妹と間接キス
三人分の机をくっつけあって、俺たちは席に着いた。
俺と芳乃の椅子は当然のように肩が密着するレベルで隣りあっている。
正面の席では静志麻さんがなにか言いたげな顔で、けれどなにも言わず、ただ薄い笑みを浮かべながら観察するように俺たちを見ていた。
できればこの場に湊も誘って芳乃とのお見合いも兼ねたかったのだが、そんな俺の動きを警戒してか、教室に湊の姿はなかった。
「はい、コウくん。あーんして?」
「……」
芳乃は自分の弁当箱から自分の箸で玉子焼きをつまむと、自分で食べずに俺の口元へと近づけた。
こうなることは半ば予想していたので、俺は素直に口を開けた。
「どう? おいしい?」
「あぁ、なかなかイケるな」
「ほんと? よかったぁ〜」
まるで自分の手柄のように喜ぶ芳乃だったが、作ったの俺だからな?
母さんがいなくなってからというもの、俺は自分と芳乃と父さん、三人分の弁当を毎朝作っている。夕飯も、以前に比べれば外食や出前が増えはしたが、基本的には俺が作っている。
おかげで料理の腕はこの一年でめきめき上達したが、母さんと引き換えに得た
「はい、あ〜ん」
今度は一口サイズにカットされた豆腐ハンバーグ(昨日の夕飯の残り)が運ばれてくる。
「おいしい?」
「うまいが、芳乃、自分のぶんなくなるぞ」
「コウくんがわたしのぜんぶ食べて、わたしがコウくんのを食べるの。だめ?」
「それはいいけど、じゃあ俺に食べさせてばっかいないで自分でも食べろよ」
「あ〜ん」
どうしても俺に食べさせるのを優先したいらしい。
とはいえ、殿様のように一方的に食べさせられ続けるのは、逆にあまり良い気分がしないものだ。
かといって俺が普通に自分で食べようとすれば、芳乃が機嫌を損ねかねない。
俺は口を開けず、箸を持つ芳乃の手を押し戻す。
そして妥協案を提示した。
「せめて、交互だ。順番こにしてくれ」
「そうしたら、あーんしてくれる?」
「交互ならな?」
「ん、じゃあそれにする」
芳乃は押し戻された箸を、若干渋々ながらも自分の口へと運んだ。
「はべたよ、次はコウくんだからねっ」
「わかってるから食べながらしゃべるな」
喜々として差し向けられた唐揚げに、俺はかぶりついた。
そうして、俺たちは一口ずつ交互に弁当を食べ進めた。
これだけベタベタしていて、なおかつ上級生が平然とまぎれこんでいるというのに、やはりクラスの面々から特別な視線は一切感じない。芳乃なら仕方ない、といったところだろう。
そんな中。
――俺たちをガン見している存在が、ただ一人。
「ふふっ」
彼女は……静志麻あやねは。
突然、不敵な笑い声を漏らした。
「いきなり笑ったりしてキモいよ、どうかしたの」
芳乃が食事の手を止め、ぞんざいに訊いた。
「いえ、ふふふっ……あまりにもおかしくて。さすがに笑いをこらえきれませんでした」
「なんなの? わたしの首筋にキスマークでもついてる?」
「あぁいえ、芳乃ちゃんのことではなく。おかしいのはお兄さんです」
静志麻さんは言って、視線を俺に移した。なおも笑いをこらえるように口元を手で覆っている。
「俺がどうかしたか?」
訊いてはみたが、正直だいたいの予想はついていた。
俺たちのあまりのいちゃつきっぷりを、シスコンだなんだとからかうつもりなのだろう。
会ったばかりではあるが、早くも静志麻あやねという人物の
――なんて、そのときの俺はそんなふうに感じていたのだ。
「ええ、どうかしています、お兄さんは」
「だから、なにが?」
「とぼけたって無駄ですよ? 私、なにもかも気づいていますから」
「……おい、芳乃、おまえの友達なに言ってるんだ?」
「さあ? 頭がおかしくなっちゃったのかも」
「その様子だと、芳乃ちゃんは気づいていないみたいですね」
「いいから、早く言えよ」
じれったくて、初対面で年下の女子相手についキツい口調になってしまったが、気にしたふうもなく静志麻さんは応じる。
「あら、いいんですかお兄さん? 本当のことを知ったら、芳乃ちゃんはお兄さんのことを軽蔑してしまうかもしれませんよ? もう二度と口を利いてもらえなくなるかも?」
「なんだかよくわかんないけどさ、そんなことありえないからさっさと言いなよ」
「ふふ、わかりました。お二人とも、後悔しても知りませんよ? 実はお兄さんは――」
そして。
静志麻さんは“本当のこと”とやらを、ついに口にした。
口にして、しまった。
「――間接キスを、味わっていたのです」
「……」
俺は、言葉が出なかった。
なにを言っていいのかわからない。
だって、
…………マジでなに言ってんだ、この女??
