第7話 選択

その後、どんよりとした気持ちで、なんとか一週間をやり過ごした。

身近な友達とうまくいっていない時が一番辛い。

嫌でも顔を合わす更衣室。

さすがにお昼休みは、なんとなく一緒に食べるのがお互い気がひけたのか、別々の友達と食べに出た。

私にとっては大切な友達の一人でもあるアユミと、こんな風に気まずくなってしまうのは悲しい。

一刻も早く、その解決策を導き出したくて、その週末ミユの家を訪ねた。

ミユは結婚して隣の県に住んでいた。

見慣れない景色を電車の窓から眺めながら、少しずつ気持ちが癒されていく。

時には、こうやって普段行かない場所に向かうことは、自分をリセットできていいかもしれない。

何年ぶりだろ?

ミユの家にお邪魔するのは。

ミユは三年前に結婚して、ちょうど妊娠している頃に会ったっきりだったから、かれこれ2年半近くのご無沙汰だ。

ミユとは学生時代からの親友。

いつも優柔不断な私に喝を入れて、最善の選択肢を提示してくれる大切な存在。

電話で今回の話を相談したら、すぐに「週末うちにおいで!」と言ってくれた。

ミユの子供はまだ二歳で、大変な時なのに・・・。

持つべきものはやはり素敵な友達だとあらためて思う。


「久しぶり!」

「待ってたわよ~、さ、上がって!」

ミユはすっかり母親の顔になっていた。

なんていうか、すっぽりと誰かを包み込む温かいオーラがあふれ出ている。

そのそばにいるだけで、安心できるみたいな。

明るく笑って出迎えてくれたミユの笑顔に、思わず顔がほころぶ。

こんなに緊張せずに笑ったのはいつ以来だろう。

ミユが少したくましくなった腕で抱きかかえている子供は、マナちゃんという女の子だった。

「マナちゃん、大きくなったねぇ。お初にお目にかかります。」

私は冗談っぽく言いながら、マナちゃんのほっぺをつついた。

うわ、マシュマロみたいにふわふわだ。

かわいい!

