第13話 本当の気持ち
この数週間の間に、めまぐるしく私の周りの状況が変わっていった。
自分自身の気持ちの整理がつかないまま、ただ時間だけが過ぎていく毎日。
そんな中、たった一つだけわかっていることがあった。
タツヤに本当の気持ちを伝えなければならないってこと。
ナオを傷つけてまで自分が選んだタツヤ。
どんな結果であろうと、自分が傷つこうと、その思いを告げることがナオへの償いにもなるような気がしていた。
それも自分勝手な考えだけれど。
ドタキャンしたナオの両親との挨拶。
それだけは、時間が経っても胸に疼く痛みはなかなか消えてくれなかった。
あれほど、私を大切に思ってくれていたナオに、何てことしてしまったんだろう。
もっと早くナオに伝えるすべがあったはずなのに、
結局自分かわいさに、ナオにひどいことをしてしまった。
これだけは、どんなに謝っても許されることではなかった。
そんな中、ミユに言われて少しだけ救われた言葉。
「男女の別れはどちらも傷つき痛みを伴うもの。お互いに本気で相手を考えていたから痛みを感じられる。どうでもいい相手には痛みは感じないものよ。」
あのとき、ミユがいてくれて本当によかったと思う。
私は本当に女友達に恵まれているよね。
ミユにしても、アユミにしても、結局いつも最後には助けられてる。
彼女たちなしでは、今の私はあり得ない。
結婚も恋愛も、もちろん相手ありきだけど、それ以前に女友達ありきなのかもしれない。
「ふぅ。」
ベッドにもたれて、一枚の紙切れをぼんやりと眺めていた。
その紙切れには、アユミが入手してくれたタツヤの実家の住所が書かれていた。
福岡か。
一人で、行けるんだろうか?タツヤに会いに。
住所を見た瞬間、いきなり現実に引き戻されて、尻込みしている自分。
ミユにはあれだけはっきりと豪語していたのに情けない。
タツヤは今頃何してるんだろう。
もう仕事は見つかったんだろうか。
あれから、タツヤからのメールはなかった。
なんとなく、自分からメールを打つ勇気もなくて、いたずらに過ぎていく日々。
タツヤが辞めてからちょうど一ヶ月が経とうとしていた。
そのとき、突然携帯が鳴った。
ドキン。
だ、誰だろう。
そっと携帯を開いた。
「ナ・・・ォ?」
久しぶりに見るナオからの着信だった。
緊張と不安を抑えきれず、深呼吸をして携帯に出た。
急に電話だなんて、一体どうしたんだろ?
「は、はい。」
「久しぶり。その後元気?」
懐かしい声が携帯から聞こえてきた。
もう何年も聞いていなかったような、遠い記憶が少しずつ蘇るような感じ。
妙に冷静なナオの声に、いつしか私の心臓も平静を取り戻していった。
「うん、元気。ナオは?」
「なんとか、ね。」
ナオは少しだけ笑った。
「この間はごめんなさい。ナオを深く傷つけてしまったこと、ずっと気になっていたの。」
ナオは携帯の向こうで軽くため息をついた。
「ずっと気にしてくれてただけで、僕の気持ちは救われるよ。」
ナオはいつだって大人だった。
こういう時ですら、私を傷つけないように言葉を選んでくれる。
「僕の方こそ、あのときは頭に血がのぼっちゃって、冷たいこと言ってごめん。それだけきちんと謝っておきたくて。」
「それで、わざわざ電話くれたの?」
「うん。あともう一つ。明日、ニューヨークに発つよ。」
そっか・・・。
もうそういう時期だったんだね。
「準備は万端?」
「まぁね。正直気持ちは不安だらけだけど、行ったら行ったで何とかなるかな。」
うん。
ナオならきっと大丈夫。
どこでだって、しっかりやっていける人。
「本当は会って話したかったけど顔見たらきっと僕の決意もにぶっちゃうから。」
「決意?」
「もう二度とハルとは会わないっていう。」
そうだね。
もう別れてしまったんだもん。
そういうけじめはいくら大人の関係でも必要だって思う。
「ま、もし僕が日本に戻ってきて、偶然ハルが前から歩いてきた時くらいは声かけさせてもらうけど。」
「そうだよね。それで無視はあんまりでしょ?」
不思議ととても穏やかな気持ちで笑っていた。
「最後にハルの笑い声が聞けてよかったよ。本当にありがとう。元気で。」
「ありがとう。体に気をつけて。」
そして、静かに電話は切れた。
ナオ、本当にありがとう。
あなたと出会えてよかった。
きっと私の人生に意味のある時間をくれていたよ。
携帯電話をベッドの上に置き、タツヤの住所が書かれた紙切れを、もう一度手にとる。
「行こう。」
私の気持ちを伝えに。
翌日、会社帰りに新幹線のチケットを手配した。
一応、片道だけ。
だって、一日だけだったら会えるかどうかもわからないし。
もし会えたとしても、すぐに帰ろうって気持ちにはならないかもしれないって思ったから。
これは、いい方に転んだ場合だけどね。
