第12話 結婚相手

自分にはなすすべがない状態だった。

タツヤが辞めていく背中をじっと声を殺して見つめるしかできなかった。

そんな自分がはがゆい。

私はタツヤにもっと何か言わなければならなかったことがあるはずなのに。

その後、タツヤのいない社内は、いつの間にか普段通りの活気を取り戻していた。

元々タツヤなんて存在していなかったかのように。

でも、私にはその状態に違和感があった。

いて当たり前だった存在が、いなくなってしまうなんてこんなにも心細いものなのかってわかった。

コピーをしていても、つい、あいつがくだらないこと言いながら背後から近づいてくるんじゃないかとか。

廊下を歩いていたら、前からふと表れて「化粧濃すぎるって。」って笑いながら指摘されるんじゃないかとか。

食堂であいつのでっかい笑い声が響いてくるんじゃないかとか。

その、たった一人の存在が、こんなにも大きかっただなんて、今更気付いた。

私にとって、タツヤは・・・。


ぼんやりと過ごしているうちに、土曜日の朝が来た。

ミユとの待ち合わせの時間が近づく。

そう。

今日はナオの両親と会う日だった。

着ていく服を、ミユが一緒に見繕ってくれる予定。

本当は、ナオの両親と会うなんて気分じゃない。

ナオの顔を見るのさえ、辛い状態だった。

なのに、キャンセルできない自分がいる。

どこまで馬鹿なんだろね。

本当に。

結婚相手として過不足のないナオ。

私にはもったいないくらいのナオ。

そんなナオに愛されてる私は幸せ。

それを幸せっていうの?

「ごめんごめん、待った?」

息をはずませてミユがやってきた。

「ううん。大丈夫。忙しいのに、今日はわざわざごめんね。」

「いいって。私もずっとハルナのその後が気になってたし。」

ミユは腕時計に目をやった。

「御両親と会うまであまり時間ないよね。さ、ちゃっちゃと探しに行くよ!」

私の気持ちを、ミユはまだ知らない。

普段通りのテンションのミユに、逆に安心感を覚えた。

さすがミユ。

私に似合であろう服を置いてるお店をどんどん案内してくれる。

「やっぱさ、最初は清楚なワンピースと白いカーデガンに限るって。」

定番だなーなんて思いつつ、ミユの言われるがまま試着していった。

「これ、いいんじゃない?」

ミユの選んだコーディネートは本当に定番の定番。

ベージュのワンピに白いカーディガンだった。

「これで間違いないよ。」

「うん。そうする。」

力なくほほえんで、そのままレジに並んだ。

買った後すぐに着替える。

着てきた服はコインロッカーに預けた。

「これでよし。きれいだよ、ハルナ。」

ミユは私の肩をポンとたたいた。

「ありがとう。助かったよ。」

ミユは私の方を見ずに言った。

「何か話あるんじゃない?まだ少し時間あるから、お茶でもしよっか。」

ミユは私の腕を掴んで、デパート内にあるおしゃれなカフェに入っていった。

迷いのないミユの言動。

いつもまねしたくてもまねできなかった。

彼女の歩く道は、常にまっすぐの一本道のような気がする。

曲がったり、うねったり、時々行き止まりで引き返したり。

そんな姿をあまり見たことがなかった。

私はいつだって、道に迷っているのに。

頼んだアイスティーがテーブルに運ばれてきた。

慌ただしい時間から解放されて、気持ちが安らいだ。

「今日はナオさんの御両親と会うんだね。ハルナの中では、もうナオさんに決まったんだ。」

「・・・。」

言葉の出ない私の方を首をかしげて見つめるミユ。

「なになに?この期に及んでまだ迷ってんの?」

私は軽くため息をついて、今の状況を簡単に説明した。

タツヤが仕事に失敗して、会社を辞めて福岡に戻ってしまったことも。

すべて聞き終えたミユは少し厳しい顔をして私に尋ねた。

「だから?」

いつになく厳しい目に思わず視線を外した。

「だから・・・自分でもどうすればいいかよくわからないの。」

「正直に言うわね。」

「うん。」

「タツヤさんはやめておきな。」

ミユ?

あなたまでタツヤを否定する?

