の盾でなんとか防いだ。ダメージは避けたものの、吹っ飛ばされて壁に激突した。オークの巨体を吹っ飛ばすほど、勇者に筋肉があるようには見えない。聖剣のもつ対魔性能によるものだろう。

 呻くモルタの両脇に、弟たちが同じように吹っ飛ばされてきた。大きな外傷はないようだが、ダメージは蓄積してきている。

「いっつつつ、あの人強いね、兄さん」

 と次男ラルド。

「ああ。だが、手がないわけではない。ロース、首尾はどうだ」

 モルタが聞くと、ロースはせき込みながらも親指を立てた。

「あと一枚でイケるで」

「よし」モルタが立ち上がる。「勝機は見えた。もう少しだ。畳みかけるぞ!」

 そう言って駆けだしたモルタに続き、ラルドとロースも勇者に突撃を仕掛ける。

「まったく、馬鹿の一つ覚えとはよく言ったものだ。もっとひねりがほしいねえ」

 軽口を叩く勇者。だが、決して口だけではない。最低限の動きでモルタたちの攻撃をいなし、的確に反撃を繰り出していく。

「そこ!」

「ぐえっ」

 バランスを崩したロースが、勇者に吹っ飛ばされた。巨体が軽々と空を切り、壁に激突する。同様にラルドも吹っ飛ばされ、残るはモルタだけになった。

「本当に面白いくらい弱いね、君たちは。だけどもう弱いものいじめも飽きた。そろそろ終わりにしよう。はっ!」

「ぐっ」

 聖剣を振るう勇者。だが、モルタにはダメージが入らず、その代わりに手に持っていた両刃剣と盾が弾き飛ばされた。

「恨むなら、弱い自分を恨むんだね」

 とどめを刺さんと、勇者が聖剣を振りかぶる。

 が、その動きがぴたりと止まった。決して自分の意思で止めたのではない。金ピカ鎧を纏ったその胴体に、足に、腕に、光るロープのようなものが巻き付いていた。

「や~、ぎりぎりで間に合うたわ」

「……キミの仕業か」

 勇者が声の主――ロースの方に顔を向ける。ロースの背後の壁には小さな紙が貼り付けてあり、そこから光るロープが伸びていた。同様に、今までロースを吹っ飛ばした各所にも、同じように紙が貼ってある。

「設置型の結界や。起動には複数必要やけど、即席でもなんとかなるもんやね」

「小賢しい真似を……」

「オークが全部脳筋やと思たら間違いやで。今からの時代、大事なんはここや」

 トントンと自分の頭をつつき、ロースは最上級のドヤ顔を決めた。

「今がチャンスだ! ラルド!」

「わかった!」

 体勢を立て直したラルドが、ハルバードを手に突進する。その巨斧を勇者に振り下ろして終わり、のはずだった。

「甘いね。マシュマロのように甘い」

 にやりと笑うと、勇者を縛っていた光のロープが一瞬にして霧散してしまった。

「な!?」

 驚く声は、ロースのもの。

「ふん!」

「えっ」

 ラルドも勇者の聖剣に反応できず、振り下ろさんとしていたハルバードを弾き飛ばされた。

「馬鹿な、なぜ……」

 驚愕に目を見張るモルタに、勇者は口の端を吊り上げて見せた。

「途中までは良かった。まさかオークみたいな下等なモンスターが、結界を使うなんて思わなかったよ。だけど、君たちもしょせんは井戸の底にカエル……いや、柵の中の豚。世界を知らない。世の中には、魔力抵抗の高い鎧もあるのさ」

 金ピカ鎧がキラリと光った。

「成金趣味だだけではなかったのか……」

「言い残すことはそれでいいかい?」

 勇者が聖剣を振りかざした。

 モルタは牙を食いしばる。唯一の逆転策も無為に終わった。今度こそ本当に絶体絶命だ。

「兄さん!」

「あんちゃん!」

 観念して閉じた瞳の向こうで、弟たちの声が聞こえた。最後に弟たちの声が聞けたなら満足だ。唯一の心残りは、母を残して逝くことだった。

(親不孝な息子で、申し訳ありませんでした)