その日の夜、ミユに電話をかけ、チケット手配したことを報告したらすごく驚かれた。
「まじでチケットとると思わなかったよ!せいぜいチケット代が無駄にならないようにしっかりやんなよ。」
ミユからもらう言葉はいつも私の気持ちの支えになる。
そうだよね。
片道1万ちょいも払って買ったチケット。
無駄に使いたくないよね。
本当なら、タツヤに一言メールを打ってから行ってもいいんだけど、
あえてやめておいた。
これも、一つの賭。
縁があるなら、きっと偶然に導かれるはず。
タツヤのそばへ。
会えないはずはないって、今は思ってる。
会って話さなければ、何も始まらない。
チケットをとってから、あれよあれよと日々が過ぎていき、とうとうその日が来た。
金曜日の夜とだけあって、新幹線のホームはごったがえしていた。
18時15分発。
チケットの席番号を確認して、乗り込む。
あえて通路側を指定していた。
だって、一人なんだもん。
トイレ行くとき、窓際だったら気を遣うじゃない?
この年にもなって、一人で新幹線に乗るなんて実は初めてだった。
今までは友だちや家族と一緒だったから。
だから、なんとなく落ち着かない。
そうこうしている間に新幹線は動き出した。
窓際のお隣はまだ空いたまま。
乗る前に買ったお弁当を早速開く。
お隣さん来る前に食べといた方がいいよね。
さて、割り箸を割ってご飯をほおばろうとしたそのとき。
「すみません。」
斜め上の方で低音の声が響いた。
顔を上げると、サラリーマン風の男性が申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
あ。
窓際の席の人だね。
来るの遅いっつうの。
心の中で舌打ちしながらも、顔は笑顔を作って前を通りやすく空けてあげた。
その男性は席に座ると、私のお弁当をちらっと見やりながら、
「せっかくのご馳走食べようとした時に、申し訳ありませんでした。」
と言った。
「いえいえ。」
恥ずかしい-。
そういうこと、いちいち言わないでほしいよね。
余計気まずいじゃない。
しかも、めちゃくちゃ食べにくいし。
だけど、減るお腹はどうにもならない。
私は覚悟を決めてお弁当を食べ始めた。
この男性。
年は私と同じくらいか、少し下くらい?
眼鏡をかけているけど、眼鏡の奥に見える目はとても大きくてまつげが長かった。
ふぅん。
なかなかのイケメンじゃない。
お弁当を食べながら。対岸の窓ごしに、隣に座る男性を観察していた。
その男性は、座るとすぐに新聞を広げて、真面目な顔で読みふけっている。
この人はお腹すかないのかしら?
私のお弁当のにおい、絶対胃に刺激をもたらしてるはずなんだけど。
っていうか、私一人で食べるより、隣の人にも食べててもらう方がリラックスできるのにな。
すると、思いきり窓越しに目が合った。
げっ。
窓越しに見まくってるのばればれ?!
すると、その男性は意外にもにんまり笑った。
そして、私の方を見て、
「俺もお腹空いてきちゃったな。」
と言った。
なんだかものすごく恥ずかしいんですけど!
「す。すみません。お弁当のにおいまき散らして・・・」
私は思わず首をすくめて、その男性に謝った。
男性は笑いながら、
「いいえ、俺もちょうど食べようと思っていたんですよ。」
と言いながら、茶色い包みからおにぎり三個と唐揚げを出してきた。
うわ。
なんかまさに独身男性がチョイスしたって内容。
その男性は、そのまま、私の存在なんか気にせずに、おにぎりにがっつき始めた。
ま、その方が気楽だわ。
私も残りのお弁当をきれいに平らげると、急に睡魔が襲ってそのまま眠りこけていった。
どれくらい寝ていたんだろう。
耳元で、「すみません。」という声が聞こえた。
重たいまぶたをそっと開けると、隣の眼鏡の男性が間近に見えた。
すぐに我に返る。
「は、はい!」
慌てて、姿勢を正して男性の方を向いた。
「あの、終点ですけど。」
「へ?」
窓の外を見ると、『博多』の文字が飛びこんで来た。
「私ずっと寝てたんだ・・・ありがとうございます。」
「いえいえ。気をつけて。いい旅を。」
その男性は優しくほほえむと、私の前を通って、そのまま新幹線を降りていった。
ふぅ。
とうとう来ちゃった。
時計を見ると、22時少し前だった。
予約している駅前のホテルにとりあえず向かう。
明日に備えて、今日はしっかり寝なくちゃ。
帰りの新幹線では、私はどんな気持ちで乗ってるんだろう。
そう思うとどきどきが破裂しそうだった。
その日の晩は、案の定なかなか寝付けなかった。
色んな思いが頭をよぎる。
突然、タツヤを尋ねていくなんて、どう考えても無茶な話だもんね。
きっとタツヤも面食らうはずだし、そういうことされて嫌な気持ちになったりしないだろうか?
