第8話『うちひしがれるОL』

(――「それに、そんなことをしてしまうと」――)

 透子は、数分前の自分の台詞を思い返していた。

(私は、あんなやつらと一緒にはならない……!)

 聖剣を握る手に力が入る。城の廊下にカーペットが敷いてあって良かった。もしそうでなかったら、荒々しい足音を響かせてしまっていただろう。

(もう、吹っ切れたと思ってたのに……)

 思い出したくもない情景が、脳裏をよぎった。

 この世界に来る、その少しだけ前のこと。

 切れかかった蜘蛛の糸を、完全にちょんぎってくれたあのハゲ親父。息災だろうか。二、三発殴るだけでなく、完全にとどめを刺してくれば良かった。

 透子の心の中に、暗雲が立ち込めていく。だが、

「これは……」

 不意に聞こえてきたピアノの音色によって、魔法のようにその暗雲は霧散していった。明るい音色は廊下の先から小さく響いてくる。エーファのピアノだ。

 握っていた拳を解き、透子は吸い寄せられるように音の方向に足を向けた。

 その曲は、確か『希望』といったか。穏やかなテンポの長調が、透子に耳に、そして心に染み込んでいく。あれほど荒んでいた胸中が、嘘のように凪いでいくのがわかった。

 エーファの部屋の前まで来ると、やはりその透き通るような音色は部屋の中から聞こえてくる。

 水を差すのも躊躇われ、透子は演奏が終わるまで待つことにした。扉の横の壁にもたれ、ピアノの音色に耳を傾ける。

 意識せずとも、その音色は透子の全身にとけ込んでくるようだ。扉一枚挟んでいるものの、すぐそばで聞いているような心地よさに包まれる。

(こんなにゆったりするのはいつ以来かしら……)

 目を閉じる。音色の波に乗るように、脳裏に今までのことが流れてきた。

 妹との死別。

 元の世界での最後の大暴れ。

 突如飛ばされた異世界。

 ボロ雑巾のように吹っ飛ぶ金ピカ勇者。

 魔王城、そしてエーファとその他の出会い。

 日数にして、二週間も経っていない。だが、怒濤、と言っても全く差し支えない日々だった。これほどまでに穏やかな時間は、エーファといるときばかりだったような気がする。

 困窮している魔王城を――ひいてはエーファを助けたいと思っていたが、

(助けられているのは、私の方だったのかしらね……)

 一人、そう苦笑を漏らしたとき、ピアノの音色が余韻を残して消えていった。どうやら演奏が終わったらしい。

 壁から背を離し、賛辞とともにエーファを訪ねるべくドアをノックする。

 その直前、ドアの向こうから声が聞こえてきた。

『いつもながらお見事です』

 賛辞の声。だがその声には表情がない。この城でそんな器用な真似ができるのはホルガーだけだ。その後に聞こえた、蚊の鳴くような「ありがとうございます」はエーファのものだろう。

(エーファ様だけじゃなかったのか……)

 小さく舌打ちをするが、別に遠慮するところでもない。透子は構わずドアをノックしようとし、

『ところで、あの話は考えていただけましたか?』

 無意識にその手を止めていた。あの話とは何だろう。物音を立てないよう、そっとドアに耳を当てる。まあ、どんな話だろうと動揺することはない。部下を従えている、そんな立場にいる以上、些細なことで心を乱すわけにはいかない。常に冷静でいな――

『プロポーズ、ですよね……』

「プッ……!」

 気を失うかと思った。それほど勢いよく血の気が引いた。

(ぷっ、ぷぷぷプロポーズ!? ホルガーがエーファによね!? あのスケコマシ野郎、涼しい顔して何考えてやがんのよ!)

