第13話『一計を案じるОL』

「てことよ。ロースが通れる抜け道だもの。私にはいっそ快適なくらいだったわ」

「そんなご都合主義な……」

 ぎり、とホルガーは歯を食いしばる。

「いいわ、その表情最高。あんたのそんな顔が見たかったの。ご都合主義だろうと何だろうと、最終的に勝った方が勝ちなのよ」

 透子は鞘に納められたままの聖剣をホルガーに向けた。

「さあ、もう諦めなさい!」

 すでに勝ち誇った気分でいる透子だったが、ホルガーは苦々しい表情を消し、不敵に笑んだ。

「ふ、舐められたものです」

「何ですって?」

「私が、デスクワークだけが取り柄の運動音痴だとでも思いましたか?」

「言うじゃない。なら白黒つけてあげるわ。OLなめんじゃないわよ。――エーファ様、危険なので下がって……」

 背後のエーファを伺う透子。だが、その体がぴたりと止まった。

「え? ……あっ!」

 透子の様子を不自然に思い、エーファは自分の状態を思い出す。そして瞬時に顔が紅に染まった。

「み、見ないでください!」

 自分の下に広がる、まだほんのり温かい液体。それが何なのかは一目瞭然だった。悪魔の娘から生み出される聖水。たちの悪いジョークである。

 羞恥に染まるエーファを一通り堪能してから、透子はホルガーを睨みつけた。

「あっ、あんた! エーファ様にお漏らしさせたのね!?」

「失礼な。姫様が勝手にお漏らししただけです」

「責任転嫁してんじゃないわよ! あんたが脅かすからお漏らししたんでしょうが!」

「脅かしたつもりはありません。お漏らしの責任を押しつけられても困ります」

 透子はエーファをかばっているつもりだったが、

「もう、死にたい……」

 飛び交う「お漏らし」という単語は、エーファのメンタルにとどめを刺していた。

「エーファ様に恥までかかせて、もう許さないわ。覚悟なさい!」

 聖剣フェアラートを握りしめ、怒りのままにホルガーへと斬りかかる。だがそれはあっさりと受けられてしまった。

 続けざまに一合、二合、三合、あらゆる角度から剣撃を繰り出してみるものの、苦もなく受け止められてしまう。

 鍔迫り合いの体勢になり、透子は不敵な笑みを向けた。

「ふん、やるじゃない。文官ってのはこういうことにはからっきしだと思ってたわ」

「だからそう言ったではないですか」

 対するホルガーは、いつものような涼しい笑みを浮かべている。

「逆に私は、貴女に対して落胆しました」

「何ですって?」

「優れた身体能力をもち、行動力、判断力も十分。ですが貴女は人間で、勇者なのです。魔族は人間にとって悪。片棒を担ぐべき相手ではありません」

「その言い回し……あんたも――」

「ええ、お察しの通り、私は魔族などではありません。人間です。人の肩をもち、魔族という悪を伐つことの何が悪いのですか!」

 ホルガーは透子を押し返し、上段に斬りかかった。

「つっ!」

 予想以上に重い一撃だった。無論剣の重さだけではなく、そこにはホルガーの剣技量が現れている。

「ご高説、拝聴したわ。けどね、私は人間とか魔族とかどうでもいいのよ」

 透子は後方のエーファを一瞥する。なぜか涙目で睨みつけてきているが、それもまた愛らしく見えた。

「私にとってはエーファ様だけが世界の全て。それ以外はどうなろうとしったこっちゃないわ」

「狂ってますね」

「せめて偏愛と言ってちょうだい」

「いいでしょう」

 ホルガーは距離を取り、聖剣を構えた。剣氣が増大し、透子の肌をぴりぴりと刺激する。

「ならその偏愛、私の正義でもって打ち破って差し上げましょう!」


 エーファの部屋に、剣戟の音が響く。室内と言ってもペタンクができる程度には広く、贅沢を好まないエーファ故に物も少ない。剣を振り回しても全く問題はなかった。

 一際大きい音が響き、透子とホルガーは距離を取った。

「ふう、しぶといですね、透子さん」

「はぁはぁ、あんたの方こそね……」

 軽口を叩くものの、息が上がっているのは透子の方のみ。技量の差はそこまででもないが、徐々に優劣がつきつつあった。

「それに、その剣も大したものです。これだけ打ち合っていて、ヒビ一つ入らないとは」

 透子は未だ、聖剣を抜くことができていない。ずっと鞘のまま抜き身の刃と打ち合っていたが、ホルガーの言うとおりその黄金の鞘にヒビところか傷一つついていなかった。

「あんたのそれこそ、聖剣だったのね。宝物庫で見たとき、妙な既視感があると思ったのよ。魔王城に聖剣を隠してるなんて、性格が悪いにもほどがあるわ」

「常に堂々と持ち歩いている人に言われたくありませんが」

 ぐうの音も出ない正論だった。