最初に何て言おう。
「元気?」
なんて月並みな挨拶でいい?
突然現れて「元気?」なんて、何考えてるの?なんて思われやしないかしら。
どういう風に話を切り出せばいい?
少し歩こうか?とか促してみる?
はぁ・・・。
考えれば考えるほどパニックになりそう。
それ以前に、タツヤに会えるかどうかさえも怪しいのに。
とにかく寝なくちゃ!
30過ぎると、寝不足はお肌に大敵なのよ。
明日、タツヤに会うのに、目の下にクマ作っていってどうするの!
でも、寝ようとすればするほど、時計の秒針の音が妙に部屋に響いて、時間だけが無駄に過ぎていく。
無駄に過ぎるくらいなら、本でも読もうと、持ってきた単行本をバッグから取り出した。
ベッド脇の電気をつけて、本を開く。
当然、頭には何も入ってこない。
さっきから一ページも進んでないじゃない!
ため息をつきながら、小説の文字をぼんやりと眺めていたら、いつのまにか寝てしまっていた。
なんとなくまぶしいような気がしてゆっくりと目を開ける。
朝日が窓からきらきらと差し込んでいた。
時計を見ると、朝の7時だった。
少しでも睡眠がとれたことに安堵する。
これで少しは肌つやもいいはず?!
身支度を調えて、少し早いチェックアウトを済ませた。
朝ご飯は、朝マック。
朝マックなんて何年ぶりだろう。
香ばしいコーヒーの香りに癒される。
ただ、そんな香りに癒されながらも、幸せにひたるほどの余裕は今の私にはなかった。
いつもの半分くらいの朝ご飯でお腹がいっぱいになる。
まだ早いよなぁと思いながらも、タツヤの実家に向かうべく電車に乗り込んだ。
見慣れない風景が窓の外を流れていく。
穏やかな緑と青い空がまぶしい。
タツヤはこんな場所で生まれ育ったんだね。
それだけのことなのに、妙な孤独感。
知らない場所、知らない人たち、知らない過去。
知ってるのは、つい最近までのタツヤだけ。
タツヤ、とにかくあなたに早く会いたい。
不安で押しつぶされそうな気持ちを必死に持ち起こしながら、タツヤの実家がある駅に降り立った。
時計を見ると9時半。
まだ9時半?
いくらなんでも、早すぎるよね。
タツヤも、寝てるかもしれない。
せめて10時までは我慢しなくちゃ。
駅前の公園までぶらぶらと歩いてみた。
さすがに土曜の朝とあって、人気はまだ少なかった。
広場ではお年寄り達がゲートボールをしてる。
中年夫婦がランニングしている姿もあった。
私みたいなのは、私だけ。
ベンチに座ってみる。
ひんやりとした風が頬をなでた。
こんなにも30分という時間が長く感じることは、今まであっただろうか。
仕事してたら、30分なんてあっという間なのにね。
足りないくらいの時間なのに。
携帯を開いてみる。
あ、メールが入ってた。
ミユからだった。
『おはよ!どう?しっかりタツヤさんと話しておいでね。いつでも電話待ってるから』
ふふ。
いつもありがとね。
ミユのメールを見て、少し気分が和らいだ。
ミユに返信を打って、しばらくすると10時になっていた。
決戦の10時が来ちゃったよ!どうしよう?
どきどきがマックスになる。
呼吸するのも苦しい。
逃げ出したい気持ちになるけれど、ここまで来たんだもの。
やらなければいけないこと、しっかりやってこなくちゃ。
私にはミユもアユミもついてるんだから!
ゆっくりと携帯を開いた。
少しふるえる手で、タツヤの携帯番号を選択した。
深呼吸をしながら、携帯を耳に当てる。
タツヤは起きてるかしら?
