第9話『忍び込むОL』
「後は私にお任せ下さい」
エーファの部屋に着くと、当然のようにホルガーが待ち構えていた。
「あんた、こうなることを知ってたの?」
エーファに寝かせながら、透子は尋ねる。半ば睨むようにしていたが、ホルガーはどこ吹く風でそれを受け流した。
「まさか。いつもの業務で部屋を訪れても、姫様のお姿がどこにも見えない。そう言えば、調子を崩している人がいた。お優しい姫様ならお見舞いに行かれるだろう。と、単に状況から推測しただけですよ」
その言葉に矛盾することは何もない。だが、透子はある一点が引っかかってホルガーに詰め寄った。
透子よりホルガーは少し背が高い。上目遣いで睨みつけた透子の目を、ホルガーはいつもと変わらぬ飄々とした目で見下ろした。
「今の話しぶりだと、エーファ様がこうして倒れるところまで予測できていた、そう聞こえるのだけれど」
「そう言ったつもりですが、何か?」
「あんたねえ……!」
無意識に透子はホルガーの胸元を掴み上げていた。だがそうされてさえ、ホルガーは顔色一つ変えない。それがさらに透子の苛立ちを募らせる。
「なら倒れる前にどうにかすることもできたんでしょう? つらそうにしているエーファ様を見ても、あんたはどうにも思わないの?」
半ば叫ぶような詰問だが、やはりホルガーに堪えた様子はない。それどころか、こうして取り乱している自分を面白がっている風にさえ、透子には思えてしまう。
「問題ありませんよ」
にっこりと笑うホルガー。
「命には別状がありませんから」
そうして返ってきた答えは、答えになっていなかった。
カッと自分の頭に急激に血が上ったのを、透子ははっきりと自覚した。
「そういうことじゃないでしょう!」
今度こそ感情に任せ、透子はホルガーに怒鳴り散らす。
「命に別状がないのなら、エーファがこうしてつらそうにしていても何とも思わないの!? プロポーズしたんでしょう!」
ホルガーの眉が僅かに動いたことに、冷静さを失っていた透子は気付かなかった。
「……お静かに。姫様が眠ってらっしゃいます」
ギリ、と透子は唇を噛む。エーファを引き合いに出されては、黙るしかない。
「聞かれていたとは迂闊でしたが、伴侶となるからこそ、貴女に口を出される筋合いはありません。何より、姫様の体のことは私が誰よりも知っています。今回の原因も、その対処法も。それとも貴女に代わりが務まりますか」
「そ、れは……」
ホルガーの言うことは全くもって正論だった。だからこそ、透子は胸が締め付けられるような感覚を覚える。
「お前にエーファの何がわかるのだ」
そう言われたのと同義なのだから。
「少々言葉が過ぎましたね、すいません。ですが、姫様の後のことは私に任せていただきます。お引き取り下さい」
「せめて、せめて一緒にいさせてもらうことはできないのっ?」
「貴女が姫様の体のことを知っているならともかく、そうでないのならこの先のことは姫様自身が見られたくないはずです」
「ぐ……」
くやしい。正直言ってくやしい。だが、透子にはどうすることもできないのが事実だ。愛しのエーファを支えることはもとより、ともにいることすらできない。
いつか感じた無力感が、重く重く透子の背中にのしかかった。
「……一つ、助言を差し上げましょう」
そんな透子を慮ったわけではないだろうが、部屋を出ようとした透子にホルガーが声をかけた。
「助言?」
「ええ、姫様の呪いをお教えすることはできませんが、その外側ならお話しできます」
そう言って、ホルガーはベッドで眠るエーファに目を落とした。汗をかき、いまだ苦しそうにあえいているエーファ。額には玉のような汗が浮かんでいる。その彼女を見るホルガーの感情を、透子は読みとることができなかった。
「呪い、って言った?」
現代日本では、ほとんどフィクションの世界でしか使われない言葉。それが透子に引っかかった。
そうです、とホルガーは透子に向き直る。
「誰からかけられた呪いなのかは、残念ながら私にもわかりません。そして、その内容を貴女にお教えすることはできません。ですが、一つだけ言えることがあります」
ホルガーは懐から、何かを取り出した。手の中のものが触れ合い、透き通った、しかしどこか尖った音を響かせる。
「金貨、それに宝石?」
金色の輝きを返す硬貨、そしてその金貨に負けじと輝く宝石だった。どちらも、今までの透子には全く縁のなかったものだ。
「貴女は疑問に思っていましたよね。どうしてこの城の出費はかさんでいるのかと。ある程度予想はされていたかも知れませんが、姫様の呪いが関係しています」
「……エーファ様に浪費癖がある、わけないわよね?」
「それはお答えできません」
「なら、今こうして彼女がつらそうにしているのは、この城が貧乏だからってこと?」
「それもお答えできません。ですが、金銀財宝があるに越したことはない、とだけ言っておきます」
「……性格悪いわね」
「よく言われます」
皮肉を笑顔で返され、こいつに口で喧嘩を売っても無駄だ、と透子は判断した。
