第7話『考えるОL』
「このままでは、もってあと一年と言ったところでしょうか」
魔王との混浴から、三日が経った。
モルタたちの訓練も彼らだけでできるようメニューを組み、透子自身はベルンシュタイン城の内情を知るためにホルガーの部屋を訪ねていた。本に囲まれ、窓は一つしかない。地震でも来たら生き埋めになるんじゃないの、と透子は思う。
だが、今はもっと大きな問題に直面していた。
「それにしてもこの減り方、異常なんじゃない?」
ある数値の推移、それが記された書類に目を通し、透子は唸った。他でもない、財宝の保有量についてである。
「五年前の六分の一。だいたい一年に七百万……えーっと、ここの通貨の単位って何だったかしら」
「ガルドです」
「そうそう、ガルドね。えー、一年に七百万ガルド。減ってる量は毎年一定みたいね。一体何に使ってきたの? 確か――」
透子はスーツの内ポケットからメモ帳を取り出す。
「んーと、ここは火力も水も明かりも魔力で補ってる。手は出してないけど、ダンジョンの拡張や罠の配置、小悪魔への報酬も魔力。モンスターを雇ったらお給金が発生するけど、ここで働いてるのは私とあなたと豚三頭。あまりお金の使い道があるようには思えないのだけれど」
説明のように聞こえるセリフだが、実際透子自身への説明の意味もあった。聞いたこと、知ったことはメモし、反復することで頭に叩き込む。OLはもとより、社会人の常識だ。
「それに、もってあと一年って言ったわよね? つまり、これからの一年も同じ出費があるってことでしょう? 一体何に使ってるの?」
何度目かの同じ質問をされ、ホルガーは困ったように顎を撫でた。この城のアキレスであるホルガーが知らないわけがない。言おうか言うまいか判断しかねている。そう透子は感じた。
「……私の口からは申せません」
答えは後者だったようだ。
「そう言うだろうと思っていたわ。なら、誰に聞けばいい? 魔王様? それとも――」
透子のセリフは、不意に鳴り響いた耳障りなサイレンによってさえぎられた。
「……透子さん、どうやら先日の冒険者たちが、また来たみたいです」
「うーん、あまりの攻略しやすさに、味をしめられちゃったかしら」
透子は腕を組んだ。
やってきたことと言えば、この世界の仕組みをホルガーから学ぶこと、そしてオークたちとの特訓、それだけだった。本来なら宣伝もするつもりだったが、あまりにオークたちのレベルが低いので後回しにしていたのだ。
つまり、まだ戦うには時期尚早とも言えるが。
「よござんしょ。完全に予定外だけど出るわよ。モルタたちに召集をかけてちょうだい」
「あっさり決めましたね」
「当然よ。予定にないからって追い返してたんじゃあ、本当に不測の事態に陥ったときに混乱するわ。こんな状況でも、すぐに動けるようにしておかないと。それに、あの人たちは常連になりかけてくれてるの。それを手放す手はないわ。ってことで、行ってくるわね」
ウィンクを決め、透子は壁に立てかけていた聖剣を手に取った。
王城の名を冠するに相応しく、ベルンシュタイン城の内装はそこそこ豪華である。それは、廊下に点在する絵画や高そうな壷によく表れていた。
財政が圧迫されているのに絵画や壷とは贅沢なことね、と透子はホルガーを皮肉ったことがある。対する返答は、質入れ予備軍です、だった。激しく納得したのを覚えている。
そんな廊下を、透子は聖剣片手に駆けていた。黒髪がなびき、そこそこたわわな胸元が揺れる。スーツで走り回るなど、前の世界では数えるほどしかなかった。
「……ん?」
ふと小首を傾げる。前方の壁に掛けてある絵画、それが僅かに動いた気がした。風が吹いているわけでもない。
気のせいか、と思ったのも一瞬、
