14⇔同族殺しで親殺しの人殺し

 船の甲板。

 そこに辿りついた時に、眼に飛び込んできたのは――地獄。

 炎が上がり、あちこちから煙が宵闇に溶けていく。

 そして、甲板に這いつくばっているのは、人間だ。

 そして、その人間達は、奴隷であって、奴隷でない者達。

 その、屍がどこまでも視界に広がっていた。

「これ……は……」

 ほとんどが黒炭のように、焼け焦げている。

 どいつもこいつも、無残に虐殺されている。ここまでされるなんて、ただごとじゃない。

「遅かったな、アズウェル……」

 いつもちょっかいを出してくる海賊の船員。

 そいつが責めるような視線を投射してくる。

 だが、責めたいのはこちらの方だ。

「どういうことだ、これは……ッ!」

「奴隷共の反乱だ。馬鹿な奴が隙を見て大砲を撃ったらしい。女船長を助けるとかなんかとか抜かしていたらしいが、たかだか奴隷共が、俺達海賊に勝てるわけがないだろ?」

 現在。

 海賊船と奴隷船は平行して、海の真ん中にとめてある。

 奴隷船から、確かに砲台がある。

 しかし、何故砲台が。

 あんなもの、海賊達が見逃すはずがない。

 ……もしかすると。

 海賊達は奴隷船をくまなく探したつもりであっても、見落としがあったのだろう。隠し部屋の一つや二つ、奴隷船にあってもおかしくない。

 そして、隠してあった砲台を使い、決起したのだ。

 ――無謀な反乱を。

 その結果が、これか……。

「だからといって、これは……」

 あまりにも酷過ぎる。

 人間扱いをしていない殺し方だ。

「分かってる。商品を傷つけるなってことだろ? いいんだよ、そんなこと気にしなくて。どうせこいつらは物なんだ。いくら傷つけようが、いくらでも湧いてくる。奴隷の密輸ルートも訊きだすことができた。今、そこに向かっているところだ。正直、これでよかったんじゃないのか?」

「……良かった? 何が?」

「みせしめになるだろ? いい加減この女どもに色んなことをし尽くした後で、俺も飽き飽きしてたんだよ。もっと面白いおもちゃでも見つけて、いじめたいぐらいだ」

「なるほど……。だから、こんなにひどい傷を負っているのか、奴隷達は……。ただ反乱され、鎮圧した時の傷じゃない……。それより前から、酷い仕打ちを受けていたんだな……」

「そうだよ! お前ってほんと馬鹿だよな。こんなに楽しいことがあったのに、自分は捕虜とおしゃべりってのは、酔狂にもほどがある! 人を虐めている瞬間が、生きているうえで一番の娯楽! 悲鳴を聞くたびに、俺は俺の強さを実感できる! ……ま、今のお前には理解できないか。海賊としてこのままずっと生きていけば、いずれ分かる時がくるだろうよ……」

 征服感。

 それはどんな人間にでも感じることができる悦楽。

 他人を縛り付けることは、大なり小なり人間ならば誰だってしていることだ。

 暴力や言葉など、やり方がみんな違うだけ。

 だけど、それが楽しいと思ったことはない。

 全てが自分の思い通りに物事が為せるのは、一瞬だけだ。

 人間の強さには限界がある。

 この船員は船長には頭が上がらない。

 船長は海軍からは尻尾を巻いて逃げる。

 たとえ、人間の頂点に君臨しても、そいつはいずれ老いて朽ちる。

 いずれは、誰もが死んでしまうのだ。

 うまくいかない時は、どんな人間にでも必ず現れる。

 だからこそ、どう足掻いても自分の思い通りにいかない時にはどうすればいいのか。

 どうすれば楽しめるのか。

 きっと、それがいま一番知りたいことなんだ。

「そうかもな。このままずっと――」

 そのヒントを、あいつが教えてくれた気がする。だから――


「海賊を続けていれば――の話だがな!」


 足掻いてみようと思う。

 自分が本当になりたいものは何なのか。

 楽しいって、笑顔になるってどういうことなのか。

 その答えを知るために、海賊刀を抜く。

 ギィン、と刃物同士がこすれ合う音がする。

 相手も、咄嗟に海賊刀を抜いた。

「お前……。馬鹿か? 今ここで俺に刃を向けて、何かいいことでもあるとでも? あの奴隷商人に何を吹き込まれたんだ?」

「何も。ただ、当たり前のことを当たり前のように教えてもらっただけだ。それに、あいつのことは今関係ない。いい加減、あんたにはうんざりしてたところだ。さっさと片付かさせてもらう」

