妹の二股疑惑


 一年二組の教室に入ると、あやねが駆け寄ってきた。

 芳乃のために通いだしたこの教室だが、芳乃は休み時間のたびに光誠のところへ行っている。なので今の俺は、ただ彼女に会いに来ているだけの男だ。


「あの、お兄さん……今日は屋上で食べませんか?」


 小声でそう提案してくるあやねは、平静を装ってはいるが、はやる気持ちは隠しきれていなかった。

「そうだな、行くか」

「はい……」

 俺たちは“他人の距離感”を保ちつつ、教室をあとにした。あやねと付きあいだしてしばらく経つが、まだ人前で“恋人”をやるのには抵抗があるようだ。俺としては芳乃の相手で慣れてしまったので、人前だろうといくらでもいちゃつける自信はあるのだが、そんな俺と芳乃を外野から見てきたあやねだからこそ、余計に気恥ずかしいのかもしれない。

 もっとも俺たちの関係なんて湊にはバレバレだったわけだから、知らず知らずのうちに見せつけてしまっているのかもしれないな、“恋人の距離感”ってやつを。


 貸し切り状態の屋上に、二人で足を踏み入れる。

 その直後、あやねがしなだれかかるように俺の首に腕を回してきた。そしてつま先立ちをしながら、俺の口元へ強く唇を押し当てる。

「んんっ……」

 あやねの舌が俺の唇を割って、口内に侵入してくる。隅々まで味わうように丹念に口内を舐めあげるあやねに、俺も負けじとあやねの口内へ舌を差し挿れた。

「んっ、ちゅ……ちゅるっ、ちゅぱ……はぁっ、兄しゃんっ、しゅき、らいしゅきっ……!」

「俺もだ」

 舌と舌を絡めあうだけの単調な行為なのに、いくらでも続けられてしまう。

 とはいえ本当にいつまでもこうしているわけにもいかないので、俺はそっとあやねの身体を引き離した。


「これから昼メシにするんじゃなかったのか?」

「そうだけど……でも我慢できなくて……」

「まぁ、別にいいが」


 だいたいいつものことなので、こうなることは予想できていた。

 俺は広げたレジャーシートの上に胡座あぐらをかき、二人分の弁当の包みを広げ始める。あやねはそんな俺の上へ躊躇なく腰を下ろした。

「兄さん兄さん、今日のメニューなに?」

「バーグ&バーグ」

「やったっ、兄さん大好きっ」

 あやねと恋人同士になってからは、あやねのリクエストにより俺があやねのぶんの弁当も作るようになった。相沢家三人のぶんに加えてこれで四人分、大変じゃないといえば嘘になるが、こうしてあやねの喜ぶ顔が見られるので少しも苦ではない。ちなみにバーグ&バーグとは、あやねの好物であるハンバーグと芳乃の好物である豆腐ハンバーグがハーフ&ハーフで入っている、ただそれだけの代物だ。

