第5話『鍛えるОL』
「特訓するわよ!」
惨敗からしっかり休んで翌日、オーク三兄弟は城の裏庭に呼び出されていた。魔王が花々の世話をしている前庭と異なり、こちらは日陰になるため、花壇などはない。暴れるにはもってこいである。
「……何をするんですか」
わざとだろう、声に不満を含んで言ったのは長男モルタだった。
「夕飯の仕込みがあるんですが……」
おずおずと次男ラルドが続き、
「ウチも人形の改良しとる途中ですねん。戻ってもよろしいでっか?」
三男ロースもフゴフゴと鼻を鳴らした。
「ダメよ」
短く言い、三人をそれぞれねめつける透子。少し機嫌が悪そうだ。体格上、どうしても見上げる形になるのが腹立たしいのかも知れない。
「昨日の一件でよくわかったわ。私たちには足りないものがある。何かわかる?」
豚頭の三体は顔を見合わせる。答えがわからないのではない。それを口にするのが恐ろしいのだ。この女が城に来てから、何度も暴力を見てきた。もっとも、その被害を受けてきたのはもっぱらラルドばかりだったが。次男は不運である。
仕方なくアイコンタクトだけで「俺が」「ウチが」「じゃあ僕が」「「どうぞどうぞ」」をやり、手を挙げたのはラルドだった。次男は不運である。
「えーっと、レベルが足りないと思います」
「正解!」
びくん、とラルドが震えた。気弱な彼が大声だけで反応するようになってしまったことを、透子自身は全く気づいていない。
「……で、他には?」
正解を出して油断していたオークたちは、再び冷や汗をかくことになった。
「ほ、他でっか?」
「そうよ。レベルが足りないなんて、わかり切ってるの。気づきにくいことに気づいてこそ、本当に価値があるのよ」
正論らしきものを吐かれたところで、オークたちには全く言葉が浮かばない。
「せ、戦力でしょうか」
おずおずとモルタが言った。当然これも透子の求める答えだったが、彼女は渋い顔をする。
「そう、それも間違いないわ。戦闘員が私と豚三頭、話にならない。だけどだめなのよ」
「どうしてです?」
「あなた覚えてないの? 魔王様が言ったでしょ、新たに誰かを雇うのは認めないって」
そう、唯一にして最大の難題だった。
「戦力の増強が認められていない以上、私たちだけで何とかするしかないの」
やれやれとため息をつく透子だったが、意外にもここで手を挙げた者がいた。
「いや、そうとも限りまへんで」
にやりと笑う。三男ロースだった。
透子は訝しげに眉根を寄せる。
「……どういうこと?」
「ふふふ、まあこれを見てみて下さい」
ロースはもったいぶった動作で、懐からとあるものを取り出した。
「藁人形? 悪趣味ね。なに、相手に呪いでもかけるつもり?」
「ちゃいますちゃいます。髪の毛一本もろてもよろしいですか?」
「女の髪をねだるなんて。世が世なら金取られるわよ。まあいいけど」
透子としても好奇心がないわけではない。ぷつんと長い黒髪を一本抜き、ロースに手渡した。だが、
「ほんなら、これを人形の中に入れまして……」
ロースが藁人形に髪の毛を突っ込んだ瞬間、顔色を変えた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! あなた、私を呪うつもりじゃないでしょうね!」
「そんなわけありませんがな。落ち着いて見といて下さい。……えー、髪の毛を入れたら、軽く念じて放り投げます。むむむむ…………ほい!」
ロースが藁人形を軽く投げた瞬間、それが煙に包まれ、
「……あらま」
そこには古迫透子が立っていた。その透子(藁人形)を見て、さすがの透子も目を丸くしている。
「どうです? ドッペル藁人形バージョン1.2です」
「私が初めてここに来たときの、あの偽魔王と同じものかしら」
「いかにもたこにも! あれから改良を重ね、なんと血飛沫も出るようになりました!」
「へ~、すごいじゃない」
透子は素直に感心した。ただの影の薄い豚かと思っていたら、予想以上に有能だった。
「よくできてるわねぇ。鏡でも見てる気分だわ。不気味の谷は越えてるわね。胸も柔らかいし」
透子(偽)の胸を弄ぶ透子。手のひらで持ち上げてみたり鷲掴みにしたりとやりたい放題である。たぷたぷやむにむにスーツの上からでもわかるその弾力は、本物と相違ない。
