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10⇔空っぽな天職
四年前ぐらいの話。
かつて、アズウェルが海賊だった頃。
あまり海賊船の中では地位は高くなかった。ほとんど雑用係といった感じで、いつものように甲板をブラシで清掃していた。
照りつける太陽と、それを反射させる海にサンドイッチされて、まるで地獄の釜の中にいるようだった。顎から滴り落ちる汗は、いい加減全身の水分を放出しきったのではないかと思うぐらいにでまくっている。
休憩なんてない。水ももらえていない。フラフラになりながら、ずっと掃除していると――足を引っ掛けられる。
「うっ!」
横合いから突然足を突き出してきた男は、ぷっ、と笑いを噴き出す。
「うっ! だって! ふはは。アズウェル、お前の汗が甲板にしみこんじみったじゃねぇーか。また掃除のやり直しだなあ」
男はいつも何かしらアズウェルにちょっかいを出してくる奴だ。気に喰わないことが多いらしく、とにかくアズウェルのやることなすこと文句ばかりつける。
だが、そっちがその気なら、こっちもこの喧嘩買ってやろう。
「ああ、そうだな。まだゴミが残っている。掃除しなきゃ。豚の糞みたいな匂いのするゴミクズがここにあるみたいだからな」
「おい! てめぇ、それは俺のことか?」
「……なんだ。自覚あったのか。意外だなあ」
「ぶっ殺すぞ、てめぇ……」
男が海賊刀を懐から取り出す。
脱水症状を起こしそうで、視界が揺らいでいるが、そんなものは関係ない。いい加減こいつに付き合うのも飽き飽きだ。
ぶっ殺してやりたいのは、こちらの方だということをその身に教えてやる。
「やってみろよ」
ギラリ、と鋭く光る海賊刀の二本が揺れる。
突き刺す前から駆け引きは始まっている。
どちらが先に刀を突きだすか。それとも防御するか。それとも、まずは最初にフェイントを入れて、本命の二撃目をどうするか。突くのは上か、胴か、下か。そもそも、突くのではなく斜めに斬るのか。
相手の動きを予測して斬りかかなければ、一瞬でやられる。それが分かっているから、予備動作を消すために海賊刀を二人とも揺らしている。互いの実力が拮抗しているのを知っているから、手が出しづらくなっている。だが――
「おい、お前ら! なにやってんだ! そんなことやっている暇はねぇ! 船影だ!」
船長から横入りの声が飛び込んでくる。
それだけで、海賊刀をおさめるような危険なことはできない。が、チラリ、と視線を動かしてみる。
前方に船が見える。
あまり大きな船ではない。かなりぼろっちい。囮ではないなら、あれは政府の船とは考えにくい。ならば、海賊たちの格好の餌食だ。
「ひゃあああああほおおおおおおう! 奪え! 全て奪え!」
「食糧、金品、女、命!! とにかくありったけのもんは、俺達のもんだ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
猿みたいに船員たちが興奮し始めた。
ここの船員たちは全員、欲望に忠実な男たちだ。望遠レンズを覗いている奴が、男たちに船の様子を伝える。
「待て、ありゃあ――奴隷船だ」
「なにぃ!? 女はたくさんいるか!?」
「いるいる、たくさんいるぜぇ!!」
下衆な声が木霊する。
船の上で何十日も漂っていれば、女日照りの日が続く。船とすれ違うのも最近減ってきた気がする。どうやらこの海賊船の噂が広まっているらしい。
女と会えるのは港についた時ぐらい。
だから、男たちの鼻息も荒くなるのもしかたないのかもしれない。
「絶対に逃がすな!! 砲弾をうてぇええええええ!」
この距離からは着弾するはずもないが、それだけ気合いが入っているのだろう。くだらないけどな。
「どいつもこいつも、分かりやすいな」
「アズウェル……てめぇのそういうところが気に喰わないんだよ。どうしてそんな死んだ魚のような眼でいるんだ? お前は何が楽しくて生きているんだよ。そんな眼をするぐらいだったら、海賊なんてやめちまえ!」
男がわめき散らす。
ようやく男が何を言いたいのか分かった。
「馬鹿じゃねえの、お前?」
「ああ?」
「俺には何もない。俺のことを拾ってくれた人がたまたま海賊だったから、海賊になっただけだ」
拾ってくれたといっても、雑用係としてこき使われてばかり。楽しい時なんて、敵と斬り合っている時ぐらいだ。
「それでも、俺が海賊になった理由を強いて言うなら――」
「空っぽだからだ」
持っている人間はきっとこんな気持ちにはならないだろう。
家族がいる奴とか。
恋人がいる奴とか。
友人がいる奴とか。
とにかく、そういう持っている奴。空っぽではない連中は、きっと海賊なんていう無法者には成り下がらない。正しい道。舗装された道。誰もが堂々と歩いて行ける。後ろ指を指されない生き方をしているのだろう。
「海賊は略奪者だ。何も持っていないから、持っている奴から奪い取る。……な? 俺にとって海賊ってやつは天職なんだよ」
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