「きゃあ!」
絵画が持ち上がったと同時に、壁から人影が出てきたのだ。しかも人と呼ぶには二周りほど大きく、黄と黒の縦縞が目立っていた。
透子は悲鳴を上げて急ブレーキをかけたのも無理はない。すわ虎人間でも現れたかと身構えたが、
「あれ、チーフ? 血相変えてどないしましたん?」
その人影はオークたちの末っ子、関西弁の目立つロースだった。
「どっ、どうしたじゃないわよ、何であなた壁から出てくるの!?」
涙目で透子が睨みつけると、ロースはバツが悪そうに頭をかいた。
「あ~、いや~、こないだチーフに虎柄を勧められましたでしょ? せやからそれっぽい服を買うてきてたんです」
確かに、ロースは虎柄のズボンと上着を着ていた。体は虎、頭は豚、手には釘バット。新種の鵺かも知れない。
「案外似合ってるのが腹立つわね……そもそも、どこで買ってきたのよ」
「いや~、その~、町に行って……」
口をもごもごさせるロース。
「町ぃ? 確かあなたたち――」透子は懐からメモ帳を取り出す。「――町はもちろん、外出にも私とホルガーの許可がいるんじゃ……」
そこまで言って、透子は壁から出てきた理由に思い当たった。
「まさか、勝手に……」
「ああああいやいやいや! 釈明と謝罪は後にしますって! それより今は、もっと大事なことがあるんちゃいますの!? 急いではったみたいやし」
「そうだったわ!」
ロースの言う通り、問いつめることなど後でいくらでもできる。冒険者たちはそろそろダンジョンに入っている頃だろう。
「こないだの冒険者たちがまた来たのよ! あなたも来なさい!」
言うが早いか、透子はダンジョンの方へ駆けだした。ロースも戸惑いつつそれに続く。
「え、宣伝もしてないのに?」
その問いかけの相手は、すでにロースの視界から消えていた。
* * *
透子とロースがダンジョンに着くと、すでに作戦部屋にはモルタとラルドが待機していた。警報装置を聞いて駆けつけたらしい。
「遅くなったわね。彼らはどんな感じ?」
つかつかと監視カメラに歩み寄る。
「かなり入り込まれてます」
次男ラルドが指差した画面の一つ、そこに雑談しつつ歩みを進める冒険者たちの姿が映っていた。
「そりゃそうよね」
何せ、今ダンジョンの中は空っぽである。
「仕方ない、ポイントブラボーで迎え撃つわよ」
どこですか、というモルタの疑問を無視し、透子は作戦部屋を飛び出した。遅れては何を言われるかわかったものではない。慌てて三兄弟は透子の背を追う。
ダンジョンには道が二つあり、一つは外から来た者が歩みを進めるためのもの。そしてもう一つが、城側の者が行き来する関係者通路のようなものだ。基本的に関係者通路は近道になっており、よほどのことがない限りは侵入者の先回りができる。
その例に漏れず、透子たちも冒険者を迎え撃つことに間に合った。透子が言ったポイントブラボーとは、ダンジョンの最後の小部屋。そこを過ぎるともう財宝が置いてある部屋である。危うく、エンカウントのないダンジョンとして名を残すところだった。
「はぁ、ふぅ、よく来たわね、待ってたわよ」
「いや、待ってた風には見えないんだが」
息を切らしている透子を、冒険者のリーダーであるテオバルトは呆れた目で見やった。
「それはともかく、今日もレベル上げに付き合ってもらうぞ。ついでに財宝ももらっていくがな」
がははと笑うテオバルトだったが、透子もまた不敵な笑みを浮かべた。
「果たして、そう上手くいくかしら?」
「何だって?」
「以前の私たちのままじゃないってことよ」
す、と透子が腕を上げる。それに合わせ、オークたちが前に進み出た。二度目だからか、さすがに震えるといったことはないようだ。
「ほう、雰囲気が変わったか?」
