03⇔囚われている森エルフ

 独房。

 そういわざるを得ない場所に案内された。目で合図すると、男たちは退いてくれた。ヴディエから、なるべくこちらの意見に従うように命令されているようだ。

 一対一で対面すれば少しは心を開いてくれるかと思った。だが、こんな待遇を受けている森エルフが、自分の種族以外に耳を傾けてくれるわけがない。

「あ、あ、あ、ああ」

 鉄格子越しに見える光景は、あまりに凄惨。

 倒れ伏しながら、森エルフは悶え苦しんでいる。埃で汚れた頬を、何度も涙が伝っている。服、というよりは、ただの布を森エルフは着ているが、強引に破られた跡がある。

 顕わになっている肌には、鞭でぶたれた跡。そのへんを引きずり回された擦過傷など、とにかく傷だらけだ。

 綺麗なはずの髪は色褪せていて、とんがりした耳からは血が流れている。あまりいい臭いがしないのは、水浴びを許可されていないからか。

 ともかくこれじゃあ、あまりにも可愛そうだ。

「ほら、水だ」

 さっきからかすれた声しか出していない森エルフに、水をやる。

 泥が沈殿しているような瞳をしていた森エルフの瞳が、ぎゅわ、と凝縮する。水の入った木製の器に、物凄い速度で触れようとして――その手が止まる。

 ビクビクした様子でこちらを見上げてくる。

「……ん?」

 一向に水を飲もうとする初期動作をしない。目が泳ぎながらも、時折こちらに視線を送ってくる。……これは確かに、調教を受けた奴隷と似ているかもしれない。

 捕まった奴隷は、即座に奴隷市へ! ……という訳にはいかない。

 それでは、買い取り主は満足しない。

 奴隷を従順なものに調教するために、奴隷商人はいる。反抗する気力がなくなるまで徹底的にいじめる。いじめて、いじめ尽し、自分の感情が無くなるまでやる。そもそも感情を持とう。反抗しようという気力を根こそぎ奪い取る。誰が相手だろうともへりくだるように仕上げる。

 それが奴隷商人の調教というものだ。

 森エルフはその調教が終わった奴隷のような態度をとっている。売り捌くならこのままで問題は全くない。それなのに、あれだけヴディエは焦っていた。……ということは、ヴディエは森エルフを奴隷市に出す予定はない、ということになる。

 ……どうやら、随分きな臭くなってきたようだ。

「飲んでいいぞ。この水はお前にやったんだ」

 飛びつくようにして水をとろうとして、また腕が下がる。アズウェルをじろじろと見やるのは、鞭を隠し持っていないか探しているからか。ひとしきりこちらを眺めると、戦々恐々としながら水をぐびぐび飲んでいく。

「全部、飲んでいいからな……」

 さて、と。

 この森エルフは、ヴディエにとってどんな価値がある女だ。

 ヴディエは金と権力、それから女が全ての男。

 考えられるのは、この森エルフに惚れたか、もしくは奴隷市に売り飛ばすよりも、もっと利益を生む方法を思いついたか。

 恐らく、答えは後者だろう。

 確かに森エルフはこんな状況下でもとんでもなく美人だが、わざわざアズウェルに情報を公開するだろうか。自分の好きなものならば、占有。独占するのがヴディエの性格。今のままでも十分ヴディエを満足させる女だ。……ということは、やはり金、か。

 森エルフに純粋な興味もある。

 だが、金になる話ならば、おこぼれに預かりたい。

 うちは大所帯で金が要る。

 当事者であるヴディエに訊くのが一番だが、こちらの質問に答えるはずがない。だが森エルフならば、何か知っているはずだ。

「…………」

「えー、と俺はアズウェル。奴隷商人だ」

「――ッ――」

 森エルフは息を呑む。おおかた、奴隷商人という単語に反応したのだろう。構わず一方的に話を進める。

「だが、俺はヴディエの部下でも仲間でもない。まあ、一緒に仕事をしている関係で、今こうしてお前の前にいるのも仕事だ。お前、ヴディエの言うことをきかないから、きくようになんとかできないかって仕事だ。報酬ももらう予定だ」

「ご――な――い」

 何かを話したようだが、小さすぎて聴こえない。

「……あ?」

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。私が悪いんです。私が全部悪いです。だから、もう鞭でぶたないでください。お願いします。もう電気椅子に座らせないでください。お願いします。首と天井を鎖で繋いで吊るさないでください。お願いします。お願いします。お願いします。――うぅううううううあ!」