「マナちゃん、かわいいねー。」

リビングのソファーに座った私は、心からそう言った。

「ありがとねー。やっぱ子供はいいもんよ。ま、楽しいことばっかでもないけどね。」

ミユはおどけた調子で笑いながら、キッチンへ入っていった。

「冷たいレモンティがあるんだけど、それでいいかな?」

キッチンからミユの声が響いた。

「うん、お願いしまぁす。」

私はすぐに答える。

今日は少し汗ばむほどの暑さ。

冷たいレモンティだなんて、さすが気がきいてる。

すぐにミユはレモンティが注がれたグラスを二つと、牛乳を入れたコップ一つを持ってきた。

「はい、どうぞ。のど渇いたでしょ?たくさんあるから遠慮なく飲んで。」

おいしそうなレモンティが私の前に置かれる。

そっとグラスに触れると、冷たくて気持ちがいい。

「いただきます。」

私は遠慮なく、レモンティをごくごくと飲んだ。

おいしい。

ちらっと横に目をやると、マナちゃんがそんな私を凝視していた。

そして、目が合うと、慌てて自分の牛乳を両手でしっかり持って飲み出す。

あはは、かわいいな。

癒されるわぁ。

「ちょっとやせたね。」

ミユはふいに私に声をかけた。

「そう?」

「うん。っていうか、前会ったのいつだっけ?」

「二年前くらいかな。そりゃ、会わない間に色々あったわよ。」

「仕事きついの?」

「ううん、仕事はそれほどでもないんだけどね。」

「まぁ、この半年でいろいろあったみたいだもんね。今日はゆっくりしてって。」

ミユはそう言うと、すぐにキッチンへ戻って、「自家製なの」といってミルクプリンを持ってきてくれた。

「やっぱ子供には体にいいもの食べさせたいじゃん?だから、柄にもなくデザートとか手作りしちゃってるのよ。」

前に置かれたミルクプリンは、とてもおいしそうだった。

マナちゃんはもう私ではなく、ミルクプリンに釘付けだった。

そんなマナちゃんを優しい目で見つめながら、

「これさえ与えとけば、ご機嫌だからね。ゆっくりハルナの話も聞けるわ。」

と言った。

「忙しいのにありがとうね。」

私はミユにぺこりと頭を下げた。

ミルクプリンを口に運びながら、ミユとたわいもない話をする。

学生時代の馬鹿話や、恋の話。

昔の自分を知ってる人と、その当時に返って話すのってなんて楽しいんだろ。

あれこれ悩んでる自分がうそみたいな瞬間が何度もあった。

そのうち、マナちゃんは椅子にもたれながら寝てしまった。

「あ、マナ寝ちゃった。これはラッキー。」

ミユは私の方を見てピースサインをした。

なんてきれいなかわいい寝顔。

いつまでも見ていたいような顔で寝ているマナちゃんを、ミユはそっと抱きかかえて、寝室に寝かせに行った。

しばらくすると、キッチンでコーヒーの香ばしい香りが漂ってきた。

トレーの上に、湯気のたったコーヒー茶碗が二つ。

真ん中に、私が手土産に持ってきたクッキーを盛ったお皿がのっていた。

「これで、落ち着いて話せるね。」

ミユは私の前にゆっくりと座る。

「たぶん、二時間は寝てくれるはずだから。」

そういいながら、トレーの上のコーヒーを私の前に置いた。

私はうなずいてコーヒーを手前に引き寄せた。

いい香り。

ミユの家の中にあるあらゆるものや空気やにおいが私を癒してくれる。

今日、思い切って来てよかった。


私はコーヒーを一口飲んだ後、これまでのことをゆっくりと話し始めた。

ノボルに振られた後、タツヤと飲みに行ったこと。

タクシーで酔ったタツヤに抱きしめられてドキドキしたこと。

ナオと出会って、大人の魅力に惹かれたこと。

すぐに告白されて、背伸びして結婚前提に付き合ってること。

アユミがタツヤに惹かれていてダブルデートを提案されたこと。

高熱で倒れた私を居合わせたタツヤが病院までつきそってくれたこと。

私が寝ている横で、タツヤが意味深な事を言ったこと。

アユミとその後険悪になってしまったこと。


そして、・・・私の中にナオとタツヤの間で揺れ動く気持ちがあること。

すべて話し終えて、ゆっくりと息を吐いた。

ミユは、最後までしっかりと私の話を聞いてくれた。

時々相づちをうちながら、そして、共感してくれる言葉を入れてくれながら。

ミユに話しただけで、随分心が軽くなったのがわかる。

体の中にたまった膿を全てはき出せたような感じ。

何か思い詰めてる時って、誰かに聞いてもらえることほどありがたいことはないよね。

「そっか・・・。この数ヶ月でえらく周囲との関係が様変わりした感じなんだ。」

「うん。そう。こんなこと自分でも初めてで、ほんとどうしていいかわからなくってさ。」

私は苦笑した。

「ハルナ、一人で抱えてしんどかったね。」

ミユがポソリと言った一言に、急に目の奥が熱くなって涙があふれ出した。

「気の済むまで泣いていいよ。泣きな、泣きな。」

ミユは私の手をそっと包んで優しくなでてくれた。

しばらく私は呼吸ができなくなるほどに泣きじゃくった。

まるで子供みたいに。

こんなに泣いたのも何年ぶりだろう。

「はいはい、これで拭いて。」

ミユはタオルハンカチを差し出して言った。

「まぁ、今日は特別だけど、本当はね、30過ぎの女は泣いちゃだめなのよ。なんでかわかる?」

「何で?」

「お化粧がはげて、人様に向けられない顔になっちゃうから。」

ミユから借りたハンカチで目をぬぐいながら、泣きながら笑ってしまう。

「思いきり泣ける時代って、ほんと20代まで。若い時の涙って美しい涙なのよねぇ。私も20代までにもっと泣いておけばよかった。」

「何訳わかんないこと言ってんの。」

思わずミユに突っ込んだ。

気づいたら、笑ってる自分に少し驚きながら。

「で、ハルナの本心はどこにあるわけ?」

ミユはコーヒーを飲みながら言った。

「本心?」

「そう。ナオさんとタツヤさん。正直どっちが好き?」

「それが正直よくわからなくなっちゃってるんだ。ナオと一緒にいるときは、やっぱりナオに惹かれてるなーって思うし。タツヤと話してると、タツヤのこともっと知りたくなるっていうか。」