「だからそう言ってるでしょ」
口角をつり上げる透子に、テオバルトはさすがに警戒心を抱いた。わずかに眉を顰め、注意深くオークたちを観察する。
彼らの見た目は大して変わっていない。なぜか一体が虎柄の服を着ているくらいだ。だが、テオバルトも無駄に場数は踏んでいない。前回との違いにはすぐに気がついた。
(統率が取れてやがるな)
ダ○ョウ倶楽部状態だった前回とは異なり、僅かに斜めに並んでいる。タイマンはやめたようだが、囲むのか波状攻撃なのかは判断がつきにくい。
何にしろ前回ほど容易には勝てそうにない、そうテオバルトは思った。
「なるほどな、ただ遊んでいたわけじゃあなさそうだ。だが、それはこっちも同じだぜ?」
テオバルトが僧侶の少女――カーヤの背を押した。カーヤは少しおずおずとしながらも、しっかりした足取りで歩み出る。
「わ、わたしだって強くなってるんです。あなたたちもレベルが上がってるみたいですが、負けません!」
「……負けられないのは、私たちも同じだ」
カーヤに呼応するように、モルタも口を開いた。その口調は、自分たち自身にも語りかけているようだった。
「君にも強くなりたい理由があるのだろう。だが、私たちも負けられない。故郷で待つ、母のためにも」
その言葉がダンジョンの小部屋に響いた刹那、一瞬だけ冒険者たちの間に動揺が走ったのを、透子は見逃さなかった。だが、その理由まではわからない。
「いざ尋常に、とは言わない。私たちはただ勝利のみを渇望する。――行くぞ!」
かけ声を上げたモルタを先頭に、オークたちはカーヤに波状攻撃を繰り出した。両刃の剣、ハルバード、釘バットが次々と僧侶を襲う。だが、カーヤはそれを何とか受け流した。
(波状攻撃の方だったか。だが、よく凌いだ)
テオバルトは心中で賞賛を送ったが、三兄弟の攻撃は当然それでは終わらなかった。
攻撃を流された三体がそのままカーヤを囲み、三方から武器を振り回していく。波状攻撃からの包囲攻撃、それが透子の立てた作戦だった。
個々の技量はまだまだカーヤに及ぶべくもないが、さすが兄弟と言ったところか、息の合った連携でカーヤに反撃の隙を与えていない。金属と金属がぶつかり合う甲高い音が、あまり広くない石室に響きわたる。
(まだレベルは低いみたいだけど、十分通じてるわね)
透子がそう確信するにほど、眼前の戦闘内容は充実していた。相手がもっと高レベルだったり、複数人であったりすればこうは決まらないだろうが、少なくとも今は問題ない。
(むしろ……勝てる!)
にやりと透子は笑った。
軍配はオークたちに上がりつつあった。何とか包囲攻撃を凌いでいたカーヤだが(それも十分すごい)、徐々に連携への対応が遅れつつある。
そもそも反撃の隙がないのだ。それは初めから出口のない袋小路だったのかも知れない。
決着の瞬間は、あっけなく訪れた。
「あっ!」
一際甲高い音が響く。ロースの釘バットが、カーヤの錫杖を弾き飛ばした。石畳を滑り、壁に当たって乾いた音を響かせた錫杖は、まるで小さな悲鳴を上げたようだった。
「とどめだ、ラルド!」
振りかぶったハルバードを、ラルドは勢いよく振り下ろす。カーヤが堅く目を瞑ったのは、覚悟を決めたからなのか、はたまた攻撃に対する恐怖心からか。
だが、いつまで経ってもハルバードの衝撃は来なかった。
恐る恐る目を開けるカーヤの眼前には、寸止めの状態で震えているハルバード、そしてその向こうで苦虫を噛み潰したような顔をしたラルドの姿があった。
「……兄さん、やっぱり僕には無理だよ」
絞り出すような声だった。
「ラルド……」
モルタの声に叱責の響きはなく、ロースも追撃を加える気配がない。二体とも、まるでラルドの行動を予測していたようだった。
