Episode1:黒衣の剣士と妖精

―――― 黒衣の剣士と妖精 ――――


 「だから言ったじゃない!!もっと早く歩かないと日没までに間に合わないって!!」

 けたたましい程のキンキン声が、黄昏時の林道で響く。徐々に暗くなるあぜ道に、二つの影が映される。その二つは今、次の街へと向かっていたのだが、辿りつく前に閉門時間がすぐそこまで近づいており、街に入ることは絶望的だった。

「お前が支度に時間をかけるからだろう」

 影に溶けるような黒衣を見に纏う青年がやや不服そうに言葉を返す。背には身の丈とほとんど変わらぬ大きさのグレートソードを背負い、一目見れば”モンスタースレイヤー”だという事が子どもから見ても解る。一方でなり続けるベルのようにやかましく喋るのは、青年の方に座る羽の生えた小さな人型の妖精であった。

 「仕方ないでしょ!昨日はどこに泊まったと思ってるのよ!厩よ厩!!あの家畜特有のにおいが染みついてしょうがないから落すのに時間かかったのよ!!しかもあの馬あたしの事舐めてきたりして!!おかげで自慢の髪の毛もべっとりよ!あたしだって乙女なんだから気を遣うのよ!ちょっとは理解しなさいよ!ディオの馬鹿!!」

 「今更誰に気を遣うんだ。街ならまだしも、野を往くだけなら精々旅人とすれ違うくらいだろう」

 ディオと呼ばれた青年、ディオルは呆れ半分で言葉を紡ぐ。定住することもなく旅をする二人にとっては、出会うものといえば、人よりも獣の方が多く、時にそれは化け物であることも多い。であるのであれば、彼には妖精が身ぎれいにしようとする理由が理解できなかった。

 「この!乙女の敵!ニブチン!少しは理解しなさいよ!!ほんとに乙女心がわからないのね!!」

 「ああ、そうだな」

 青年は困ったそぶりをすることもなく、言葉を流す。それが余計に妖精の癪に障るのだが、気にした風ではない。

 「ただ、いずれにせよ街には入れなさそうだ。このあたりで野営の準備をしないとな」

 「……ま、いいわ。確かにそろそろ準備しないと大変だものね」

 喋り疲れたのか、妖精は肩を落としつつも、目を閉じて意識を集中させる。妖精種であるフェイは自然感応能力が高く、精霊魔法にも長けている。

 「……ここから……そうね、ここからあと少し歩いた先に小川と……泉、かしらね。あるわね。その近くにしましょ」

 水の気配を察知した妖精サフィーは青年を誘導する。暗い場所で、人の道を離れた場所に誘導する妖精など、普通ろくなものではないが、ディオルは迷うことなく彼女の誘導に従い、緑がうっそうと生い茂る森へと入って行く。天上の丸い月だけが二人を見守っていた。



 「さ。あと少しよ。頑張ってちょうだい」

 草木をかき分けて進む青年に、妖精が告げる。日は殆ど消えかけ朱かった空は、半分以上が青と黒に支配されていた。湿り気があるせいか、土はぬかるみ足を僅かにとられ、進み辛い。特に重量物を抱えている青年にとっては尚更であった。

 「簡単に言ってくれるな」

 「慣れっこでしょ、これくらい」

 先ほどの口喧嘩のせいか、どこか妖精は「ざまあみなさい」とでも言いたそうな表情を浮かべていた。後ろを向きながら進み、見下せる位置まで浮揚して意地悪な笑みがそこにあった。

 だが、そのせいで大きな油断をしてしまう。突然彼女のすぐ近くに在った樹が鳴動する。

 「避けろ!」

 ディオルが叫びながら妖精を庇う。すると彼女の居た位置に樹の枝が、しなりながら跳びはね、代わりに入ったディオルの右腕を拘束し、締め付ける。

 「ぐっ……!」青年に絡みついた枝は、獲物を捕らえたとばかりに激しく締め付ける。その力は人間一人で振りほどくのは難しい程で、腕の筋肉を締め上げ、圧迫する。これがサフィーであれば全身の骨が砕けていたかもしれない。

 「ディオ!?放しなさいよ!この暴れ樹木!!『”風の精(シルフ)”!!』

 精霊の名を叫ぶと、絡みつく枝の根元に小さく鋭い風が巻き起こる。まるで剣や包丁が乱れ飛ぶかのような威力ではあるが、されど枝を断つには至らない。

 「どうやらこいつは、普通の個体よりも長命らしい……」

クリーピングツリーと戦ってきた経験の中からも、特に強靭な個体であることを冷静に分析する。ディオルは、反対の手を後ろ手に構え、呪文を詠じた。それに呼応し、左腕に複雑な紋様が浮かぶ。

『冥府の扉守りし番犬よ。その炎、ここに借り受ける』

殺人樹が更なる枝木を伸ばしてきた時、突如ディオルの右腕から炎が吹き上がる。たまらずクリーピングツリーは枝から腕を開放して離れる。その刹那を逃さず、ディオルの右腕は背中の大剣に伸びる。そしてそれは、怪しげな光を帯びた。

「失せろ」

その言葉と同時に大剣は樹木引き裂いた。枝ごと 文字通り真っ二つに。

『シルフ!!追撃よ!!全力でやって!!』

それでもなお、枝を伸ばそうとする木々にサフィーは再度精霊の力を借り、枝を刻んで行く。ディオルの肉体から離れたことで全力を出したそれは、男性の腕ほどある太さの枝を深々と切り裂いた。樹木は崩れ落ち、完全に動かなくなった。