 心の中で母に言葉を贈る。

 だが、覚悟を決めたモルタに、聖剣の刃は届かなかった。

「……?」

 不思議に思い、恐る恐る目を開く。そこには、大きな背中があった。

「僕の部下が世話になったね」

「ま、魔王様!」

 いつもの農作業姿。少し白髪の混じった髪。耳をトロケさせるようなダンディボイス。

 その背中は見間違えようもなく、魔王アーダルベルトのものだった。

 振り下ろされた聖剣を、片手の指二本だけで受け止めている。

「魔王だと!?」

 今度は勇者の顔が驚きの色に染まった。

「こんななりだが城の主なんだ。お見知り置きはしなくていいよ。もうお別れだから」

「なに?」

 余裕を感じさせる魔王の言葉に、勇者の顔が露骨に歪んだ。

「ふん、オヤジ魔王が調子に乗るなよ。しょせんは魔族、勇者にかなうはずがない! いいか、この金の鎧は魔力抵抗の極めて高い特注品。そしてこの聖剣ハープギーリヒは、我が家に代々伝わる由緒正しい聖剣で、魔王だろうと一刀両断に――」

 勇者の言葉は最後まで続かなかった。

 小枝を折るような、軽く寒い音が響く。決して勇者の心が折れた音ではない。いや、もしかしたら折れたかも知れない。なぜなら、聖剣を受け止めたたった二本の指で、魔王がその聖剣を折ってしまったのだから。

「え、ちょ……」

「なんだ、安物じゃないか。聖剣なのは間違いないようだけど、単なるコモン武器じゃあ僕には勝てないよ」

「は……」

 勇者は呆然として、折れてしまった聖剣から魔王に視線を変える。

「さあ、歯を食いしばるんだ」

 魔王は、すでに攻撃のポーズを取っていた。

 右手の甲を天に向け、中指と親指で輪を作る。後の三本はまっすぐに伸ばす様は、勇者に狙いを定めているようだ。何ということはない。子どもでも知っている、眉間を打ち抜く必殺技。

 デコピンだった。

 だが単なるデコピンと侮るなかれ。それを繰り出すのは魔王である。魔族の王が放つ威圧感、抵抗の高い鎧をも打ち砕く魔力のせいで、勇者の目にはそのデコピンが恐ろしく巨大に映っていた。

「今、虫の居所が悪いんだ。だから手加減はしてあげられないが、悪く思わないでくれ」

 その声は、果たして放心する勇者に届いていたであろうか。

 勇者の手から聖剣が落ちたのと、魔王の中指が炸裂したのはほぼ同時だった。


 割れた窓を貫通し、断末魔をあげることなく、勇者は晴天の星になった。


                *     *     *


「グフ、グフフフフフフ……」

 まさにその姿は、透子がイメージする〝魔王〟そのものだった。

 三メートルはあろうかという巨体、筋骨隆々の身体、幽火のようにおどろおどろしく光る両目、鋭く尖った牙、天を刺すかのような二本の角。

「やっぱり魔王って聞くとこうよね。てかその姿って、私がだまされたときのじゃない」

 今となっては懐かしい、透子が初めてこの城に来たときのことである。透子を試すためにホルガーが首を落として見せたのが、この魔王の姿だった。違うところは、あのときは豪奢な服を着ていたことくらい。今は身体の膨張に伴って破けてしまっている。だが元々ゆったりしたローブだったことが幸いし、布が腰でひっかかってどうにか局部だけは隠されていた。

「ああ、つまり、その姿があんたの理想だったってわけね。プッ、デカい体に筋肉に角とか、テンプレすぎて恥ずかしいわ」

「ホザケ! ソノ貧相ナ体デ我ニ勝ツツモリカ。鞘モ抜ケヌ聖剣デモッテ我ニ抗オウナドト百年早イワ!」

 魔王と化したホルガーが、その丸太のような腕を振るう。スピードは落ちたが、パワーは人間の頃の比ではない。おまけに刃物のような鋭い爪。聖剣の加護があるとは言え、受け止めればただではすまないだろう。

 そう判断し、透子は後方――玉座を降りた先まで一気に飛び退く。

(かわせなくはない、けど……)