 ぎりぎりと歯を食いしばる。このままドアをぶち破ってホルガーもあの金ピカクソ勇者と同じ運命を辿らせてやる。そんなことまでコンマ二秒で考えるほど、透子は動揺していた。だが、ゴリラが力一杯絞った雑巾に残った水分ほどに微かに残った理性が、どうにかこうにかそれを押しとどめていたことに、透子はいたく感動した。

 だが、納得できるかどうかまでは話が別である。

 ドアを蹴破ろうとする足を必死で押しとどめ、何とか頭を回転させる。

(許せない……絶対に許せない……! 適当にスキャンダルをでっち上げてこの城から追い出してやろうかしら)

 非常に身勝手なことを企てる透子であったが、ふと、部屋の中が静かであることに気がついた。沈黙ではない。エーファは逡巡している。直感ではあったが透子はそう思った。

(そう、そうよ、あのスケコマシがプロポーズしたところで、エーファ様が受けるとは限らない。いや、きっと突っぱねるに決まってるわ。やれやれ、私は何を焦っていたのかしらね)

 安堵のため息をつく。それは全く根拠のない確信だったが、そうでもしないと透子は怒りのままに暗黒面に落ちそうだった。

『もし、受けて下さるのなら……』

 不意にホルガーの声が聞こえた。答えないエーファにじれたのだろうか。同時に、足音が響いてくる。部屋の中にはカーペットが敷いてあったはずなので、その足音が極めて小さい。だが、確かに透子はその足音を認めた。

 足音がやみ、声も聞こえなくなる。話している気配はあるので、恐らく、エーファに歩み寄って耳打ちでもしているのだろう。

(耳打ち……)

 ホルガーがエーファの耳元に顔を寄せている。話し声が聞き取れないことよりも、その光景の方が透子にとっては腹立たしかった。

(……でも、何を言われてもエーファがプロポーズなんて受けるはずないわ)

 未だそう信じていた透子であったが、その妄信は呆気なく打ち砕かれることとなった。

『……わかりました』

「え……」

 エーファの声。耳を疑う、とはこのようなことを言うのだろう。

 わかった、とエーファは言った。何がわかったというのか。きっと、プロポーズを受けないということがわかったに違いない。透子のそんな最後の希望も、

『あなたの申し出、お受けします』

 このエーファの言葉で塵と消えていった。

(そんな……エーファとホルガーが……)

 視界が明滅する。魔力灯が切れかけてるじゃない。透子は施設の不備を嘆いたが、そもそも今はまだ昼間だ。太陽が昇っているし、魔力の節約にうるさいホルガーは魔力灯を点けない。

 立ち眩みをするほど自分がショックを受けている。そんなこともわからないほど、透子は自分を失っていた。

 そこからの行動はあまり覚えていない。それ以上話を聞いていたくなくて、エーファの部屋から離れた。そこまでしか、覚えていなかった。


「ようやくうなずいていただけましたか」

 部屋の外で茫然自失に陥っていた透子とは裏腹に、ホルガーは満足げにうなずいていた。

 だが、それに反してエーファの顔は浮かない。

「本当に――」

 緊張、焦燥、不安、そして微かな希望、そんなものがない交ぜになり、エーファの声は震えていた。

「――本当に、私の呪いを解いて下さるんですか……?」

 エーファは傍らにいたホルガーの腕にすがりついた。その小さな手は小刻みに震え、目には僅かに涙が浮かんでいる。

 そんな今にも折れてしまいそうなエーファに、ホルガーはあくまで人当たりのいい微笑を向けた。

「心配ありません。今すぐは無理ですが、目処はたっています。もうその体質に悩まされることもなくなりますよ」

「そう、ですか……」

 はっきりと告げられ、エーファはその場にへたり込んだ。

「あはは……ほっとしすぎて、腰が抜けちゃいました。お恥ずかしいです」

 頬を染めるエーファ。緊張は解けたはずなのに、心臓は早鐘のように激しく打っている。長い間待ち望んでいた言葉に、柄もなく興奮している。そう自覚して、エーファはますます自分が高揚するのがわかった。

 物心ついたときから、自分の体質には悩まされてきた。他人とかけ離れていることを呪い、自分に対して、そしていつだって優しく接してくれていた父に対してさえ、怨嗟の言葉を発したときもあった。

