04⇔小動物の飼育過程

 翌日。

 コトン、とスープの入った皿を床に置く。

 独房に湯気が立ちのぼる。

 どうやら飯をほとんど食わせてもらっていないらしい。だったら、いきなり骨付き肉とか固形物……胃に重たいものを喰わせるわけにはいかない。

 食べやすい汁物で、身体によさそうな野菜を細かく切って入れといた。

「いいぞ、食べても」

「でも、これ……」

「いいんだよ。確かに、俺はお前に喰い物をよこすのはヴディエから禁止されている。だがな、これは俺が作ったもので、俺のものだ。だから、こうやって俺が喰いきれないスープをどこに捨てようが勝手だ」

 もちろん、スープには手などつけていない。

 それに、ヴディエから許可をもらっていない、というのも嘘だ。ちゃんと許可はもらっているし、飯も今まで通り抜きでやって欲しいと頼んでいる。

「あ、ありがとうございますっ!」

「だからお前にやっているんじゃない。ほら、鼠とかにだよ……」

「はいっ、分かってます!」

 ズズズ、と大きな音を立ててスープをのむ。あちっ、とか言いながらも、幸せそうに笑っている。

 昨日よりは全然警戒されなかった。

 森エルフは耳がいいらしい。アズウェルが暗がりから現れる前に、立ち上がって頬を僅かに緩めていた。あれはもしかしたら、人間の足音を記憶していたからとった行動なのかもしれない。

「なあ、お前――。そういえば、お前の名前を訊いていなかったな。教えてくれるか?」

「私の……名前ですか?」

 ズズッ、とスプーンですくったスープを口に含みながら、驚いた顔をする。ここにきてから、誰からも本名など訊かれなかったみたいだ。

「アル……。アルズリア・ウォン・クロイツです」

「アルね。その名前だと、結構偉いところの?」

「いいえ、そうでもないです。うちはどちらかというと、そこまで由緒正しい家系じゃないので、小さいころは周りから馬鹿にされて、ちょっとへこんだりしましたけど……」

「ふーん」

 名前が多いのは人間だと貴族階級しか認められていない。少ない奴は、平民か、もしくは名前などないやつで自分でつけたやつとかだ。

 森エルフもそうなのかと思ったが。

「あのっ……」

「どうした?」

「私は、あなたのことをなんとおよびしたらいいですか?」

「ああ、なんでもいいよ。アズウェルでも、アズウェルさんでも。アズでも。……ただ、堅苦しいのだけは勘弁してほしいな。……アズウェル様とかね。俺とアルは別に主従関係にあるわけでもないしね」

「そ、それじゃあ、アズウェル様で……」

「……は、話聴いてた? それとも、わざと?」

 慣れ合うのはいい傾向だが、あまり慣れ慣れしすぎても、今の段階では困る。なるべく上下関係を築きながら、こちらの提案を通りやすくしなければならない。だからわざと高圧的に言ってみた。

「そ、そうではなくて! た、ただ私がそう呼びたいだけで……。だ、だめですか? アズウェル様って呼びたいんですけど……」

 思いの外あたふたしたしながら、森エルフ……アルは答える。なんだか、可愛いな。小動物でも飼育している気分になる。

「まあ、それでいいなら、俺はいいけど……」

 なんだかんだで、様づけされるのには慣れている。

「それじゃあ、今日も話しようか。俺の奴隷の話なんだけどな――」

 そして、語り始める。

 面白おかしく、なるべく笑いを誘うように話を脚色しながら。

 アルはお腹を満たし、そしてアズウェルのことを信頼しかけている。だから、顔の筋肉の動きが見て取れやすくなった。

 ……会話しながら、視線の動きが不自然にならないように癖を観察する。

 感心している時は、ふーん、と左に視線を僅かにあげている。

 こちらが奴隷の扱いについて話す時は、さっと素早く目を開閉して、唇をかむ。などなど、パターンを試しながら、アルの仕草などを記憶していく。

 やはり、独りの時間が多いせいか、独り言が多いのも特徴だ。あまりにも人と接していなかったりとか、辛い時は、人ではなく物に話しかける奴隷もいたが、そういう性格をしているようだ。

 大体そういう奴は話をするのに飢えていて、こちらの反応も気にせずに一方的に話を投げかけてくるのだが、アルは頷くばかり。あまり自発的には話そうとしない。まだ警戒されているのか。もしくは、何を話していいのか分からないのか。

 そういうタイプの方が操るのは楽なんだが。

 これは少しばかり粗っぽいこともしなければならない。手早く信頼させるには。もっと口を軽くするためやらなきゃいけないことは、奴隷商人として当然のことだ。やらなければいけないことだ。それが、どんな非道なことだったとしても。

「よし。それじゃあ」

 やおら立ち上がって、別れの挨拶を告げる。

 だが、昨日のように、いや、気の溶離もアルは声を張り上げる。

「あ、あの!」

「どうした?」

「も、もう少し話していきませんか?」

 うーん、と考える振りをする。

 本当は、もっとここに残っていたいんだよって、思わせるために。

「ああ、悪いな。俺もちょっと仕事があってな。養わいといけない奴らがいっぱいいるから、仕事をさぼる訳にもいかないんだ。明日は忙しくて、ちょっと来れないけど、また来るから」

「そ、そうですか。いえ、いいんです。我が儘言ってすいません……」

「いや、いいけど……」

 今は顔なんてみたくない。後ろめたさを感じたくないのに、感じてしまっている。そんな権利、奴隷商人になると決めたその日から、とっくになくなっているというのに。それなのに、まだ真っ当な人間の神経を持とうとしてる。なんて、くだらない。

「またな」

 本当は次に会う時が怖いけれど、今はそう言うしかなった。

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