ミユは自分の顎に手を当てながら、少し考えて言った。

「私が思うに。恋人うんぬんの時代は、ただ、一緒にいて楽しいとか、彼のこういう部分が好きとか、その一瞬に対してキュンとなれればそれで構わないんだよね。それ以上望んだ時、恋は終わるの。」

クッキーをかじりながら、ミユの話に聞き入る。

「でさ、結婚相手ってのは、そういうの全く関係ないわけ。」

「関係ない?」

「うん。本当に生涯の伴侶として考えられる相手って、その人のことをもっともっと知りたい。知りたくないこともすべて知りたいの。究極のこと言っちゃえば、その人がどんな風に年をとって死んでいくのか。その人の子供はどんな子なのか。そこまで知りたくなっちゃうの。」

「よくわかんない。その違いが。」

「うーん。だからさ、恋人のうちは、知りたくないことの方が多くない?相手の嫌な部分とか、過去とか、嫌らしい部分とか、かっこよかったはずなのに違ってたりする面とか。そんなの、全くどうでもいいことで、それ以上に知りたいって思える相手が本物。わかる?」

なんとなくわかったような気がした。

「なんとなく。」

テーブルに視線を落とす。

「ここから先はハルナが考えて決めることだから、それ以上は私も言わない。ただ、結婚は急いで結論出しちゃだめ。絶対に、「あー、この人だったんだ」って気づく瞬間があるから。だから、今はナオさんとも、タツヤさんとも、二人ともよーく観察すればいいわ。」

「それって二股みたいにならない?」

「ならないわよ。だって、タツヤさんとは付き合ってないんでしょ?単なるお友達関係。」

「いいのかなぁ。」

「いいのよ。結婚しちゃって、「あー違ってた!」って思うよりは。それに、タツヤさんだって、ナオさんとお付き合いしてるの知ってるんでしょ?もし、ハルナに本気だったら、そんなの関係なしで、きっと何かしかけてくる。」

その言葉になぜだかドキドキした。

何かしかけてくる?

「だけど、アユミの気持ち考えたらそんなことできないよ。」

ミユは優しく笑った。

「ハルナは昔からそうだったよね。自分が身を引いちゃうっていうか。優しすぎる。それはとってもいいことだと思う。でも、」

「でも?」

「ハルナが身を引くことで、周りが幸せになるかっていったらそうでもないのよ。アユミちゃんだって、タツヤさんだって、そしてナオさんもね。」

わかってる。

でも、わかってても、一番社内で親しいアユミとそういう関係になってしまうのが怖い。

「アユミちゃんには、洗いざらい、全部話すること。そうすることで、ハルナのアユミちゃんへの誠意が伝われば、きっと許してくれる。ただ、ハルナの中で、ナオさんを選ぶのか、タツヤさんを選ぶのか、結果を出すことが先決だけどね。」

私は長いため息をついた。

「仲のいい友達と同じ人を好きになるっていうのは、珍しいことではないのよ。だって、価値観とか、目線が似てるから仲がいいわけでしょ?同じ男性に興味持つことがあったってちっとも不思議じゃない。ただ、少し不幸な気持ちになるだけ。」

