02⇔眠らない店の小汚い豚

 ガヤガヤと騒がしい店内。

 極楽浄土というものを知らないが、死後の世界がこれだけ華やかならばどれだけいいだろうか。

 薄暗い店には、見目麗しい美女の方々が扇情的な衣服を身に着けながら、顧客に酒をついでいる。客のニーズに応じて、女性スタッフは様々な種族の人間を揃えているようだ。そもそも、人間ではないものもいるし、奴隷であるものもいる。

 サラマンディアの一角に建てられている巨大な建物。

 通称『眠らない店』――キリズリス。

 主に男を狙った、まあ、いかがわしい店だ。女性客は女性客で楽しんでいるらしく、女同士でディープなキスをしている輩もいるみたいだが、ごく少数だ。大体が酒を浴びるほど飲みながら、従業員の胸を揉みしだている。今日は客としてきたわけではないが、お目付け役がいない今なら、久しぶりにキリズリスで一杯ひっかけても楽しそうだ。

 ――と、なにやらうるさい店の中で、一際聴こえてくる声がある。大きな声ではなく、ひそひそ話なのだが、その内容が自分に対する悪口。誰だって嫌でも聴こえてしまう。

「おい、あれ、百人斬りのアズウェルじゃないか……」

「奴隷船を乗っ取って、自分が奴隷船の船長になりかわっていう、あの元海賊か?」

「それだけじゃない、自分の海賊団をも全滅においこんだ残虐な略奪者らしい。平気で人を裏切る悪魔だ」

「桁違いの賞金がかけられていたが、今は海賊業から足を洗った元賞金首だ。奴がこの都市に帰ってきやがった。何を企んでるつもりだ?」

 ……どうやら、随分おひれはひれのついた噂話が飛び交っているようだ。そこまで極悪人ではない、と思いたい。数人の奴隷を囲っている時点でなかなかの悪党にであることには間違いないが。

「ここです」

 港からずっと案内をしていてくれていた男達に、先に行くよう促される。扉を開いてくれている男と、それからずっと背中にはりついていた男。合わせて二人に護衛されるように歩いていて、かなり窮屈だった。

 ただ、案内役というよりは監視役に近いはずだ。

 服の上からでも隆起する筋肉が分かる。大事な交渉相手の護衛役というには、二人ともあまりに人相が悪い。人を殺した人間の瞳をしている。

 今ここで冗談でも、やっぱり商談はしない! とか言ったら、即座に首の骨をブチ折られそうだ。ここは男たちに従うしかない。

 扉を開くと、小さな個室が。その奥にさらに扉があって、それも開かれると、ようやく商談相手と対面できた。

「これはこれは! アズウェルさん! 船が港に乗り上げたと聞いて心配しましたが、どうやらぴんぴんしているようですねぇ!」

 大きな椅子に、三人座っている。

 端に座っているのは、お気に入りであろう美女二人。真ん中の男にしなだれかかっている。

 真ん中に鎮座しているのが、この建物の支配人。

 サラマンディアを実質的に支配している権力者の内の一人。

 ヴディエ。

 人間と猪の半獣人。

 姿そのものは人間に近いが、ずんぐりとした鼻は猪そのもの。小さな牙がついていて、針のような体毛がびっしりと腕に生えている。

「……あっ、あっ、あっ」

 右横にいる女の服の中に手を突っ込んで、色々とまさぐっている。特に下半身を執拗に触っているみたいだ。そして、左横にいる女からは葡萄を手渡しで口に運んでもらっている。

 交渉人がきたというのに、横柄な態度極まりない。が、瞳の奥はかなりどす黒い。こちらが妙な態度をとったら、即座に後ろや前に控えている男たちが胸元に隠している銃でこちらを乱射するだろう。

 こっちが持っている武器は、海賊刀のみ。

 仮に拳銃を持っていたとしても、この人数じゃ勝ち目がない。一人を道連れにするのがやっとだろう。

「まあ、身体のあちこちが痛いですが、ヴディエさんとの商売の方が大事なんでね」

 服の下では分かりづらいだろうが、打撲した箇所を包帯で巻いている。馬鹿者のオーキシュのせいで全員が怪我を負ってしまった、そこまでの傷ではない。

 どいつもこいつもそれなりの修羅場はくぐってきている。

 療養と船番の意味も兼ねて、彼女達には船に残ってきてもらっている。危ないからついていく、イチャイチャしたい、とか各々主張してきたが、全部つっぱねた。

 たまには欲しいのだ。

 自由というやつが。

 奴隷商人だというのに、全く自由がない。むしろ奴隷達の方が自由奔放に暮らしているような気がする。

 独りになりたい。

 たまには独りになって、闇の帳が下りる頃、酒を片手に月を見上げていたい。ひっそりとした空間の中、たまにグラスをテーブルに置く音だけが聴こえる。時間がゆっくりと流れていく。……みたいな、そんな一日をたまには送りたい。