「……善戦のご褒美に、透子さんの知りたがっていたことを教えて上げましょう」

 不意に、ホルガーが口の端を持ち上げながらそう言った。

「知りたがっていたこと? ――まさか」

 透子は後ろを振り返る。そこには、不安げな顔のエーファ。そのエーファもまた、ホルガーが何を言おうとしているのかを悟り、顔色を変えた。

「まさか……や、やめてください!」

「エーファ様が魔力を生み出すスピード。それが異常だという話は前にしましたね?」

 エーファには構わず、ホルガーはつらつらと話し始める。

「無論、普通の魔族も魔力を体内で生み出しています。ですがそれは生理現象のようなものであり、スピードも多少の個体差程度の違いしかありません。魔力を早く多く生み出そうとするならば、それに見合った栄養補給がいるのです」

「つまり、エーファ様の魔力生成が早いのも、栄養のあるものを多く食べてるからってことなの?」

「そうです。そして、それこそがエーファ様にかけられた呪いなのですよ。魔力を生み出すもの……いや、魔力を多く保有しているものは何だと思いますか?」

 そんなことを聞かれても、単なるOLだった透子にわかるはずもない。

「マムシとかスッポン?」

「貴金属、そして宝石ですよ」

 透子の下ネタ(無意識)をスルーし、ホルガーは声高にそう言い放った。

「希少だからなのか、なぜかそれらには魔力が込められているのです」

「ふーん……待って、さっき栄養補給って言ったわよね? つまり――」

「そう、エーファ様は貴金属や宝石を口にしているのです。それこそが、彼女にかけられた呪いなんですよ!」

 透子は再びエーファの方へ振り返った。エーファは真っ赤になって俯いている。ただでさえ小さい身体が、余計に小さく見えた。

「いや、でも……エーファ様、歯とあごがすごく丈夫なんですか?」

 違います、とエーファは小声で答えた。

「呪いのせいなのか、噛み砕くことにも飲み込むことにも抵抗がないんです」

 消化された後はどうなるのかも気になったが、そこはさすがに聞かなかった。

「ちなみに、普通の食べ物はどうなんですか?」

「口にした瞬間に戻してしまいます。何ともないのは水くらいで……」

「ふむ……」

 透子はホルガーに向き直った。エーファの恥部を晒したからか、ホルガーは意地の悪い笑みを浮かべている。

「どうです? 宝石なんかを食べているんですよ? おぞましいで――」

「で、オチは?」

「……は?」

 ぽかん、とホルガーは口を開けた。

「は、じゃないわよ。オチはないの?」

「オチって、透子さん、今の話を聞いて、思うところはなかったんですか。宝石や貴金属を食べてるんですよ?」

 ホルガーは強調するように繰り返すが、透子は首を傾げるだけだ。

「思うところ? ……ああ」ぽん、と透子は手を打つ。「宝石なんて食べてるの~? え~、気持ち悪~い。何て私が言うのを期待してたのね? でもお生憎様、私だって、お金がないときは土食って生きてたんだもの。栄養のあるものは全部妹に回してたからね。宝石や貴金属食べるくらい何とも思わないわ」

 遠くを見つめる透子。

「いや~、懐かしいわねぇ、カエルが食べられるって知ってからは土も減ったんだけどね。ただ小さいカエルは小骨が多いのよ。個人的によかったのは蛇とウシガエルね。特にウシガエルは食用だけあって、鶏肉みたいで美味し……」

 ハッと、透子は我に返る。ホルガーに哀れみの視線を向けられていた。

「コホン! つまり、その程度で私がエーファ様を嫌いになるわけがないの。残念だったわね」

 そう言うと、ホルガーは哀れみから一転、憎々しげに顔を歪めた。

「ふん、どこまでいっても食えない女ですね雑談は終わりにしましょう」

 右手で聖剣を構えるホルガー。透子もそれに呼応する。

「行きますよ!」

 ホルガーが床を蹴った。瞬時に間合いを詰め、右手で聖剣を振り上げる。

 振り上げた瞬間に、白刃は閃いた。

「なっ!?」

 その輝きは聖剣のものではない。聖剣を振りかぶると同時に、ホルガーは左手でナイフを投擲していた。

「つっ!」

 眉間を狙って放たれたそれ。とっさに弾くことができたのはやはり偶然だったが、この奇襲で透子は完全にバランスを崩した。

「そこです!」

 ホルガーは聖剣を振り下ろした。何とかそれも受け止めたものの、足のふんばりがきかずに透子は壁際のベッドまで吹っ飛ばされた。

「きゃあああ」

 無意識に手を伸ばすが、つかめたのはふかふかの布団だけ。当然布団はめくれ、透子はそれに包まれながらベッドと壁の隙間に落ちてしまった。

(くっそぉ……)