不幸・・・か。

「でも、そういう気持ちも一生続くものではないの。縁があるなしは、どうしようもないことだもの。ふっきれる時がいつか必ず来る。」

ミユもそこで初めて肩をすくめた。

「ミユもそういうことあった?」

静かに聞いてみた。

「あったよ。何度もあった。」

ミユはそう言って笑った。

「だって、私、学生の頃、ノボルのこと好きだったんだもん。」

「えー!そうだったの?」

「笑えるでしょ?今まで黙ってたけど。」

「知らなかったよ。私何も知らずにいっぱいミユに相談してたのに。」

「相談受けてる間に、好きになっちゃっていうか。これもよくあるパターン。自分とハルナを同化しちゃってたのかもね。」

「ごめんね。」

「もう、謝らないでよー。結局、私はノボルをあきらめたおかげで今の旦那と巡り会えたんだから。」

「そうなの?」

「そうだよ。結局、縁のない人とはつながらないし、つながらないおかげで縁のある人とつながるんだって、つくづく思ったわ。」

ミユは柔らかい笑顔でコーヒーを飲んだ。

ミユの周りには幸せオーラがあふれてる。

縁のある人と結婚したからこそ、あふれでる空気。

そういう人を選ぶには、きっと勇気も決断力もいるんだね。

「ありがとう。今日は話聞いてくれて。」

私はミユに頭を下げた。

「おやすいご用よ。大好きなハルナのためなら、いつでも時間空けるって。」

ミユに出会えた私は幸せだとつくづく思った。

彼氏とか恋人とか、悩みはつきないけど、結局はこんな女友達の存在が一番必要だったりするんだ。

ミユという人が存在してると思うだけで、今は強くなれるような気がした。


帰り道、半分衝動的にタツヤにメールを送った。

『お礼、いつがいい?何でも好きなものご馳走するよ。』

自分でも驚くほどに素直に。

今はタツヤのことが知りたいと思っていた。

ナオよりも、そういう機会が少ないから?

タツヤとはつきあいは長いけれど、本音の部分でぶつかったことが今までなかったから。

知ってるようで本当は知らないことがたくさんあるのかもしれない。

「知りたいって思う気持ち」が、あるかないか。

ミユはそれが決定打だって言ってたけど。

今はまだ、タツヤを選ぶ自信も勇気も私にはない。

だからこそ、まずはタツヤを知っておきたいって思った。

メールを送ってから30分ほど経った頃、携帯が鳴った。

タツヤからだった。

「はい、私。」

「あ、俺。今大丈夫?」

「うん。今駅のホーム。もうすぐ電車来るんだけどね。」

「デートの帰りぃ?」

わざとらしくおどけた調子でタツヤが言った。

「違うって。学生時代の親友と会ってたの。」

「ふうん。」

真面目に答えたら、タツヤの声のトーンも落ち着いた。

正面から向き合ってほしい相手には、自分も真剣に向き合わないとだめよって、ミユに言われたんだよね。

いつまでも、ふざけた関係を崩せないなら、そこで終わってしまうって。

どこかで断ち切らなきゃいけない。

「メールありがとう。まじでお言葉に甘えちゃっていいの?」

「もちろん。こないだは本当に助かったからね。あの日、結局うちでお茶の一杯もご馳走できてなかったことずっと気になってたんだ。」

「さんきゅ。ちなみにねーさんはいつがいいの?」

「今週も来週も特に予定なし。」

「彼氏さんとのデートは?」

「たぶん、週末の土日のどっちかは会うと思うけど、都合つけるよ。」

「へー、俺を優先にしてくれるわけ?」

「うん。」

いつになく、真面目に話す私に、タツヤも少々テンポがつかみにくいようだった。

「ああ、そう?んじゃ、週末はやっぱ悪いから遠慮するわ。俺、明日から木曜まで出張だからさ、金曜の夜はどう?」

「いいよ。金曜の夜は空けとく。どこに出張なの?」

「へへ、どこだと思う?」

「ひょっとして、海外とか?」

「そのひょっとして、なんだよね。初の海外出張。」

「すごいじゃん!一人で?」

「まさかー。俺もまだ一人じゃ不安だって。」

「どこいくの?」

「上海。」

「へー。中国語ってしゃべれるの?」

「実はここんとこずっと勉強してんだぜ。なかなかまだしゃべれないけどさ。」

いつも馬鹿話ばっかりしてるタツヤと普通の会話をしてる。

馬鹿話しなくても、楽しかった

ホームに電車が入ってきた。

「あ、ごめん。電車来たわ。じゃ、金曜に。待ち合わせ場所はどうする?」

「会社の玄関でいいんじゃない?俺、その日は残業しないし。」

「そんな目立つとこで構わないの?」

ちょっと驚きだった。

「別に。やましい関係じゃないでしょ?俺たち。」

俺たち・・・か。

「ま。この先はやましくなるかも、だけどねぇ。」

いつものふざけた口調でタツヤは笑った。

「んじゃ、金曜よろしく!」

「うん。またなんかあったら連絡して。」

「おう。」

電車の扉が開いて、携帯を切った。

不思議ととても落ち着いた気分だった。

なんていうか、自分の気持ちが少しずつ、『結婚』を意識した何かをつかむ一歩を踏み出したっていうか。

正直、アユミとナオに対して、後ろめたい気持ちがないかと言えばないわけではなかったけれど。

ミユのアドバイスを信じよう。

色んなこと考えてたら動けないもんね。

今できることからやっていこう。

何よりも私の気持ちが、何を選ぶのか。

それを確かめるために。

車掌さんの警笛に気づき、慌てて電車に飛び乗った。








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