「まあいいわ。なら私がやることは変わらない。あんたは早くエーファ様を楽にさせてあげなさい。見てるこっちもつらくなるわ」
非常に癪だが、エーファはホルガーに任せるしかない。全て抜け落ちてしまいそうなほどに後ろ髪を引かれたが、透子は部屋を出て行かざるを得なかった。
後ろ手にドアを閉め、透子は小さくため息をつく。自分の心を入れ替えるために。
(私がエーファにできることはない。でも、エーファのためにできることはある)
思考のために目を閉じたのは数秒だけ。
透子は、ある場所へ向かって歩き出した。
「迂闊でしたね」
ぽつりと、ホルガーは呟いた。
「手を打つ必要はあるでしょうか……」
自分へと向けた問いかけは、誰からも答えられることなく部屋の中に解けていった。無論、横になっているエーファからも答えは返ってこない。
「ダンジョンの強化、オークたちの鍛錬、そして、それに伴う魔力の消費……ふふふ、笑えませんね」
苦笑いを浮かべ、指を鳴らす。その乾いた音を合図に、エーファの部屋にある異質な機械――魔力を貯蓄する魔力水晶がぼんやりと紫色の光を放ち始めた。
光が強くなると同時に、エーファの体にも異変が起こり始める。
「ん……んぅ……」
苦しそうに喘ぐエーファ。その体が魔力水晶のように発光し、紫色の靄――魔力が水晶へと吸い込まれていった。魔力が吸われるのは無反動とはいかないらしく、体がびくんびくんと痙攣している。
「あ……うぁ……」
呼吸を求めるように口はぱくぱくと開き、その端からはよだれがこぼれていく。目も開ききっているが、そこには何も映していない。意識が戻ったというわけではなく、この苦悶に対する反射だろう。
首を思い切り絞められると、ちょうどこのような顔になるかも知れない。
もがいているうちに、エーファに被せていた布団は蹴飛ばされてしまった。着替えさせる暇がなかったので、エーファはドレス姿のままだ。その裾から、真っ白く美しい太ももが露わになっている。
そんな、およそいつもの清楚なエーファからは想像もできない様子を見ても、ホルガーは顔色一つ変えなかった。一瞥しただけで、すぐに魔力水晶に視線を戻してしまう。
魔力を吸い尽くしたのか、しばらく経って魔力水晶はその不気味な輝きを収めた。エーファの様子も落ち着いたものに戻る。
「もうそろそろ十分でしょうか。次の段階へと進みましょう」
そう独りごちると、ホルガーは部屋を後にした。
* * *
鍵穴に、金色の錠前を差し込む。それを軽くひねると、確かな手応えとともに鍵がグルリと回った。
重苦しい音を響かせながら、重厚な扉を押し開ける。
その部屋に入ると、金属特有のにおいが微かに鼻をくすぐった。
「金銀財宝が山のように……って思うのは、私が単なるOLだったからなんでしょうね」
薄暗い部屋に目が慣れると、目の前には大量の金貨や宝石、貴金属が山になっていた。魔力灯を点けると、それらは目映いばかりの輝きを返してくる。
透子がやってきたのは、ベルンシュタイン城の宝物庫だった。
「ただのOLがこんな財宝を管理するようになるなんて……OLのOは
笑ってみても空しいだけ。何しろ、山のようにあるように見えて、この財宝たちは一年しかもたないのだ。いや、ダンジョンで釣り針に使うことも考えれば、もっと短くなるかも知れない。
「ま、そんなことはさせないけど」
つかつかと透子は宝物庫の奥に歩みを進める。無造作に転がる財宝には目もくれない。
宝物庫の奥には、財宝ではないものたちも安置されていた。
禍々しい気を放つ剣や杖などの武器から、鎧や大小様々な盾といった防具、そしてよくわからない玉などの呪具。財宝とは異なり、それらは丁寧に棚に置かれていた。きちんと数えたことはないが、百点は超えているだろう。
これらは全てマジックアイテムである。魔力を媒介にして効果を発現するそうだが、
(――「これらは全て古いものです。どんな副作用や反動があるかわかりません。ですので、使わない方がいいでしょう」――)
とのホルガーの言葉で使用を自粛していたのだ。
「でも、もう出し惜しみなんてしてられないものね」
財宝の不足により、エーファが苦しむ可能性が高まる。であれば、ダンジョンで財宝を奪われるなどあってはならない。そのためには、手っ取り早く強くならねばならないのだ。
「そのためには、多少のリスクは覚悟しないと……」
きゅっと唇を引き結ぶ透子。エーファのためなら、自分はどうなってもいい。どんな副作用や反動でも受け入れる。そんな覚悟が透子にはあった。
どれがいいのかしら、と棚を順番に覗いていく。様々な種類の魔道具があれど、透子にはその効果や能力などわかるはずもない。「いい茶器を買ってこい」と上司にパシらされて古道具屋に行ったことを思い出し、無駄にうんざりした気分になった。
(こんな玉とか、どう使えって話よね。これは……竿? 釣りでもするのかしら。杖なんか使ったって、魔法自体をどう使えばいいのかわからないし。やっぱり、剣なんかの方がわかりやすくていいわよね。……そもそも、私に魔力ってあるのかしら?)
