第3話『勘違いするОL』

「……んん」

 意識が覚醒する。何だかんだで疲れていたのだろうか、ふかふかのベッドだったこともあり、熟睡してしまったようだ。

 ぼんやりと開いた透子の視界に、

「おはようございます、チーフ」

 巨大な豚の顔が映った。

「っ!? ギャアアアアアアア!! 犯されるうううううう!!」

「ヘブッ!」

 一閃である。ベッドの側に立てかけていた聖剣で、透子はその豚頭を思いっきり殴り飛ばした。

 哀れなオークは綺麗に吹っ飛び、顔面から壁に激突する。

「弟よおおお!?」

「あんちゃあああん!」

 部屋のドアからさらに二体のオークが飛び出し、床にノビている一体に駆け寄った。どうやら、こっそりと成り行きを見守っていたらしい。

「ん~、デジャブ?」

 殴った本人が一番冷静だった。

「ただ起こしにきただけなのに、な、なんとひどいことを!」

 甲冑を着ているオークが、透子を非難の目で睨みつける。

「あ~、ごめんごめん、寝ぼけてたわ」

 あははと笑った後、

「文句あんの?」

 オークのそれとは比べものにならないくらいの、鋭い眼光を向ける透子。「殺すぞ」という明確な殺気が込められている。

「そ、そりゃ、文句なんて、あり……」

「あり?」

「ません!」

 涙目のオークだった。というより、泣いていた。

「よろしい」

 対し、満足そうな透子である。だが、いかんせんベッドの中で身を起こしただけなので、威厳もへったくれもない。ちなみに、寝間着は支給されたバスローブのようなものである。

「やれやれ、どちらが悪魔かわかりませんね」

 呆れ声は、部屋の外から聞こえた。

「おはようございます、よく眠れたようで何よりです」

 皮肉とともに現れたのは、魔王の補佐官ことホルガーだった。

「レディの部屋に男が押し掛けるなんて、マナーがなってないんじゃないの? 一から叩き込んであげようかしら」

 オークたちに鋭く冷たい目を向けると、彼ら(一体は失神している)は「ひっ」と縮み上がった。

「まあそう言わないで下さい。何だかんだで、新しい住人を気にしているのです。彼らも私もね。それに、まだ彼らの紹介をしていませんでしたから」

 そう言うと、ホルガーはオークを一体ずつ指差す。

「まず、あなたに殴られてノビている彼は、次男のラルド。少し気弱ですが、とても優しい心をもっています。いつになっても起きてこない貴女を起こしてあげようと言ったのも彼です。あ、それと、とても料理が上手ですね。特に豚肉を使った料理が」

