第6話 亀裂

一日家で寝ていたら、翌日には熱も下がった。

だけど、さすがに昨日の今日だし会社に向かう気にはなれない。

やり残した仕事、そして、アユミのことが気になりながらも、会社に休みをもらう電話を入れた。

お昼をを過ぎた頃、携帯が鳴った。

アユミかな?丁度昼休みだし。

携帯を見ると、タツヤからの電話だった。

「あ、俺。ねーさんその後どう?今日休みみたいだったからさ。」

「昨日は本当にありがとう。助かったよ。熱は幸い下がったんだけど、なんとなくまだだるさが抜けないから、今日はお休みしたの。」

「そっか。それならよかった。んじゃ、お大事に。」

すぐに切ろうとするタツヤを慌てて止めた。

「あ、待って!」

「あん?なに?」

「いや、今度きちんとお礼させてもらうから。」

自分でも驚くくらいストレートに口から出ていた。

「え?お礼?・・・高くつくけどいいの?」

タツヤはからかうように言った。

「少々は高くついてもかまわないよ。だって、本当に昨日のことは申し訳なかったからさ。」

「ふぅん、えらく素直だな。何々?まさか俺に惚れちゃったんじゃないのぉ?意外に頼りにたるっしょ?俺って。」

相変わらずふざけた口調のタツヤの言葉に、不覚にも怯んでる自分がいた。

「ばか言わないでよ。先輩として、後輩にはきちんとお礼がしたいだけ。ま、正直言うと借りを作りたくないってわけ。」

思わず、自分の怯んだ気持ちを払拭するべく思いもしない言葉を並べた。

携帯の向こうでタツヤのため息が聞こえた。

「ねーさん、フィアンセいるんだし、お礼なんかいいって。昨日のことなんて、どーってことないし。俺、お礼がなくても気にするようなちっちゃい人間じゃないしさ。」

こういう時、タツヤの繊細な気遣いが邪魔になる。

どうして、そこまでしてタツヤにお礼がしたいんだろ。

自問自答する。

そう、私はもう一度だけ、タツヤと二人で話をする機会が欲しかった。

アユミと飲みに行った日、どうして私と飲みたいと思ってくれたのか。

病院で私が点滴受けてる時に、つぶやくように言ってた言葉はどういう意味なのか。

このままだったら、胸の奥で何かが燻って、これから間近に迫っている決断に迷いが生じそうだったから。

「フィアンセがいたって、お礼ができないわけないでしょ。人としてそんなの私が許せない。」

私の断固とした言葉に、タツヤもそれ以上言い返す言葉が見つからなかったようだ。

「んじゃ、お言葉に甘えるよ。お礼の内容は、ぜーんぶねーさんに任せるから。また元気になったら連絡ちょうだい。んじゃ、今度こそお大事に。」

「うん、わかった。わざわざ電話ありがとう。」

ありがとう。

本当に『わざわざ』だよね。

貴重な昼休みの時間を割いて、私に電話くれるなんてさ。

タツヤ・・・。

生意気だけど、やっぱりいいやつ。

携帯をベットのサイドテーブルの上に置くと、すぐに自分のスケジュール帳を開いた。

休日ごとに、「ナオとデート」って書いてあった。

ナオ。

今頃どうしてるんだろう?