 布団に包まれ、真っ暗闇の中で歯ぎしりする透子。悔しいが、僅かにホルガーの方が上手だ。

「どうしました? お休みの時間にはまだ早いですよ」

 人を小馬鹿にしたような声が聞こえてくる。追い打ちをかけてくる様子はないらしい。

(どうする……)

 正攻法でやっても勝ち目は薄い。かと言って、エーファを連れて逃げ出せるほどの隙もない。

(どうすれば……ん?)

 ふと、身じろぎした拍子に上着のポケットに手が当たった。そこには何かが入っている。

(これは……そうか!)

 透子は、唇の端を吊り上げた。


「何を企んでいるのかは知りませんが、早く出てきなさい。姫様のお漏らしを全国に通達しますよ」

 とばっちりです! というエーファの声はホルガーに届かない。だが透子には届いたようだ。ベッドと壁の隙間から、透子が立ち上がった。

「初めから素直にそうしていればいいんです。さあ来なさい」

 そう挑発するホルガーに応えるように、透子はベッドから跳躍した。右手に聖剣を持ち、大きく振りかぶっている。

 透子からホルガーへは数メートルも離れている。間合いに入られるにはまだ十分に猶予がある。

 そう判断し、ホルガーはゆっくりと剣撃に備えたが、

「なっ!?」

 透子は左手で、小さな筒状の何かを放り投げた。まだ間合いの外だと思っていたホルガーはとっさに反応できない。

 三男ロースとよく交流していたエーファは、透子が投げたものが何なのか知っていた。だから、目を瞑る(、、、、)という反応ができた。

 オーク三兄弟とはほとんど接点をもたなかったホルガーは、それが何なのか知らなかった。だから、それを注視してしまった。

 筒が強烈な閃光を発し、エーファの部屋が光に満たされる。

「ぐ、ああああああ!」

 光を発したのはほんの一秒足らず。だがその光が収まったときには、ホルガーは顔を覆って床にうずくまっていた。

 隠し持っていた閃光弾によって生まれた隙。それを見逃すはずもなく、透子はホルガーに殴りかかる。

 袈裟斬りに振り下ろす聖剣が、ホルガーの頭蓋骨を打ち砕く、はずだった。

「……甘いんですよ」

 嘲笑うような声。そして、もう何度聞いたかわからない、鞘と刃がぶつかり合う音。

 透子の聖剣はホルガーの後頭部に届くことはなく、受け止められていた。

「奇襲を考えないわけがないでしょう。その内容も限られる。それに何ですか、その気の抜けた振りは。爪が甘い。全くもって甘いんですよ!」

 勢いよく立ち上がりつつ、ホルガーは受け止めた透子の聖剣を弾き飛ばした。

 辛うじて手放すことはなかったものの、透子の身体はがら空きになってしまう。

 それは、致命的な隙だった。

「死ねッ!」

 ホルガーは手首を返し、弾くために振り上げた聖剣を反転、袈裟斬りに振り下ろした。

 奇しくも直前の透子と同じ太刀筋。

 だが今回は、それが受けられることはなかった。

「トーコさん!」

 エーファの悲鳴が響き渡る。

 ホルガーの聖剣は、透子の身体を深々と切り裂いていた。

 透子からはうめき声一つ上がらない。どこかスローモーションのように、その身体が床に崩れ落ちた。

「いや……いやぁっ!」

 仰向けに倒れた透子に、エーファは泣き叫びながら駆け寄った。

「そんな……いや……いやです!」

 透子の傍にひざまずき、透子の様子をのぞき込む。すでに、透子の瞳からは光が消えつつあった。

 どくどくと溢れる血が、紺のスーツをどす黒く染め上げていく。裂かれたスーツからのぞく傷口はかなり深い。致命傷だ。

「ク、ククク……私があの程度の奇襲に引っかかると思ったのでしょうか」

 笑いをこぼすホルガーを、エーファはキッと睨みつけた。

「あなたは、最低です。仮にも、ともにこの城で過ごした人ではないですか。魔族に荷担したというだけで、人間に逆らったというだけで、どうしてここまでひどいことができるのです」