 オークなのに優しいのか、とか豚が豚料理? 共食いか、とかいろいろとつっこみどころがあったが、殴ってしまった手前、何とか我慢した。

 その次男ラルドが、虚空に向かって震える手を伸ばす。目も虚ろだ。ハイライトがない。次男は不運である。

「モルタ兄さん……大きな川があるよ……あ、向こうで母さんが手を振ってるよ……」

 その震える手を、先ほど気持ち程度に透子に逆らった一体が握った。この一体だけ甲冑を身につけている。

「しっかりしろラルド! そっちに行っては駄目だ! あと母さんはまだ生きてる! ここでしっかり稼いで、母さんに楽をさせてあげるんだろうが!」

 妙に人情的だった。豚のくせに。思わず涙腺が緩みそうになる。豚のくせに。

「ラルドを介抱している彼が、長男のモルタです。騎士に憧れているので、常に甲冑を着ています」

 一番弱いんですけどねHAHAHAと笑うホルガー。なかなかに毒舌である。

「そして最後は、二体の傍でバイブのように震えている彼です」

「表現がひどい!」

 さすがにツッコまざるを得なかった。というかこの世界にもバイブがあるのか。

「彼は三男のロース。勝手気ままでいたずらっ子。さらに要領もいいという、典型的な末っ子です。ただ、頭がいいので、よく変な道具や薬の発明をしています」

 ホルガーの説明によると、昨日彼が首を飛ばした偽魔王の人形も、この三男が作ったらしい。エロ同人なら便利くんポジションね、と透子は身も蓋もない印象を抱いた。

「ともかく、これからともに助け合う仲間です。仲良くしましょう。朝食ができていますよ。食堂にいらして下さい」

「わかったわ、着替えたいから出てってちょうだい。――ああ、そうそう、あんたたち、ちょっと待ちなさい」

 言われるまでもなく、とばかりにそそくさと出て行こうとしていたオークたち。彼らを透子は呼び止めた。ビクン、と二体(一体は失神)が肩を震わせる。

「何を言い出すんだ、この悪魔は、って顔ね。心配しないで、簡単な頼みごとよ」

 透子は笑うと美人である。だがオークたちは知っていた。悪魔は笑顔で寄ってくるものなのだと。


 朝食は、オーク三兄弟の次男――ラルドが作ったらしい。トーストのようなものに、スクランブルエッグのようなもの、そして何かのスープと、一般的な洋食だった。

 味についてはそれほど期待してなかったが、どうやら料理が上手いというのは本当のことらしい。そこそこ舌鼓を打つことができた。

 ただ一点、透子が気になったのは、その場に魔王とエーファだけがいないことだった。


 朝食の後、透子はホルガーとともにダンジョンを見て回っていた。ちょうど城の真下に位置している。石畳を叩く、二人分の足音が響く。

 ダンジョンとは言うものの、上下左右が石作りの単なる迷路である。殺風景この上なく、時折ひんやりとした湿った風が吹き抜けていく。あまり手入れされていないのか、かすかにカビの臭いもするのが心地悪い。

 興味深げにきょろきょろしてみるが、岩肌とたまに苔が生えている程度で、面白いものなど何もない。少し整備された洞窟、と言ったところか。ちなみに、光源は壁にぽつぽつと魔力による明かりがあるくらいだ。長年使われていなかったからか、明滅しているものもあり、むしろホラー感を醸し出している。

(まあ、心地いいダンジョンもどうかと思うけど)

 透子はスーツに着替えていた。ド○クエっぽい服も支給されたが、この方が落ち着くのだ。だが、一張羅を毎日着るわけにはいかないので、妥協するか、何とか新しいものを仕立ててもらうか、検討せねばなるまい。

「魔王と言っても、この世界に魔王はたくさんいます。魔族の王と言うより、魔軍の王と言った方がいいでしょうね」

 通路の幅と高さは三、四メートルほどで、決して狭くはないのだが、ホルガーの声はいつもより響いていた。

「そしてその魔王城と冒険者たちは、ある意味利害関係で成り立っています」

「利害関係? 魔王と冒険者なんて、敵同士じゃないの?」

「敵同士ですよ。ですが、お互いにお互いを滅ぼすことはほとんどない」

「んーと、どういうこと?」

「そもそも、冒険者が魔王城に挑むのはなぜだと思いますか?」

「そんなの決まってるじゃない。財宝を得るとか、名声を得るとかじゃないの?」

「概ね正解です。他には、戦闘の経験値を得る、とかですね。では逆に、我々魔族が冒険者を撃退した場合、彼らをどうすると思いますか?」

「それは……」少し考え、透子は笑顔で言った。「殺すか犯すか食べる!」

「発想が野蛮すぎます」ホルガーは嘆息した。「まあ、中にはそういう魔族もいますけれど」

「いるんじゃない」

「ごく一部です。一般的には、金品や装備品をいただき、最低限の武装だけ持たせて解放します。中には牢に入れる者たちもいますが、うちはそうしていませんでした。捕虜にしたところで、彼らの食費もただではありませんから」

「え、でも男の捕虜はともかく、女の捕虜は○○したり××したりするんじゃないの? エロ同人みたいに」

「……貴女が、我々をどういう目で見ているか、よく理解できました。まあ、中にはそういう魔族もいますけれど」

「やっぱりいるんじゃない」

「ともかく、魔族も冒険者も、お互いの金品その他を奪おうとします。でもほとんど滅ぼしはしない。その理由が、貴女ならもうわかるんじゃないですか?」

 この男は、まだ透子を試しているらしい。薄暗いダンジョンの中、ホルガーの目が薄く光る。

 試されているとわかっていて乗るのはしゃくだが、透子は素直に答えた。

「利害関係、と言うよりも、お互いを利用しあっているって感じね。冒険者を生かして帰すと、また装備や物資を整えてやってくるかも知れない。逆に魔王城も同じ。滅ぼさずにおくと、また財宝を蓄えるでしょう。お互いにカモネギなのね」