「服の中も再現されてるのかしら。……で、戦闘力は?」
「ありまへん」
「そう、ありま……は?」
透子はスーツを脱がそうとしていた手をぴたりと止めた。
「いや~、歩くとか軽く剣を振るとかはできるんですけどねえ、細かい動作までは実装できへんかったんです。ついでに、発声機能も未実装です」
「戦闘じゃあ役に立たないじゃない」
「ん~、囮とか?」
「……ちなみに、一体作るのにどれくらいかかるの?」
透子が右手で例の形を作ると、ロースも満面の笑みで同じ形を返してきた。
「二万ガルドです」
「却下! コストパフォーマンスが悪いにもほどがあるわ!」
「ご無体な……」
「だまらっしゃい。せめてコストを二十分の一まで落としなさい。もしくは戦闘能力を付けないと話にならないわ。……これ、どうやったら元に戻るの?」
「首の後ろのボタンです……」
しょんぼりと肩を落とすロースを尻目に、透子は透子(偽)を元の藁人形に戻すと、それをスーツのポケットに突っ込んだ。
「期待した私がバカだったわ。他には?」
「ほんならこれはどうでっしゃろ」
次にロースが取り出したのは、ちょうど手のひらに収まる程度の小さな筒だった。
「これは?」
受け取った透子は、まるでゴリラが初めて見たものにするように、その筒を矯めつ眇めつする。ふと、小さなボタンがあるのに気がついた。
「何このボタン。ポチっとな」
「あっちょ! アカン!」
「へ?」
ロースの制止も間に合わない。ボタンを数秒後、目映い閃光がその筒から発せられた。
それを作ったロースと、その存在を知っていた兄二人は目を覆うのに間に合った。
悲惨な結果を迎えたのは透子である。
「ギャアアアアアアアア! 目が! 目がああああああああああ!」
閃光をまともに浴び、透子は目を押さえて地面を転げ回った。
「ああああああああああああああ」
「それ、小型の閃光弾ですねん。しかも何回か使えるスグレもんでっせ! いや~、効果もなかなかみたいやし、作った甲斐あったかな」
満足そうなロースとは裏腹に、透子はしばらく吊り上げたばかりの魚のように地面をのたうち回っていた。
「閃光弾はまあよし。ただ没収よ」
「そんなご無体な」
「やかましい。さあ、他にアイデアは?」
「えーっと、ルックス?」
「オークにルックスなんて求めてないわよ」
「品性とちゃいます?」
「オークに品性なんて以下略」
「なら武器だ」
「いや、武器は今のままで十分。むしろ剣やあのかっこいい槍――ハルバードだっけ? は、ともかく、釘バットって生々しくて引くわ」
「ほんならアイテムでっしゃろ。回復とか攻撃力増加とか」
「ドーピングは好かないわ。まあ、回復アイテムはあってもいいかもね」
取りあえず思いつくままに言ってみたが、どれも不正解だったらしい。唯一回復アイテムがいい線だったが、やはり不正解だった。
オークたちが押し黙ってしまい、透子はやれやれと首を振った。
「まったく、大喜利じゃないんだから。いい? よく聞きなさい。あなたたちに足りないのは――」
オークたちは前屈みになり、
「――個性よ!」
三人とも頭上にはてなを浮かべた。
「こ、個性?」
「そう、個性。あなたたちはそれが薄いのよ。今の『こ、個性?』ってセリフも、誰が言ってるのかわかりゃしない」
「そ、そんな……」
「はい! 今のセリフも! そもそも、名前だってややこしいのよ。えーと、あなたが長男だっけ?」
「いや、僕次男です」
「そんなレベルなのよ。ということで……」
「ちょっと待って下さい!」
透子のセリフをモルタが遮った。
「そもそも、どうして個性が必要なんですか。強さには関係ないんじゃないですか? 名前や兄弟関係だって、冒険者たちに覚えてもらう必要なんてないでしょう」
ラルドは殴られることを覚悟で反論したが、予想に反して透子は笑みを浮かべた。
「なるほど、いい質問ね。確かに戦うだけなら個性なんて必要ないわ。事実、私が今まで考えていたダンジョンなら、個性なんて求めなかったと思うわ」
「ではなぜです?」
「この世界のダンジョンは、攻略してはい終わり、じゃないからよ」