「どう……して……?」
戸惑ったのはカーヤの方である。テオバルトたち他のメンバーも、同じように怪訝な顔をしていた。
モルタはハルバードを下ろし、訥々と語り始める。
「僕たちには……故郷に母がいるんです」
母。その単語を耳にした瞬間、先ほどのように冒険者たちの間に動揺が走った。
「僕たちがこうして魔王城で働いているのは、その母に楽をさせるためなんです」
「ならとどめを刺しなさい! 何も命まで奪えとは言わないわ。勝利を手にするの。あなたたちはそのために頑張ってきたんじゃないの!?」
檄を飛ばしたのは透子だった。勝利を目前にしたラルドの行動に、苛立っているようだ。
普段のラルドならそんな透子の剣幕に恐怖し、命令に従っていただろう。だが今は、静かに首を振るだけだった。
「ダメなんです」
「何がダメなのよ。勝利を得ればさらに強くなれるし、装備や財宝だって手に入る。実家に仕送りもできるんじゃないの?」
「確かに、そうかも知れません。いえ、その通りだと思います。だけど、一人に寄ってたかって攻め立てて、そんな勝利で得た財宝を、母は喜んでくれるでしょうか」
「っ……」
ラルドの言葉に、透子ははっと息をのんだ。
「母は、とても優しくて正義感が強い人でした。僕たちも悪さをする度によく怒られました。そんな母がこの勝利を喜んでくれるとは、どうしても思えないのです……」
優しくて正義感が強いオーク。その言葉に激しい違和感を覚えたが、さすがに空気を呼んで黙っておいた。
「……あなたの話はわかったわ。モルタとロースも同じ意見なのね?」
落ち着いた透子の声。それに少し安堵しつつ、残る二体は顔を見合わせてうなずいた。
「はぁ……仕方ないわね」
「な、納得するんですか?」
「何よ、あなたが言ったことでしょう? ……それに」少し寂しそうに、透子は笑った。「私にも、思い当たる節がなくもないから」
ただ、と透子は改めるように語気を強める。
「今回取られる財宝の一部は、あなたたちのお給金から天引きするわよ。ああ、もちろん私のお給金からもね」
「え、何でですのん」
「当たり前じゃない。普通に負けるだけでも業腹なのに、今回はせっかく拾いかけた勝ちを譲ることになるのよ?」
「いや、そうやなくて……」
ロースがそこまで言ったところで、透子は冒険者たちの異変に気付いた。
カーヤがその場に座り込み、口元を押さえて震えている。笑われているのかとも一瞬思ったが、そうではないようだった。
「……あなた、どうして泣いてるの?」
そう、カーヤからは小さくすすり泣く声が聞こえてくる。
「俺たちの負けだ」
そんな突拍子もない言葉は、リーダーのテオバルトからだった。なぜか彼はサングラスをかけている。先ほどまではかけていなかったし、このやや薄暗いダンジョンの中で必要とも思えない。
ただ、声は微妙に鼻声だし、サングラスからは涙のようなものが頬を伝っていた。
「俺たちのメンバーは、みんな孤児なんだ」
疑問を通り越してもはや呆れ気味の透子の様子を悟り、テオバルトは話し始めた。
「捨てられたりモンスターに殺されたり理由は色々だが、俺たちには親がいない。だからかな、そのオークの話を聞いてると、応援じたくなっぢまってよ……」
少しずつテオバルトの鼻声がひどくなっていく。
よく見ると、他のメンバーも背を向けたり顔を背けたりしているが、その肩が小さく震えていた。カーヤに至っては号泣している。メンバー全員が、涙もろい性格のようだ。
「いやいや、ご都合主義が過ぎるでしょう……」
透子のツッコミには聞く耳持たず、テオバルトはラルドに歩み寄り、自分より高いその肩に手を置いた。