携帯に出てほしいような欲しくないような、複雑な気持ち。
しばらく呼び出し音が鳴った後、低音の少し面倒くさそうな声が聞こえた。
「はい?」
タ、タツヤだ!心臓が口から飛び出しそう。
「あ、朝早くにごめん。久しぶり。」
「・・・。」
「突然ごめんね。私・・・なんだけど。」
タツヤの無言に耐えられなくなって、思わず涙があふれそうになる。
「ねーさん?」
ようやく、タツヤのいつもの声のトーンで返事が返ってきた。
ねーさんっていう響きを聞くだけで、胸がふるえた。
ずっと聞きたかったタツヤが私を呼ぶ声。
まだ1ヶ月しか経っていないはずなのに、タツヤのその声がとても懐かしく感じられる。
左手でぎゅっと胸を押さえた。
「うん。元気?」
「どうしたの?急に。」
タツヤの声は想像していたよりも優しかった。
というか、いつもみたいな力強さが消えていたからそう聞こえたのかもしれない。
「今、どこにいると思う?」
一呼吸置いてから言ってみた。
「え?自宅、じゃないの?」
「へへ、実は、今タツヤの実家の近くに来てるんだ。」
その状況を理解するのに時間がかかっているのか、その次の言葉がなかなか返ってこない。
「・・・まじで?」
ようやく返されたタツヤの声が意外にも明るいことにホッとした。
ここに来てること、嫌じゃなかったのかな・・・?
「どうして、こんなとこまで来たのさ?」
タツヤは半分呆気にとられているようだった。
「タツヤのことが気になって。あと、伝えたいことがあったから。」
「わざわざ?」
「そう、わざわざ。」
「相変わらずだね。」
「何が相変わらずよ。」
久しぶりのやりとりに、気持ちがポカポカとしてくる。
「で、具体的に今どこにいるの?」
「タツヤの最寄りの駅前の公園。え~っと、中池公園・・・って書いてある。」
「へー、こっちに来てるって冗談じゃなかったんだ。ぶったまげたな。」
タツヤは独り言のようにつぶやいた。
「俺、今起きたとこだからすぐ用意してそっち向かうよ。少し待ってて。」
「うん。」
そして携帯は切れた。
もうすぐ、タツヤがやってくる。
どうなっちゃうんだろ。
私は、しっかり気持ちを伝えられるんだろうか?
一人で誰かを待つって、あまり好きじゃないけど、今はいくらでも待ってられるような気がした。
少しずつ、タツヤに会える時間が迫ってると思うだけで、信じられないくらいに胸が高鳴った。
緊張とか不安とかとは違う、味わったことのない新しい何か。
体中から溢れでてくるエネルギーがしっかりと胸の鼓動となって伝わってくるのを感じていた。
「ねーさん?」
後ろで声がした。
振り返る。
タツヤがそこに立っていた。
また少しやせたように見える。
慌ててきたのか、よれよれのシャツを無造作に着ていた。
「電話もらった後も、まだ半信半疑だったんだ。でも、まさか本当にここにいるなんてさ。まじでやばいよ。」
タツヤは、そう言いながら、わざとらしく目をこすった。
「でも、よかった。こんな風に押しかけて、タツヤが嫌がるんじゃないかって少し心配してたの。」
タツヤは目をふせて、少し笑った。
「嫌なわけないじゃん。うれしいよ。」
「本当?」
「うん。遠いのに、わざわざこんなとこまで来てくれてありがとう。」
妙に真面目な顔をして言われたもんだから、一気に自分の突飛な行動に対する恥ずかしさで顔が熱くなった。
「ここで話すのもなんだから、駅前の喫茶店にでも行く?」
タツヤは駅の方を指さして言った。
「ううん。ここでいい。」
私は首を横にふった。
「ここ?」
タツヤは驚いた顔をして、地面を指さした。
なんとなく、喫茶店みたいな閉塞感のある場所で話すより、外の風を感じながら、二人きりで話したかった。
その方が、周りを気にしないで、お互い話せるような気がしたから。
タツヤは、私の横に少し距離を置いて座った。
その少しの距離が切なかった。
「その後、どう?毎日なにしてるの?」
タツヤはふいに表情に陰を落とした。
「ああ、一応職探ししてる。なかなか思うようには行ってないんだけどね。」
「じゃ、まだ決まってないんだ。」
「そう。やっぱ難しいわ。この年齢でキャリアもそんなにない状態での再就職ってのは。」
「今までみたく営業路線で探してるの?」
「ん、とりあえずは。俺、営業って仕事はやっぱ好きだったからさ。」
そっか・・・。
本当は、公務員とかは?営業以外の仕事もやってみるのもおもしろいかもよ、なんて言いたかったけど、タツヤのこけた頬を見たら何も言えなかった。