わかるでしょ、という顔をされても、オークたちにはさっぱりわからない。それを悟り、透子は言葉を紡いだ。
「この世界には、ベルンシュタイン城みたいな魔王城が複数あって、恐らくその数だけダンジョンもある。つまり、冒険者はダンジョンを選べるってことになるわ」
ふむふむ、と興味深げに聞くオークたち。いつの間にかその場に正座していた。透子も上機嫌で彼らの前を行ったり来たりする。気分は机間巡視する女教師だ。
「冒険者がダンジョンを選ぶ基準はたくさんあると思うわ。ダンジョンのレベルであったり、出てくるモンスター、回収できる財宝の量とかね。もちろん、そのバランスも大切だと思うけど」
レベルが高いダンジョンに挑むのは、それなりの理由がある。名声や力試しの者もいるだろうが、多くはそれに見合った財宝があるからだ。回収できる財宝が少ないのでは、冒険者も危険を冒すメリットがなくなる。
魔王側も同じである。強い冒険者に来てもらい、これをうまく迎撃できれば、それなりの装備や所持金を奪うことができる。ケチって財宝を少なくすると、訪れる冒険者も減って収入がなくなってしまう。
そういう意味では、モンスターや財宝、罠の配置を考えなければならない魔王側の方が、実は難しいのだった。そのため、有能な補佐官は重宝される。
「そして残念だけど、ここのダンジョンにはアッピルできるものがない。美人のダンジョンチーフがいるくらいね。昨日みたいなレベル上げ目的の人もいるけど、そんなのは多くないだろうし」
だから個性が必要なのよ、と透子は語気を強くした。
「売り込めるものがないのなら、せめて少しでも印象づけておかないといけないわ。単なる無個性のまま数あるダンジョンの一つになってしまうより、少しでも変わったところをアッピルして、少しでも覚えてもらうのよ」
なるほど、とオークたちは納得した。ただの暴力女かと思ったら、意外といろいろ考えているらしい。
だが、彼らが感心したのはそこまでだった。
「ということで、あなたたちに個性をつけていくわ!」
口の端をつり上げた透子に、オークたちは嫌な予感がした。そもそも、個性とはもっているものであって、つけるものではないのでは。
「まずあなた! 名前は?」
「モルタです。覚えてなかったんですか」
「文句あんの? 一郎に改名するわよ。覚えやすいし」
「すいません」
うなだれたモルタを、透子はじろじろとチェックする。
「そうねえ、唯一甲冑を着てるのはポイント高いわ。騎士に憧れてるんだっけ?」
「そうです! 昔、我が家が強大なモンスターに襲われたとき、通りかかった騎士が――」
「語尾にブーをつけなさい」
「なぜ!?」
唐突だった。透子の顔はあくまで真面目だ。
「オークって言っても、厳密には豚じゃないんでしょう? でも頭は豚。これを利用しない手はないわ。個性も出るし、話し方で誰彼の判断もできる。名案じゃない」
「横暴だ!」
「違うでしょ? 横暴だブー。はい復唱」
「横暴だブー! 違う、そうじゃない!」
「うるさい。決定よ」
うっとうしそうに手を振り、透子は次のターゲットに目を向けた。モルタはその場に崩れ落ちている。
「あなたは……ああ、次男ね。名前は……」
「ラルドです」
「そうそう、ラルドね。出で立ちは普通だけど……ん? 頭に角があるの? 妙に鈍角ね。まるでコブみたい」
「正真正銘コブです。チーフに殴られたときの」
「あなたの語尾はブヒね」
「無視!? しかもまた語尾!?」
「業界用語で天丼っていうのよ。それはともかく、気弱だとか、料理が上手いとか、敵はそんなの知ったこっちゃないの。内面は見てくれないのよ。今のところ殴られるっていう個性くらいしかないんだから、もっとアッピルしていかないと」
「し、しどい……ブヒ」
ラルドはよよよと泣き崩れてしまった。いかんせん見た目は巨大なオークなので、非常に気持ち悪い。
「最後はあなたね」
「ロースです。よろしゅう」
「聞かれる前から答える。えらいわ。……けど、これだけは言わせてちょうだい」
透子はたっぷりと息を吸い、
「何であなただけ関西弁なのよ! やっとツッコめたわ!」
たまりにたまったものをようやく吐き出した。
「いや~、昔このしゃべり方の旅人がウチに逗留したことがあってな? おもろいから、そんときに教えてもろたんや」