 だが、現実はどうだ。

 くんずほぐれず、奴隷達とあんなことやことをしている。それは確かにいいことだ。だが、娯楽に興じ過ぎると、魂が淀み腐っていく感覚がある。だから魂を研ぎ澄ましたい。

 ならば、独りになるしかないのだ。そして、たまには羽を伸ばして遊びたい。どこに行こうかな。

「これはこれは、嬉しいお言葉です。私もアズウェルさんとこうして商談をするのを心待ちにしていました。……ですが、今日は奴隷の皆さんがいらっしゃらないようですねぇ?」

 下卑た笑い。

 女の肢体を眺めたかったのだろう。

 つくり笑顔を崩さないように、頬の筋肉に力を入れる。

「船に残してきました。船を壊した反省の意味もこめて」

「なるほど。それは残念ですなあ。仕事というものは、メリハリが大事なんですよ。私は女の身体を見て、疲れた心を癒す。まあ、今も仕事中でメリハリなど、できていませんが。ブ、ブヒヒヒヒッ!」

 笑い方が猪というよりは、豚に近い。

 ずんぐりとでっぱっている腹も、ただの豚っぽい。

「……さて、商談の方に入ろうと思いますが。事前に私が発注した通り、例の銃と剣の方は五十ずつもってきてくれましたか?」

「もちろん。持ってきました。船は少し壊れましたが、中身は無事です。そこの人達がここまで持ってきてくれたので全部です」

 往来を屈強そうな男たちと歩いた時には、多少視線を集めて気恥ずかしかった。が、彼らのおかげで重い荷物を持たずに済んだ。

「どうだった?」

 ヴディエが荷物の中身を確認した男たちと話をしている。

 本来ならば、ヴディエ本人が確認すべきなのだろうが、彼は武器の知識について乏しい。男たちに訊いた方がより正確な答えが返ってくる。顔の表情から察するに、どうやら及第点はもらえたようだ。

「ふむ。ではこちらが、今回の代金です」

「ここで確認しても?」

「もちろん、どうぞ」

 差し出されたアタッシュケースを開けると、そこには札束が入っていた。それを一枚一枚確認する。どれだけ信頼のおける相手でも、金の魔力は人を裏切らせる。

 お互いが商人同士であるなら、なおさら金の確認は重要だ。

 それに金の確認はヴディエ本人にも利点がある。金は正確に支払ったのに、あとからやっぱり入ってなかったと、嘘をつく輩がいる。

 どれだけ議論しても、お互いがいる時に金の確認をしなかった時点で水掛け論。最悪の場合は、実力行使で黙らせることになる。

 だからここで金の確認は絶対に必要なのだ。

 ケースの中には十分な額の金が入っていたので、無言で了承の合図を送る。

「それでは、これを。私のサインはもうしています」

 契約書類の細部まで眼を通す。だが、問題はないようだ。さらさら、と慣れた手つきで自分の名前を書く。

「うむ、確かに受け取りました」

 ヴディエは後ろに控えている男に書類を渡すと、にんまりと嫌な笑顔をこちらに向けてくる。

「さて、ここから商談というより個人的な提案ですが、奴隷を譲ってもらえませんか?」

 あー、なんだかそういうことを言われるような気がしたのだ。

 人仕事を終えてほっとしている時には、人間誰しも隙ができてしまう。だからこその提案なのだろうが、流石にそこまで青くはない。

「生憎、今は空きの奴隷がいませんので、お断りします」

「またまた。奴隷商人であるあなたが、空きの奴隷がいない訳ないでしょう?」

 痛いところをついていくる。

 ここで真正面からいません、なんて言えば瞬く間に噂が広がるだろう。……奴隷商人が続けられなくなるような悪い噂が。

「もう予約が入っているんですよ。新しい奴隷をここで仕入れようと思ってたところです。もちろん、今回の交渉もサラマンディアに来た目的の一つですが、奴隷市に参加するためでもあるんです。なんだったら、ヴディエさんも参加してみたらどうですか?」

「いえいえ。私なんかよりも奴隷専門のあなたの方が、掘り出し物を見つけることができるし、値段交渉も的確だ。あなたから私は買いたいんですよ。それに、ほら、なんですか? 奴隷ならあなたの船に乗っているじゃないですか? あれでもいいんですよ、あれでも。ちゃんと下の世話をしてくれるならねぇ」

