妹とキスをした
屋上の鉄扉を押し開ける。
背の高いフェンスのそばに、三人の男女が立っていた。
「なんだよもう来たのかぁ? せっかく野外パーティーでもするかって話で盛りあがってたところだったのによぉ? オニイチャンにも見せてやりたかったぜ、ヒヒヒ!!」
――片桐光誠。
「ちぃーっす、芳乃ちゃんのオニーサン。マジ久々に見たわ……つか隣の子誰? めちゃ可愛くない?」
――田宮俊朔。
そして、
「…………」
二人の男に挟まれるようにして佇む俺の妹、相沢芳乃は――ちらりとこちらを一瞥したかと思うと、すぐに視線を逸らした。
帰りのホームルームを終え、俺が一年の教室に向かったときには、芳乃はすでに田宮によって連れ出されたあとだった。どっちにしろ合流するわけだから別に芳乃が誰と行動しようがたいした問題ではないのだが、なんとなく気分的に、芳乃が“あっち側”にいるみたいで嫌だった。
「はいは〜い、芳乃ちゃんはこのへんね〜」
田宮が芳乃の肩を押し、屋上の中心部へと誘導する。
扉側を背にした俺とあやね、フェンス側に立つ光誠と田宮が、芳乃を挟んで対峙した。
「さぁさぁ!! とっとと始めようぜ、この茶番をよぉ!!!」
屋上全体を震わすような大声で、光誠が吼える。
「始めるもなにも、芳乃が選んで、それで終わりだろ? まだなにかあるのか?」
「ヒヒヒ……それじゃあオニイチャンがあまりにも気の毒だからなぁ!! 特別ルールを設けてやるって言ってるんだよ!! 今から五分間!! アピールタイムをくれてやるから、必死こいて説得して引き止めてみせろよなぁ!? 『芳乃ぉ〜、行かないでくれぇ〜』ってな具合によぉ!!」
「ちょっ、片桐さんなんすかそのモノマネっ! やべぇツボった、本物が超見てぇ!」
「……」
俺は馬鹿二人には取り合わず、芳乃に向き直った。
「あんな連中と一緒にいて、本当に楽しいか?」
「…………」
芳乃は答えない。
「芳乃ちゃん……戻ってきてください。そんな人たちなんかいなくても、私たちがいるじゃないですか? 芳乃ちゃんが望むなら、また前みたいに私に甘えてきてもいいですから……それじゃダメですか?」
「…………」
芳乃は目を合わせようとしない。
「いやいやダメでしょー、アカンでしょー」
田宮が鼻で笑いながら茶々を入れてくる。
「おまえ、いいように利用されてるだけなんだぞ? こいつらはおまえのことを彼女だとも友達だとも思ってない。ただの
「……ちがうもん」
ぽつり、と芳乃が小さな声を漏らす。
その返答を聞いてか、光誠が堪えきれないとばかりに大口を開けて、
「ひ、ひ、ひひ……ヒヒヒ!! ヒヒヒ!! ヒィィィィヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒィッヒヒヒヒヒッッ!!!」
バンバンと両手で膝を打ち、ドンドンと激しく足踏みして、狂ったような哄笑を響かせる。
「ヒィ、ヒィ、こいつは傑作だぁ……なぁオニイチャンよぉ!! どうして芳乃がここまで頑なに、オレらと関係を持ち続けようとするのか……教えてやろうかぁ!?」
「……」
「それはなぁ……」
光誠は心底愉快そうに破顔した。
「それは相沢芳乃って女が――セックスが大好きなド淫乱だからだぁ!!!」
芳乃の肩が、ピクリと震えた。
「オマエは芳乃が利用されてるって、そう言ったなぁ? ヒヒヒ、確かにそうだ。オレも田宮も、芳乃の身体にしか興味がない……だがなぁ!! それは芳乃も同じなんだよ!! 利害が一致してるんだよ、オレたちは!!!」
言葉を挟む暇も与えず、光誠は鼻息荒く一気にまくし立てる。
「し・か・も・だ!! 田宮はともかく、オレは芳乃にとって特別な存在なんだよ!! オレと芳乃はなぁ!! 身体の相性が抜群なんだよ!! 毎回毎回飽きもせず、いい声で啼くんだよなぁ!!」
「やぁ……そんなこと、言わないで……」
芳乃が俯きがちに、か細い声で抗議する。
羞恥に染まる頬が、光誠の発言がでまかせの類ではないことを、雄弁に物語っていた。
「……」
思い出すのは、はじめて光誠と対面した日のこと。俺は芳乃に、光誠のどんなところが好きか訊ねた。
――優しいところとか、ぜんぶとか、そういうありきたりなのはナシで
――相性がいいところ、かな
――馬が合うってことか?
――……ん、そんな感じ
あれは、そういう意味だったのだろう。
「そういやぁこの前、田宮と谷のクソガキも交ぜて四人でヤッたときなんか、そりゃあもう乱れっぷりが半端じゃなかったよなぁ!! もうどんだけイクんだよって!! 芳乃はとっくに、オレらなしでは生きていけない身体なんだよ!!」
「もうわかったから、黙れよ。芳乃が嫌がってるだろ」
「ヒヒヒヒヒ、本当に嫌がってるのかぁ? よがってるの間違いじゃないのかぁ? 自分の恥ずかしい一面をオニイチャンとオトモダチに知られて、グチョグチョに濡らしちまってるんだろぉ、なぁ芳乃ぉ!!」
「もう我慢できませんっ……」
一歩踏み出したあやねを、俺は腕を掴んで止めた。
「離して兄さんっ、芳乃ちゃんを強引にでも連れて帰りますっ!」
「それじゃ根本的な解決にはならない。ちゃんと、芳乃が決めなくちゃダメだ」
「でも、そうしたら……!」
「大丈夫だ。信じろ。俺と、それから芳乃を」
「……っ」
あやねの腕から、ゆっくりと力が抜けていった。
「片桐さ〜ん、そろそろ終わりにしてもよくないっすか〜? どうせ芳乃ちゃんに選択肢なんてないっしょ〜」
「それもそうだなぁ? なんせオニイチャンやオトモダチじゃ甘えることはできても、セックスのパートナーとしちゃあ役者不足だもんなぁ!!」
今回、芳乃が彼氏を作った背景には、満足に俺に甘えられなくなったというだけでなく、そういう事情もあったのかもしれない。
宗真と別れてから光誠と付きあうまでの期間は、二か月近く。
田宮と別れた当日に欲求不満の片鱗を見せていた芳乃のことだ、それだけの期間があれば、欲求不満が限界に達してもおかしくないだろう。
「さぁさぁ!! アピールタイム終了まで、あと三十秒!!」
「二十九〜、二十八〜、二十七〜」
光誠と田宮が、カウントダウンを開始した。
「あやね、言い残したことがあるなら、今のうちに伝えとけ」
「でも、ここは兄さんが……」
「俺はいい」
そっとあやねの背中を押してやる。
「二十秒前!!」
あやねはまだなにか言いたげだったが、カウントに急かされるように芳乃と向かいあう。
「芳乃ちゃん!」
芳乃が顔をあげた。
「私は、芳乃ちゃんに任せます! 芳乃ちゃんが本当に選びたいと思ったほうを選んで! 私はその気持ちを尊重します! どちらを選んだとしても――私は、芳乃ちゃんの親友のままです! それだけは、安心していいからねっ!」
「……あやね」
芳乃がぽつりと、かすかに震える声で言って。
「五秒前!!」
俺は、一歩前に出た。
「四」
それから、まっすぐに芳乃へ視線を向け。
「三」
口を開き。
「二」
「芳乃」
気負いもなにもなく、ただただ普通に、そう呼びかけた。
「一」
芳乃が俺を見た。
――目が、合った。
「ゼロぉっ!!! ヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ、残念、ここで時間切れだぁ!!!」
「ちょっ、オニーサン、時間切れとかマジダセェ! 超ウケる!」
馬鹿騒ぎする馬鹿どもへ、俺は言った。
「終わらせるなら早くしてくれ」
光誠はいっそう笑みを深くして、ヒヒヒと笑った。
「なんだぁ、もう諦めモードかぁ? ま、いいだろう――芳乃ぉ!! 時間だ、さぁ選べ!!」
「芳乃ちゃ〜ん、今日は俺も予定空けてあるし、三人で思いっきり楽しもうぜ〜」
「……」
実際のところ、芳乃が俺を選ぶメリットなんて皆無に等しい。
俺を選ばなかったところで家族の縁が切れるわけじゃない。光誠たちを選ばなかったら、彼らと一緒に快楽を味わうことは二度とできなくなるだろう。
光誠を選べば今までどおり。俺を選ぶことのデメリットばかりが大きい。
だが。
それでも、芳乃の答えなんてわかりきっていた。
芳乃は迷う素振りもなく、一直線に駆け出して。
そして勢いよく、俺の胸へ飛びこんだ。
「おかえり、芳乃」
「うん……」
そっと頭を撫でてやると、芳乃はぎゅっと、俺に抱きつく力を強めた。
「芳乃ちゃんっ!」
あやねがうれしそうな声をあげる。
「……お兄ちゃん、あやねも……たくさん心配かけてごめんなさい」
芳乃が俺の胸に顔を埋め、くぐもった声で言う。
俺は返事の代わりに、芳乃に負けないくらい力強く、その身体を抱きしめた。
「いいんです……芳乃ちゃんさえ無事でいてくれれば、それで」
優しさに満ちた眼差しを芳乃へと向けながら、あやねが言った。
「――いいわけないだろうが!!」
目を血走らせた光誠が、俺たちへ詰め寄ってくる。
「どういうつもりだよ!! 芳乃ぉ!! なんでそうなる!?」
「なにがだ? 芳乃はただ、俺たちを選んだだけだろ? それのどこが不満なんだ?」
「ぜんぶだ、ぜんぶッッ!! おかしいだろうが!! 芳乃はオレの魅力から離れられないはずなのに!!」
最早、光誠にさっきまでの余裕は残っていなかった。必死の形相で、掴みかからんばかりの勢いで俺に迫ってくる。よっぽど芳乃の身体を手放すのが惜しいのだろう。
「はぁ?? ほんとマジ、意味わかんね」
光誠の後ろでは田宮が不機嫌そうにぼやいていた。
「教えてやろうか?」
俺は訊いた。
「は?」
「芳乃がおまえらのことを、単なる玩具としてしか認識していないとわかった時点で、こうなることもわかっていた」
「適当なこと言ってんじゃねぇぞ!!」
「要するに、こういうことだ――どうしてもほしい玩具があって、だけど買ってもらえなかった。だからといって、玩具と一緒に売り場に残る子どもがどこにいる? どれだけ駄々をこねても、結局最後には必ず、親のもとへ戻ってくるもんだ」
「はっ、なんだそりゃ!! それが、芳乃がオレを選ばなかった理由だっていうのかよ!?」
「あぁ、そうだ。玩具と人間のあいだに、“絆”は存在しないからな」
俺は両腕から伝わる温もりを感じながら、キッパリとそう告げた。
「…………ヒヒッ!!」
光誠は今まで見せたことがないような、ひどく険しい、苦虫を噛み潰したような表情を一瞬だけ覗かせたあと、すぐにニタニタといつもの笑みを浮かべた。強がり以外の何物でもない――そんな笑みを。
「どいつもこいつも、くっだらねぇなぁ!? 特に芳乃だ!! マジでクソみたいな女だったぜ!! 谷の野郎しくじりやがってタダじゃおかねぇと思ってたが、こりゃあ別れて正解だったみたいだなぁ!?!? ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ、行くぞ田宮ぁ!!」
「うぃーっす……」
――ガゴン!! と鉄扉が勢いよく閉まる音が聞こえて。
屋上に、静寂が訪れた。
「なにはともあれ、これで一件落着、でしょうか?」
あやねが安堵の表情とともに言う。
「そうだな、いろいろ言いたいことはあるが……おい芳乃、そろそろ離れろ」
依然俺の胸に顔を埋めたままの芳乃に、声をかける。
「…………」
だが芳乃はピクリとも動かず、俺の身体にしがみつき続けている。
「ったく……」
彼氏と別れたとたん、またいつもの甘え癖が再発したか……と、そんなふうに。
このときの俺はまだ、事態を楽観視していたのだ。
「…………で、……なく……ちゃった」
ぼそりと。
芳乃は俺の胸元で、何事かつぶやいた。
「は? なんだって?」
芳乃の頭が、ゆっくりと持ちあがっていく。
そして、
「お兄ちゃんのせいで、みんないなくなっちゃった」
顔をあげた芳乃の、その両の瞳は――どこまでも暗く、
芳乃の細腕が俺の背中を離れ、首の後ろへと回される。
直後、芳乃の顔が……
芳乃の唇が……
俺の眼前へと、迫ってきて。
「責任、取って……」
俺の唇に、芳乃の唇が触れた。
強く強く押し当て、同時に舌先を突き出し、俺の口を無理やりにこじ開けようとしてくる。
数秒も経たず、閉じた俺の唇のあいだを芳乃の舌がぬるりと貫通し、口内への侵入を果たした。
芳乃の唇の端からは吐息が漏れ出し、俺の頬を生温かい温度がくすぐる。
湿り気を帯びた芳乃の舌が、俺の舌先を捉えた。芳乃は柔らかい唇を限界まで押しつけ、伸ばした舌で俺の舌を絡め取る。吸いつくように唇をすぼめ、唾液を搾り取るように、俺の舌にちゅうちゅうとしゃぶりつく。
俺と芳乃とのあいだで、ぢゅるぢゅると淫靡な音が絶え間なく鳴り響く。
芳乃は両手で俺の後頭部を押さえこみ、ひたすらに俺の口内を蹂躙し続けた。
やがて芳乃は、ゆっくりと顔を離す。
唇と唇のあいだを、一筋の細長い糸が繋いだ。
そのおぞましくも美しい光景に、俺は悪寒と鳥肌が止まらなかった。
「芳乃、ちゃん……?」
あやねが呆気にとられたような声を出す。
だが俺は、それほど驚きは感じなかった。むしろ、こうなることが自然な気さえした。
彼氏に依存し、振られ、俺に依存し、彼氏に乗り換え、また別れて俺に依存する……
そんな不安定な毎日が、長続きするわけがなかったのだ。
芳乃はもう、限界だ。
一刻も早く、真に収まるべき場所へ収めてやらなくてはならない。
俺は“決意”を固めた。
「あやね」
「……なぁに、兄さん?」
「二つ、頼みがある」
俺は芳乃の頭に手を置きながら、振り向いた。
「今すぐ、湊を呼んできてくれ。俺が呼んでるとわかるとあいつは逃げるから、あやねに用事があるってことにして、な」
「それは、いいけど……」
真剣に話す俺に、ただごとではないなにかを感じ取ったのか、あやねはどこかおそるおそるといった様子で訊いてきた。
「……それで、二つめの頼みって?」
俺は答えた。
「――俺と別れてみる気はないか?」
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