【彷徨】


 ところが『荻風』の駅の間まで戻ったのはいいが、壁に貼ってある時刻表を見て、僕はガッカリしてしまった。


「何だよこのダイヤ、一日二本しか来ないじゃないか」


 最前はそこまで注意を払っていなかった。

 しかも、今が何時なのかわからないので、いったい何時間待てばいいのやら見当もつかない。

 まったく、もしこの『荻風』の部屋に急用ができたら屋敷の人間はどうするんだろう。

 屋敷じゅうに線路を敷いてるのは単なる趣味なのかもしれないなと改めて僕は思った。こんなのちっとも実用的じゃない。屋敷ぜんたいの構造からしてそうだ。文字通りこれは趣味の王国のミニチュアなんだ。


「……どうする。ここで電車が来るまで待つ?」僕は未弥に聞いた。


 どうする、ったって電車に乗るんなら待つしかないけれども。


「あの……さっき、廊下に面してる部屋が駅になってるっていってましたよね」未弥がおずおずと僕に聞いた。


「ああ、そうだけど」


「私の来た方向にも、そんな部屋いくつかありましたけど……」


「ここから遠いの」


「いえ、そんなに遠くないです」


「じゃ、そっちのほうにも一応行ってみるか」


「はい」


 そんなわけで、僕と未弥はまたしても襖で仕切られたたくさんの部屋を渡り歩くことになった。同じところを行ったり来たり面倒な話だ。でもしかたない。ふたりしてどこまでも続く六畳和室を足早に次々通りすぎていく。


「しかし何でこんなに無駄な部屋が多いんだ。意味がわからないな。アパートの経営でもすりゃ儲かるのに……」


 浮世離れした人間の感覚はとうてい僕には理解できない。


 そうこうしているうちにとうとう最後の部屋に来たようだった。襖を開けるともうそこに新しい六畳間はなく、かわりに新たな廊下が目の前に横たわっていたからだ。ちゃんと線路も敷かれてある。つまり今までの例からいうと、この部屋が「駅」ということになるはずだ。

 しかし、なぜか壁には時刻表も路線図も貼られていなかった。僕はいったん廊下に出ると、この部屋の駅名が書かれてある木札を確認しようとした。


「あれ? ないな……」


 木札が見当たらない。

 ということは、ここは「駅」じゃないのかな……。

 未弥はウロウロ歩き回っている僕を不安げな顔で見ている。

 僕はピタリと止まって未弥のほうを向くと、


「どうやら違うみたいだ」


「駅じゃないんですか……」未弥は消え入りそうな声だ。


 確かに廊下に面した部屋がすべて駅になっているとは限らないのかもしれない。そうでなきゃならない理由もない。それは単なるこっちの思い込みだし決めつけにすぎない。


「まあいいよ、駅じゃなくても」僕はなぐさめるように未弥にいった。「無駄に終わっても何もしないよりマシだよ」


「ごめんなさい……」


「気にすんな、きみのせいじゃない。また『荻風の駅』に戻ればいいだけだ。時間にはまだ余裕があるんだから。たぶん」


 でも、なんべんもおんなじルートを行ったり来たりするのはやっぱり面倒だな。ずいぶんたくさんの部屋を通りすぎてきたからな。いったいいくつの部屋を通ってきたんだろう。四十かな。五十かな。おぼえてないな。

 せっかくここまで来たんだから、このさい別の駅を探してみようかな。

 不意にそんな気持ちが湧いてきた。女の子連れでもあることだし、そんなよけいなことをすればいっそうリスクは高くなるのだが、同じルートを元に戻るより、なぜだか急激に未知の領域に踏み込みたい冒険心のほうが盛り上がってきたのだった。


「ねえ未弥、この廊下を歩いてきた記憶はある? あるとすれば、右か左か、どっちから来たの」


「おぼえて……ません」


「まだ廊下に面した部屋はたくさんあったんだろ?」


「はい。たくさんじゃないけど、いくつかあったと思います」


「じゃ、このさい別の駅を見つけたほうが早いかもしれない。『荻風の駅』に戻るのはやめて、外の廊下に出てみない?」


「あ、はい」


 というわけで、僕たちは最後の部屋から廊下に出た。横たわる廊下を、とりあえず右の方向に向かって歩き出した。

 すぐに前方はT字路になり、今度は左に曲がる。するとすぐ、壁の右側に木の引戸が何枚も並んでいるのが目に入ってきた。


 どうやら新たな部屋だ。


 もう早速廊下沿いの部屋が見つかったということになる。

 今度こそ駅だろうか。でも今までとは雰囲気が少し違う。


「ここは何の部屋だろう」


 木札を探そうとしたが、引戸が何枚も連なっているので端から端まで歩いて確認するのが面倒になった。


 それよりか、どういう部屋なのかが気になるところだ。


 ちょっとだけ僕は引戸を開けて中を覗いた。

 今までとは違うだだっ広い部屋の中が見えた。


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