 「……ディオ……その、腕、大丈夫かしら?」

 サフィーはしおらしくなり、青年の腕にそっと近づく。露出した前腕は赤くはれ上がり、リンゴの皮でも貼っているのではないか見間違う程だった。

 「骨は大丈夫だが、大分やられたな。サフィ。後で軽い治癒魔法を頼む」

 「ええ、任せてちょうだい。骨が大丈夫なら、一晩もかからないはずよ。…………」

 妖精は、物言いたげに青年を見る。青年は何も気に留めた様子を見せず、腕を動かしては、僅かに顔が引きつるだけであった。

 「……ありがと」

 サフィーは風に溶けてしまいそうなほど小さな声でそうつぶやいた。


 「今日が満月で幸いね」

 ディオルの腕に手を当て、魔法を使いながらサフィーは呟く。魔法、とりわけ妖精の使うそれは月の満ち欠けでその力に幅が出る。治癒魔法はみるみるうちに効き、傷ついた腕を癒してゆく。

 「ああ、そうだな」

 ディオルはそう言いながら月を見上げる。多くの人々は明るく、温かい太陽を好み、月を狂気の象徴と考える者もいるが、ディオルにとってはそうは感じられなかった。どちらかといえば、静かで、見守ってくれているような月の方が好みであり、何より幼いころからこちらの方に慣れていた。

 目の前では小さくたき火が燃え、ちろちろと煙が空へと昇って行く。サフィーが火口箱から出した道具で懸命につけてくれたものだった。普段は口煩いが、こういう時は甲斐甲斐しく世話を焼く。

 「……ああ、ほとんど完治したらしい」

 腕を握ったり開いたりしてみるが、ディオルの腕は問題なく動く。痛みもほとんどひいていた。

 「それなら良かったわ……じゃあ、そこの泉で水浴びしてらっしゃい。あたしが近くで見張ってるから」

 一瞬安堵した表情を見せながらも、すぐにそっけない顔になる。

 「ああ、そうしよう」

 別に浴びる必要はなかったのだが、ただサフィーのかけた治癒魔法は精霊、つまり自然に由来する力であり、沐浴することで、より効果を高める。自然治癒力を上げる魔法であれば、尚更効果は高い。

 「けど、水の妖精が出てきたら気を付けなさいよ。あと裸の美女が出てきたら逃げる事ね。大丈夫だとは思うけど」

 森に迷い込んだ人間を妖精がたぶらかすというのはよくある話であり、殺されることもままある。ディオル自身もそれはよく知っている事だった。

 「前のようにケルピーに引きずり込まれるのは御免被るからな」

 「あの時はディオが悪いのよ!勝手に一人で先に行っちゃうんだから!」

 「お前が勝手に怒ってどこかに行ったから探しに行っただけだ」

 「何よ!私が悪いみたいじゃない!」

 大人しく澄ましていれば、透き通り可愛らしく跳ねた黄緑色の髪と相まってとても可愛らしいのだが、生憎その顔はいろんな形に歪んでばかりである。

 「じゃあもう知らないわ!勝手に一人で水浴びしてきて裸の美女にでも沈められれば良いわ!」

 サフィーはツンとしたまま、明後日の方向へ一人で行ってしまう。よくある癇癪なので、ディオルはさして気に留めぬまま、先ほどサフィーがさした泉の方へと向かう。

 とても静かな夜だった。虫の音の鳴き声も、少なく、静寂が森を覆っていた。月の光が幻想的に森を照らす。ディオルは不思議な気分を覚えていた。何度も森に入ったことがあったが、今日はいつもと何かが違うような気がした。草木が生い茂っているにも拘らず、泉への道はとても通りやすかった。

 ぱしゃ、と水に何かが落ちたような音が聞こえた。何かがいるのか、そう思い身を屈め、様子を伺う。

 「……ふぅ」

 そこには、一人の裸身の少女が居た。月光に照らされたブロンドの髪は水滴の反射でさらに輝いて湖面に反射し、そのしなやかな身体は、無駄が無く、美しかった。ただ、人と違うのは双耳は笹の葉のように長く、兎のそれにも近かった。

「あれは……フォレストエルフ……か?」

観察していたつもりだったが、足元で、がさり、と草を踏み分ける音がした。気付けばディオルは吸い寄せられるように、湖のほとりまで出てきてしまっていた。

 エルフの少女はディオルの方に、突如目を向けた。

 その褐色の瞳は透き通った琥珀よりも美しかった。エルフという種族についてディオルも見聞きした事はあったが、このエルフの少女は今まで見てきた誰よりも綺麗だと感じた。何故かエルフの少女も怯えるわけでもなく、こちらを見て固まっていた。静寂がしばらく続くかと思われた。だが……。

 「ディオ、さっきは悪かったわ……って、裸のエルフ!?」

 突然サフィーが泉のほとりにやって来て、大声を上げた。その声でハッとしたのか、エルフの少女は顔が赤くなると思わず叫んだ。

 『"水の精(ウンディーネ)"!!』突然泉の水がうねり、ディオルをサフィーもろとも吹き飛ばしてゆく。突然の事に、ディオルも対応しきれず、防ぎきることができなかった。

 「きゃあああああああ?!」

 二人は樹の高さほどの距離を、枝葉や木の根などにぶつかりながら流される。

 「もう今の何よ!!!」

 サフィーが怒りをエルフにぶつけようとした時、そこには既に姿はなかった。その後怒りの矛先が向く先は明白であった。

 「姿隠し……っていうかディオ!!あんた人の話聞いてたの!!何よ!デレデレ鼻の下伸ばしてたんでしょ!!あのエルフに!!」

 その後は言われる一方だった。ただ、心の中では、今までに感じたことのない感情に戸惑いを覚えながら、先の光景は忘れられそうにないだろうと思った。

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深き闇夜のセレナーデ 藤原 康輔 @midoriwani

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