【卓也の正体】


「卓也の当時の人気はそりゃスゴかったもんじゃ」喜三郎は遠い目をしながら思い出すようにいった。「この屋敷の広さを見てもわかるじゃろ。昔の銀幕の大スターっちゅうたらそら雲の上の存在じゃったからの。悪徳政治家や悪徳資本家よりよっぽど稼いどった。こんな大邸宅をおっ建てたスターはほかにも結構おったのじゃ。跡地が公園になったり記念館になったりした以外は、相続の関係や何やで土地がケーキのように、時代とともに細かく切り分けられていったがの」


「その膝栗毛卓也はどうして急に芸能界を引退したの。まだ若かったって聞いてるけど」


「そうじゃ。人気絶頂の時に引退したんじゃ」喜三郎は僕が完食した食事の盆を持つと立ち上がった。背中を向けると水の張った桶につけた。


「映画が全盛期の時代はの、主な映画会社が専属スターを使って競うように映画を量産しとったんじゃ」


 背中でそういうと、喜三郎はまたこっちに戻って来て、僕の前にあぐらをかいて坐った。


「子飼いの専属スターは、十六社協定っちゅうて、よその映画会社の作った作品に出ることをきびしく禁じられとったのじゃ。やけども膝栗毛卓也の人気には凄まじいまのがあったでの、ほかの映画会社が秘密裏に、破格の待遇で卓也を引っ張り込んでライバル会社とこの映画で主役を張らせたのじゃ。つまり十六社協定を破ったのじゃ」


「ああ、それでだいたいわかったよ」僕はいった。「要するに膝栗毛卓也が責任を全部押しつけられて無理やり引退に追い込まれたってわけだね」


「ちゃうちゃう。映画界からは干されたんじゃが、活躍の場を舞台に移したから人気は衰えんかったのじゃ」喜三郎は答えた。「そこまではよかったんじゃが、ある日、劇場を出た時に狂信的な女性ファンに刃物で顔を切られる事件があっての」


 喜三郎のジイサンはそう言うと、手の先で自分の顔を斜めに切る仕草をした。顔面におおきな切り傷を作ったという意味だろう。


「人気商売じゃからストーカーも多かったのじゃ。卓也じしんがもともと人嫌いの変人じゃったから、相手にされないことを逆恨みして卓也に危害を加えようとするような質の悪いファンもたくさんいたのじゃ」


「へぇ……」


 どうも現実味のない話なので、僕はあいまいに相づちを打つしかなかった。


「入院中マスコミは卓也の顔の傷を撮ろうと、こぞって病院に押しかけた。そら当時プライバシーの侵害にはかなりひどいもんがあったからの。やつに恨みを抱くたくさんの痛いファンや、それから十六社協定を破った落とし前をつけさせるために放たれた裏社会の刺客たちからも逃げるためにこの屋敷に引きこもり、それきり二度と公衆の面前に姿を現さなくなったというわけじゃ」


 そうか……、それじゃますます人嫌いになるのも無理はないな。ジイサンの話を聞いて僕は思った。


「やけどそれはむしろ卓也にとって逆効果じゃった。卓也が生きながら伝説になったことに加えて屋敷がこの広さじゃからの、今でも好奇心旺盛な侵入者、刺客、ストーカーがあとを絶えんのじゃ。ま、ワシも侵入者じゃからエラそうなことはいえんがの。じゃから卓也は世界中から危険な珍獣を輸入して屋敷に放し飼いにしたのじゃ。ペットと番犬をかねての。ワシなんか屋敷ん中あちこち旅しとると、よう行き倒れのされこうべに出くわしたりしたもんじゃ」そう言ってジイサンはニタリと笑った。


「ま、膝栗毛卓也のばらまいた珍獣たちのおかげでワシゃ食うには困らん。いっぱしのサバイバーじゃ。独立独歩の精神で生きとるから毎日が充実しとる。やけどおまえ」急に眉をひそめると、シリアスな口調でジイサンは僕にいった。「これから先、仮に自分で狩猟生活を送るはめになったとしても、ヒプノティの肉だけは食うなよ」


「ヒプノ……え?」名前でいわれたってわかるわけがない。


「ヒプノティじゃ」ジイサンはいった。「こいつの肉を食らうとエラい目にあうぞ。おまえ見たか、ヒプノティ」


「だから、名前でいわれてもわからないって」


「特にそいつの屍肉からはえもいわれん芳香が立ちのぼるんじゃが、つい誘惑に負けて口にしてしまうと、そいつじしんがヒプノティと化してしまうのじゃ」


 喜三郎のジイサンの話によると、ヒプノティの棲息している赤道直下の小国ジンガリジュンガリでは、こいつの体組織には麻薬のような成分が含まれているところから、古来、呪術の儀式に肉を焼く風習があったそうだ。


 この肉を食らった者みずからがヒプノティと化してしまうだけじゃない。ヒプノティが有する毒の中にはプルストリンゲールとかいう成分が含まれており、噛みつかれると意のままにあやつられてしまうらしい。歯をつき立ててきたヒプノティのしもべとなるわけだ。そうやって同族を増やしているのだろうか。おそろしい話だ。


「でもジイサン、やけにいろいろ詳しいね」僕は感心しながら話を聞いていた。


「そりゃ、わしゃもともと生物学者じゃからの」


「生物、学者?」


「ま、自称じゃけどの」そういってジイサンはウインクしてみせた。


(……調子のいいジイサンだなあ)そういおうとした時、僕は急にだいじなことを思い出した。


「あっ、そうだ、未弥のやつが捕らえられたままだったんだ」 


 自分が気を失っていたおかげですっかり忘れていた。未弥のやつは今でもこの怪物だらけの屋敷の中できっとひとりどこかで震えてるんだ、まだ生きているとすれば……。


 いやきっと生きてるさ、そう信じるしかないだろ。


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