私が風邪ひいて倒れたことだって、まだ知らない。

知ってるのは、私の家族とタツヤだけ。

その日の晩、ナオから電話があった。

そういえば、電話がある日だったっけ。

携帯をとりながら、ふと思い出した。

「もしもし。」

「あ、ハル?元気?」

「うん、ぼちぼちかな。」

「あんまり元気そうじゃないね。声がかすれてる。風邪でもひいた?」

「うん、実はそうなんだ。昨日かなり高熱が出て。」

「え?!そうだったの?大丈夫?」

ナオは真剣に心配してくれているようだった。

だから、さすがに病院で点滴打ったとまでは言えなかった。

「実は僕も少し調子悪くて。昨日から咳が止まらないんだ。」

あ・・・。

一昨日は一緒に過ごしたわけで。

私が高熱出たってことは、ナオにもうつしてる可能性があるんだ。

「ひょっとしたら、私と同じかもしれないから、熱があったら気をつけて。すぐに病院行った方がいいよ。結構きつい風邪だから。」

「そうなんだ。ありがとう、気をつけるよ。それよりも、ハルこそお大事にね。」

「うん。ありがとう。」

ナオはいつも優しい。

そして、どんな時も私への気遣いを忘れない。

ナオでも、誰かに意地悪な言葉を言ったり、ちゃかしたりすることってあるんだろうか。

タツヤみたく。

今のナオには想像もできないけど。

そりゃ、そっか。

まだ付き合って間もないんだもんね。

早くから意地悪なこと言うような人だったら、こっちから願い下げだわ。

でも、タツヤの場合は最初から生意気な口たたかれてたっけ。

ナオがもし、私にそんな意地悪なことを言ったりしたら、私はナオを許せるんだろうか。

タツヤみたいに。

タツヤの優しさと意地悪な部分のギャップに、わずかながらに惹かれ始めている自分に気づかないように、仕事の話をしているナオの声を電話の向こうで聞いていた。

変なの。

こんなに素敵なナオと電話してるっていうのに、タツヤのことばっか考えてる。

昨日のことが原因かしら。


ふいにナオが聞いてきた。

「で、ダブルデートの話。どうなった?」

あ。

「ん。実は立ち消えになりそうなんだよね。」

「そうなの?アユミちゃんとタツヤくんだっけ、うまく話がまとまらなかった?」

「まだはっきり決まったわけじゃないんだけど、ひょっとしたら、そうなるかも。」

「そうなんだ。できればアユミちゃんの恋の成就手助けしたかったんだけどな。」

そうだよね。

私もそう思ってた。

思ってた?本当に?

「後でアユミにその話しようと思ってる。またはっきりわかったら連絡するね。」

「うん。わかった。ハルも今日は本調子じゃなさそうだから、早めに寝なよ。それじゃ、また電話する。」

「ありがとう。またね。おやすみなさい。」

「おやすみ。」

ナオの『おやすみ』という口調は、信じられないくらいに優しくて包容力がある。

その声を聞いた後、私は必ず睡魔におそわれるほどだ。

ナオはいい人だ。

私にはもったいないくらいに。

そのとき、また携帯が鳴った。

アユミからだった。

「あ、アユミ?」

「ちょっとちょっと、ハルナ、どうしたってのよ。今日お休みだったんだって?」

「うん、昨日から高熱でちゃって。ようやく今日は微熱でおさまったって感じ。」

「大丈夫?」

「大丈夫よ。それより、タツヤとの話はどうなったの?」

「え?ああうん。」

アユミの声が沈んだ。

やっぱり?

一呼吸置いたあと、アユミは小さな声で言った。

「無理みたい。」

昨日のタツヤの話が私の脳裏をかすめた。

「そう・・・。タツヤに何か言われた?」

「ダブルデートみたいなのは嫌いだって。」

アユミはそう言うと、無理に笑った。

その笑い声に胸が痛んだ。

「そうなんだ。もうどうお願いしても無理そう?」

「そうだね。タツヤもあれで結構頑固だし。無理じゃないかな。」

「そっか・・・。」

二人の間にしばしの沈黙が流れた。

そして、アユミは切り出した。

「っていうか、ハルナはその話、すでにタツヤから聞いてたんじゃないの?」

「え?」

急激に血の気がひいていく。

ど、どういうこと??!

私の頭の中はパニックだった。

どういう言葉をつなげばいいのかわからなくて、思わず口をつぐんだまま数秒が経過した。

「実はさ、昨晩タツヤに電話して聞いたんだよね。」

な、何を?

「タツヤ、ハルナを病院まで連れていったんだって?」

「あ・・・。」

どうしてそんな話したの?!

タツヤはどういう風にアユミに話したんだろう。

まさか、ありのまま話したなんてことはないよね?

