【踊り場】


 僕は打ちひしがれた感じでゆっくり立ち上がると、ヨロヨロと階段の続きを上った。

 まるで高層ビルの非常階段だ。気がついてみると、木の階段と、板張りの踊り場と、漆喰の壁しかない。いつのまにか廊下に出られなくなっているのだ。


 さらにまだ階段は上へ上へと延びている。いったい何十階の高さがあるんだ。塀から潜り込んで外から見上げた時はせいぜい五階建てだったじゃないか。知らないあいだに地下深くまでさまよいこんでいたんだろうか。


 そう考えて思い出した。廊下の中には微妙な勾配を描いている場所があったと。そうだ。つまり坂道の廊下だ。廊下が下り坂になっていた箇所が確かにあった。怪物から逃げていた時も、未弥とふたりでさまよっていた時も、蜘蛛を追いかけていた時も、階段を利用しなくても少しずつ降下していたのに違いない。まったくどこまでも人を幻惑させる構造だこの屋敷。


 でもそんなことはどうだっていい。どうやったら廊下に出られるかだ。完全に階段に閉じ込められてしまったじゃないか。

 と思っていたら、いくつめかの階段を上りきった時にやや広めの踊り場に出た。踊り場じたいが廊下然としている。次の階段はちょっとズレて離れた位置にある。


 さらに驚いたことには、この踊り場に……電車が停まっていたのだ。


「!」


 電車……よもやこんなところに……。やっとのことで見つけた。しかも停まっている……。

 しかし、ということは、ここは駅なのか? この踊り場が駅なのか?


 電車はシューシューというエアーの音を吐き出している。扉が開いたままになっている。廊下から鼻先だけを踊り場に突っ込んでいるかたちになっている。ちょうど廊下と踊り場がLの字を形成している。線路は踊り場の壁の手前でおしまいになっていて、黄色いハードルのような車止めが置かれてある。

 きっとここが終点だ。今から折り返し出発するのに違いない。

 ともあれ出会えた。やっとのことで駅に、電車に遭遇したのだった。あまりの不意の出来事に、むしろたいした感情もわいてこないくらいだった。


いや、そんなこと確認する前にとりあえず乗らなきゃ。このチャンスを逃したら次はいつ乗れるかわからない。


 電車の元に行きかけて、ピタリと体が止まった。


「バカだなあ僕は! 未弥を見捨てられるわけがないだろう!」


 そうだった。未弥を探さないといけないんだ。一刻の猶予もないんだった。ここで電車になんか乗ってどうする。大ボケもはなはだしい。


「早く見つけ出さないと未弥の命が危ないんだ」


 クソ、こんな時に限って電車に遭遇するなんてタイミング悪すぎだろう。


 そんな僕の心の葛藤をあざ笑うかのように、やがて電車の扉はプシューッと閉じてしまった。

「せっかくずっと待ってあげたのに……」という言葉が聞こえてきそうだった。


 やがて車体はのそりと動き出し、突っ込んでいた鼻先を抜くように踊り場から出ていきはじめた。僕は未練たっぷりにそのあとを追いかけ廊下に出た。


「勾配だ……。やっぱり坂道になってる」


 電車は下り坂をゆっくりと降りていった。明かりがだんだんちいさくなっていく。

 屋敷の出口に通じる希望の光は遠ざかり、やがて、消えた。


 何だか急にドッと疲れが出てきた。

 僕は廊下から踊り場まで戻ると、その場に座り込んでしまった。


 さまざまなことに対する後悔の念が一気に襲ってくる。


 あの時……蜘蛛の怪物の下を通り抜けるあの時、よけいなこと考えずに最初からさっさと全速力で未弥と一緒に駆け抜けていればよかったんじゃないのか。


 そんなふうに考えるとやりきれなくなる。


 未弥はもう死んでるんじゃないのか。

 いやいやいやダメだダメだダメだそんなこと考えるな。


 でもどうやって探せばいいんだ。また、探し出したところで、どうやって取り返すんだ。この木刀で太刀打ちできるのか。


 いくら考えたっていいアイディアが出てこない。

 徒労感、虚脱感、閉塞感、そして後悔がハンパない。


 ふと見ると、壁の柱に何かが貼られてあるのが目に入ってきた。

 立ち上がって近づくと、それはちょうど僕の目線の高さにあるちいさな木札だった。


『蔭蔦』


 と、墨字で書かれてある。


(……やっぱり駅だ)


 次いで、踊り場の片隅に二枚の紙が貼られてあるのを見つけた。

 いうまでもなく、それは時刻表と路線図だった。

 僕は急いでポケットから二枚の路線図を取り出した。

 壁に貼られてあるのは、そのどちらともまったく違うものだった。


(やっぱり一階ごとに路線図が別々になってるんだ)


 これで改めてその考えは確信に変わった。


(……ん? それにしても、何だこのシューシューいう音は)


 不意に僕は、さっきからこの踊り場で異様な音がし続けていることに気がついた。

 電車はとっくに去ったのに、シューシューいう音が消えないのだ。


 こんなこと、はじめてだぞ……。


 屋敷内はどこにいてもほとんど静寂が支配していたのに、ここだけちょっと違う。


(いったい何なんだ)


 僕はまわりをキョロキョロ見回すが、どこから聞こえてきているのかよくわからない。

 耳をすませていると、どうも生物的な音のようにも感じられる。


(近くに生き物でもいるんだろうか)


 しかし新たな怪物が身を潜ませるような場所はここにはない。上階か下階から階段を通して聞こえてきているのかとも思えたが、どうもそんな感じもしない。すぐ近くから聞こえてきているからだ。

 僕は手にしていた木刀を両手で持ち変えると、いざという時のために構えた。


 急にハッとなり天井を見上げた。

 なぜか天井のことをすっかり忘れていた。


「あっ!」


 僕の全身は一瞬にして総毛立った。


 おびただしい数の毛虫が天井一面をびっしりと埋めつくしており、それぞれが糸でぶら下がりクネクネくねりながらシューシューいう音を発していたからだ。


「うわあっ!」


 あまりの驚きに僕は木刀を取り落とした。

 どうして天井はノーマークだったんだろう。うかつだった。

 踊り場の天井は廊下より高い位置にあったのでまったく気がつかなかったのだ。


 僕の叫びに反応したかのように、ぶら下がっている毛虫どもは尻の糸をスルスルと伸ばし、まるで忍者部隊のようにいっせいに降下してきた。


「ぎゃーっ!」


 あわてて廊下に逃げ込もうとしたが遅かった。

 あっというまに僕の全身は毛虫どもの中に埋もれ、チクチクする痛みと痺れによって、やがて意識が朦朧となり、暗黒の無がやって来た。


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