 でも、と透子は付け加える。

「それは勝てる場合でしょ? 負けたら損じゃない」

「もちろんです」にっこりと笑う。「所詮この世は、弱肉強食ですから」

 シンプルな話だった。

「よくわかったわ。でも大事な勢力が抜けてるじゃない。勇者たちはどうなのよ。冒険者と同じ?」

「いえ、少し違います。同じなのは、財宝や名声、経験を得たいと思っているところ。違うのは、彼らの行動原理が、魔族を滅ぼそうとしていることです」

 こちらもシンプルな話だった。

「彼ら勇者にとって、我々は絶対悪。それだけです。以上が、魔族、勇者、冒険者の対立構造ですかね」

 そこまで話してようやく、二人は立ち止まった。入り口に戻ってきたのである。

「もう終わり?」

 地図を見せられたときから思っていたが、予想以上に狭かった。もちろん道が、ではない。ダンジョン全体が、である。

「ちょっとちょっと、短すぎるんじゃないの? 分かれ道なんて数えるほどしかなかったし、罠の一つもない。それにこの地下一階しかないってどういうことよ! あっという間に最深部じゃないの! まだボロお化け屋敷の方が探索しがいがあるわよ!」

「ええ、これが最低限、ですから。仕方ありませんよ、今まで閉鎖していたのです。無駄に広いダンジョンを有していても、無用の長物です。何しろ、戦闘員はモルタたちだけなのですから」

「む……」

 半ば皮肉のようなホルガーの言葉に、透子は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 脳裏に、魔王の言葉がよみがえる。


(――「君を雇う条件は一つだけ。部下にはそこのオークたちをつける。一定の成果が見えるまで、新たに誰かを雇うのは許可しない。何しろ、君たちに払うお給金が今でもいっぱいいっぱいでね。あ、ちなみに僕はダンジョンに一切手を貸さないから」――)


 そう言った魔王は百点満点のダンディスマイルだったが、透子は全く笑えなかった。人手が足りないにもほどがある。

 頭を抱える透子に、ホルガーは苦笑を向けた。

「透子さんは試されているのかも知れませんね」

「どういうこと?」

「そのままの意味ですよ。圧倒的に不利な条件で、それなりの成果を出す。普通ではできません。ある意味、期待されていると言ってもいいでしょうか」

「……ありがたいことね」

「この城の財政が苦しいのも事実ですしね。それと、ダンジョンが狭い理由は他にもあります。維持するための魔力がもったいないのですよ」

「魔力? まああんたたち魔族がいるんだから、いまさらそこには驚かないけど……。維持するのにそんなものがいるの?」

「もちろんです。必要になれば説明しますが、ダンジョンを維持するのにも、ただではないのです」

「土地の維持費みたいなものかしら」

 どこの世界にも、ややこしい問題はつきものである。

「そもそも、その魔力とやらは、どこから補充して、どこに保管して、どうやって使うの」

「いい質問ですね。補充の方法はいくつかありますが……保管の説明もありますので、少し場所を変えましょう」

 そう言って、ホルガーはまた石畳を歩き始める。透子も慌ててそれに続いた。


 地下を出、向かった先は城のちょうど中心部辺りだった。

「あら、お二人とも」

 その廊下で、透子はエーファと出会った。ちょうど、どこかの部屋から出てきたところだった。自室だろうか。

「姫様、部屋にいなくてもいいのですか?」

 ホルガーは、魔王の娘であるエーファのことを「姫様」と呼ぶ。それはオークたちも同様だった。

「ええ、平気です。さっき、抜いてきたところですから」

「え? ぬ、抜く?」

 エーファの言葉に、透子は敏感に反応する。エーファは少し恥ずかしそうに苦笑した。

「そうなんです。あまりタメすぎると、体が火照ってしまって……」

「タメすぎると火照る!?」

「だから、定期的に抜いてるんです。トーコさんは抜いたことありますか? とっても気持ちいいんですよ」

「え!? いや、それは……」

 透子は思いっきり狼狽した。エーファの見た目は十四、五かそこらであり、何より妹にクリソツである。そんなお姫様からまさかオ○ニーの話題が出てくるとは、夢にも思わなかった。