「馬鹿だな、お前は本当に! お前と俺は互角なんだ! 戦いあっていれば、いずれ他の船員が異変に気がつき、俺に加勢する! そうしたら、見ものだな! お前が複数人からグチャグチャにされるのは――!」

 ギィン、ギィン! と何度も刃が交錯し合う。

 しかし、相手の男の顔色が悪い。

 この夜闇であっても、はっきりと視認できる。

「なっ――なんだ、今までの剣捌きとは重さや速さがまるで――お前、今まで手加減していたのか?」

 相手の海賊刀が宙を舞う。

「ちっ――」

 舌打ちをしながら、中空の海賊刀へと手を伸ばした男の鼻を斬る。

「ぎぃっ!」

 小さな悲鳴を上げる男が蹈鞴を踏んでいる隙を狙い、一気に心臓に突き刺す。

「ぐっ……貴様……」

 肩に手を当てられ、爪を立てられる。

 血が出るが知ったことではない。

 海賊刀を抜くと、杖をなくした足の悪い老人のように倒れ伏す。

 前のめりになった男はまだ息はあるようだが、時間の問題だ。

「ふん。本気で戦っていたわけないだろ。本気で戦っていたら、あんたのこと……とっくの昔に殺していただろうからな……」

 一応、止めを刺しておくために、頭に刃を突き立てる。

 返り血でいっぱいになってしまい、吐き気がする。

 いくら人間を殺しても、この感触に慣れるのは難しい。

「あー、吐きそう」

 海賊刀で人間を斬れば斬るほど、切れ味が悪くなる。

 ポイ、と自前の海賊刀をそこらへんに捨てると、男が持っていた海賊刀をかっぱらう。あいつだって海賊なのだから、文句は言えまい。

 死人から武器を奪うのは当然の行為だ。

「なっ!」

 ランタンを手にした別の男の海賊が声を上げる。

 見つかってしまったようだ。

「なにをやって――ぐぎゃっ!」

 喉元を一閃。

 血しぶきと共に、ランタンが甲板に落下する。

 火が広がっていく。

 男の船員の死体を蹴って、燃料追加してみる。人間の肉は燃えやすいのだろうか。燃やしたことはないから分からないが、服は燃えやすいだろう。

 もう、こんな船みたくもない。

 異常を訊きつけた船員達を、次々に斬り伏せていく。

 アズウェルは、常にこき使われていた。

 死なれてもいいと船員達に嫌われていた。

 だから、他の海賊との戦闘の際、いつも戦闘だった。

 死と隣り合わせの実戦を、最も経験してきたアズウェルの剣はいつの間にか磨かれていった。皮肉にも、彼らがアズウェルを強くしてくれた。

 ――そうして、何人ぐらい斬ったのだろうか。

 海賊船の船員が何人ぐらいいたのか憶えていない。

 百人ぐらいいただろうか。

 武器をとっかえひっかえしながら、仲間だった者達を容赦なく斬っていった。

 奴隷船にも乗り込んだが、生憎と奴隷の生存者はいなかった。死体で遊んでいた奴は、余計に斬り刻んだ。より苦しんで死ねるように、浅い傷を何度もつけた。

 そして、最後の最後に立ち塞がった人間は――

「――アズウェル……」

 海賊船の船長だった。

 フワイラのもとへ駆けつけたのに、まるで独房の扉の門番のように仁王立ちしている。

「……船長、どうしてここに……?」

「それは、お前が確かめればいい……」

 手をさしだす。

 一体何の意味があるのか分からず、凝視する。

 持っていたものを眼にすると、怒りのあまり目の前が真っ白になっていた。

 そして、いつの間にか船長に斬りかかっていた。

 しかし、難なく受け止められる。

「その髪の毛は……お前っ……!」

 船長はどこにも傷を負っていないが、アズウェルは今までずっと戦闘を行ってきたのだ。流石に疲労の色を隠せない。

 全身は傷だらけで、血が噴き出していた。

 だが、フワイラの身が心配でここまできたのだ。

 それなのに、船長が持っていたのは彼女の長い髪の毛だった。

 殺されたのか。

 その焦りが刃を鈍らせる。

 何度も船長の身体に刃を通そうとするのだが、阻まれる。

 傷のせいだけではない。

 いつもの調子がでない。

「貴様は、やはり母親に似ているな……」

「母親……!? 俺に母親なんていたのか……?」

 天涯孤独の身だと思っていた。

 なにせ、両親の記憶など残っていないのだから。

「いたさ」

 瞬間――ギッと人相が人殺しのそれと変わる。


「この私の頬に、傷をつけた憎きあの女はな」


 海賊刀を取り落しそうになった。

「な――に!? どういうことだ?」

「私はずっとお前を殺したいと思っていたのだ。私の海賊としての誇りを傷つけた貴様の母親に復讐するためにな!」