「駅前で偶然タツヤに会ったんだって?」

そのアユミの言葉で、血の気のひいた顔が元に戻っていくのがわかった。

やっぱり。

全部話してないんだ。

わざわざ、私に話があるって会いにきたなんてことは、いくらタツヤでも言わなかったんだね。

「う、うん。そうなんだ。」

額に変な汗がにじんでいた。

「病院につきそってた時に、ハルナには断ったって言ってた。」

「うん。」

そして、しばしの沈黙。

心臓が変な音を立てていた。

胸が苦しい。

「どうして、ハルナはそのこと知らないふりしたの?」

薬でいつもよりぼんやりとしている頭をフル回転させた。

「だまってたっていうか、やっぱりアユミはタツヤのこと好きなわけだし、そんなことわざわざ言ったところで、色々と不安になっちゃうかなって。別に言わなくていいことだと思ったから。」

電話の向こうでアユミのため息が聞こえた。

「そういう気の遣い方されんのって、逆に気分悪いよ。」

今まで聞いたことがないようなアユミの口調だった。

「ごめん。」

思わず反射的に謝る。

「何を謝ってるの?なんだかさー、こんなこと言うと嫌な女になっちゃうけど、実はハルナもタツヤが好きで、タツヤもハルナのこと好きだったりするんじゃないの?」

何言ってるの?!

アユミ、かなり興奮してる。アユミの語尾がわずかに震えていた。

でも、そう思われても仕方ないよね。

もし、私がアユミの立場だったら、私だって不愉快だもん。

最初からきちんとアユミには伝えるべきだった。

何もやましい気持ちがないなら。

「本当にごめん、アユミ。私がタツヤのことを好きなわけないじゃない。今は結婚前提に水口さんとお付き合いしてるんだよ?それに、タツヤだって。」

「タツヤは駅で偶然ハルナに会ったって言ってたけど、どうしてわざわざハルナの家の近くまで行く用事がある?なんだか訳わかんない。二人して、私のこと馬鹿にしてるんじゃないの?」

アユミ、そんなことないよ!

心の中で叫びながらも言葉が出てこない。

まぶたがじんわりと熱くなってきた。

私は、アユミに幸せになってもらいたいって、本気で思ってるのに。

アユミのこと、大好きなのに。

だけど、気持ちのほんのかすかな場所に、タツヤへの思いが漂っていたのも事実だった。

ずるいよね。

最低だ。

「ハルナのこと信じてたのに。なんだかもう信じられないよ。ごめん、これ以上電話してたら、もっとひどいこと言いそう。切るね。」

そして、無残にも電話はすぐに切れた。

私の気持ちも伝えられぬまま。

私の気持ち?

・・・今更だよね。

単なる言い訳に過ぎない。

今はどんな言葉を並べたって、傷つけるような気がした。

私は一体何やってるんだろ。


お昼過ぎ、タツヤからの電話で「お礼させて」なんて言って、その後、ナオにおやすみと言われて、そして、アユミに嘘をついた。

やましい気持ちがなかったなんて、言い切れない。

こんなにも自分が不純で浮わついた気持ちになったことなんて、これまで一度だってなかったのに。

調子に乗ってる。

きっとそう。

かっこいいナオとお付き合いして、タツヤに優しくされて。

それで、大事な友達の気持ちを傷つけてしまった。

絶対最悪。

一番しちゃいけないことしてる。

何度ぬぐってもあふれる涙は止まらなかった。

アユミとの関係。

もう取り戻せないかもしれない。

自分の揺れ動く心が、結果としていろんな人の思いを傷つけてしまう。

今までノボルとしか恋愛をしたことがなかった私にとっては初めての体験だった。

「結婚」という現実が目の前に迫った時、人は突如として孤独になる。

一人で決断しなければならない人生最大の賭。

こんなに不安な気持ちになったことはない。


本当に、この人でいいのか?って。


恋愛はやり直しがきくけれど、結婚は、そう簡単にやり直せない。

だからこそ、自分の気持ちを試したくなってしまう。

って、必死に自分自身に言い訳を探す自分が、なんだかすごく上から目線で嫌になる。

いずれにせよ、誰かを傷つける事態は、一番避けなければならない。

タツヤにほんの少し気持ちがぶれたのは、真実。

きっと、ナオと付き合う前から、そう決める前からタツヤのこと気になってた。

アユミにもタツヤにもナオにも言えない。

タイミングが悪すぎるよね。

恋愛も結婚もある意味タイミングだって、すでに結婚した友達が皆口をそろえて言ってたっけ。

ふと、既婚者で一児の母でもあるミユのことが頭に浮かんだ。

こういう話って、既婚者の友達に相談するのがいいかもしれない。

今の私には、もうどうすればいいかわからない。

少しずつ広がっていく亀裂をどうやって止めればいいのか。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る