 俺はいつものようにあやねの口元へ運ぶべく、弁当箱からおかずをつまもうとして……その手を、あやねの手に止められる。

 あやねはちらりと至近から俺を見て。


「ねぇ兄さん、あやね、口移しがいい……」


「……」

 俺があえてなにも答えずにいると、あやねの顔はみるみるうちに赤く染まっていった。

 どれだけキスに慣れても、身体の関係を持っても、こういうところは相変わらずで。あやねのそういうところが俺は好きだった。

「ねぇ、兄さん、お願いだからなんか言って……」

「いや、ずいぶん恥ずかしいこと考えるんだなと思って」

「……やっぱり、なにも言わないで」

 あやねは真っ赤な顔で俯いてしまった。

 俺は少しだけ思案したのち、弁当箱からひょいとプチトマトを一粒つまんで、自らの口に放りこんだ。


「あやね、こっち」

「……なに?」


 こちらに顔を向けたタイミングで、すかさず唇を奪う。

「んんっ……!?」

 そしてプチトマトを、舌先であやねの口内へと押しこむ。

 これで満足か、なんて思っていると、あやねはどういうわけかプチトマトを送り返してきた。

 返されても困るので、俺は再びプチトマトを送りこむ。

 ……するとまた、あやねの舌に載って戻ってきた。

 なにがしたいんだ、と思ったが、あるいはがしたかったのかもしれない。

 そんなやり取りをしばらく繰り返しているうちに、いつしかプチトマトは潰れ、口の中にはトマトの風味が広がっていた。

「……」

 潰れたトマトは最終的にあやねに押しつけて、俺は唇を離した。

「……もういいだろ、いい加減普通に食べるぞ」

「んっ……うん、そうする。あやねもうお腹ぺこぺこ」

 プチトマトの残骸を咀嚼したのち嚥下して、あやねが言う。だったら最初から普通に食べてくれ。

 まったくなにをやってるんだろうな、俺たちは……。


 今ごろ芳乃も、こんなふうに光誠と幸せな時間を過ごしているのだろうかと、そんなことをふと思った。



「あ、やっと戻ってきた」


 教室に戻ると、珍しく湊が声をかけてきた。

「なんだ、どうかしたのか?」

「う〜ん、どうかした、ってほどでもないんだけど。少し、気になったことがあって」

「気になったこと?」

「いや、俺としては別にどうでもいいことなんだけどね? いちおう、コウちゃんの耳には入れておいたほうがいいかなぁ、と……」

「なんだよ、早く言え」

 俺が急かすと、湊はう〜んとまた唸って、

「ところでコウちゃんは、俺が普段どこで弁当を食べてるか知ってる?」

「は?」

 俺があの“宣言”をした日以降、湊は俺と芳乃を避けるように、昼食時になるとふらりとどこかへ姿をくらますようになったが……

「三組じゃないんですか? 前に、教室に入っていくのを見かけたような?」

「そう、正解だよ静志麻さん。今日も俺は、三組で弁当を食べてきた」

「……その情報、マジでどうでもいいんだが?」

「本題はここからだよ。いつもは教室で食べている三組のある男子生徒が、今日は弁当を持って廊下に出たんだ。そして、その先で待っていたのは……よっちゃんだった」

「……は? 芳乃?」

「……芳乃ちゃんは、片桐先輩と一緒のはずじゃ?」

 あやねが小声で俺に耳打ちしてくる。

「俺は、彼女が今誰と付きあってるのかなんて知らないけど……少なくとも、彼とは別れていたはずだ」

「…………彼、って」

「コウちゃんは知ってるんだろ、よっちゃんの今の彼氏」

「……あぁ、知ってるが」


「じゃあ、ってこと?」


 湊の言葉に、俺とあやねは顔を見合わせた。

「なぁ、湊。その、芳乃と一緒にいた相手って、」

「田宮俊朔」

「…………」


 田宮俊朔。

 シュンくん。

 芳乃が湊の次に付きあって、わずか一週間で破局した相手。


「なんで、田宮が芳乃と会ってるんだ……?」

「その反応だと、どうやら違うみたいだね」

 ……芳乃、おまえ、光誠と一緒なんじゃなかったのか?



 予鈴が鳴ってから戻ってきた芳乃に、俺は開口一番訊ねた。


「おまえ、二股してるのか?」


「……お兄ちゃん、なに言ってるの?」

 芳乃はぽかんとした表情を浮かべ、首を傾げた。

「おまえが田宮俊朔と一緒にいるのを見たってやつがいるんだよ」

「なぁんだ、そんなこと?」

 あっけらかんと、芳乃は言う。

「コウくん、今日は都合が悪い日だから」

「……だから田宮と?」

「もぉ、心配しないで? シュンくんとはただの友達だから」

「でも振られて、別れただろ?」

「うん。でも最近はまた、お友達として付きあってるの。わたしに彼氏がいることはシュンくんも知ってるし、コウくんだって、わたしが今日シュンくんとお昼ごはん食べるってことは知ってるし」

「そうなのか?」

「そうなの。だからね、別に二股でもなんでもないんだよ?」

「……」

 光誠が了承済みなら、俺が口を出すことでもないか……?

 田宮が絡んでる時点で、不安はあるが……。

「……俺の気にしすぎか?」

「うん、そう。……でも、気にしてくれて、ありがと」


 なんとなく腑に落ちない気もするが、ひとまずは芳乃を信じて納得することにした。

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