 だが、その悩みからもようやく解放される。興奮しないわけがなかった。

「本当に、ありがとうございます……」

 涙の混ざった声で、エーファは小さくそう言った。

 ホルガーは答えない。ただ、自分の傍で座り込んでいる少女に、研ぎ澄まされたナイフのような眼差しを向けていた。


                *     *     *


 目を開くと、白い天井が目に入った。いや、細かく言うならその光景は誤りだ。暗い部屋の中。天井も白くは見えない。薄暗い、くすんだ色をしている。

 自分の心みたいだ、と透子は自嘲した。何となくその天井を見たくなくて、右腕で目を覆う。視界は再び完全な暗闇に包まれた。

 プロポーズの話を聞いてしまった後、透子は部屋に閉じこもっていた。気分が悪いと、ある意味では嘘ではない嘘をつき、夕食にも顔を出していない。

(……らしくないわ)

 逃げ、という手段を取ったことは、今までほとんどなかった。嫌なことやつらいことがあっても、我慢して順応するか反発してはねのけてきた。そんな自分がこうして、何もできずに閉じこもっている。

 本心では、自分にショックを受ける資格すらないことは理解している。

 肉親でなければ友人でもなく、ましてや――。エーファとはただの主従関係に他ならない。ショックを受けるなら、父親である魔王くらいなのだ。

 そんなことを自覚していてもなお、透子は自分の殻を破ることができなかった。

 いつぞやの――まだそれほど月日は経っていないのに、昔のことに感じる――無気力感が体を苛み続ける。もうこのままずっと寝ていたい。

 両目には腕を乗せたまま、もう一度意識を闇に預けようとした、そのときだった。

「…………ん」

 始めは聞き間違いかと思った。それほどに控えめな大きさのノックだった。

 もう一度、先ほどより大きな――それでも小さな音のノックが響いた。今度こそははっきりと透子の耳にも届く音で。

(はぁ……出たくないわね)

 この城の中で、そんな控えめなノックをするのは、気弱な次男モルタともう一人くらいしかいない。前者なら叩き返すところだが、後者なら――。

 三度ノックの音が透子の耳に響き、ようやく彼女は体を起こした。

 寝る前にスーツを脱ぐという理性は残っていたため、ベッドから出た透子はワイシャツにショーツというあられもない格好である。髪もぼさぼさで、とても他人に見せられる出で立ちではない。

 だが透子はそれを気にも留めず、ドアを開け放った。

「っ……」

 廊下の明かりが目を刺し、一瞬だけ立ち眩む。すぐに明順応した透子の目に映ったのは、ある意味で今一番会いたくない人物だった。

「あ……その……体調が優れないと聞いて……すいません」

 透子の予想通り、エーファ・ベルンシュタインその人が、顔を真っ赤にして立っていた。

「あの……その格好は……」

 はしたない姿の透子を直視できず、しきりに目を泳がせている。もじもじプリンセスと呼んでも差し支えないほどに挙動不審でいる辺り、異性はもとより同性の露出すらほどんど見たことがないようだ。

 そんなエーファを心から、全身全霊をかけて、食べてしまいたいほど可愛いと思いつつも、やはり透子の心には一かたまりの暗雲が立ちこめていた。

「先ほどまで横になっていたもので。お見苦しいものをお見せして申し訳ありません」

 頭を下げる透子。もしこの様子を魔王が見ていたら、「僕にはドヤ顔で見せつけてきたのに」と愚痴を垂れそうだ。

「い、いえ、見苦しいだなんてそんな……! とっても綺麗で大きいです……!」

「ありがとうございます。……それで、何かご用でしたか」

 あくまで事務的に透子が尋ねると、エーファははっとして手に提げていたものを差し出した。

「そうでした! お見舞いに来たんです! その……お邪魔でしたか?」

 上目遣いに透子を見上げるエーファ。未だ、頬に朱が差している。

「……いえ、ありがとうございます」

 一瞬だけエーファを見つめたあと、透子は鼻を押さえて背を向けた。

「ど、どうかしましたか?」

「心は疲弊していても、体は正直だと感心しておりまして」

「……? とにかく、やっぱり疲れてらっしゃるんですね。横になっていて下さい」

 エーファに促されるまま、透子は照明を点けてベッドに向かった。鼻から流れる情欲がこぼれないようにするのに、細心の注意を払わなければならなかったが。

 エーファはイスをベッドの傍まで持ってきて、そこにちょこんと腰掛けた。そして袋から果物ナイフと赤い果実を取り出す。透子にはリンゴにしか見えなかったが、異世界のものなので油断はできない。見た目はリンゴでも味はみかん。そんなことも考えられる。