 音もなく着地する透子。だがその瞬間、スーツに横三本線のスリットが入り、黒い下着が露わになった。

「爪の衝撃波ってところかしら。また一着縫わないと」

 軽口を叩きつつも、透子の現状分析はあまりよくない結果を示していた。

(かすってもないのにこのザマ。一発でももらったらアウトね。しかもあの筋肉モリモリマッチョマンにこっちの攻撃は効かないでしょうし。さて、どうしたものかしら……)

 つ、と透子の顔に冷や汗が流れたのを見て、ホルガーは地獄の底から響くような笑いを漏らした。

「グフフフ、ドウシタ、カカッテコナイノカ。ナラ、コチラカラ行クゾ!」

 石造りの床が砕ける。それほどに強く重い踏み込みだった。数メートルもある巨体が宙を舞い、透子に跳び寄ってくる。

 とてつもない威圧感を覚えつつも、透子はその動きを注視していた。

 太く大きい右腕を振りかぶるホルガー。先ほどと同じ、薙ぎ払いだ。

「くっ」

 風すら感じるその薙ぎ払いを、透子はぎりぎりで回避した。こんな大振りかわせないはずがない。そのまま目でも突いてやろうかしら。などと思ったのが一瞬の油断だった。

「えっ、っきゃああぁっ!」

 まるで十トントラックにでも突撃されたかのような衝撃を受け、透子の細い体は軽々と吹っ飛ばされた。床を転がって倒れ伏し、透子の口からは血反吐がこぼれる。

「……なる、ほど、ただのでくの坊かと思ったら、器用な真似、するじゃない……」

 一度腕を振りきったと見せかけてからの裏拳。二の矢を考えていなかった透子は、それを完璧にもらってしまった。爪によるダメージこそないものの、打撃は内蔵にまで達している。拳に速度が乗っていなかった、そして聖剣の加護のおかげで致命傷には至らなかったものの、ダメージはかなり大きい。

「痛イカ? 苦シイカ? 心配スルナ、スグニトドメヲ刺シテヤロウ」

 ホルガーの巨体がゆっくりと近づいてくる。

(死、ぬの……?)

 ホワイトアウトしかかった頭で、透子はそんなことを思った。白い靄の向こうで、誰かの顔が霞んで見える。

(死んだら、向こうで会えるかしら……あの子に……詠香に……)

 ふ、と目を閉じかけた、そのときだった。

「トーコさん!」

 後方から、声が響いた。

「エーファ様……」

 血のにじむ視界で、透子はどうにかエーファの姿を捉えた。

 エーファは、泣きそうな顔をしていた。ボロボロな透子の姿を見て、心を痛めている。

(ああ、だめだ、ごめん詠香、まだ死ねないわ……)

 靄の向こうの少女。霞んでよく見えない少女が、僅かに微笑んだ気がした。

(今度は……守、らなきゃ……)