「どういうことだ!? 俺を殺したいと思っていたのなら、どうしてすぐに殺さなかったんだ! どうしてあんたは、俺をここまで育ててくれたんだよ!?」

 例え、近くにいなくとも。

 世間一般の家族のような温かさはなくとも。

 それでも、ここまで育ててくれた。

 衣服や、食事、寝る場所を与えてくれた。

 どれだけ質素であっても、そうした生きる上で必要最低限なものはくれていた。

 そこに恩を全く感じていなかったといえば、嘘になる。

 だが、最初から全て嘘だったのか。

「簡単なこと。そんなことも分からないのか? ただ殺すだけでは私の傷はいえない。あの母親を殺したぐらいでは、到底な……。だから私はお前を育てることにしたのだ。あの母親が必死で守ろうとしたものを殺すことで、私にとって最高の復讐となる! そして、ただお前を殺すだけでは、面白くない……。だから私の手元に置くことにしたのだ……」

「意味が分からない。何の説明になってないぞ……」

「私の高尚な考えが理解できないとは……浅はかだな……。私は今のお前の顔が観たかったのだ! その絶望した顔を! 私のことを父親のように思いながら、その実ただの仇だった! そのことを知ったお前の絶望した顔を観たかったのだ!! ははははは! これでようやく私は願いを成就することができるッッッ!!」

 体重を乗せた海賊刀の一撃。

 振り下ろされたそれを、受け斬ることはできない。

 このままでは、いずれ力に負ける。

「ぐっ……!」

 精一杯がら空きだった腹を蹴る。

 その反動を生かして、後ろの階段に転げ落ちる。

 全身を打ったアズウェルが眼にしたのは――


 既に死んでいたフワイラの姿だった。


 独房の中で横たわっている彼女は、血の中で沈んでいた。

 なにもできなかった。

 その一文が頭の中で反芻される。

 ポロリ、と涙が一滴だけ瞳から零れ落ちた。

 背後で海賊刀を振り上げる者がいても、正直どうでもよかった。

「死ね! 死ね! 死ねぇえええええええ! 私の汚点を消すために、お前は死ぬべきなんだああああああああああああッッッ!!」

 絶叫を上げる船長とともに、振り下ろされる海賊刀。

 深く、深く突き刺さる。

 だが、突き刺さったのはアズウェルの肉体にではない。それは――


 身を挺して守ったフワイラの肉体だった。


 死んでなどなかった。

 ただ血だまりの中で蹲っていただけだった。

 だけど、今の一撃は致命的。

 それでも力を振り絞って、肩に突き刺さっている海賊刀を素手で握りしめている。その力強さに、引き抜こうとする船長の腕も止まっている。

 フワイラのもう片方の手には、アズウェルが持ってきた海賊刀があった。

 そして、フワイラは歯噛みしながら、船長の顔に海賊刀を突き刺す。

「ぐっああああ!! ……ばかな……奴隷商人ごときが……私をおおおおおおお!」

 最期の悪あがきか。

 眼球をやられた船長が海賊刀を適当に振り回す。その際、フワイラの左の五指の数が変わってしまった。

「うっ……」

 痛みを訴えたフワイラを庇うようにして前にでると、アズウェルが船長の腹部に海賊刀を貫通させる。

「あ、ああああああああああああああああ!!」

 耳の奥にこびりつくような絶叫。

 だが、そんなもの訊いている暇はない。

「フワイラ……お前……死んでなかったのか……」

「ほとんど……死んでたけどね……そこの船長さんの声がうるさくて、死にきれなかっただけだ……。それより、私の仲間は……無事……?」

「無事だ」

 間髪入れずに言えたのは奇跡だ。

 もう、フワイラの仲間はいない。

 全滅した。

 どいつもこいつも、炭と黒煙に変わり果ててしまったなど、言えるはずもない。

「……よかった。これで安心して私は死んでいける……」

「何言ってんだ。早く傷を見せて……」

 最後まで言葉を紡げないのには理由がある。

 もう、どうしようもない。

 力尽きているフワイラは、もう自力で立ち上がることもできない。腕の中にいるフワイラの傷から、止めどなく血が流れている。

 ただ、死を待つだけの状態。

 ここに医者がいたとしても、延命措置すらできるかどうか。

「……ね? もう私は無理なんだ……。このまま私はここで死んでいく……。だけど、最期の最期に私の仲間達は救われたし、あなたという友達を助けることができた……。だから、これでよかった……。悪党の死に際にしてはかなりいい方、というか最高だと思うから……」