「ちょっと待ってて下さいね」

 にっこりとそう言うと、エーファはリンゴらしきものを剥き始めた。が、

「……エーファ様、普段料理はされますか?」

「大体モルタさんが作ってくれるので、全く……」

 でしょうね、と言いそうになったのを透子はすんでのところで飲み込んだ。

 リンゴを剥くエーファの手つきは、見ているこちらがはらはらするほどにたどたどしい。剥いた皮には大量に身がついており、短くぶつぶつと途切れている。

「で、できました」

 ようやく剥き終わったらしいが、直径十センチはあったはずのリンゴは半分ほどの大きさまで縮んでいた。一仕事終えたとばかりに満足顔のエーファだが、その評価はとても透子の口からは言えない。

 剥いたリンゴを八つに切り分け(芯は取らなかった)、エーファはフォークで刺して透子に差し出す。

「はい、透子さん、あーん」

 透子は泣きたくなった。無論、感涙である。愛しい愛しいエーファがあろうことか「あーん」をしてくれている。心中の暗雲が晴れていくのがわかった。芯の苦さも全く気にならない。

「リンゴ、お好きですか?」

「たった今、一番の好物になりました!」

 やはりリンゴだったようだ。ちなみに味もまごうことなくリンゴだった。

 リンゴ一個(正確には半個分)をぺろりと平らげた透子に、エーファは眩しい笑顔を向ける。

「よかった、ならもう一個剥きますね」

 そうエーファが言うのと同時に、ガリ、と苦い種を思い切り噛み潰してしまい、透子の顔に冷や汗が流れた。

「エーファ様! その……お礼に今度は私が剥いて差し上げます」

「そんな、病床の方のお手を煩わせてしまうわけには……」

「いえいえ! もうすっかりよくなりましたので!」

 味自体には何の問題もない。だがさすがに丸々二個分の芯を食べる気にならず、かと言ってエーファに指摘するのも躊躇われ、透子はそっとエーファの手からリンゴとナイフを取り上げた。

 エーファはまだ何か言いたそうな顔をしていたが、透子は構わずリンゴを剥き始める。

「わあ……透子さんお上手なんですね!」

 透子の手つきに、エーファは目を輝かせた。

 礼を述べつつ、透子の脳裏に懐かしい情景が浮かぶ。

(そう言えば、病気がちだった詠香に、こんな風にしてリンゴを剥いてあげてたわね……)

 あのときも、最愛の妹はこのお姫様のように目を輝かせていた。

「ふふふ、このくらい、目を瞑っていてもできますよ」

 言葉通りに目を閉じる。

 さらにエーファを喜ばせたく、調子に乗ったのがいけなかった。

「つっ……」

 チクリと指先に痛みが走る。親指の先から、赤い点が膨らんでいた。

(だ、ダサ……)

 調子に乗ってケガ。こんな格好悪いことはない。

「いや~、失敗しちゃいました。ざまぁないですね」

 照れ隠しにたははと笑って、親指を口に運ぼうとする透子。大した傷ではない。舐めて終わりだ。そう思ったが、

「ん、ちゅぷ……」

 それより先に、エーファに手を取られてしまった。そして指先に感じる、暖かい粘膜。指の腹をなぞった舌の感触は、背筋が震えるほどにくすぐったかった。

 エーファに指を吸われている。透子の脳がそう理解することを拒んだのは、あまりに刺激が強すぎたかもしれない。

「ちょ! ちょちょちょエーファ様!?」

「ん? なんれすか、とーこふぁん」

「あ、いや……くわえたまま喋らないで……」

 ビクンビクンと背筋を震わせる透子。誰が聞いても快楽を感じている台詞だが、実際透子は言いしれない快感を得てしまっていた。変態である。

「ちゅぷ……ん……はぁ……止まりましたね。……あれ? 透子さん?」

 ふやけるくらいにたっぷりと唾液を絡ませ、ようやくエーファは親指を口から離した。

「あ……あふ……」

 透子は未だに体を小刻みに痙攣させ、快楽の残滓を貪っていた。顔は完全に上気し、とろけきっている。変態である。

「だ、大丈夫ですか透子さん!」

 幸いにも、透子の残念な状態はネンネちゃんであるエーファにはわからず、リアルに心配される程度で済んだ。意味を知っていればもちろんドン引きしていたであろうことは、あえて言うまでもないことだろう。