「それから、ナオさん。」

「・・・ナオ?」

「そんな気持ちで結婚なんか無理よ。」

「え。」

「結婚って、そんな生やさしいもんじゃない。ハルナは結婚を夢見る夢子ちゃん。」

ひどい。

私だって、こんなに真剣に悩んでるのに!

思わず、反論したくてミユの顔に視線を上げた。

「家庭を持つって、大変なことよ。生活していかなきゃなんないの。二人で恋人ごっごは結婚したらもう終わり。相手を信頼し、信頼してもらい、色んな問題に立ち向かっていかなくちゃなんないのよ。子どもができて、一緒に育てて、時には一緒に悩んで、けんかして、それでも一緒に生きていかなくちゃなんないの。戦場だわ。」

「戦場?でも、ミユのおうちではそんな雰囲気全くしないよ。いつも笑顔があふれてて、旦那さまとも仲良しで、楽しい家庭じゃない。」

ミユは軽く笑った。

「ハルナに見えてるのは氷山の一角。その笑顔を作るのに、どれだけの苦労してると思う?運命の相手とですら、それは容易なことではないのよ。子育てだって、毎日毎日同じことの繰り返し。だけど、私は子どもを守らなくちゃならない。自分のことは全て後回し。何よりも子どもや旦那さんや生活を重視して生きてるのよ。時には泣きたくなるほど、苦しいし、子どもに当たってしまうこともあるけど、だけど、踏ん張らないといけないの。」

ミユからこんな話を聞くのは初めてだった。

ミユの頬は興奮のせいか少し紅潮していた。

「私はハルナには幸せになってもらいたい。だからこそ、しっかり今を見つめて、大事なことから目をそらさずに決めてもらいたいの。そんな気持ちで、ナオさんと結婚してもいい家庭なんて築けない。いくらナオさんが愛してくれても、一人だけの力ではどうしようもないのよ。それはハルナも薄々気付いてるはず。」

ナオの愛。

それだけでは成り立たないことは、私も、そしておそらくナオも気付いていた。

きっとナオにとって、今日、両親に会わせることが最後の切り札になることも。

ミユの言葉で目が覚めたような気がした。

私の中では、もう全てがはっきりしていたはずなのに、結局結婚に意識が向きすぎて答えを出せずにまごついていたんだ。

今は・・・

結婚なんかできない。

誰とも。

誰が好きとか、誰と結婚したら幸せになれるだとか、

そんなことは、まだ結婚を意識する前の段階。

結局、ナオ、そしてタツヤと出会っただけで、結婚を決定するだけのものは、何一つ育っていなかった。

そんな状態で、ナオの両親となんて会えない。

「わかった。」

私は力のこもった声で答えた。

「これから一人で大丈夫?」

ナオの両親と会えないこと、ナオに早く伝えなければならない。

それは、ナオをひどく傷つけること。

そして、ナオとの別れを意味すること。

こんな土壇場でそんなことを告げる私が非常識な人間だって思われること。

一人で大丈夫?