「人間に……? ああ、そう言えばそんなことを言いましたね」

「……どういう、ことですか」

 ホルガーの言い回しには違和感があった。まるでその理由が――

「建前ですよ」

 あっさりと、ホルガーはそう言った。

「ただ魔族を討つだけなら、何年もこんなかび臭い城にいません。私がそれに耐えてきたのは、ただただ貴女の魔力が目当てだったからですよ!」

 両手を広げて声高に述べる様は、まるで選挙の演説のようだ。透子という邪魔者を打ち倒したことで、気分が高揚しているらしい。

「存在が欠陥だとしても、貴女の魔力を生み出す力はすばらしい。それがようやく形となったのです。魔力結晶という形にね。この魔力を利用すれば、私は何だってできる。そう、新たな魔王となることもね!」

「それが、あなたの真の目的だったのですか……」

「わかりやすいでしょう? まあ、アーダルベルト様を伴侶とする目的もありましたがね」

「え? あんた実は女だったの?」

「馬鹿おっしゃい。私は正真正銘男です。男同士で何の問題が……な!?」

 突如割り込んだ声に、ホルガーは驚いて振り返る。その顔面に、

「ラ○ダーキィィィィィィック!」

「んのおおおおおおおおお!」

 パンプスのヒールが深々と突き刺さった。攻撃にかかる面積が小さい分、もしかすると本家より痛いかもしれない。

 スーツの女は華麗に着地。ホルガーはボールのように吹っ飛び、部屋の反対側にあったドアに直撃した。

「決まった……」

「と、トーコさん!?」

 死んだと思った人が、キックを伴って復活。エーファの驚きはもっともだろう。

「私がそう簡単に死ぬわけないじゃないですか」

 バチコンとウィンクを決める透子。

「え? え? じゃあこっちは……」

「ああ、それはですね――」

 透子は死んでいる方の透子の傍で膝をつくと、そっと首の後ろに手を伸ばす。その瞬間、透子(死)はみるみる縮み、藁人形になってしまった。

「身代わり……」

「ロースからパク……借りていたのを思い出しまして。バージョンアップして血も出るようになってましたからね、おかげでまんまと騙せました。いや~、頭脳キャラを気取ってる奴を騙すのは最高だわ!」

 最後の一言は、ドアの前で倒れているホルガーに向けられていた。

「ぐ……なるほど、閃光弾も囮だったというわけですか、やられました……」

 ホルガーはゆっくりと立ち上がる。すわ効いていないのかと透子は一瞬戦慄したが、ホルガーのうごきはややぎこちない。ダメージは確実に入っているようだ。

「さて、年貢の――」

「ただの脳筋かと思っていました。頭も回るんですね」

「誰が脳筋よ! いや、それより、とうとう年貢の――」

「まったく油断しました……ですが、これで終わりにはできません。一旦仕切り直させていただきます!」

 言うが早いか、ホルガーは背後のドアから逃げ出してしまった。

「待ちなさい! 納め時! 納め時って言わせて!」

「トーコさん!」

 即座に追いかけようとする透子だったが、ビタリと動きが止まる。振り返ると、仏頂面のエーファがいた。

「おさめどき……」

「もう! びっくりさせないでください!」

 大人しいエーファには珍しく大きな声。かなり怒ってる。ようやくそう悟り、透子は決めゼリフへの未練を断った。

「まあでも生きてましたし、ね?」」

「本当に、死んじゃったかと思って……私……わたし……」

 エーファの言葉は尻すぼみになり、それに反比例して声が震え出す。いよいよ顔を覆ってしまい、透子は大いに焦ってエーファのもとに駆け寄った。

「あああいやほら! 敵を騙すからにはまず味方からって! それに、あの策を使ってなかったら負けてたかも知れませんし……あの、その……ごめんなさい」

 頭を下げる透子。ようやくエーファは顔を上げた。目に涙を浮かべ、上目遣いで透子を睨みつける。

「許しませんから」

「え?」

「勝たないと、許しませんから」

「は、はい! もちろんです! ぎったんぎったんにしてやりますよ!」

 勢いづく透子に、エーファはにこやかな笑顔を向けた。

「頑張ってください!」

「その言葉だけで元気百倍です!」

 ぐ、と親指を立て、透子はホルガーを追うべく部屋を飛び出した。

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