 たっぷり時間を使い、透子はようやく落ち着いた。

「一人で盛り上がってしまい、申し訳ありませんでした」

「いえそんな……って、え? 盛り上がる?」

「本当に、ありがとうございました」

「あ、いえ、どういたしまして。血が止まってよかったです」

 透子の感謝は別のことに対してだが、エーファはそんなことを知る由もない。そして、世の中には知らなくていいこともある。

「それにしても、透子さんが体調を崩されるなんて珍しいですね。この城に来てから初めてじゃないですか?」

「冒険者にノされて倒れたことはありましたけどね」

 自嘲気味に透子は笑ったが、確かに体調を崩したことはなかった。まあ、そんな暇などなかったと言った方が正しいのかも知れないが。

「風邪でしょうか。熱はないのですか?」

 エーファがおでこを合わせようとしてきたので、これはやんわりと制止した。これ以上興奮してしまうと、本当にどうにかなってしまいそうだ。

「熱はありませんよ。少々精神的なことで……」

「精神的なこと?」

 可愛らしく小首を傾げるエーファ。

「あなたが原因です」などとは口が裂けても言えない。ただ、色々と聞いてみたいことはある。そのチャンスは今しかない、と思った。

「エーファ様」少し、躊躇いを含めながら透子は口を開いた。「少し、お聞きしたいことがあるのですが……」

「聞きたいこと? 私で答えられることなら」

「それは……」

 ベルンシュタイン城の異様な金品の減り方。そしてなぜエーファは食事を一緒にとらないのか。そしてプロポーズのこと。聞きたいことはたくさんあったし、エーファに関わることならどんなことでも知っておきたい。

 だが、透子の口は疑問を発することなく止まっていた。

「どう、しましたか……?」

 エーファの様子がおかしいことに、透子は気付いた。頬は少し紅潮し、呼吸も浅く早い。

「エーファ様? どこか調子が――」

 そしてこの言葉も、途切れさせざるを得なくなった。

 突如、椅子に座ったままのエーファの体が大きく揺れた。

「エーファ様!」

 透子はとっさに手を伸ばす。床に崩れ落ちることなく、エーファの体は透子の右腕に収まった。

 その華奢な体を支えた瞬間、透子はあまりの軽さに驚いた。痩せ形だとは思っていたが、それを通り越して文字通り折れてしまいそうな痩躯をしている。普段はゆったりとした服を着ていることが多かったので、ここまで細いとは思ってもいなかった。

(いや、違う)

 服のせいでわかりにくかったのではない。体型をごまかすために、そういう服を着ていたのだ。透子を含め、他の者によけいな心配をさせないために。

「バカ……」

 思わずそう呟いていた。他人を優先しすぎたエーファと、それを見抜けなかった自分に対して。だが、それを悔いていても始まらない。エーファは完全に気を失っている。病状はわからないが、悠長に構えている暇はない。

「救護室……いや」

 ふと、透子はエーファと初めて会ったときのことを思い出した。あのとき、玉座の間に現れたエーファを見て、珍しく魔王が狼狽していたはずだ。

(――「な、何でここに! 部屋にいるように言っただろう!」――)

 あの台詞は、まさにこの状況を予見したものではなかったのか。ただの箱入り娘というだけではない。部屋を出る、あるいは離れることはエーファにとってよくないことなのだ。

 そのことに気付いた瞬間、透子はエーファを抱えて部屋を飛び出していた。

 見た目よりずっと軽い、エーファの体重を両手に感じながら。

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