「親孝行したいと思ったときにゃあ……ぐずっ……もうその相手はいだぐなっでるもんだ。……おぶぐろざんを、じあわぜにじでやれよ」
「ばい……」
テオバルトもラルドも、もはや鼻声を通り越して濁音てんこ盛りの声になっていた。涙とか鼻水とかそういう液体で、もう顔もぐちゃぐちゃである。
「いや、確かにラルドの言葉には共感したけどさ、この展開は何なのよ……」
脱力感が半端ない。透子は、自分だけがこの空気に取り残されている気分になった。いや、実際そうなのだろうが。
(結局、無駄な時間を過ごしただけだったわね……)
勝利は得ず、敗北も喫さなかったが、何一つ進展していない。まあ、財宝が取られなかっただけよしとするしかないだろう。
「ズズズズ! ……はぁ。今日のところは、あんたたちのお袋さんに免じて引くことにするよ。次来るときはガチンコだからな」
ようやく調子が戻ったのか、テオバルトは鼻をすすってそう言うと、きびすを返した。他のメンバーもそれに続こうとし、
「ま、待ってくださいテオさん!」
カーヤがそれを引き留めた。
「あの、その……もしテオさんがいいのなら……」
こしょこしょと何かを意見しているカーヤ。何かしらこちらのことを言っているのは間違いないだろう。
「やっぱり、あいつらを攻め滅ぼしましょう」
などと言っているのかと、透子は気を引き締めた。聖剣を持つ手に力がこもる。オークたちもそれぞれ顔を見合わせた。
そうして待つこと少し、
「なるほど、いいじゃないか!」
テオバルトは破顔一笑そう言った。どうやらカーヤの提案は通ったらしい。あとのタンクとスカウトらしきメンバーも賛成のようだ。
「なああんたら」
そう言って透子たち、いや、正確にはオークたちにテオバルトは笑顔を向けた。だが、単なる笑顔ではない。何かしら含みのある顔、例えるなら、悪戯を思いついた子どものような笑顔。そう透子には感じた。
オークたちはそれぞれ少し身構えたが、テオバルトの口から出た言葉は、予想の斜め上のものだった。
「いいことを教えてやる。この城の北東にでかい山があるだろ? 実はあれ、鉱山なんだ」
「鉱山?」
モルタが復唱した。確かに山はあるが、鉱山であることは知らなかった。だが、それを聞いたから何だと言うのか。
そんなモルタの反応は予測済みだったのだろう、テオバルトはさらに口角をつり上げた。
「ただの鉱山じゃない。どうも、稀少鉱石もそこそこ埋まっているらしい。そんでこの情報は、今のところ俺たちくらいしか知らない」
そこまで聞いてテオバルトたちの思惑が何かわからないほど、モルタたちも透子もバカではない。
「それを私たちに伝えるメリットは? そもそも、伝える意味がわからない。あなたたちで独占すれば――」
「悪いが」
透子の言葉を遮り、テオバルトはおどけるように片眉を下げた。
「この話はあんたに言ったんじゃない」
「……その理由は?」
「おっと、そう怖い顔をしないでくれ。言い方が悪かった。あんた個人を邪険にしたんじゃない。この城に対して言ったんじゃない、そう言いたかったんだ」
いいか、とテオバルトはモルタたちに親指を向けた。
「俺たちはこいつらの親孝行に感銘を受けた。だから、それを手伝いたいと思ったんだよ。つまり、こいつらに対するプレゼントってわけだ」
「……なるほどね。ただ、それを聞いてもメリットなしに教えるとは思えない」
「疑い深い姉さんだな」
テオバルトは苦笑する。だが目は笑っていない、そう透子には見えた。
「ま、その鉱山をどうするかはそこの親孝行たちに任せるさ。これからもお世話になるんだ、よろしく頼むぜ」
今度こそきびすを返すテオバルト。背を向けるその動作さえ、透子の追求を逃れるためと思ってしまう。本当に、自分が疑い深いだけだろうか。