「待てよ……。お前にだって未練はあるんだろ! だったら――」

「未練ならたくさんある。一番の未練は、お前の行く先を見守れないことだ……」

「俺の行く先……? 自分のことじゃないのか?」

「私はもう、これ以上なにもできない。仮に生き残ったとしても、奴隷商人としての手腕はそれほどなかったんだ……。自分の船を持って、そして自分と重ね合わせた可愛そうな奴隷を救うことしかできなかった……。だが、お前なら……海賊としてずっと戦い続けてきたお前なら、どうだ。私よりもよっぽど強いその戦闘力でもっとすごいことができるんじゃないかって、もっとすごい奴隷商人になれるんじゃないかって、勝手に思ってしまった……。非力な私じゃ救えなかった奴隷をも、お前なら救えるかもしれないとも思って、期待してしまった……」

「フワイラ……」

 まるで消えかけの蝋燭みたいに、フッ、フッ、とフワイラの目蓋が閉じそうになる。

 もうすぐ、死んでしまう。

 何もできない。もう、


 起き上がった船長の海賊刀を避けることすらできなかった。


 完全に不意打ちだった。

「グッ!」

 音が全くなくなったので、死んだと思ったのになんてしぶとい奴なんだ。

「馬鹿がッ! 自ら自分の寿命を縮めやがって! 糞どもが!! どいつもこいつも、俺のいうことだけを訊いていればいいんだ! 私こそが、誰よりも強いんだああああああ!」

「醜いな……。お前ごときじゃ、アズウェルの足元にも及ばない」

 フワイラの呟いた言葉。

 それに反応する船長は、もう目が見えていない。

「なんだと、貴様あああああああ!」

 一直線にフワイラの下へ駆けてくる船長。

 怒りに任せた船長は隙だらけだ。

 そこを狙うように、目配せするフワイラ。

 アズウェルはそれを察して、掌に力をこめる。海賊刀を拾っている時間などない。だから――


「品位は金じゃ買えないんだ。――奴隷商人ですらな」


 手刀で、船長の身体を貫通させる。

「かっ――はっ――」

 グラリ、と傾くと、船長は後ろに音を立てて倒れる。もう二度と起き上がることはないだろう。

「おい! フワイラ!」

 フワイラの瞳に、もう色はない。

 船長は最期の最期で、海賊刀をフワイラに投げた。

 その刃が、運悪くフワイラの身体の深く突き刺さっている。

「だから、私達奴隷商人は生き方で品位を身に着けるんだ。自分にとって、最も正しいと思った生き様で、品位を、正しさを、証明する……。それが、私にとっての奴隷商人だ……。お前は一体どんな答えを出すのか……。それを……見届けたかった……」

 何かに縋るみたいに伸ばしたフワイラの手を――


 アズウェルは、握ることはできなかった。


 最後の、人間としての温かさに触れることができずに、彼女は死んでしまった。

 見殺しにしてしまった。

 アズウェルは、自身にとって唯一無二の友人を殺したも同然だ。

 もっと強くさえあれば、守れたはずだ。

 自分の元仲間だった海賊達を殺した。

 育ての親をも殺した。

 フワイラの仲間達も、救うことができなかった。

 一体、アズウェルにはなにができたのだ。

 ――なにも、できなかった。

 できたとことと言えば、嘘をついたこと。

 フワイラを楽に死なすために、仲間の命は健在であるとついた最低の嘘。

 だが、それすらもただの自己欺瞞。

 自分の心を救うために。

 ただ、楽になるためだけについた嘘だったのではないのか。

 今となってはもう分からない。

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 親の仇をとるために育ての親を殺したというのに、充溢感など微塵も感じなかった。

 何も得ていない。

 復讐者としての満足は、親の顔を記憶していないからか。

 ならば、今日百人以上殺したアズウェルは一体何者なのか。

 海賊なのか。

 それとも、今から彼女の遺志を受け継いで、なるであろう奴隷商人なのか。

 否。

 ただの人殺しだ。

 同族殺しで親殺しのただの人殺しだ。

 今は、何者でもない。

 何者にもなれないのかもしれない。

 炎が船をつつんでいく。上から燃えた船の屑が降ってくる。

 そして。

 海賊船は、フワイラの死体と共に海の底へと沈没した。

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