妹の胸に抱かれて
「また話を聞いてくれ」
「……今度は、どっちの?」
「俺の“違和感”についてだ」
「コウちゃん、俺をカウンセラーかなにかと勘違いしてないだろうね?」
なんて言いつつも席を立ち、空き教室への移動を促してくる湊だった。
「ふぅん、つまり――“甘えられているとき”は違和感があるけど、“セックスしているとき”は違和感がない、と。似たような状況にもかかわらず」
「そうだ」
俺は自分が感じたことすべてを、余すことなく湊に説明した。
「……それってやっぱり、違和感の正体はムラムラだったってことにならない? コウちゃんは一方的に甘えられることで『早くエッチしたいのに!』という
「いや、なくなってはないんだ」
「性欲が回復したってこと?」
「違う、性欲から離れろ。あのあと家に帰ってから……芳乃はいつものように俺に甘えてきた。そのときは、確かに感じたんだ」
「……なるほど。それは確かに性欲じゃ説明がつかないね。コウちゃんが妹に欲情するはずないんだから」
「そういうことだ」
「となると、いったい……」
顎に手を当て、じっと考えこむ湊。やがて、なにかに気づいたようにハッと顔をあげ……
「まさか、そういう……ことなのか? 今になって、影響が……?」
ぼそりとそんなことを言う。
「なにかわかったのか?」
「……“甘える”というのは完全に一方通行の行為だが、セックスは双方向のコミュニケーションだ。相互に甘えている、と捉えることもできる。つまり、セックスによって違和感は緩和された、と考えれば……」
「おい、俺にもわかるように説明してくれ」
「……俺の推測が正しければ」
俺の目を見て、湊は言う。
「俺にはどうしようもできないし、コウちゃん一人で解決できる問題でもない。でも、ただ一人だけ……いる。問題を解決できて、そして責任を取るべき人間が」
「責任……?」
湊は結局、肝心な部分はなにひとつ教えてくれないまま、別れ際、独り言のように、
「気は進まないけど……話しておくか……」
あやねとは途中で別れ、俺は芳乃と二人、家路をたどる。
道中、芳乃はずっと――様子がおかしかった。
陰鬱なその表情は、なにかを思い悩んでいるように見えた。
「大丈夫か?」
「……え、なにが?」
おまけに、上の空。
俺にちらりとだけ視線を向け、すぐにまた前を向いてしまう。
「……ごめんなさい」
風の音にかき消されそうなほど小さな声で、ぽつり、と芳乃は言った。
「……」
本当に、どうしたんだ……?
「このあと、わたしの部屋に来て」
帰宅するなり、玄関先で俺に背を向けたまま、真剣な声色で言った。
……そうだな。
なにか思い悩んでいることがあるなら、思う存分甘えさせてやって、気を晴らしてもらうのがいいかもしれない。
そのつもりで、いつものノリで。
俺は、芳乃の部屋へ向かった。
芳乃はベッドに腰かけて待っていた。
俺がそばに寄ると、芳乃は立ちあがって俺を見あげた。
「……届かない」
「は?」
「膝立ちしてほしいかも」
「……」
よくわからないが。おおかた新しい甘え方でも開発したんだろう。
俺は素直に指示に従い、その場に膝をついた。
その、次の瞬間。
――視界が、真っ暗になった。
いったいこれからなにが起こるのかと身構えたが、なんのことはない、芳乃はただ、俺の頭を胸にかき抱いただけだった。
それ以上、特になにをしてくるわけでもない。顔面に慎ましやかな膨らみの感触が伝わるが、それだけだ。
……どういう趣向だ? いつもなら俺の胸に芳乃が顔を埋めてくるのに、今の状態は、それとは真逆だ。
これじゃあ、まるで……
「いいよ、お兄ちゃん」
「……なにが?」
どこか間の抜けた俺の返事は、芳乃の腕の中で溶けて消えた。
「甘えていいよ?」
「……………………」
あまりに優しい、慈愛に満ちた声だった。
このまま浸っていたい――ふいにそんな気持ちが湧き起こる。
が、無理やりに抑えつけ、絞り出すように声を発した。
「……どうしたんだよ、急に。なにかあったのか」
「……」
わずかな沈黙を挟んで、芳乃は言った。
「言われたの。お兄ちゃんは本当は、誰かに甘えたがってるのかもしれない、って」
「…………。なんだよ、それは。言われたって、誰に?」
「わたしたち兄妹のことを、昔からずっと、見守ってきた人に」
「……」
あいつ、あれだけ避けてた芳乃と、接触を持ったのか。俺のために……。
だが、湊。残念ながら、また外れだ。だってそうだろう、俺には、そんな欲求……
「気づいてあげられなくて、ごめんね?」
「……勘違いするなよ。俺は別に……」
「きっと、わたしのせいだから。……みーくんもそれに気づいてたから、彼女のあやねじゃなくて、わたしに教えてくれたんだと思う」
「……なにが、おまえのせいだっていうんだよ?」
「お兄ちゃんが甘えたい盛りのときに、わたしがお母さんを独り占めしちゃってたから」
「…………」
たしかに芳乃は、昔から母さんにベッタリだった。
「お母さんは渡さない」と、俺に対しては常に対抗心を剥き出しにしていた。
芳乃が物心ついてから、母さんがいなくなるまでの期間、ずっと。
芳乃がそんな様子だったから、俺は無闇に事を荒立てたくなくて、必要以上に母さんに近寄ることをしなかった。物理的にも、精神的な面においても。
親に甘えるようなことは、しなかった。
記憶にある限りは、一度も。
……だからその反動が、今ごろになって現れたって?
バカバカしい。
「そのお詫びと、それから、いつも甘えさせてもらってるお礼……って言ったら変かもだけど。とにかく……わたしに甘えてみて、お兄ちゃん?」
芳乃はそっと、驚くほど優しい手つきで、俺の頭を撫で始めた。
「……あのなぁ、芳乃。俺はおまえじゃないんだぞ? そんな、甘えたいみたいな欲求は、俺には、」
「妹の――家族の前でまで、強がらなくていいんだよ、お兄ちゃん。たとえ彼女には見せられない姿だとしても、わたしの前では、ありのままを見せていいんだよ。ほら、わたしがいつもお兄ちゃんにしてるみたいに、甘えてみて?」
とっさに否定しようとした。
――言葉が出てこない。
とっさに離れようとした。
――身体が動かない。
どれほどの時間、そうしていただろう。
やがて俺は、
「…………だったら、もっと撫でてくれ」
そんなことを、口走っていた。
「うん、いいよ。お兄ちゃんの気が済むまで、ずっとこうしててあげる」
「……」
胸のうちに広がるのは、違和感なんかではなく、信じられないほどの充実感だった。
あぁ…………もう、認めるしかないだろう。
――喜べ、湊。
おまえの推測は、どうやら大正解だったみたいだ。
俺は芳乃の温もりに、いつまでもいつまでも、身を委ね続けていた。
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