13⇔牢獄の中の奴隷商人

 船長室から出ると、すぐに堅牢なる檻へと足を運んだ。

 ここに来たのは何度目か。

 一日中監視し続けているせいで、数回しか会ったことがないはずなのに、妙に親しみを感じてしまっている。だが、

「……おい」

 だからこそ、声をかけるのは躊躇われた。

 今から自分のしようとしていることが、あまりにも後ろめたかった。

「どうしたの? 随分、顔色が悪いけど……体調でも悪いのか?」

「いや、そういうわけじゃないんだが……」

 そういうわけではないが、フワイラに心配させてしまっているのが逆に心を痛めてしまっている。ずっと俯いているこちらの様子に、流石に何かを察してしまったのか、


「拷問でもしにきたのか……?」


 先に言われてしまった。

 その言葉はこちらから言うべきことだった。

 肩の荷が下りてしまったような感覚に、自責の念にかられる。

 本当は全部を背負って、フワイラのことを傷つけるべきだった。それなのに、彼女は笑いながらそう訊いてきた。

 そうした方が、アズウェルが傷つかないことを彼女は知っていた。

 でも、その優しさが一番傷つくのだ。

「それは……そうなるかは、あんた次第だ」

「フッ。君はやはり海賊には向いていないな」

「……どうかな。俺は天職だと思っているけど?」

「海賊は、そんな顔をしながら捕虜には接しない。もっと残忍な笑みを浮かべるべきだ……」

「なに?」

 どんな顔をしているのか。

 鏡でもあればすぐに分かるのだが、牢屋にそんなしゃれたものなどない。

「そんな悲しい顔をする君は、きっととても優しい。なんだったら、奴隷商人にでもなってみるといい……。君ならいい奴隷商人になれる。私の次ぐらいにね。それは保障してあげよう」

「奴隷商人? そんなの海賊と変わらない悪党だろう。それに俺は転職するつもりはない。俺はこの船に居続けるって決めたんだ。あの船長がここにいる限りな……」

「義理堅いんだな、君は。船長の恩返しのためにこの船にいるのか」

「船長のためにここにるわけじゃない。ただ、あいつは利用しやすいから、ここにいるんだ」

「そんなこと、私に言っていいのか?」

「いいんだよ。ここに来るのは俺ぐらいなものだろ? それに、この船での俺の地位はこれ以上下がらないさ……。どうも俺はここの奴らとそりが合わないみたいだからな……」

 海賊の船員が、たまに犬に見える時がある。

 舌をベロンと出しながら、唾液を撒き散らす。

 そうして引き千切れんばかりに尻尾を振って、宝石という獲物にしゃぶりつく。

 そういう、理性なき狂った野犬に見えてしまう時がある。

 彼らのように欲望に忠実になれたなら、どれだけ精神が楽なのだろうか。

「だったら、猶更だよ……って言っても無駄なのか? 君は結構頑固みたいだからね……」

「頑固?」

 どこが頑固なのか。

 結構へりくだっている自負はあったのだが、他人から見ると違うのか。

 まあ、そのへんは置いておくとして。

「――あんたに訊きたいことがある。奴隷の価値についてだ……」

「…………! そういうこと。なーんだ。私の船には奴隷なんていないって前にいったのに、もう忘れちゃったのか……」

「分かってるさ、そんなことは……。仲間に値段をつけるのは憚れるだろうが、もし値段をつけるとしたらどれぐらいの相場になるのか、それが知りたいんだ」

「人間の命に価値をつけるなんて、ね。確かに解放奴隷にした私の奴隷の値段は憶えているけれど、それでもそれを話すわけにはいかない……。たとえ、友達である君にもね……」

「――もう一度聞く。相場を教えて欲しい」

 これが最後の忠告だ。

 頼む。

 でたらめでもいい。適当に値段をつけてくれるだけでいい。そうしてくれたら、こちらも痛い目にあわせずにすむのだ。

 だけど、

「ごめん、やっぱり無理だ」

 やはり、彼女はそういうと、心の中で諦観していた。

「そうか……。残念だ……」

 檻の鍵を開けるのは慎重でなくてはならない。

 逃げ出す危険性があるからだ。

 もしも、ここでフワイラを逃がしてしまったら、とんでもないことになる。

 ここから脱出できたとしても、他の船員がうじゃうじゃいる中、逃亡できるはずがない。捕まって、さらなる拷問が待っているだけだ。

 だとしたら、ここでキッチリ、アズウェルが最低限の拷問をした方が彼女のためなのだ。それなのに、なかなか鍵が錠に入らない。

 手が、震えてしまっている。


「ねえ、人を殺したことある?」


 と、冷や水を浴びせられたかのように、手が止まってしまう。

「…………」

「私はあるよ。奴隷を傷つけようとした人を、ね。奴隷の居場所を知るために、拷問だってした。それでも私は奴隷商人を続けている。自分がやってきたことが返ってくることなんて覚悟の上で、やり続けている。だから、怖いけど、仕方ないって思う……。命乞いぐらいはしてもいいのか?」

「別に殺すつもりはない。はずみで殺すかもしれないが、わざと殺すつもりはない……」

「ううん、私の命じゃない」

 フワイラはどこまでも真っ直ぐ澄んだ瞳をしながら、


「あの子たちの命だ」


 そんなことを言ってのけた。

「……あの子たち?」

「もしも私が普通の人間だったら……生まれつき、奴隷じゃなったとしたら……。私は、もっとまっとうな人生を歩めたのかもしれない。そうしたら、私は母親になれたのかもしれない。でも、今こんな状況で子どもなんて産めるわけがない……。だから私にとって、あの子たちは……私の船の仲間は……家族みたいなもので……。私の命よりも大切なものだ。……だから、約束して欲しい……。あの子達の命だけは奪わないで……」

「……それは……」

 アズウェルが決定を下せるはずがない。それは、船長が決めることだ。だが――


 ドォオオオオオオオオオオオオオンッッッッ!! と、爆発音が木霊する。


「今の音は……!?」

 爆発音。

 すぐ近くで聴こえた。

「分からない……。敵襲か?」

 拷問をしている場合ではなくなかった。速く駆けつけて、状況を把握しなくてはならない。走り去ろうとしたら、

「待って!」

「なんだ?」

「気を付けて……」

 敵だというのに、今まさに傷つけようとした相手にかける言葉ではない。

 だから、そんなものは無視していいはずだった。

 だが――そんなことできるはずもなかった。

「ああ……」

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