妹のおともだち


 日曜の昼過ぎ、昼食の後片付けを終えまったりくつろいでいると、インターホンが鳴り響いた。

 ちょうど出かけるところだった芳乃が俺よりも先に玄関へ向かい、扉を開けた。


「……そんなあからさまにがっかりした顔されると、わたしだって傷つくんだけど?」

「し……してませんしっ! 変なこと言わないでください!」

「はいはい、いらっしゃいあやね。そこどいて」

「え、どこか行くんですか?」

「友達と会う約束してるの。よかったね、お兄ちゃんと二人きりになれて」

「い、言っておきますけどっ。私は芳乃ちゃんと兄さん、二人に会いに来ているつもりですからっ!」

「はいはい。それじゃ行ってくるね、お兄ちゃん」

「あぁ、気をつけてな」

「はぁい」


「もぉぉっ、あやね本気で言ってるのに!」

 パタンと閉められた扉に向かって、あやねが叫ぶ。

「だいたい友達に会うって、なに? 芳乃ちゃんに、あやね以外の友達なんているの?」

 さらりとひどいことを言うあやねだが……。


「……あやねも、そう思うか?」


「えっ?」

「いや、なんていうか。なんとなく不自然な気がするんだよな」

 光誠カレシに会う、ならわかるが、友達に会う、という言い回しがどうにも引っかかる。

 あの芳乃が、彼氏に甘える時間を削ってまで会いたがる相手というのが、まったく想像がつかない。自称親友のあやねはここにいるし……。

 別に芳乃が誰と会おうと勝手なので、あえて問い質したりはしなかったが……


 ――もぉ、心配しないで? シュンくんとはただの友達だから

 ――でも最近はまた、お友達として付きあってるの


 ……それでも、どうにも嫌な予感が拭いきれないのだ。

「わかるっ! あやねよりも優先しなきゃいけない友達なんて、芳乃ちゃんにいるわけないもん!」

「まぁそれはどうでもいいんだが」


「尾行しよっ、兄さん!」


 あやねは声を弾ませて、元気いっぱいにそんなことを言った。



「……そういえば、おまえはいるのか、芳乃以外の友達」

「あ、あやねの場合は兄さんと芳乃ちゃんがいれば、それで充分っていうかっ……!」

「……いないんだな、かわいそうに」

 そんなとりとめのない会話を小声で交わしながら、尾行を続けること数十分。

 周囲の景色に目を向ければ向けるほど、嫌な予感は膨らんでいく。


「ねぇ兄さん、ここって……」

「……あぁ」


 見覚えのあるファミレスに向かって、芳乃が手を振りながら駆けていく。

 待ち合わせをしていたのだろう、そこには一人の男が立っていた。

 …………確かに、嫌な予感はしていたが。

 どうして、おまえなんだ。

 どうして、なんだ。


「……あの子、だよね?」

「……あぁ、間違いない。谷宗真だ」


 そこにいたのは、メガネをかけた細身の少年。

 かつて芳乃のほうから振った男が、なぜまた、芳乃と待ち合わせをしている?

 田宮俊朔に続いて、二人目。

 なぜ芳乃は、一度別れた男なんかと立て続けに会っているんだ……?