ちらと隣を窺うと、芳乃も俺同様にぽかーんとしていた。
「あぁ、言ってしまいました。お二人の関係に亀裂を入れてしまったかもしれません……」
芳乃は俺を見て、「言ってる意味わかる?」と目で問いかけてきた。
俺は「さあ?」と首をひねった。
「だよね……」というような顔をして、芳乃は静志麻さんに視線を向けた。
「ねぇ、あやね? 悪いんだけど、詳しく説明してもらってもいい?」
「まだわかりませんか、芳乃ちゃん? 案外察しが悪いですね」
「ごめんね。できるだけ詳しくお願い」
「いいでしょう。まず、お兄さんはさっき、芳乃ちゃんにこう言いましたよね――“せめて、交互だ。順番こにしてくれ”――と」
「うん。だからわたしは、コウくんと順番こに食べることにしたんだよ」
「そう、そこです。お兄さんの狙いは、まさにそれなんです!」
「それ、って?」
「芳乃ちゃんとの間接キスです」
「わたしとの間接キス?」
あぁ、そういうことか。
ようやく俺にも彼女の言いたいことが理解できた。
芳乃はまだわかってないようだが。
「残念だけど、静志麻さん。それは勘違いだ」
「勘違い? 言い訳なんて見苦しい真似はやめてください」
「言い訳じゃない、本当だ」
俺はできるだけ真摯に訴えた。
「……いいですよ? 仮にあの発言の時点では、そのような意図はなかったとしましょう? だとしても、です。実際に芳乃ちゃんと同じ箸を共有したお兄さんは、絶対に間接キスを意識したはずなんです」
「…………」
「そこまではいいですか?」
「よくない、根拠はなんだよ」
なにかそう言いきるだけの根拠があるのかと思ってちょっと待ったんだが。
「……根拠?」
静志麻さんは、不思議そうに首をかしげた。
「いや、根拠だよ、わかるだろ? それだけ自信満々に言うからにはあるんだろ?」
「……と、言われましても。え、だって……?」
なぜか、静志麻さんは混乱している様子だった。
「だって、なんだよ?」
「いえ、その……根拠というか……普通、意識するものでは?」
「……は?」
なんか微妙に話が噛みあってないな……。
そう思ったとき、芳乃が言った。
「あっ、なんだ。つまり、あやねは自分がそうだから、コウくんも……って思いこんじゃってたんだぁ」
「え……?」
「あぁ、なるほど!」
俺はようやく合点がいった。
芳乃の発言の意味が呑みこめていない様子の静志麻さんに、俺は言った。
「静志麻さんは、間接キスとか意識しちゃう人なんだな?」
「……っ!」
静志麻さんの抜けるように白い頬に……朱がさした。
「……そ、そう言うお兄さんは、まさか意識しないとでも?」
俺の言わんとしていることは理解しただろうに、彼女はなおも食い下がろうとする。
……正直なところ、いちゃいちゃしている(ように見える)ことをからかわれるのであれば、俺はそれは甘んじて受け入れるつもりでいた。その点に関しては、自分でも笑われても仕方ないと思うからだ。
ただ、まったく身に覚えのない部分でこうもつつかれると、さすがに反論したくなるのが人情だろう。
「あぁ、しないな。芳乃はどうだ?」
「するわけないよね? だいたいコウくんはお兄ちゃんだし……」
「だよなぁ? ちなみに、俺以外の異性が相手だったら?」
「だとしても、ないよ。間接キスとか、小学生じゃないんだから」
「はは、まったくだ」
俺はもう一度、静志麻さんに訊いた。
「それで、静志麻さんは意識するんだっけ、間接キス?」
ぽつりと、蚊の鳴くような声で静志麻さんは答えた。
「…………しません」
それだけ言うのが精一杯、という感じだった。
「自分は意識しないのに、俺は意識してるに違いないって思ったわけだ?」
「わ、私はただっ……シスコンのお兄さんなら、たとえ間接キスであっても興奮してしまうのではないかと、そう思っただけで……」
「間接キスで、興奮……? いやなんていうか、その発想がもうすごいよ。俺にはレベルが高すぎて思いつきもしなかったなぁ?」
「〜〜〜〜っ!!」
静志麻さんは漫画みたいに顔を真っ赤にして、ついには俯いてしまった。
さすがに少し意地悪しすぎたかとも思うが、さっきは廊下でさんざんからかわれたことだし、まぁこれでおあいこだろう。
「そのへんで許してあげて、コウくん」
「そうだな、まさかここまで効果てきめんとは思わなかったが」
「あやねはね、ウブなんだよ。恋愛トークとかしてると、ちょっとエッチな話題になっただけですぐ顔真っ赤にしちゃうの。自分でもそれは気にしてるみたいだから……」
「芳乃ちゃんっ!」
「へぇ、そうなのか。ドSな子だと思ってたけど、案外可愛らしい一面もあるんだな」
「可愛らしいドSなんだよ、あやねは。あ、そうそう、この前だって、」
「ねぇ待って……! もうやめてください……!」
こうして、はじめての三人での昼食は、なごやかに過ぎていった。
なんだかんだあったが、静志麻さんとはこれからも仲良くやっていけそうだ。
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