「もしかして、抜いてないんですか!? ダメですよ、体に毒です。私なんてこの間も、ちょっと我慢したら漏らしちゃったんですから」

「が、我慢したら漏らし……」

「トーコさん? どうしました? 鼻なんて押さえて……」

 コントがここまで続いたところで、ようやくホルガーが深いため息をついた。

「透子さん、残念ですが、貴女の想像しているようなものではありません」

「え?」

「大体、こういう目的語が抜けた会話は、勘違いだと相場が決まっているでしょう。――姫様、例のモノを透子さんにお見せしたいので、お部屋に入ってもよろしいですか?」

「ええ、もちろんです。どうぞ」

 にこやかに答え、エーファはたった今出てきた部屋に透子たちを招いた。

 その部屋は、やはりエーファの自室だったらしい。透子の部屋のものより、二つか三つはランクが高そうなベッドや調度品、大きな姿見、可愛くないぬいぐるみや少々グロいぬいぐるみ、豪華なシャンデリアにカーペット、おまけに、ピアノまで置いてあった。一部以外はさすがお姫様と言える内装である。

 ただ、とある巨大な装置を除いては。

「それは、何……?」

 エーファの部屋に入った興奮よりも先に、透子はそれに釘付けになった。

 台座の上に、巨大な水晶のようなものが浮いている。直径二メートルほどはあるだろうか、その中心がちょうど透子の目線の高さ辺りだ。

 淡い紫色に発光しており、周りの景色が反射することはない。

「まさか、最先端の照明装置ってわけでもないわよね」

「当然です。――姫様、もしよろしければ、透子さんに見せてあげていただけませんか? 百聞は一見にしかず、でありますので」

「構いませんよ。ただ、さっき抜いたところなので、少ししか出ませんが」

 てへへと笑い、エーファはその巨大な珠に歩み寄る。そして、両の手のひらをかざして目を閉じた。

「これ、は……」

 透子は瞠目した。エーファの手のひらから、珠と同じ淡い紫色の光が生まれ、珠に吸い込まれていく。

 その光景を目にするのは、当然初めてだった。だが直感的に、その紫色の光が何であるかはわかった。

「ど、どうでしたか?」

 時間にして数秒程度、吸い込まれた光がほんの少しだったからか、エーファは照れくさそうに眉を下げた。指を組んでもじもじしている。

「なるほど、今のが魔力……」

 いつの間にか、透子の目線は珠からエーファにシフトしていた。何しろ、魔法のような可愛さだったのだ。

「その通りです」あくまで冷静にホルガーが答えた。「そして、この珠が魔力の保管先である、魔力水晶です」

「つまり、これが魔力の補充と保管の方法ってわけね」

「その通りです。取り出しは手動にすることも可能ですが、ほとんどの魔王城ではダンジョンの維持魔力は自動引き落としになっています」

 残念なことに、もう透子には魔力水晶がATMにしか見えなくなった。

「そう言えば、この魔力水晶とやらはエーファ様の部屋にあるけれど、魔力の補充はエーファ様任せなわけ?」

 透子としては、何でもない質問のつもりだった。だが、ホルガーの顔には僅かに緊張が走り、エーファはつらそうに瞳を伏せる。

「そ、それは……」

 口ごもりつつも、エーファが何かを言おうとした、そのときだった。

 突如部屋の中に、サイレンのような音が響き渡った。

「な、何なの!? 空襲!?」

 慌てふためく透子。

「城に張った結界に反応があったようです。何者かが侵入したようですね」

 ホルガーが指を鳴らすと、サイレンはぴたりとやんだ。だが、その代わりのようにけたたましい足音が廊下から聞こえ、その音は部屋のノックへと変わった。

 どうぞ、とエーファが答えるか答えないかというタイミングで、ドアが勢いよく開かれた。そこにいたのは、オーク三兄弟の長男――モルタだった。

「し、失礼します! あ、いた! チーフ!」

 どうやら透子を探していたらしい。汗だくになり、なぜか探検ごっこをしていた子どものように体が汚れている。だがそんなことにはお構いなくといった様子で、モルタは告げた。

「ぼ、冒険者が来ました!」

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