ふと、一人で辞めていったタツヤの背中が私の頭に浮かぶ。

「うん、大丈夫。ミユ、本当にありがとう。」

私はある意味清々しい気分でミユに笑った。

そして、笑いながら軽くため息をついた。

「また結婚遠ざかっちゃうね。」

ミユは口元を緩めたまま、首を横に振った。

「ミユはやっぱりすごいよ。全ての言動に迷いがないもの。結婚だって、きっと誰にも相談せずに自分の運命を信じて決断できたんでしょう?うらやましいな。」

「それは違うよ、ハルナ。私が今の旦那と出会うまでにどれほど迷って迷って辛い思いしてきたかハルナは知らないでしょ?」

「そうなの?」

そういえば、結婚までの課程について、ミユからじっくり聞いたことがなかったっけ。

結婚の報告があった日の幸せそうなミユの顔を見ただけで、私も満足しちゃってた。

「旦那と出会う前に、結婚ぎりぎりまで行ってた男性がいたのよ。」

「本当に?!」

「だけど、ミユと一緒。なんかこう、特別断る理由もないんだけど、結婚に踏み切るほどの勇気もなくて、結局相手をひっぱったあげく別れちゃった。」

「そうだったんだぁ、ミユでもそんなことあったんだ。」

「で、旦那とその後すぐに出会ったんだけど、これまたなんとなく煮え切らなくてさ。」

「え?!でも旦那さんには『これだ!』っていう運命的な感覚があったんじゃなかったっけ?」

「あはは。出会ってすぐに運命感じるなんてよっぽどよ~!出会って、悩んで悩んで、迷って迷ってるうちに、ふと気付くの。あ、この人なんだって。」

ミユのその言葉は、妙に私を納得させていた。

運命は悩んで迷っている中でふと気付くもの。

「結婚って、簡単に決めれそうで決めれないもの。絶対に。迷って悩んで、迷って悩んで、悩みまくって決断した人の方が幸せになってるような気がする。統計的に。」

「統計的に?って何かデータでもあるの?」

私は笑いながら水を口に含んだ。

「ま、私の周辺から見る統計だけどね。」

ミユのおどけた顔に、吹き出した。

「相変わらずだねー。ミユは。こっちはすごく真剣に聞いてるっていうのに。」

そういう楽観的な、そして、前向きな思い込みは、間違いなくミユを幸せにしているような気がした。

私もそんな風にいつか笑えるのかな。

ミユは腕時計を見て慌てた顔をした。

「あ、断るなら早めの方がいいわよ。いくらなんでも間際じゃ失礼極まりないから。」

私は無言でうなずくと、席から立ち上がった。

「今から電話してくる。ちょっとだけ不安だから、ミユ、ここで待っててくれる?」

「うん、オッケー。後で思いっきり抱きしめてあげるから、勇気ふりしぼって正直な気持ちを伝えておいで。」

私は笑ってうなずいた。

そして、お店からゆっくりと外に出た。

ナオの携帯番号を押した。

無機質なコール音が耳の奥でゆっくりと鳴る。

早く出てほしいようで出で欲しくない。

ふいにナオの穏やかな表情が私の脳裏を横切った。

本当にいいの?

ナオを傷つけてまで、断っていいの?

一瞬私の中で最後の迷いが生じた。

「はい・・・ハル?」

コール音が急に途切れて、耳の奥に優しいナオの声が入ってきた。

「うん、私。」

「今両親と合流して、これから待ち合わせ場所に向かおうと思ってたとこ。どうかした?」

ナオの声は妙に冷静だった。

「あのね。ナオ。私、こんな時に謝らないといけない。」

少しの沈黙の後、ナオの声が響いた。

「やっぱり今日は無理なんだね。」

先に言われちゃった。

「うん、ごめん。」

「わかった。残念だけど、僕もこれ以上はハルを無理強いできないから。」

ごめんね。

本当にごめんね。

ナオは軽くため息をついた。

「これって、もう僕が完全に振られたと受け止めていいのかな?それとも、今日だけの断りとして受け取ったらいい?」

穏やかなその声は、とても我慢していた。

今にも感情的にはちきれそうなほどの、色んな思いを押し殺して。

「ごめんね。本当はちゃんとナオの顔見て言わないといけないのに。」

「完敗か・・・。情けね。」

ナオには似合わない言葉が私の耳に小さく響く。

「ナオには感謝してもしきれないほどに、素敵な時間を過ごせたと思ってる。だけど、どうしても私の中で結婚までの答えを出せなかった。」

「答えを出せないって、全く、二人の間に愛を感じなかったってことかな。」

「うううん。愛を感じた時もあった。だけど、愛を感じても結婚するっていう感覚が私にはどうしても感じれなかったの。ナオは全然悪くないし、私の優柔不断さが今日までナオを引っ張ってしまった。情けない人間でしょ。ナオには私なんかよりもっともっと素敵な女性がいるはずよ。」