うんうん唸りながら宝物庫の奥へと進んでいく。
やがて、一枚の扉にたどり着いた。その扉には、それほど古くない張り紙がしてある。
はっきりと、『立ち入り禁止』という几帳面な字が書かれていた。
(ホルガーの字だわ。立ち入り禁止ってことは、こっちより強力なものが置いてある可能性が高いわよね。貴重なものか、あるいは危険、か)
透子がここまで来るのは初めてだった。そして、いつもの透子ならここで引き返していた。立ち入り禁止と書いてあるならば、それに従うべきだ。だが、このときの透子はあえてその自戒を無視した。
もっと強くなって、もっとダンジョンで稼ぎたい。そして、エーファを助けてあげたい。その一念のみに囚われていた。
「……行きましょう」
覚悟を決め、ドアノブに手をかける。ひんやりと冷たいそれは、全く埃をかぶっていなかった。
扉は簡単に開いた。入っちゃだめなら鍵くらいかけときなさいよ、と透子は思ったが、そもそも扉には鍵穴がない。
不用心にも程がある、と勝手に入ったことは棚に上げ、透子は扉の先に進んだ。そこはたった二メートル四方ほどの小さな部屋だが、宝物庫に入ったときのような埃っぽさは感じない。
部屋の中に、宝物庫の明かりが差し込む。その光を返してきたのは、たった一振りだけの、白銀を主にした剣だった。
「どうしてこの一振りだけこんなところに……?」
特別なものであることは間違いないだろう。だが、ひとつだけわかることがある。
(……嫌な予感がする)
わざわざこんなところに安置してあるのだ。自分は、この謎の剣を見つけるべきではなかったのではないか。やはり、立ち入り禁止を破るべきではなかったのでは。
できれば杞憂であってほしい。そんな思いは、呆気なく裏切られた。
「そこで、何をしているのです?」
不意に背後からかけられた声に、透子は口から心臓どころか小腸あたりまで飛び出るほど驚いた。
「なっ! なななな何よ! きゅ、急に声かけるんじゃないわよ! もし私が心臓弱かったら今ので死んでるわよ!?」
涙目になりながら抗議の声を上げるが、背後にいた人物――ホルガーは何も答えなかった。
いつものような薄い笑顔。宝物庫からの逆光も相まって、とことん不気味に見える。ホルガーの心が読めないのはいつものことだ。しかし、今この瞬間ばかりは、透子にはホルガーがこの世のものでないほど恐ろしかった。
「立ち入り禁止、と書いてあったはずですが」
ようやくホルガーが発した声は、普通の氷を通り越し、ドライアイスにも似た冷ややかさを纏っていた。今なら、息を吹きかけただけで水が凍りそうだ。
そんな声に、さらに背筋が凍る感覚を覚えたが、透子は会社勤めで培った営業スマイルを顔に貼り付けた。
透子も一応人間なので、負い目を感じることもある。
「何よ、私が入りたかったから入ったの。悪い? 悪くないわよね」
などとは言えず、そそくさとその場を退散することに決めた。
「いや~、暗くて見えなかったの。すぐ出て行くわ、ごめんなさいね」
本心など0パーセントだが、社会で生きていくには建前は必要不可欠である。当然ホルガーも額面通りには受け取らないだろうが、今はこの場をしのぐことが先決。そう透子は判断した。
ホルガーの脇をそろそろとすり抜ける。腕でも掴まれないかと内心ビックビクだったが、それは杞憂だったらしい。すれ違い、そして透子が宝物庫から出て行くまで、ホルガーは一言も発さなかった。
平静を保ったまま宝物庫を出、後ろ手に扉を閉めたところで、透子は大きく息を吐いた。まだ中にホルガーがいるが、今の透子にそんなことを気にする余裕はない。
「………………ビビった」
素直にそうこぼす。ホラー映画も涙目なホルガーの登場に、心臓が止まるかと思った。タイミングが良すぎるにも程がある。
「あの剣、何だったのかしら」
首をひねりつつ、透子はその場を後にした。
歩き去っていく透子を、ホルガーは宝物庫の扉の隙間からじっと見ていた。その顔に、いつもの微笑みは欠片ほども浮かんでいない。ただただ、冷徹な光を瞳に宿している。
やがて廊下の先に透子の姿が見えなくなると、ホルガーは宝物庫の中へ踵を返した。
その向かう先は、例の小部屋へ向いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます