妹のスケジュール帳


「――また甘えすぎたせいで振られちゃうのが、怖くて。だからわたしね、コウくんとお付きあいしようって話になったとき、まずは自分のことをちゃんと知ってもらおうって思って、話したの」


 リビングのソファーで俺とあやねが隣りあい、そして対面に芳乃が腰かけている。

 重苦しい空気の中、相沢家初の家族会議は粛々と進行していた。


「恋人同士になったわたしは、きっと今までとは比べものにならないくらい、たくさんたくさんあなたに甘えちゃう。依存しちゃう。束縛しちゃう。すぐに付きあったことを後悔することになるかもしれない。それでも、わたしと付きあってくれる? ――って、そう訊いたの」

「それで、片桐先輩は……なんと?」

「そんなに不安なら、じゃあ、、って」

 芳乃はそう言って、バッグからスマートフォンを取り出した。

 軽く操作したのち、画面を俺たちに向けた状態で差し出してくる。

 スケジュールを管理するアプリなのだろう、画面にはシンプルなカレンダーが表示されている。

 そして今日の日付のマスには、


     ♡ソーマ♡


 とだけ、書きこまれていた。


「見て?」

 芳乃が画面を覗きこみながら、明日の日付をタップする。画面上には、


     ♡コウくん♡


 の文字が拡大されて表示された。


「明日がね、コウくんの番なのっ」


「……」

 俺はなにも答えず、カレンダーを眺めた。


日   ♡ソーマ♡

月   ♡コウくん♡

火   ♡シュンくん♡

水   ♡コウくん♡

木   ♡シュンくん♡

金   ♡コウくん♡

土   コウくんかシュンくん、当日のお楽しみ♡♡

日   ♡ソーマ♡

月   ♡コウくん♡

火   ♡シュンくん♡

水   ♡コウくん♡

木   ♡シュンくん♡

金   ♡コウくん♡

土   コウくんかシュンくん、当日のお楽しみ♡♡

日   ♡ソーマ♡

月   ♡コウくん♡

火   ♡シュンくん♡

水   ♡コウくん♡

木   ♡シュンくん♡

金   ♡コウくん♡

土   コウくんかシュンくん、当日のお楽しみ♡♡


 予定は数か月先まで、ギッシリと埋め尽くされていた……。


「月水金がコウくんでしょっ、それから火木がシュンくん。週二日なら束縛されても我慢できるって言ってくれたの。ソーマは受験勉強で忙しいからあんまり迷惑はかけたくなかったんだけど、週一ならいい息抜きになるからって、むしろ喜んでくれたくらいなんだよ! 二人とも優しいよねっ?」

「光誠が……これを提案したのか?」

「うん、交渉もぜんぶコウくんがしてくれたんだよ? わたしはただ、お友達になってくれそうな人の名前を挙げただけ」

「片桐先輩のことは、以前芳乃ちゃんに一度紹介していただいただけですが……とてもそんなことをするような人には見せませんでした」

「だが、芳乃がこう言ってるんだ」

「……そうですね。信じがたいですが、信じるよりほかありません」

 あやねがやれやれというように首を振り、それから俺を見た。

「片桐先輩もですが。田宮さんや宗真くんだって、私、そんな人だとは思っていませんでした……男の人って、みんなそうなんですか?」

 なぜか若干涙声で、そんなことを訊いてくる。

「まさか。そいつらが揃いも揃ってクズだったってだけだ」

「……よかった。あ、いえ、よくはないんですけどっ」

「…………」


 あやねの手前、そうは言ったが。

 俺は男なので、彼らの心情については察することができる。当番制によって、芳乃との肉体関係は維持したまま、デメリット依存・束縛だけを軽減させることができるのだ。飛びつきたくなるのも理解できる。

 だが、


「芳乃……おまえは、それでいいのか?」


 彼氏にさえも身体目当てセックスフレンドだと言われているような、そんないびつな関係性を。

 おまえは、本心から受け入れているのか?


「うんっ、いいよ?」


 芳乃は元気にうなずいて、笑顔を見せる。

 ……俺の、せいなのか?

 俺が芳乃に依存しすぎたせいで、芳乃は外に男を作らざるをえなくなって。

 その結果、芳乃は……。


「目を覚ましてください……芳乃ちゃんは、いいように利用されているだけなんですっ」

「……そんなことないんだよ、あやね」

「えっ?」

「わたしは今のままでいいの。だってわたし、幸せだもん」

「芳乃ちゃん……」


 それからしばらくのあいだ、沈黙が続いた。

 あやねも俺と同じように、なんと言っていいのかわからないのだろう。

 芳乃はどこまで正気で、どこまで本気なのか?

 その笑顔からは、それすらも窺い知ることはできなかった。


「もういい、芳乃……おまえ、全員と関係を断て」

「……え?」

「それで、甘えたいなら俺に甘えろ。いくらでも甘えてくれていい。俺のほうは、もういいから。だから、俺のそばに戻ってきてくれないか?」


 兄として、ただただ芳乃のことが心配だった。その一心で、俺はそう伝えた。

 芳乃の表情は笑顔から一転、みるみる翳りを帯びていく。


「……それは、嫌っ」

「なんでだよ……そんなに光誠のことが好きなのか?」

「…………」

「なぁ芳乃、頼む」

「……嫌、嫌っ……嫌!」


 芳乃はぶんぶんと激しく首を振る。

 その様子はまるで、ほしい玩具を買ってもらえず駄々をこねる幼児のようだった。


 どうしたっていうんだ、いったい。

 なにが芳乃をそこまで頑なにさせているんだ。



 ――翌、月曜日。

 俺は自分の教室には立ち寄らず、芳乃とあやねに同行した。

「おーい湊、ちょっといいか?」

 教室に入るなり、さっそく親友を呼び寄せる。

「……今日はなんの用?」

「悪いんだが、ちょっと芳乃のことを見張っててくれないか?」

 警戒心をあらわにする湊だが、俺は気にせず芳乃の肩を掴み、ずいと差し出した。

「……あのねコウちゃん。どうして俺がきみらのことを避けてるのか、忘れたのか?」

「まぁそう言うなよ。朝のホームルームが始まるまででいいから」

「冗談じゃない。そうやってなし崩し的にコウちゃんの計画に組みこまれていくのは、俺はごめんだよ」

 隣であやねが「……計画?」と首を傾げている。そういえばあやねには話してなかったか。教えてもいいが、今はあいにくそれどころではない。


「……わたしも、嫌。みーくんなんて」


 俺に肩を押された芳乃が直立のまま、ぷいと顔をそむけて言った。

「ほら、妹さんもそう言ってる」

 湊がどこか勝ち誇ったような顔で言う。

「芳乃の意見なんかどうでもいいんだよ。なぁ湊、今日のところは黙って引き受けてくれないか?」

 そうしてもらわないと困るのだ。

「ねぇお兄ちゃん、わたしコウくんのところ行く……」

「俺が今から会いに行くんだよ。おまえはここでおとなしくしてろ」

「じゃあわたしもいっしょに行く……」

「ダメだ」

 わかってくれ。光誠にはもう会わせたくないという兄心を。


「俺もダメだからね。ほかをあたってよ」

「今回は例の件とは無関係だ」

「……それでもダメだ。これ以上関わると、俺のほうが…………いや、なんでもない」

 湊は一瞬だけ芳乃へ視線を向け、すぐに逸らした。

「古井出くん、私からもお願いします」

 あやねが一歩、前に出る。

「静志麻さんまで……」

「芳乃ちゃんのことを安心して任せられるのは、古井出くんしかいないんです」

「そう言われても……」

「お願いします、古井出くんだけが頼りなんです」

「…………」

 あやねのような美少女にここまでお願いされて、それでも断れる男がいるなら見てみたいものだ。


「……はぁ、わかったよ。いいよ」

「……っ」


 案の定、湊は折れた。

 そして一瞬、芳乃の瞳がかすかに揺らいだことも……俺は見逃さなかった。


「……詳しい事情は訊かないよ。深入りしたくないからね」

 ちらりと俺を見て、湊が言う。

「あぁ、かまわない。恩に着る」

「お兄さん、もうあまり時間がありません。行きましょう」

「あぁ」

 俺は芳乃の頭を軽く撫でると、教室をあとにした。

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