 ぼんやりと、ただ本能でそう思った。その瞬間、透子は理解した。

「そう、か……」

 口元に笑みが浮かぶ。聖剣を床に突き立て、ぎしぎしと悲鳴を上げる体を立たせた。膝は笑い、腕に力は入らない。立っているのがやっとだ。

 だが、透子は聖剣を構えた。

「トーコさん、だめです! 死んじゃいます! それ以上は――」

 走り寄ろうとしたエーファを、透子は片手を向けて制した。

「ナゼダ……」

 そう思ったのは、エーファだけではなかったらしい。

「ナゼソコマデスル。勝チ目ナド皆無ダ。ナゼマダ立チ上ガル」

「ふん、愚問ね」

 透子はちらりと背後を一瞥する。そこにいるのは、誰よりも、何よりも愛しい人。

「魔王を前にして、背後にいる姫を守る。最っ高のシチュエーションじゃない! だって私は、勇者だもの!」

 ボロボロのはずの体に、力が戻った気がした。足の震えが止まり、聖剣をしっかりと握り直すことができる。それは、気のせいなどではなかった。

 聖剣が、輝いていた。

「ま、眩し……え? 何で?」

 困惑する透子。だがすぐに理解した。

「……そうか」

 鞘を握り、ゆっくりと聖剣を抜く。今まで全く見ることのかなわなかったその真の姿を、透子はようやく目にすることができた。

「やっとあんたも、私を認めてくれたのね」

 その刃は、黄金の輝きを纏っていた。

「グ……」ホルガーが唸る。「ヤラレタハズガ復活ダト? アリキタリナ三文小説デモアルマイシ」

「ふん、ありきたりだろうがご都合主義だろうが、勝った方が強いのよ」

 透子は鞘を腰に差す。

「ついでに私からもあんたに言葉を贈ってあげるわ。頭脳派ぶった悪役が裏切ってボコられて、挙げ句の果てに最後の手段の巨大化。そういうのをね――」

 び、と透子は、ホルガーに中指を立てた。

「――三下っていうのよ」

 ホルガーが激昂する。

「フザケルナ! 聖剣ガ抜ケタトコロデ何ガデキル! 我ガ圧倒的ナ魔力デ、貴様ナド消シ炭ニシテヤル!」

「できるもんならやってみなさいな!」

 今度は透子から斬りかかった。黄金の刃を、ホルガーの爪が受け止める。そのまま押し合う形になったが、両者とも一歩も引かない。

「聖剣の力ってのは大したもんね。あんたの筋肉が泣いてるわよ。ねえ、今どんな気持ち?」

「グヌヌ……ヌガッ!」

 ホルガーが強引に腕を振り、透子は仕方なく距離を取った。

「必死じゃない。さて、どう引導を渡してやろうかしら」

 クリアになった頭を回転させる透子。

(すごい必殺技とか出せる。今の私なら絶対できる。でも、それには一瞬でもいいから隙が欲しいわね……)

 ホルガーを倒すまでのプランはできている。だが、そこに至るまでの最後のピースが欠けていた。

「グオオオオ! 小娘風情ガ調子ニ乗リオッテェェ! 殺シテヤル、殺シテヤルゾォォォ!」

 玉座の間全体が震えるような、ホルガーの咆哮。そんな中――

「やっ!」

 ――茶筒の蓋を抜いたとくのような、この場にはあまりに似つかわしくない、可愛らしい音が響いた。

「オオォォ、オ?」

 魔王と化したホルガーの目が丸くなる。恐らく彼にとっては、顔に豆鉄砲が当たったよりも小さな衝撃だっただろう。だが、あまりの唐突さに、思考が止まらざるを得なかった。

 エーファが、魔法弾を撃ったなどと。

「これ以上トーコさんをいじめるのは、私が許しません」

 小さな魔法弾を撃った小さな女の子は、強い意志でもってホルガーを睨みつけていた。

「最高! 最っ高ですエーファ様!」

 そして、そのホルガーの隙を見逃す透子でもなかった。

「ぬおおおおおおおおおお!」

 聖剣を天に向け、体の中に沸き上がるよくわからない力を集中させる。

(魔力でも何でもいい、私に力を貸しなさい!)

 黄金の刃に黄金の輝きが集まり、それが形を成していく。刃の形をそのままに膨れ上がるその輝きは、まるで聖剣そのものを巨大化した、一つの塔のようであった。

「ヌ、サセルカアアァァ!」

 一瞬遅れてホルガーが反応する。集中する透子を害さんと腕を振り上げるが、もちろん透子には、その一瞬だけで十分だった。

「即席必殺――」

 聖剣フェアラートを振り下ろす。ホルガーには、巨塔が倒れてくるようにも見えただろう。

 

「――オベリスクObeliskライトニングLightning!」


 黄金の塔が、ホルガーを飲み込んだ。

「アアアアァァァァ…………」

 断末魔が消えていく。やがて光の塔もその姿を消すと、そこには瓦礫が散らばるばかりで、ホルガーの姿はどこにもなかった。

「ちなみに、技の名前に意味はないわ!」

 どうでもいいカミングアウトをしつつ、透子は聖剣フェアラートを鞘に納めた。その瞬間に体から力が抜け、その場に尻餅をついてしまう。

「トーコさん!」

 座り込んだ透子の元に、エーファが駆け寄ってきた。

「勝ちましたよ、エーファ様」

「……はい。はい!」

 大きくうなずくエーファの目から、大粒の涙がこぼれた。

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