帰るぞ、というリーダーの言葉を最後に、冒険者たちはダンジョンを去っていった。
「……鉱山って、ホントかな」
足音が完全に聞こえなくなったあたりで、ロースがぽつりと呟いた。誰かに尋ねたというより、独り言のようなものだったが、兄弟たちもその言葉に続く。
「わからん。だが、本当だとするのなら……」
「仕送りもだいぶ楽になるんちゃう?」
未だ半信半疑といった三体。だが――
「お母さんに楽をさせてあげられるかな」
「ああ、もちろんだとも」
「金額次第やったら、楽をするどころかめっちゃ贅沢できるかも知れんな」
「そうなると、我々の出稼ぎ生活も終わるな」
「お家で家族一緒に過ごせるね!」
「ほんなら俺、地元の草野球チームに入ろかな!」
――語り合うにつれて徐々に現実味を帯び、話が盛り上がってくる。今の出稼ぎ生活も嫌いではなかったが、それでもやはり故郷で母親と過ごしたいに決まっている。
先のことだと思っていた、帰郷の日。もしかすると、その日はもっと早くに訪れるのかも知れない。そう考えると、三体とも心が躍った。
「いや、待て」
だが、モルタはふと気付く。
自分たちは雇われている。そして自分たちの給料が少ないのは、雇用主が財政難だからだ。その雇用主を差し置いて、ひと財産儲けるなど許されるのだろうか。
先ほどから、不気味なほど静かな人がいる。雇用主ではないが、自分たちの直属の上司。恐怖政治とまでは行かずとも、かなり理不尽な形でこのダンジョンを立て直そうとしている人。
磊落な雇用主は笑って許してくれるかも知れない。だが、直属の上司は果たして――
「……ダメだ」
ぽつりとモルタが呟いた。小躍りしていたラルドとロースも、ぴたりと止まる。
「兄さん?」
「どしたん?」
小首を傾げる二人に、モルタは声が漏れないよう顔を寄せた。
「この鉱山は、没収されるだろう。考えてもみろ、財政難のこの城にとって、希少鉱石が取れる鉱山など渡りに船以外の何物でもない」
ラルドとロースも、上司の性格は掴めてきている。故に、この一言だけでモルタが何を言いたいのか理解した。
「チーフを見ろ」
モルタが小さく顎で指し、オークたちがそっと透子を盗み見る。透子は何かを思案するように、腕を組んで石の壁にもたれていた。
「あれはきっと、鉱山をどう切り崩すかを考えているに違いない。いかんせん人手が少ないからな」
「確かに……そうだね」
「うむ、まあそれでこの城の財政が潤えば、我らの昇給も望めるやも知れぬ」
兄二人は不承不承うなずく。だが、難色を示したのは三男だった。
「けど、ちょっとぐらい取り分があってもええんちゃう?」
ロースの目には、何かしら思案中らしきチーフが映っている。
「鉱山の権利そのものが城に移るんはええけど、ちょっとはウチらにおこぼれがあってもええと思うんや。成功報酬的な?」
違いない、とモルタも首をたてに振った。ここで黙って鉱山の権利を接収されてしまうと、次に同じようなことがあっても同様の結果になるだろう。
ならば、ここは立ち上がらなくてはなるまい。
「わかった、私が交渉しよう」
モルタは自身の胸を叩いた。籠手と甲冑が甲高い音を響かせる。
その音に反応し、透子が何事かとモルタたちに目を向けた。
「に、兄さん、大丈夫?」
「問題ない。これも長男の務めだ」
「あんちゃん、何か最近男らしいなったなあ」
「ふふ、なぜだろうな、強大な敵に立ち向かうと、気分が高揚するようになってきた。これも騎士に近づいた証拠だろうか」
ニヒルに笑う(豚頭なのでわかりづらいが)と、モルタは透子へと歩み寄った。訝しげな顔をしている透子の前に立つと、最後にモルタはもう一度振り返り、はらはらしている弟たちにサムズアップをして見せた。
「……何?」