「……あそ」透子はロースに向き直る。「まあ、あなたはそのままでいいわ」
「そんな!」
唐突な終了宣言に、逆にロースは悲痛な声を上げた。
「いじってほしいの? 関西弁の血かしら。でもあなたは十分でしょう。関西弁ってだけでポイント高いのに、武器が釘バットって。むしろあざといわ」
「そこを何とか! ただでさえ、今んとこ出番が少ないんです!」
「めんどくさいわねえ。……じゃあ虎柄の服でも着ておきなさい」
「何で虎ですのん?」
「関西弁は虎なのよ。わかった?」
いまいち納得がいっていないようだったが、ロースは不承不承うなずいた。
「さて、まあまあ個性が出たところで、次は戦い方の訓練よ」
透子は聖剣フェアラートを地面に突き立て、柄の上で指を組んだ。スーツでなければ、完全に見た目は勇者である。
「いい? 勝てば官軍、戦いが始まったら、相手が一人でも波状攻撃をしかけなさい。そして囲んでしばくの。袋叩きにするの。タイマンなんて考えちゃダメよ」
言っていることは悪魔だった。
「え!? フェアじゃない!」
「あんた長男でしょ。ブーは?」
「……フェアじゃないブー」
「よござんしょ。――そもそも、あなたたち三兄弟は悪辣非道なモンスターなの。勝つためなら何でもしなさい。負けたら財宝が奪われるのよ? お給金が減るのは嫌でしょ? 実家に仕送りしてるんでしょ?」
「ぐぬぬ、ブー」
「そういうことだから、次の戦いからはモルタ、ラルド、ロースの順番で突っ込むのよ。連携プレー、いいじゃない」
透子は上機嫌に笑うが、とうとうモルタの我慢が爆発した。勢いよく立ち上がり、剣を透子に向ける。
「横暴だ! 横暴系女子だ!」
「うるさいわねえ、横暴系女子って何よ。そもそも、あなたたちもオークのくせに存在がふざけてるわ。オークはもっと凶暴で女を見れば目の色変えるもんでしょう。気弱とか優しいオークなんて、業界に溢れてるの。一周回ってもう古いのよ」
「黙って聞いていれば好き勝手なことを。リコールだ! リコールする! さあ弟たちよ、ともに立ち上がろう!」
兄としては一応威厳があるのか、ラルドとロースも顔を見合わせて立ち上がる。それぞれ武器を手に取り、ふおおおとどこか間抜けな雄叫びを上げた。
一方、反逆の矛先を向けられた透子は、額に青筋を浮かべていた。
「上等。実戦訓練よ、三体まとめてかかってらっしゃい。OLのOは
聖剣を正眼に構え、三兄弟を威圧する。剣道有段者と初心者では、ただまっすぐ構えているだけでも全く違う。隙が見えないのだ。そして透子は前者だった。射殺さんばかりの視線も相まって、モルタたちには透子が巨大に見えたほどである。
威勢よく立ち上がったはいいものの、モルタたちはかなりビビっていた。特に、今まで殴られてきたラルドはすでに涙目になっている。そして実害はなかったとは言え、モルタたちもその暴力を目に焼き付けてきた。トラウマになっても仕方ない。
だが、やはりそこは長男。モルタが己を、そして兄弟たちを鼓舞するように、剣を高々と天に向けた。
「わ、私はモルタ! モルタ・マヤーレ! 天に代わりて暴君を誅せんと、今ここに立ち上がった!」
震えた声。恐怖に膝も笑っている。およそ名乗りを上げたにしては、格好がついていなかった。だがラルドとロースは確かに見た。甲冑に身を包み、その瞳に小さな炎を宿す兄に、確かに騎士の姿を見たのだ。
「いざ、参る!」
震える足で、透子に斬りかかるモルタ。弾けるようにラルドも続き、ロースも釘バットで殴りかかった。
奇しくもそれは、透子が示した通りの波状攻撃。
後に、ピッグストリームアタックと呼ばれる、連係攻撃の誕生だった。
「大丈夫でしょうか……」
自室の窓から裏庭――乱闘する透子たちを見つめ、エーファは胸の前で手を組んだ。裏庭からは一人+三体の雄叫びや、金属を打ち合う音が聞こえてくる。
「心配いりませんよ」
不安そうなエーファとは裏腹に、ホルガーはあくまでも冷静な声。透子たちには目もくれず、魔力水晶の様子を見ている。
心配していない。それとは少し違う気がする。エーファにはそう感じた。その感覚は間違いではない。事実、ホルガーはそこまで関心がなかった。今関心があるのは、目の前の魔力水晶だけである。