 ぶちぃ、と何かが切れる音がした。

 腰に携えている海賊刀を無意識に握りそうになるが、なんとか耐える。ここで実力行使にでるような奴は、商人として三流以下だ。

「ああ、言葉足らずで誤解させてしまいましたか。世話をしてもらいたいのは、私じゃないのですよ」

「どういうことですか?」

「ああ、まあ、その……。お前達、下がっていろ」

「ええー?」

「なになに?」

 美女二人は顔を合わせて笑う。

「いいから。あとでたっーぷり可愛がってやるから、今はどこかに行っとけ」

「はーい」

「わかりました。それじゃあね!」

 ヴディエは二人に涎を垂らしながら濃厚なキスを重ねると、満足したようにどこかへと行った。

 権力、金を持つヴディエを信仰する者も少なくない。半獣人にしか興奮しないという人種もいるらしいし、納得はできる。が、自分が女だったら、豚とあんなキスはしたくない。

「ここからは他言無用でお願いしたいのですが、私、最近手に入れたんですよ。――森エルフを」

「なっ――」

 顰め面をしていたが、思わず椅子から立ち上がってしまっていた。いくらなんでも森エルフは想定外だ。おいそれと目撃できるようなものじゃない。

 仮に奴隷市でおめにかかったとしたら、家を三件買えるような値段でも迷わず即金で買い取らせてもらう。

 森エルフは死体だったとしても、はく製にして飾りたいと思う者も少なくない。仮に生きている森エルフだったとしたら、どうやって手に入れたのか。

「ほんとうですか?」

「ええ。この前たまたまウィングスの森に行ったのですが、その森の中で一人でいるのをたまたま見つけましたね。銃で仕留めてやったんです。ですが、なかなかに強情な娘で私の言うことを聴かんのです。鞭で叩いたり、蝋を垂らしてみたりしても、何も反応をしめさんし、飯も食わない。このままでは餓死してしまう。なので、同じような境遇にいる同性の女がいれば少しは変わると思いましてねぇ……」

「……なるほど。それは困りましたね……」

 森エルフは珍しいことでも有名だが、もっと有名なのは必ず集団で行動するという点だ。仲間意識が強く、助け合いながら生きている。集団戦法が得意で、魔法と弓矢が得意と聴いたことがある。

 森エルフの集団に出くわしたら、まず人間では勝てないとも。

 そんな森エルフが単独で行動するなんて聴いたことがない。何やら事情でもあるのだろうが、そんなものは自分にとって関係ないことだ。

ヴディエの申し出は問題外。自分の奴隷をヴディエのような人間に預けることは死んでもしたくない。そもそもあいつらは誰にも渡さない。

 どうしたものか。

 森エルフを手に入れることはできないにしても、商人として知識を得たい。もっと森エルフの話を聴きたい。だが、ヴディエの鼻のつくような喋り方をこれ以上耐えることなどできるのだろうか。

「メスを収集するのは私の得意分野ではありますが、如何せんそれ以外は専門外でして…。そうだ、もしよろしければ、森エルフと会ってくれませんか?」

「えっ?」

「私じゃ、どうすればいいのか。森エルフをせっかく捕獲したのに、このままでは金のなる木をみすみす枯らせてしまう。だったら、奴隷専門家であるあなたの意見を聴きたい。奴隷の中には反抗的なものもいるでしょ? そいつらを黙らせるような方法を知りませんか?」

「それは、まあ……」

「お願いします! アズウェルさん! 金に糸目はつけません!」

 あのヴディエが頭を下げている。

 それだけ手を焼いているらしい。悪い奴が森エルフを悪用しようとすれば、どんな利益を生み出すのか計り知れない。先の未来を見据えているからこそのへりくだり。

 手を貸したくない。貸したくない、が。興味がないと言えば嘘になる。やれるだけのことをやって、できませんでしたと言えばいい。

 もしも口封じのためにこちらを殺そうとしてくれるならば、さっさと逃げ出せばいいだけの話だ。サラマンディア以外にも、商売できるところは山ほどあるのだから。

「……わかりました」

「ほ、ほんとうですか!?」

「ただし、条件があります」

「……条件、というと?」

 警戒するような声色だが、当然の条件を提示させてもらう。譲歩など絶対に許さない。もしも首肯できないのなら、この話は全て白紙に戻させてもらうつもりだ。

「森エルフとは一対一で会わせてください」

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