第4章

【転換点】

「気がついたツルか」


 目をさますと、幼い女の子の顔が僕を覗き込んでいた。


 意識は戻ったが、僕の頭は激しく混乱した。


 自分の置かれている状況がよくわからない。


 僕はどうなったんだ。


 夢を見ていたんだろうか。


 だとすれば、どこからどこまでが夢だったんだろうか。この屋敷が水びたしになっているところから? 毛虫の大群に襲われたところから? それとも未弥に出会う前から? ひょっとして、屋敷に潜入する前から?


「おまえ、何をブツブツいってるツルか。頭を強く打ったツル?」


 幼い女の子がまた僕に話しかけてきた。


 そうだ、僕の混乱の原因はこいつだ。この子どもはいったい何なんだ。ちいさなガキのくせに全身黒ずくめの皮のライダースーツのようなものを着込んでいるではないか。


(こいつ、ひょっとしてセキュリティ忍者なのか?)


 するとやっぱり僕はまだ屋敷の中にいるのか。仰向けに寝ているのは確かだが、何だか全身がユラユラ揺れているような気がする。


 意識がかなりはっきりしてきたので、僕は上体を起こした。


「ここは……」まわりを見回して絶句した。


 ああ、期待はしていなかったが、やっぱりここはまだ依然として屋敷の中だった。


 六畳間のひとつに僕はいる。水びたしなのは同じだ。僕の体が揺れているのは、プカプカ浮かぶ横倒しの箪笥の上に寝かされていたからだった。


 そうしてそんな僕を、セキュリティ忍者どもが取り囲むようにしていた。


 ようやくといえばいえばようやく、とうとうといえばとうとう僕は屋敷の人間に捕らえられたのだった。


 全部で四人いる。僕に話しかけてきた子どもはその内ひとりに肩車されている。でないと水の中に背が立たないからだろう。だから正確には全部で五人だ。それぞれの背中には刀のようなものが装備されている。子どものころに見た記憶は正しかった。しかも意外なことには、僕の目の前にいる連中は全員が若い女だった。フルフェイスのヘルメットらしきものが、パーカーのフードのように連中の首のうしろに位置している。


「おまえは、誰ツル?」女の子は上から聞いてきた。さっきからずいぶんエラそうな態度じゃないか。僕はちょっと諭す感じでその子どもにいってやった。


「おいおいおいおい、人にものを尋ねる時はそんな口のききかたでよかったのかな。お父さんかお母さんにどう教えられた?」


 すると女の子は肩車の上で手足をバタバタさせて急に暴れ出したのだ。


「ムカーッ! せっかく助けてやったのにおまえ生意気ツル!」


「ああポローニャ団長、危ないです、落ち着いてくださいっ」


 肩車している女が女の子の両膝を握りしめながらいった。


 ポローニャ団長? 誰が団長だ。この子どもが?


「みずからは忙しいのに、わざわざおまえを助けてやったツル!」


「え、僕を?」


 そうだ思い出した。僕は水の中に潜む正体不明の何かに襲われて溺死するところだったんだ。まったく何度気を失えばいいっていうんだ。


「あ、ジイサンは? ジイサンはどうなったの。道連れなんだよ」


「そんなの知るかツル。いちいち構ってたらキリがないツル」


「そうか……」ジイサンは水の中に引きずり込まれたまま消息不明なのか。クソ、僕のまわりからどんどん人が消えていくな。


「ともかく助けてくれてありがとう。礼をいうよ。ところできみたちはこの屋敷の者なんだろ。いったいここで今何が起こってるんだ」


「何だツル。おまえこそそれが人にものを尋ねる態度かツル。それよりおまえは誰なんだってみずからは聞いてるツル」


「僕は煮凝大作戦っていうんだ」しかたなく答える。「膝栗毛紗織さんと同じクラスのもんだよ。彼女、ずっと学校を休んでるからちょっと気になってお見舞いに来たってわけなんだ」このセリフ、これで何度目だ。


「何で屋敷の中にまで勝手に入ってきてるツル」ポローニャと呼ばれた女の子は不審感たっぷりの目つきで僕をにらんだ。


「それは……だから、もののはずみっていうか、紗織さんの身に何かが起こってるのを直感したからさ。ねえ、教えてよ。この屋敷はいったい今どうなってるんだ。紗織さんは今どこにいるんだ。なんでここが水びたしになってるんだ。あ、それと」僕はまず未弥のことを優先させなくてはいけなかったのを思い出した。こっちのほうは今まさに一刻一秒を争うからだ。「頼みがあるんだよ。ひとり、中学生の女の子が怪物にさらわれて行方不明になってるんだ。探すの手伝ってくれないか。それから、できればもうふたり、さっきいった喜三郎のジイサンと途中ではぐれた鶯谷めぐみのことも探したいんだ。この家のもんならそれくらいしてくれたっていいだろう」


「フン、性懲りもなく次から次からいろんなやつが勝手に屋敷の中に入ってくるツルねぇ」ポローニャはあきれた声を出した。「われわれは今それどころじゃないツル。お嬢さまを一刻も早く探し出さなければいけないのツル」


「ポローニャ団長」


「あっ、しまったツル」女の子はあわてて自分の口を両手でふさいだ。


「なんだなんだ」聞き逃さなかったぞ今の。何だ、どういうことだ?


「そうか、やっぱりそうだったのか。やっぱり紗織さんは行方不明なんだな」


「おまえさっきから紗織さん紗織さんって気安すぎるツル」


「お嬢さまは屋敷の一部が水没した原因を調べに地下の貯水槽に出かけて行方不明になったのだ」


 隠してもしかたがないと判断したのか、セキュリティ忍者のひとりがいった。よく見るとこの連中はみな美人だ。膝栗毛卓也氏の趣味なんだろうか。いや、ひとりだけお子ちゃまが混じってるからそれはないか。


「ルベティカ、余計なこというなツル」当のお子ちゃま、ポローニャが注意した。そして僕に「おまえを助けてやっただけでもおおいなる時間のロスになったツル。みずからはもう行くのツル。途中まで乗せてやるからひとりでさっさと帰れツル」


「乗せるって……」


 見ると、部屋を出た廊下のほうに二台の乗り物が宙に浮かんでいるのが目に入った。


 それは古いアニメにでも出てきそうなちいさくて丸っこいかたちをしていて、半透明のドームが上についていた。中の操縦席がそこからうっすらと見える。車でいえばヘッドライトにあたるものがあたりを明るく照らしていた。


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