「トーコさんは鞘に納めたままですが、モルタさんたちは刃物や釘です。万が一ということも……」
「それも含めて心配いりません。透子さんのあれは聖剣です。鞘から抜けないとは言え、その加護はあるでしょう。斬撃は軽減されているはずです」
「それならいいのですが……」
そんなわけがない。心配で仕方がない。そんな顔をエーファはしていたが、ホルガーは気づかないふりをした。
「はい、終わりましたよ。不純物を取り除くと、五十マギアほどです。今回は少し、不純物が多かったですね」
「毎回すいません。ご迷惑をおかけします……」
「何を仰るのですか。我々としては、むしろ助かっているのです」
ホルガーは微笑むが、やはりエーファの顔は浮かない。それも仕方ないだろう、と彼は思う。
「……この呪いを解くことは、できないのでしょうか」
そう、そしていつものこの質問だ。ホルガーもまた、いつものように答えを返す。
「残念ながら、まだその方法はわかりません。故に、心苦しく思いますね。姫様が辛い思いをされているのに、我々はそれに甘えることしかできない」
「そんな!」エーファは胸の前で手を振った。「こんなわたしでも、皆さんの役に立てている、それは嬉しく思います。辛いことよりも、嬉しいことが大きいです」
「ならよかったです」
ホルガーは微笑む。だが当然、エーファの言葉を額面通りに受け止めたわけではない。本当に嬉しく思っているのなら、呪いを解こうとは思わないのだ。
部屋の中に沈黙が降りた。さきほどまでは剣戟の音が響いてきていたが、いつのまにかそれもやんでいる。ホルガーが窓の外に目をやると、透子たちは全員地に伏していた。死んではいないようだ。一人と三体、仲良くノビている。
「透子さんには、呪いのことは伝えていないのですか?」
「はい、伝えたところで、心配をかけてしまうだけですから。それに、ダンジョンにも魔力を使うことがあります。わたしのことを知ってしまうと、トーコさんは魔力を使うことに遠慮してしまうと思いますから」
確かに、とホルガーはつぶやいた。
透子はまだこの世界について詳しくない。魔力についても、時間経過で我々の体内に自動的に生成されていく、その程度の認識だろう。間違ってはいないが、エーファの場合はかなり話が違ってくる。透子はエーファに対して過剰に優しくしているふしがある。故に、エーファの体質を知ったとき、優しさに比例して気に病むことは想像に難くなかった。
ただ、だからと言って、そのままにはできない。
「しかし、透子さんは、姫様が食堂に姿を見せないのを、不審に思っているようですが」
いつまでも隠し通せるものでもない。そう暗に含ませると、エーファは小さく首肯した。
「わかっています。ですがやはり、怖いのです。こんなわたしを、気持ち悪く思われないかと……」
それには答えず、ホルガーは目の前の少女を見据えた。魔王の娘。だが、あまりに気弱で、あまりに優しい。
「タイミングを考えないといけませんね」
仕方なくそれだけを伝え、仕事モードに思考を切り替える。
持ってきていた財宝を、事務的な作業でテーブルの上に置いた。安物のネックレスと数枚のコインが並ぶ。価値にして約二万ガルド。
「今日の分です。お納め下さい」
「……はい」
エーファはそれらを見ようともしない。ホルガーは内心苦笑した。先ほどまでの会話を考えれば、疎ましく思うのも当然だ。
「大丈夫ですよ。これからは透子さんたちが、ダンジョンで稼いで下さいます」
その慰めの言葉が、見当外れなことも承知している。当然、エーファは何も答えない。
それを承知の上で、ホルガーはエーファの手を取った。真摯な目で、エーファの瞳を見つめる。エーファは明らかに動揺していた。耳まで赤くなっている。
「ほ、ホルガーさん?」
「あの話、考えていただけましたか?」
「あ、あの話、ですか……」
途端、エーファは目を逸らした。小さな桃色の唇が、堅く引き結ばれている。
恥らう様子のエーファに、ホルガーはにこりと微笑んだ。
「ええ、プロポーズの話、ですよ」
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