「そんなことより、ねーさんは、その後元気?」
「まあね。」
「例の彼氏さんほったらかして、こんなところに来てていいの?」
タツヤは私から顔を背けて言った。
「実は別れたんだ。」
タツヤの目だけが私の方に向いた。
「なんでまた。素敵な彼氏さんじゃなかったの?」
私は息を深く吐いた。
「素敵な人だったわ。本当に、結婚のすぐ一歩手前まで話が進んでた。」
「じゃ、なんで別れるのさ。」
「私さ。ずっと結婚って、自分にとって何だろうって考えてきたんだ。」
「何なの?」
「結婚は自分一人でするもんじゃない。相手があってこそ。選んだ相手と一生支え合って生きていかないといけない。それは決して一方的なものであってはいけないの。自分だけ幸せにしてもらおうとか、支えてもらおうとか、じゃなくて、お互いに自然体で支え合っていける相手と結婚しなきゃならないって思ったの。私は別れた彼の前では自然体じゃなかった。それに、相手を幸せにしたいとか支えたいっていう気持ちが、どうしても十分に持てないことに気がついた。きっと、お互いに結婚するべきタイミングじゃなかったんだって思う。」
タツヤは同意するわけでもなく、否定するわけでもなく、ただ黙って聞いていた。
「あと、彼との別れを決意したときに、もう一つ気付いたことがあるの。」
自分の気持ちに任せてしまおうと思った。
「今は結婚とかどうだっていい。タツヤ、あなたのそばにいたい。」
心臓が痛いほどに震えていた。
緊張しすぎて顔の筋肉がしびれている。
タツヤの顔を見れなかった。
これほど沈黙が恐ろしいと思ったことはない。
公園に何本もそびえ立っているクスノキの木漏れ日がユラユラと地面に揺れていた。
タツヤは目を閉じてうつむいていた。
早く何か言ってほしい。
思い切って告げた言葉だけがポツンと置き去りにされて、時間と共に現実味が薄らいでいく。
どれくらいの沈黙があっただろう。
タツヤが静かに言った。
「ごめん。」
ごめん・・・。
心の中で反復する。
「俺、今は誰かを支えたり支えられたり、誰かを愛したり愛されたり、そういう関係を築く余裕が全くないんだ。ねーさんのことを大事に思ってるとかそうじゃないとか、それ以前の問題で、俺、これから先どうすればいいのか、本当に・・・。」
タツヤはそのまま頭を抱えてふさぎ込んだ。
そうだよね。
そうだったよね。
どうして、タツヤに言われるまでにそんな簡単なことが理解できなかったんだろう。
私が今回タツヤに告げたことは、とても一方的な気持ち。
そんなこと言われて、タツヤが余計に苦しむことなんて考えもしなかった。
少しでも今のタツヤの支えになりたいだなんて、傲り以外の何物でもない。
タツヤの気持ちはタツヤにしかわからない。
どれほどの不安を抱えて、今ここに座っているのかなんて、誰にもわからない。
タツヤ・・・
ごめん・・・。
タツヤのことをわかってたはずだったのに、わかってたつもりだったんだ。
おそらく、アユミもミユもタツヤも気付いていることを私だけが気付いていなかったんだね。
今のタツヤを選んではいけないって。
きっとそういうこと。
自分が情けなくて、横でうなだれているタツヤに言葉の一つすらかけられなかった。
きっと、今は「ごめんね」という言葉すらもタツヤを傷つけてしまうんだろう。
私は、タツヤの肩をそっと抱いた。
そして、タツヤと一緒に泣いた。
別れ際、タツヤが少し笑って言ってくれた言葉。
「ねーさんが、ここまで会いに来てくれたことは、まじですごく嬉しかった。ありがとう。」
優しいね。タツヤは。
こんな情けないねーさんなのに、きちんと私の気持ちを浄化してくれる。
タツヤはきっと大丈夫。
そういう気遣いがいつでもできる温かい人だから。
「落ち着いたら、また会えるといいね。」
タツヤはそう言って右手を挙げた。
「うん、そうだね。祈ってる。」
そう答えながら、多分タツヤとは二度と会えないと感じていた。
タツヤの住む街から遠ざかりながら、私の気持ちは妙にすっきりと澄んでいた。
自分の気持ちを伝え、そしてタツヤの今の気持ちをはっきり聞けて、きちんと決別できたからだと思う。
30も過ぎて、ようやく男女のなんたるやが少しわかってきた。
これが遅すぎるのかどうかはともかくとして。
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