 芳乃たちはファミレスの中には入らず、どこかへ向かうようだった。

 俺とあやねは顔を見合わせうなずきあうと、あとを追った。

 そしてたどり着いたのは、俺とあやねも利用している――あの場所だった。


「これはさすがに止めるぞ」

「う、うんっ」

 俺たちはまるでいつかの再現のように芳乃たちのもとへ駆け寄った。

 芳乃が彼氏以外の男と関係を持とうとしているのは明白だ。これを見過ごしてしまえば、いくらなんでも光誠に合わせる顔がない。

「おいっ、芳乃!」

「芳乃ちゃんっ!」

 芳乃と宗真が、同時に振り向いた。


「あれ? お兄ちゃん? あやね?」


 芳乃はぽかんとした顔で、俺とあやねへ順番に視線を送る。

 その表情には驚愕も、動揺も、焦燥も浮かんではいない。

 一切顔色を変えることなく、芳乃はただ、不思議そうにかくんと首を傾げた。


「先日はどうも。またお会いしましたね」


 宗真の佇まいは意外なほど余裕に満ちていた。

 以前のようなおどおどとした雰囲気も、豹変した際に見せた気性の荒さも、そこにはない。別人のようですらあった。


 芳乃も宗真も、浮気現場を目撃されたにしては、あまりに冷静すぎるように思えた。

 俺はひとまず宗真のことは無視し、芳乃に詰め寄った。

「これは、どういうことなんだ?」

「えっ? どうって?」

 芳乃はまた、かくんと首を傾げた。

 ……本気でなにを言っているのかわからない、というような顔をして。

「芳乃ちゃん、もしかして、片桐先輩とは別れちゃったんですか?」

「えっ、コウくん? 別れてないよ? なんでそんなこと言うの?」

「…………」

 あやねが表情に困惑を色濃くにじませ、俺を見あげてくる。俺もまったく同じ気持ちだった。

「だったら、そいつはなんなんだよ」

「ソーマ? ソーマはお友達だよ? 確かに一度は別れたけど、最近はまた、お友達として仲良くするようになったの」

「なぁ芳乃、そんな言い訳が通用すると思うか?」

「言い訳? 違うよお兄ちゃん、ソーマとは本当にただのお友達なの」

「あのな……おまえらはこんな場所に、友達同士で来るっていうのか?」

 俺は目の前の建物を指し示し、訊いた。


「はい、そのとおりです。だって僕たちは、なんですよ?」


 宗真は芳乃をかばうように、一歩前に出た。

 ……お友達、って。

 まさか。


「そういう意味での、お友達ってことかよ」

「さすがお兄様、理解が早くて助かります」

「…………」


 あやねがなんともいえない表情でじっと俺たちのやり取りを見ていた。おそらくは“そういう意味”の意味がわからないのだろうが、気軽に質問できる空気でもないのでおとなしくしているのだろう。

「約一名理解しておられない方がいるようなので、この際ハッキリと申しあげておきましょう。つまり、僕と芳乃はセックスフレンドなんですよ」

「セッ……っ!?」

 意味を理解したあやねは一瞬たじろぎ、しかしすぐさま芳乃に詰め寄った。

「そ、それは本当のことなんですか、芳乃ちゃん……?」

 芳乃は場に似つかわしくない、とびっきりの笑顔で答えた。


「うんっ、いいでしょっ! ソーマはわたしの大切なお友達なの! あやねにはあげないよ?」


 芳乃はまっすぐにあやねを見ている。だがその瞳は、なにも映してはいないような――そんな気がした。


 ……いつからだ?

 芳乃は田宮のことも、“お友達”だと言っていた。それは、田宮ともすでにそういう関係である、と……つまりはそういうことなのだろう。

 いつから芳乃は、こんなことになっている?


「……ともかく。このことは、俺から光誠に伝えておく。芳乃も宗真も、それでいいな?」

 知ってしまった以上、見て見ぬふりはできない。伝えた結果、芳乃と光誠が別れることになったとしても、それは芳乃の自業自得と言うよりほかない。

 できれば光誠とは、もっと長続きしてほしかったのだが。


「あぁ、そういえば、言い忘れていました」

 宗真がどこか芝居がかった仕草で、両手をぽんと打ち鳴らした。

「この件に関してはすべて、片桐さん公認ですよ?」

「……は?」

「まぁ正確にいえば、片桐さん発案、ということになるんですが」


 ……なんだよ。

 なんなんだよ、それは。


「あいつが、おまえや田宮とグルになって、芳乃をたぶらかしたっていうのか?」

「誑かすだなんて、人聞きの悪い。僕と芳乃は単なるお友達だって、さっきから言ってるじゃないですか? ねぇ、芳乃?」

「うん、そうだよお兄ちゃん? コウくんが彼氏で、シュンくんとソーマはお友達。だから、問題なんてなんにもないんだよ?」

 どこか虚ろな瞳で、感情の起伏を感じさせない声で、淡々と芳乃は言う。

「ねぇっ、なに言ってるのっ、芳乃ちゃん! 芳乃ちゃんおかしいよっ、どうしちゃったのっ!」

 あやねが芳乃の肩に掴みかかり、声を荒らげる。

「落ち着け、あやね」

「だって兄さんっ、芳乃ちゃんがっ」

「……」


 俺は強引に芳乃を抱き寄せ、宗真を睨みつけた。

「とにかく、おまえはもう、二度と芳乃に関わるな」

「は? なんですか突然。お言葉ですが、お兄様にそんなことを決める権利は」

「おまえ、受験生だろ? 中学生がこんな場所に出入りしてることが知れたら、受験に響くぞ?」

「……」

「チクられたくなかったら、二度と芳乃に近づくなって言ってるんだよ。わかるか?」

「…………はぁ。仕方ありませんね」

「二度とだぞ、いいな?」

「わかりましたよ、今後は二度と芳乃に関わりません。お約束します…………はぁ」

 宗真は溜息をついて、俺たちに背を向けた。

「この日を楽しみに、毎日勉強を頑張ってきたというのに。まったく、興醒めもいいところです」

 ぶつぶつとそんなことを言いながら、宗真は去っていった。

 彼は最後まで、芳乃のことを見ようともしなかった。以前とは違い、芳乃本人への執着は微塵も感じられない。最早そこに愛情など存在せず、本当にただ、身体だけが目的だったのだろう。


「……お兄ちゃん、怒ってる?」

「とりあえず、帰るぞ。話はそれからだ」


 それ以降は言葉も交わさないまま、俺たちは家路についた。

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