「お、おい!」

 叫んでみるが、やはりこちらの声など聴こえていない。見えていない。過去のトラウマが掘り起こされているせいで、まともに話などできる状態じゃない。

 どんな雑な調教をしたんだ。こんな心がぶっ壊れたままじゃ放置するしかない。が、できれば今日中に、知り合い程度の仲まで発展しておきたいところだ。だから――


 キスをした。


 鉄格子越し。届かないから、瞠目する森エルフの首根っこを掴んで、唇と唇を強引に重ね合わせた。場所も場面も、全く色気がない。

 涙を流して、過呼吸ぎみになった森エルフを落ち着かせるためには、これが一番手っ取り早かった。

「……ぷぅ。あのな、別に俺はお前を傷つけるためにここに来たわけじゃない。……そうだな。とりあえず、少しおしゃべりでもしようか」

「……お、おしゃべり?」

 声が震えている。

 やはりいきなり接吻したのはまずかったか。ゴ明かすためにも早口で話す。疑問を挟み込ませる余地など与えないように。

「そう。一応、俺が奴隷船の船長。というか、奴隷商人なんだけどな。他に四人の奴隷がいるんだ。専属のな。そいつらの内の一人でオーキシュってやつがいるんだけどな。そいつのせいで、俺はこんな怪我をしたんだ」

 包帯を巻いている腕を見せる。

 ショック状態から抜け出せない森エルフは、熱に浮かされみたいに喋る。

「オーキシュって人はそれから……」

「もちろん、罰を与えた。とりあえず、船番だ」

「……えっ? それだけ?」

 砕けた口調になったのは僥倖。

 心が開いている今がチャンスだ。

 とにかく、森エルフが興味を持つような話をふってやろう。

「いや、これがあいつらにとっては結構な罰なんだ。あいつら奴隷の癖にいっつも俺の跡をついてきたがるし、俺の言うことはきかないからな。だから、罰として船番ってわけだ」

「…………」

「それで、そのオーキシュっていうやつはさ、機械なんだ。まだ三歳児だけど、見た目は大人の女性なんだ。だから一緒にシャワー浴びようとかいいだすんだ。羞恥心ってものがないんだよな、あいつには……」

「その人、あなたの奴隷なんですよね?」

「そうだ。俺の奴隷で、そして――俺にとって大切な奴らなんだ」

「奴隷、なのにですか?」

 その当然の疑問を投げかけられて。

 演技しなくちゃいけないのに。

 取り入って、話を引き出さなきゃいけないのに。

 思わず、拳を握りしめてしまう。


「大切な人に、身分なんて関係あるのか?」


 だって、そんな言い口黙認していたら、大切な人は高貴な身分の奴しかなれないことになってしまうから。

「森エルフに関係なく、エルフ族っていうのは、誇り高い種族らしいな。人間共のことなんて下に見ていたクチか?」

「……それ……は……」

 思い当たる節の一つや二つはあるらしい。

「奴隷だろうが、貴族だろうが、人間だろうが、エルフだろうが、半獣人だろうが、自動人形(オートマタ)だろうが関係ない。俺にとっては、どんな奴だろうが、大切な人になりうるんだ。――そして、それはお前もだ」

「……私……も?」

「そうだ。お前も俺にとって大切な人になるかもしれないな……」

 確実になるとも言っていない。だが、揺さぶりはかけておいて損はない。人心を掌握するためには、断言するのではなく、曖昧さも時には必要だ。

 答えを自ら明示するのではなく、相手に選ばせる。どちらが一体自分の本心なのか。選択肢を与えていないことを相手に悟らせない。その上で相手が選んだという事実を容認すると、そこから先は簡単に落ちてしまう。

 相手の心の動きを読み切り、それをコントロールする。

 この暗く孤独で辛い独房の中で必要なのは、依存先。

 自分にとって大切な人が誰なのか。

 縋るべきなのは誰なのか。

 それを徹底的に叩き込む。それも、無自覚に。それができるかどうかは、奴隷商人の力量にかかっている。

 だからこその心の揺さぶり。

 身体よりも、心に跡を残した方が効果的な場合もあるのだ。

「――んじゃあ、そろそろ俺行くわ」

「あっ!」

「ん?」

「い、いえ……」

 今日のところは、このぐらいでいい。焦りは禁物だ。

 今の森エルフに必要なものは、考える時間だ。森エルフにとって、自分はいったいどういう存在なのか。それを独りきりで考える時間。それは、独房でいることによって自然と造られる。

 他人と意見をすり合わせると、どういう方向にいくか判断しづらい。だが、この閉鎖的な空間にいる限り、思考は単純化される。森エルフの心理も読みやすい。

「それじゃあな」

 そういってから、そっと歩いて独房から去る。

 ――そして。

 森エルフから見えない、聴こえない位置まで来てから、部下の男を呼び出す。

「なあ、あんた、ちょっと頼みがあるんだけど……」

「どうしましたか? 最低限のことをやりますが」

 森エルフの欠けているものを満たしてやれば素直になるはずだ。

 まず、一番手っ取り早く、そして、誰にでも、どんな種族にも有効な手段。それは――腹を満たしてやることだ。

「そうだなー。明日、ここの調理場を借りていいかな?」

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