【未弥の救出】
紗織さんやめぐみのことも気にはなるが、何しろ未弥のほうは緊急を要するのだ。
「ねえジイサン、この屋敷ん中にデカい蜘蛛の化け物がいたんだけど、こいつについて何か知らない? ふだんどこにいるかとか、行動パターンとか、害虫なのかそうでないのかとか、弱点とか何でもいいんだ」
「うむ、デカい蜘蛛っちゅうたら、そいつはたぶんテンガラ共和国から密輸入されたクヴァブイじゃな」
「そのブイとかいうやつに女の子がひとりさらわれてしまったんだよ」
「おまえの彼女か」
「いや、たまたま出くわしただけ。彼女は無理やりこの屋敷に放り込まれたようなもんなんだよ。僕はどうしてもその子を助けたいんだ」
「かわいい子か」
「ああ、結構かわいい……何だこのジイサン。真面目に聞いてよ」僕はあきれ顔になって相手をねめつけた。
「残念じゃがクヴァブイは無害ではないぞ。現地でも村の住民がよくこいつにさらわれる事象が頻発しとる」
「……さらわれたあと、エサにでもされるの?」僕はおそるおそる聞いた。
「卵を産みつけられるのじゃ。さらわれたもんが仮に無事に帰ってきたとしても、体内で卵がかえると、その者の体を食い破ってクヴァブイの子どもがワラワラと出てきよるのじゃ」
「……」絶句。
「どうしたのじゃ」
未弥がそんなことになったとしたら……、やっぱりもうあいつはダメなんじゃないだろうか……、命を助けたところでそれが卵を産みつけられたあとだったら……。
クソ、ダメだダメだ。僕は首を激しく左右に振って、ネガティヴな考えを打ち消そうとした。そんなこと考えてるヒマがあったら一刻も早く行動を起こすんだ。さいわい体力はすっかり回復してる。
「ジイサン、お願いだ、力になってよ」僕は立ち上がると老人に懇願した。今のところ頼れるのは目の前のこの喜三郎ジイサンしかいない。「蜘蛛にさらわれた未弥を助けたいんだ。協力してほしい、頼むよ」
しかしこの爺、いかにも気乗りしなさそうな態度で、
「まあ無理じゃな、残念ながらワシにはクヴァブイの居所なんかわからん。おまえのガールフレンドはワシには助けられん」と、あっさり断ってきやがった。
「だって見ず知らずの僕のピンチだって助けてくれたじゃないか」
「あれはたまたま悲鳴を聞いただけじゃ、散歩中にの」
「あんたみたいなベテランがいればそれだけで心強いんだよ。戦うのは僕ひとりでいいから。ジイサンに迷惑はかけないよ。頼むよ、いろいろナビしてよ」
「ダメじゃ。あきらめとくれ。力にはなれん」
「そんなこといわずに」僕はジイサンの両肩を掴み、揺らすようにして懇願した。
すると、ジイサンの懐のあたりから、何かがポロリと落ちた。平べったい矩形のちいさなものだ。
「何これ」思わず拾い上げる。
携帯だ。
「おい、それ返すのじゃ」ジイサンがあわてて取り上げようとする。僕は邪険にジイサンを振り払い、その携帯を裏返してみた。
右下にシールが貼ってある。
――二ねんAくみ あさざき みや
ボールペンで未弥の名前がひらがなで書かれてある。
「これは……」
喜三郎のジイサンは決まり悪そうにモジモジしている。
「おい、ジイサン」僕は喜三郎をにらみつけた。「これ、どこで拾ったの」
「いやあ……」ジジイは頭をかいてごまかすように笑った。
「どこで拾ったんだよ!」
「あああわかったわかったわかったて。おおきな声を出すなっちゅうねん。こらあれじゃ、廊下で犬がくわえとったんをちょっともろただけじゃ。ただそれだけのことじゃ。いうたやろ、サバイバルのためにはいろんなとこからいろんなもんを調達せなアカンて。一見単なるガラクタにしか見えんようなやつでもじゃ」
「その犬どこで見たんだよ」きっと例のぶち犬に間違いない。
「どこて……。正確な場所は口ではよう説明でけん。たまたま廊下を散策しとったら犬に出くわしただけじゃ」
僕はもう一度携帯を見た。
――二ねんAくみ あさざき みや
未弥のお母さんが書いたんだろうか。どうしてひらがななんだ。ひょっとしたら携帯のことをあんまりよく知らないお婆ちゃんが孫のために書いたのかもしれない。ただの想像にすぎないけれど。空想をふくらませると、孫を愛するお婆ちゃんが、なくしても困らないようにとわざわざ名前を書いたシールを携帯に貼りつけた図が頭に浮かんでくる。
でも、こんなの転校生が学校に持っていったらそれこそイジメの理由にじゅうぶんなり得るじゃないか。それでも未弥のやつ、このシールを貼ったままにしてた。決してはがそうとはしなかった。あいつ、きっと肉親思いの心のやさしい子なんだろうな。
そんなこと考えたらますます未弥のことをほったらかしにはできなくなった。おい未弥、きみの携帯やっと見つかったぞ。きみも僕がすぐに助けてやるから一緒にこの屋敷を出よう。
「おいジイサン。……あれっ」
いつのまにやら目の前から喜三郎の姿が消えている。
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