「ンッホン! チーフ殿、折り入ってお話したいことがあります」
「別にいいけれど、あんたたち結局語尾を忘れてたわよね」
「……お話したいことがありますブー」
「もういいわよ、つけなくて。諦めたわ。で、話って何?」
「実は、その、先ほどの鉱山のことです。その利益についてですが――」
ごくりと、見守るラルドとロースは息を飲む。
「――我々にも少しばかりボーナスを戴きたく存じます!」
「ふざけんじゃないわよ」
即答だった。
予想はしていたが、やはりモルタたちは落胆してしまう。やはり故郷のことなど夢想するべきではなかった。持ち上げてから落とされる方がダメージが大きいに決まっている。やはりあとは昇給を望むしかないだろう。
そんな悶々とした思いが、頭の中でぐるぐると回り出す。だからこそ、
「あのね、利益なんて全部あなたたちのものに決まってるでしょ」
その透子の言葉を、すぐに理解することができなかった。
「バカみたいに口を開けて……。何て顔してんのよ。鳩が豆……いえ、魔王が魔力弾食らったようなアホ面、だったわね。話はそれだけ? ならもう戻るわよ。ダンジョンの強化、あんたたちの特訓、財宝の設置量、考えなきゃいけないことは山ほどあるんだから」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
踵を返しかけた透子を、モルタは慌てて呼び止めた。
「全部、我々が戴いてよろしいのですかっ?」
「そう言ったでしょ? それとも何? 没収してほしいの?」
「いえ、そういうわけでは……」
歯切れの悪い
今までの暴力上司ではない真摯な瞳に見据えられ、モルタは自然と佇まいを正す。
「確かにこの城は財政難に陥ってるわ。もし、さっきの流れが私の指示したものなら、その利益は余すことなく全てベルンシュタイン城として接収していたでしょうね。でも今回は違う。偶然とは言え、あなたたちの手柄なの。それを大きな顔して取り上げるほど、この城も私も落ちぶれてなんていないわ。それに、そんなことをしてしまうと――」
透子は言葉を区切り、僅かに眉根を寄せた。それは、思い出したくないものを思い出してしまった顔、そうモルタには見えた。
「――いえ、何でもない。ともかく、鉱山はあなたたちの手柄よ。あなたたちが好きになさい。ただ、掘り出すのに私たちの手を借りたいなら、そのときは手間賃を貰うからね」
冗談のように言い、軽くウィンクすると透子はダンジョンから出て行った。
透子の足音も聞こえなくなり、石室に静寂が降りる。透子の言葉を理解はしたが、どう反応していいかわからず、三体とも何も話せないでいた。
「良かっ……たね?」
ようやく、ぽつりとラルドが言った。どうして疑問系にしてしまったのかは、彼自身にもわからない。
ロースもまた、奥歯にものがはさまったような顔をしている。
「あんちゃん、どうする?」
モルタは、透子が去った先をじっと見つめていた。そこにはダンジョンの通路が口を開けており、魔力灯が時折ゆらゆらと揺らめいている。
「チーフの言う通りだな」ややあって、モルタは言った。「我々の利益だ。我々の好きなように使わせて貰おう」
何か吹っ切れたような口調だった。少なくとも、ラルドにはそう聞こえた。
曖昧にうなずき、ラルドはロースと顔を見合わせる。好き勝手に使えるはずなのだが、なぜか釈然としない。
そんな弟二人の空気を読みとったのか、モルタはさらに言葉を続けた。
「そこで、だ。お前たちに相談がある」
そう言ったモルタは、何かいい企みを思いついたような、そんな子供っぽい笑みを浮かべていた。
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