【深い地下】

 通路の壁面は均一な石積みだった。

 仮にこれを破壊したとすると、その向こう側には何十階ぶんもの屋敷の階層が現れるんだろう。そう思うと奇妙な気分になった。


「おいルベティカ」僕は声をかける。


 彼女は振り向かないが、その後頭部でちゃんと聞いているように見える。


「きみはさっき、場合によっちゃ本当に僕の頭を撃ち抜くつもりだったの?」


 数秒間無反応だったルベティカは、無言のまま不意に親指を一本立てて僕に示した。


 それを見た僕はあっと思った。あれは、銃口じゃなくて親指だったっていいたいのか? 確かに侍従警団の面々はそれぞれが金属製にも見えるような手袋を装着している。銃口と勘違いしても無理はない。


 クソ、僕はハッタリをかまされたのか。


「おまえ、なかなかいい根性してたぞ、ニコゴリ」チラと振り返ったルベティカが僕にいった。少し笑ったようにも見える。


「どこまでも汚いやつだ。完全にナメられてる」もうふて寝だふて寝。僕は顔をそらせて機嫌悪げに目を閉じてしまった。


 どれだけ降下したのだろうか。ふと山吹が停止した。ズリズリズリと岩のこすれるような音がしたので目を開けると、周囲がこころもち明るくなっていた。

 通路が底に到達したのか。側壁面の一部がズレて開くと、新たな通路がそこに出現したのだった。


 次の通路はコンクリのようなもので塗り固められた洞窟然とした狭い地下道だった。ただし照明が等間隔に埋め込まれてあるので真っ暗ではない。山吹はゆるゆると新たな隠し通路に入っていき、紫苑がうしろに続いた。


 しばらく進むと不意に視界が開けた。広い空間に出たようだ。


 と思ったらここもまた通路だ。


 通路というより巨大なトンネルのようだった。大小取りまぜたおびただしいパイプやダクト、電線の類がオブジェかデコレーションか未知の生き物のようにトンネルの内壁ぜんたいを覆いつくすように這っている。その姿は壮観としかいいようがなかった。ここが共同溝なんだろうか。


「おいおいおいおい、こんなとこ破壊されたら一発でおわりじゃないか」後部座席に寝そべりながらも通路内の偉容はじゅうぶん見渡せる。僕はすっかり圧倒されてしまった。


「エリアごとに分かれているから大丈夫だ。屋敷内のすべてのインフラ制御は一カ所で行われているわけではない。リスク分散はちゃんと考えられてある。ここの共同溝は春琴エリアしかカバーしていないのだ」ルベティカがいった。


「ここはどうして水没していないんだ」


「秘密のルートだからな。ほとんど他のいかなる部分とも隔絶している」


 この屋敷の詳細な構造などわかるわけがないから、どんな説明でも納得するしかない。


「貯水槽を故意に破壊したやつがいるんだとしたら、どうしてそいつはここみたいな共同溝そのものを壊さなかったの」僕が聞く。


「たぶん破壊活動が目的ではないツル。旦那さまかお嬢さまをおびき出すのが目的だったに違いないツル」ポローニャが答える。


「で、この近くに『お嬢さま』がいるってわけか。僕をこんな状態にしたままそんなところに連れていくのかよ……」


「先におまえを送り返すつもりが流れでこうなってしまったツル。決しておまえを危険にはさらさないから安心するツル」


「安心するツルって……」この先に何が待っているかわからないのに安心もクソもないもんだ。


 やがて山吹と紫苑はプラットホームのような空間に乗り上げた。


 それまで来た道を地下鉄のトンネルに例えれば、今到着したのは駅のホームのようなイメージだった。


 ただし駅のホームより、ここはもっと奥行きがある。貸しビルの空きフロアを数十倍に拡張したかのようなスペースだ。二台の飛行ポッドは共同溝のトンネルから離れ、この殺風景で天井の低い、四角い柱だらけの空間を往きはじめた。

 地下水がしみ出してるのか、コンクリ地面のあちこちにちょっとした水たまりができている。


「ポローニャ団長、見えてきました。あそこです」


 どうやら目的地に近づきつつあるようだった。でも、横たえられている僕の視界からは、ルベティカがどこをさしてあそこだといったのかまったくわからない。


 山吹は徐々に減速すると、だだっ広い空間の壁ぎわのところでゆっくりと地面に降り、そして停止した。


「信号は、やはりこの奥の制御室から出ています」コンソールを見ながらルベティカがいった。


「よし、じゃあ行くのツル」自分じしんに気合いを入れる感じでポローニャがいった。


 ドームが開き、ふたりは山吹から下りた。


「お、おい待ってよ。僕はここで置き去り?」僕は焦って声をかける。


「ここから先は危険ツル。何が待ってるかわからないツル。われわれが戻ってくるまでここでおとなしくしてるツル」


「せめて縛りを解いてから行ってくれよ」


「それはできない」ルベティカが冷たくいった。


「どうしてだよ」


「おまえは何をするかわからない」


「信用ないんだな」


「とうぜんツル。でも、ここまで一緒に連れてきたことは申し訳ないと思っているツル。お嬢さまを連れてくるまでの辛抱ツル。万が一の時はこの山吹に連絡を入れるツル」


 かたわらにもう一台の紫苑が停止した。


 ベクスバラ、ブラモンジェ、ミルフィーナがそこから下りてきた。ポローニャとルベティカも山吹から降り、五人の侍従警団は壁ぎわに集合した。そこには制御室に通じていると思われるハッチがあった。この扉のことをルベティカはいっていたのか。ポッドのドーム越しにポローニャが指揮をとっている様子が見える。


「この奥にお嬢さまがおられると推測されるツル。拉致されている可能性がきわめて高いツル。今のところ敵の正体は不明ツルが、戦闘スキルの決して低くないお嬢さまを数日に渡り蹂躙し続けている点から、救出にはある程度困難を伴うと予想できるツル。全員心してかかるツル」


 ルベティカ、ベクスバラ、ブラモンジェ、ミルフィーナの四人は力強くうなずいた。こうやって見てみると、ずっとクソガキにしか思えなかったポローニャがずいぶんたのもしく感じられてくる。さすがリーダーだけのことはある。


 五人はもう僕など見向きもせず、ハッチを開くと全員すぐに中に消えていった。僕はまたしてもたったひとり孤立してしまった。



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