【降下】


 ギシギシと音をたてる薄暗い木の階段を、僕と喜三郎のジイサンが降りていく。


 僕の前を歩く喜三郎のジイサンは背中におおきなリュックをしょっている。屋根裏のねぐらから身の回りのものを適当にかき集めてリュックにぶち込んだのだ。


「皿まで持って行くの?」と聞いたが、喜三郎のジイサンは、


「もうおんなじところには戻らんからな。いうたろ、ワシゃ旅人じゃっちゅうて。屋根裏はあくまで仮の庵じゃ」


 僕のほうはといえば手に斧を持っている。毛虫の大群に襲われた時になくした木刀のかわりだ。


 それにしても、もう何階ぶん降りてきたっていうんだろう。僕たちは何度も何度も体の向きを変え、降りても降りてもさらに下へ下へと続く階段を下り続けている。文字通り奈落の底へ近づいていっている気分だ。蜘蛛に連れ去られた未弥を追いかけてヤケになって駆け上った階段を、今度は延々下っている。しかしさっきの階段とはどうやら別物のようだ。さらに薄暗いが、踊り場に達するたびにずっと奥まで続くその階の廊下が見通せる。


「いったいこの屋敷は何階建て?」僕は前を往くジイサンに聞いた。


「エリアによって高さが違とるみたいじゃからの、正確にはわからん。かなり地下深くまで来とるのは確かじゃけどの」


 階段をひとつ降りきるたびに、この階のどこかに未弥がいるんじゃないかと思ったりするが、一階一階くまなく調べているとキリがない。しかもジイサンはおかまいなしにドンドン降りていく。まるで何かの確信に満ちているかのようだ。僕はただうしろをついていくしかなかった。


「……聞こえんか」


 階段の途中で立ち止まると、不意にジイサンがいった。


 耳をすませてみるが、僕の耳には何も聞こえない。


 本当はたくさんの不気味な生き物たちがこの屋敷の中でうごめいているはずなのに、どいつもこいつも獲物を狙ってひっそりと息をひそめてでもいるのか、あまりにも静かすぎて、ふだん気づかない自分の耳鳴りがやけにおおきく感じられるくらいだった。


「下のほうがざわめいている……」ジイサンが妙にシリアスな顔でいう。


「下に何かあるの?」


「行くのじゃ」


 ふたたび階段をギシギシと降りはじめる。


 それからさらに何階下ったろうか。踊り場に立つと体の向きを変え、次の階段を降りようとしたところ、突然眼下が真っ暗になっているのが目に入った。階段の下のほうが闇に包まれていて何も見えない。


「この下で何かが起こっとる……」


 ジイサンはリュックを下ろすと、中からロウソクやマッチや折り畳まれた提灯などを取り出した。


 ふたたびリュックを背負ったジイサンは、灯りをともした提灯を手に、そろりそろりと一歩ずつ足を階段にかけていく。


「これは……」


 階段が途切れている寸前で喜三郎ジイサンは足を止めた。うしろにいる僕にも状況はすぐに理解できた。


 提灯の灯りが暗闇の中、足もとの水面にゆらゆら反射してる。


 階段の下の部分、その数段が水に浸かっていた。


 と、いうことはつまり、この階から下は水没しているということだ、ふつうに考えて。


「何があったっていうんだ……」僕はつぶやいた。


「水まわりに不具合でも起きたんじゃろう」ジイサンは答える。そうしてポケットから何やらコインのようなものを取り出すと、そいつを指でピンとはじいた。


 ポチャンと音がして、コインのようなものはそのまま沈んでいった。


「よし、行くのじゃ」


「えっ」


「感電はせんみたいじゃの」


 喜三郎ジイサンは提灯を掲げながらチャポリと水の中に入っていく。廊下を走る電車には架線がなかった。ということは線路が通電している可能性があるわけだからこのやりかたはきっと正しいのだろう。でもそんなことに感心してる場合じゃない。


「おいっ、おいっ、ジイサン、ジイサン、こんな水びたしのところに蜘蛛の化け物がいるっていうの?」僕はあわててジイサンを追い、結局一緒に水の中に浸かってしまった。灯りがないからついていくしかない。


「おい待ってよジイサン。ジイサンって」


 しかしジイサンは急に勢いづいたかのようにジャブジャブとこの階の水没している廊下を進んでいきはじめた。


 水はちょうど腰のあたりまである。ジイサンの提灯の灯りだけが頼りだ。それはまるで発光する深海魚を追うような気分だった。


「ジイサン、蜘蛛の化け物はこの階にいるの?」


「ああ? そらわからん」振り返りもせず、ジイサンは答えた。


「えっ? じゃあ何? どうしてこの階なの」


「きっと、水ん中にはワシのまだ遭遇しとらん生き物に住んどるに違いないと思うとのぉ、ワクワクするんじゃ」


 そういったジイサンの肩が小刻みに震えるのがわかった。


 うれしいんだ。まだ見ぬ水棲の生き物に出会えることを期待しているんだ。


「話が違うよ!」僕が怒鳴る。


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