妹のいぬ間に


 あやねと付きあいだして、二週間が過ぎた。

 ある日の休み時間、俺は例によって芳乃たちの教室に足を運び……


「お兄さん、急いで!」


 教室の前で、あやねが手招きしていた。

 あやねは学校では、俺のことを今までどおり「お兄さん」と呼ぶ。芳乃とは違い、人目を気にして自重しているのだ。

「どうした?」

「芳乃ちゃんがトイレに行っている、今のうちに……」

「あぁ、そういうことか」

 芳乃がそばにいると、なんだかんだと二人きりの時間を作りづらい。今は絶好の機会といえた。

「……屋上でいいか?」

 空き教室などでは、声が外に漏れるおそれがある。それはあやねの本意ではないだろう。

「……お兄さんと二人きりになれるなら、どこでも」

 あやねがそっと身体を寄せてくる。

「時間がないな。急ごう」

 俺たちは駆け落ちでもするようにその場をあとにした。


 職員室で借りてきた鍵を使い、俺は屋上の鉄扉を押し開けた。

 吹きつける風が乱暴に頬を撫でていく。

 十一月に入り、冬の足音がすぐそこまで迫っているのを感じる。


「ちょっと肌寒いな。大丈夫か?」

 俺は振り返り、後ろ手に扉を閉めるあやねに訊いた。

「うん、平気」

 そう言って、あやねはとてとてと俺に駆け寄り、その勢いのまま抱きついてきた。


「だって……こうしてればあったかいから……」


 俺の肩に頬を押しつけ、回した腕に力をこめる。

 華奢なのに柔らかいその身体を、俺はしっかりと抱き返した。

「兄さんっ、兄さんっ! もっとっ!」

 甘えた声を出して、俺を見あげる。

「もっとあやねのこと、ぎゅってしてっ!」

 子どもが駄々をこねるように、あやねは小さくトントンと足踏みをして、身体を揺すってくる。

「してるだろ、ほら」

 俺はあやねの背中をすりすりと撫で回した。

「んんんっ……!」

 俺の腕の中で、あやねは気持ちよさそうに身をよじる。

「…………あたまもっ!」

「ん?」

「頭もなでなでして……? あやね、よしよし、いい子いい子、可愛いよって、してっ」

「あやね、よしよし、いい子いい子、可愛いよ、好きだ」

「〜〜〜〜っっ!? あ、あやねも兄さんのこと、好きっ!!」


 あやねと付きあいだして、二週間。

 友人関係のままでは知りえなかったであろう一面も、いろいろ見えてきた。

 中でも最も大きな変化は、やはりこの、どこかの誰かを彷彿とさせるような、凄まじいまでの甘えっぷりだろう。

 これには、その誰かの悪い影響も少なからずあると思う。

 だが基本的には、これが静志麻あやねの“本質”なのだと――俺はそう理解している。


「そろそろ休み時間終わるし、戻るぞ」

「……やだ! もっと兄さんと一緒にいる!」

「わがまま言うなよ」

「やだやだぁ……あやね、今日はもう学校早退する……」

「それは別にいいが、俺は戻るぞ?」

「やだぁ……意地悪言わないで……」

「……はぁ。じゃあ次の休み時間も、芳乃の目を盗んでここまで来い」

「……え?」

「それで妥協してくれ」

「……でも、芳乃ちゃんはいいの……?」

「よくはないが、たまには妹より彼女を優先してもいいだろ。それになにより……一緒にいたいのは、俺だって同じだ」

「……兄さんっ!!」


 自分のことを“あやね”と名前で呼び、タメ口を使う――二人きりのときにだけ見せる、普段とは違うあやねの顔。

 最初こそ慣れなくて違和感があったが、今となっては、むしろだ。

 普段の落ち着いた雰囲気、上品な物腰、丁寧な口調……それらすべてが、今となってはどこか作りものめいて見える。嘘臭く見える。

 両方のあやねと接したことで、俺は自然と理解した。

 普段のあやねは、ただ、大人ぶって背伸びをしていただけで。

 今ここにいるあやねこそが――素顔の、等身大のあやねなのだということを。


「好き好き好き、兄さんっ、兄さんっ……」

「…………」


 幼児のように全力で甘えてくるあやねの頭を撫でながら、同時に胸中に湧き起こる想いがあった。

 言葉にできない、正体不明の想い。


 ――まただ。


 また、この違和感だ。

 それはあやねに対してのものではない。

 この状況そのものに対する、漠然とした違和感だ。


 本当に、いったいなんなんだ、この気持ちは……?

 あやねや芳乃に甘えられているときにだけ芽生える、この言いようのない感覚は……。


 ……なんなんだ?

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