05⇔拷問と悪臭の囚人

 それから、幾日。

 奴隷の売買はもちろん、武器や食料の商売なども行って潤沢な資金確保に励んでいた。もちろん、暇を作ろうと思えば作れたが、敢えてアルとは会わなかった。

 会わないことで、アルにとって必要な存在は誰かを自覚してもらうためだ。だが、そのためには、ただ会わないというだけの行為では、効果が薄い。

 だから、奴隷商人であるアズウェルは、奴隷を躾ける時によく使う手段を行使した。飴と鞭。それが奴隷を奴隷らしくするための、基本原則。

 そう、徹底的にアルを痛めつけさせたのだ。

「ううううううううううううううっ」

 闇の底から呻くような音が反響してくる。

 ガードマンの男には、いくらか金を渡しておいた。普段よりも傷つけてくれるよう頼むためと、命令した人間がアズウェルだと口止めのために。

 流石に良心が痛むが、これはしかたのないことだ。

 どんな奴だろうと、ある程度の絶望には耐えられる。

 だが、一度希望の光を目にしたあとに、同じ目に合わせると、もう耐えられなくなる。心が、壊れてしまう。その罅割れた心の欠片を、少しずつ拾っていくのが、アズウェルの今日の仕事だ。

「大丈夫か?」

 腫れ上がっていて、瞳は半分しか開けられないようだ。

 痛いはずなのに、ぴくぴく痙攣させながら目を見開く。

 つぅ、と、一筋の涙が頬を流れ、口の端から流れる血と混ざる。

「アズ……ウェル……様……?」

 立ち上がろうとしても、前のめりに倒れる。ぼろぼろにされて、もう立ち上がることもできないようだ。

「うっ!」

「おい!」

「うっ! うっ! うっうううう!」

 内出血している足を引きずりながら、鉄格子の前まで這ってくる。あまりの痛々しさに、たまらずアズウェルは駆け寄る。

 そして、上に掲げられたアルの手を、しっかりと握る。

「私、私……」

「ああ、辛かったんだな……」

 狭い鉄格子の間から伸ばす腕には火傷のような跡があった。炎で炙られたか、それとも電気を流されたか。どちらにしても、相当痛かったのだろう。

「――っう」

「悪い、痛かったか?」

 強く握りしめすぎただろうか。

 慌てて手を放す。

「いいえ、大丈夫です。できれば……もう一度握ってくれませんか?」

「ああ、もちろんだ」

 痛くないはずない。反射的に握りしめた彼女の手には、くぼみがあった。これはきっと、熱せられた鉄の棒を当てられた跡だ。

 それなのに、涙をまた流す。

 痛さのあまりの溢れた負の感情ではなく、これはきっと嬉し涙だ。

「……ああ……」

 ほろほろと流れる涙も。

 それから溜め息交じりの微笑みも。

 そのどちらも、こちらが意図して生み出したものだ。ここまでうまくいくと、自分の口から発せられる言葉がより白々しく聞こえてしまう。

「俺がいない間、随分手ひどくやられたんだな。くそっ、俺がいれば、こんなこと……させなかったのに……」

「――いいえ、そん、な……」

「頼むから、俺の前では弱いところ見せてくれないか? お前の強いところは知っている。だけど、お前の弱いところも、それ以外のことも全部知りたいんだ」

 そう。

 特に、ひた隠しにしている情報が欲しいんだ。

「わ、私は……強くなんて……」

「強いよ。だって、自分の苦しみや痛みを、俺に言おうとしないだろ。それって俺に気をつかわせまいとしているってことだろ? そんな優しい心を、俺は強いって思うよ」

「そんなんじゃ、そんなんじゃないですっ! 私はただ告げ口されるのが怖かっただけです……」

 まあ、そんなところだとは思っていた。だが、そんなもの誰だってそうだ。森エルフだけではなく、人間だって心のどこかに弱さを抱えている。

 しかし、まだ信用されていない。

 ここで一気に心を傾けさせたいところだ。

「……何言ってんだよ。そうやって必死になって弱い自分を否定するお前のことを、どうして弱いだなんて言えるんだよ」

「…………」

 弱い自分を曝け出せるのは、強い奴だけだ。

 強さを無駄に誇示しようとする奴ほど、自分の強さに自信がない。弱い自分を見せたくないから、力を振りかざそうとする。他人を押さえつけて、自分優位に立とうと必死になる。それは強いんじゃなくて、ただ弱くて、可愛そうな奴だ。

「あ、ありがとうございます……あ、あの」

「どうした?」

 もじもじと何か言いにくそうにしている。

 なんだ?


「私、く、く、臭くないですか?」


「――あ、ああ。正直、ちょっと臭うかな……」

 いきなり、何をいうかと思いきや、臭くないですか、か。

 手を握っていて、いつにもなく接近しているから気になったのだろうか。

 嘘をつくのも優しさなのだろうが、ここで臭くないと言える奴は鼻にどでかい鼻糞が詰まっている奴ぐらいなものだ。詐欺師だろうが、この悪臭の前では鼻をつまんでしまうだろう。

「や、やっぱりそうですか……。一応水で洗ってはいるんですけど、服というか、この布の代えをもらっていないので、どうしても臭っちゃうんですよね……」

「そっか。なら、そうだな。とりあえず、シャワーでも浴びるか? それから服ならちょうどある。アルにプレゼントしようと思って持ってきたんだ」

「え、プレゼント? それに、シャワーって、ここにはないですよ」

「大丈夫。許可ならもらっている」

 ジャラリ、と鍵の束を取り出す。

 どれがここの鍵なのか分からない。

 一つずつ、独房の鍵穴に刺していく。

「それ、ここの鍵ですか?」

「ああ。その代わり、逃げ出さないように、今からお前に首輪をつける。もしも強引に逃げ出したりなんかしたら、もっと酷い目に合うからな。脱走だけは絶対に企てないようにしてくれ。俺も立場上、お前が逃げたらお前を傷つけないといけないからな」

「……私、外にでれるんですか?」

「独房の外にはな……。残念だけど野外にはでれない。シャワーを浴びさせることができるってだけだ。それでもいいなら、ついてきてくれないか?」

「い、行きます! 絶対に! あ、ありがとうございますっ!」

「ああ、気にすんな。だから――」

 ガチャリ、とようやく鍵が回る。

「とりあえず、一緒にシャワーを浴びよう」

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