「そんなこと言うなよ。」

初めて聞くナオの声色だった。

少し怖いくらいに、その声は強い響きを持っていた。

もう私は何も言ってはいけない。

そんな気がした。

「ハル、僕にも一応男としてのプライドがあるから、これ以上の慰めは必要ないよ。」

「・・・うん。」

「今までありがとう。」

「・・・ありがとう。」

「ハルの幸せを祈ってる。元気で。」

「ナオも。」

そして、電話は切れた。

終わった。

終わってしまった。

不思議と涙は出なかった。

ナオは、あまりにも潔い言葉で、私との別れを伝えていた。

今までナオと付き合っていたことが、夢のように感じられるほどに、ナオの言葉は私の余韻を引きずることを拒んでいた。

でも、そういうことができるのもナオだけだと思ったし、それがナオの最後の優しさだったと感じる。

振り返ると、ミユが神妙な面持ちで立っていた。

「大丈夫だった?」

私は笑ってうなずいた。

ミユはそっと私を抱きしめた。

雑踏の中、しばらく二人無言で歩いた。

思いの外、私の気分はすっきりとしていた。

今まで言いたくて言えなかったこと、きちんとナオに伝えることができたから。

ミユが急に立ち止まって言った。

「お腹すかない?」

その意表をつく言葉に思わず笑ってしまう。

「空いたかと言われれば、空いたかも。」

「何か食べようよ。」

「でも、おうちは大丈夫なの?旦那さん一人で。」

「なんとなく、こういう予感がしててさ、お昼の用意もしてきたから時間は気にしなくて大丈夫!」

さすが。

相変わらずの用意周到。抜け目ない私の愛すべき親友だわ。

「じゃ、ランチに付き合ってもらっちゃおうかな。」

「もちろんよ。」

ミユは明るく笑った。

「何食べる?」

「お寿司。」

「え?たった今私が彼と別れたってのに、お寿司って?!」

「何いってんの。ハルナの新しい門出の日じゃない。お寿司でもぱーっと食べよ!」

「って、ミユが単に久しぶりに身軽で出てきたからお寿司が食べたいだけじゃないの?」

「図星。」

ミユは私の鼻の頭を人差し指で軽くついた。

ここは、私に任せて!と、安くておいしいお寿司屋さんまでミユを引っ張っていった。

体が軽くて気持ちいい。

私にとっても久しぶりに食べるお寿司だった。

二人で思う存分食べ尽くした後、ミユがぽつりと言った。

「本当はタツヤさん、なんでしょ?ハルナの気持ちの中にいるのは。」

「え?」

急にタツヤの名前を言われたことに動揺が隠せない私。

「ハルナは最初っからタツヤさんに運命感じてたんじゃないの?」

「そんなことはないけど。」

お皿に残っていたガリをつまんだ。

「もっと知りたいって思ってたって言ってたじゃない。」

「うん。」

「それは今も変わらない?」

私は無言でこくりとうなずいた。

「どうしてそう思ったの?」

聞いてみた。

「うちに来て話してる時のハルナの表情見てたらすぐにわかったわよ。タツヤさんに気持ちが傾いてるって。じゃなきゃ、ナオさんみたいないい男を手離そうなんて思わないでしょ?」

それはまぁ。

あまりにはっきり言われて顔が熱くなってきた。

でも、ミユははっきりと言った。

「でも、今のタツヤさんはやめとくのよ。幸せにはなれない。」

思わず食いついてみる。

「それでも私がタツヤにもっと近づきたいと思ってるとしたら?」

胸がドキドキする。

「幸せになれるって思える時まで待った方がいい。もし、それまでに他にいい出会いがあればそっち優先。」

手厳しいミユの言葉に少しだけショックを受ける。

だけど、私を大切に思ってくれてるからこそのアドバイス。

とりあえず、今はダメってこと。

それはあの日をタツヤを見ながら、私にも理解できていた。

「運命がつながってる相手とは、絶対またどこかで巡り会うはずよ。ベストなタイミングで。」

「私から行動起こしたらいけない?」

自分でも驚くほどに積極的な気持ちになっていた。

「止められない?」

ミユはいたずらっぽく笑った。

「止められない、かも。」

私も笑った。

「ふうん。じゃ、しょうがないわね。気の済むまでとことんやってみたらいいわよ。」

「じゃ、そうする。」

「って、今タツヤさん福岡なんでしょう?いきなり押しかける気?」

「だめかな?」

「どうしてそこまでの思えるようになったの?」

少し考えて答えた。

「まだ言いたいことが全然言えてないから、かな。」

私はタツヤにまだ何も言えてない。

本当の気持ち。










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