第2章

【異生物】


(さあ、もうそろそろ次の電車が来るころじゃないか)


 僕にしちゃずいぶん待ったし、ほんのちょっと考えごとに夢中になっていれば時間なんてすぐにたつものだ。

 僕は自分の携帯を取り出して時間を確かめた。


(……って、まだ五分もたってないじゃないかーっ!)


 何て時間のたつのって遅いんだ。僕はしんからガッカリした。この屋敷の中は時間の流れが淀んでるんじゃないのか。あと五十五分も待たないといけないのか。

 ちなみに携帯の電波は通じていなかった。紗織さんに電話してもつながらないと言ってたのだから、最初からわかっていたことではあったけれど。


(……ん? 何の音だろう)


 ふと気がつくと、遠くのほうからかすかに震動音が聞こえてくるのがわかった。部屋の外、廊下を出てはるか奥のほうからだ。

 でもそれは、明らかに電車の音ではなかった。いったい何だ……?


 僕は体を硬直させ、耳をすませる。


 電車ではないが、確かに何か遠くのほうで音がする。

 しばらくじっと聞き耳をたてているが、やっぱり何の音なのかわからない。

 しかもその音、少しずつ少しずつおおきくなってきている。


(待てよ……、この音、どっかで聞いたことがあるな)


 どこだろう。どこで聞いたんだろう。つい最近のような気がするけれど。

 何に似ているかというと、グツグツグツと鍋の中でお湯が沸騰するかのような音に近い。

 でも、最近聞いたのはお湯の煮える音じゃない。じゃ何だ。

 そうこうしているうちに、グツグツいう音は確実におおきくなってきていた。外の廊下をゆっくり移動し、この部屋目指しているかのような絵が頭の中に浮かぶ。


「思い出した!」


 僕は部屋の中にひとりで思わず大声を出した。


「縁の下だ! あの音、縁の下で聞いたんだ」


 あの時は不気味な唸り声に気を取られていて気がつかなかったが、確かに声と一緒にあのグツグツいう音が聞こえていた。

 と、いうことは、唸り声の主がこっちに近づいてきているということじゃないのか。


 逃げるか。

 できるだけ音から離れるか。その方が無難か。この部屋にいたんじゃ逃げ場はない。出入り口は障子戸しかないのだからいったん廊下に出るしかなさそうだ。

 僕はこっそりと廊下に顔を出して、音のする方向に目をやった。

 何やらおぞましい瘴気しょうきのようなものが、あたりにただよっている。電車がやって来たのと同じ方向、約三十メートルほど離れた地点にそいつはいた。


 化け物だった。


 というか、化け物にしか見えない。

 細部はまだよく確認できないが、全体的に白っぽい。不定型なぐにゃぐにゃしたかたまりに見える。唸り声を発していたにしては、どこか原始的生物のような外見をしているように見える。ともあれ今までに見たことのない姿かたちだった。

 しかしそれにしてもサイズがおおきい。人間の一・五倍近くはありそうに見える。最初に縁の下で遭遇したのとは別物なんだろうか。


(あっ、今の、何だ)


 今、ヒョイと長い触手のようなものが一瞬だけ白いかたまりの本体から飛び出て、スッと消えた。

 かと思えば、次の瞬間にはいっぺんにおびただしい数の触手がぬらぬらとおもいおもいにくねりながらおぞましい全容を現した。そのさまがまるで遠くのほうからこっちを威嚇したみたいに見え、僕はあわてて部屋の中に顔を引っ込めた。


(マズい、今のは見つかったかもしれない)


 もはや廊下に飛び出して逃げる勇気はなくなった。そんなことをすれば確実にロックオンされ、間違いなく追われて襲われるのは疑いない。今はのろのろした速度だが、獲物を狙うとなると急に敏捷な動きになるかもしれない。何しろ未知の生物だから予測が立てられない。


 それにしてもあれは何だ。エイリアンなのか。何であんなものがこの屋敷の中にいるんだ。ひょっとしてこの屋敷はエイリアンに乗っ取られているのか。紗織さんはあいつに襲われたんじゃないのか。紗織さんだけじゃなく、この屋敷の人間はみなあいつに、ことによるとあいつ「ら」に。

 何にしてもこの膝栗毛屋敷が完全なクロであることはこれではっきりしたんじゃないだろうか。あんなわけのわからない生き物が跋扈ばっこしているような家があやしくないわけがない。


 などと考えごとなんかしてるヒマはなかった。さっさと逃げないといけないのだった。

 でもどこに。

 廊下にはますます出られない。出てもいいが対決を迫られる可能性が高い。相手の危険度がどれほどのものかわからない限り接触は避けたい。

 もしさっきので見つかったとすれば、あいつはこの部屋にやって来る。敵意があれば襲ってくる。見かけで判断しちゃいけないとは言うものの、あんなグロい生き物が飼い犬や飼い猫のように友好的であるとはとても思えない。手を差し出した途端に触手に巻きつかれて毒液を注入されるのがオチだ。見た目いかにも毒を持ってますよ的な姿ではないか。


 どこに逃げる。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る