【無人駅】


「誰かいませんか」


 まったく反応がなかった。

 しかたない。


「開けますよ」


 そーっと障子戸を開ける。

 緊張の一瞬。僕たちは息を飲んだ。


 眼前に部屋の内部が広がった。


 ……誰もいなかった。


 そこは、六畳の和室だった。


 最初に目に入ってきたのは、部屋のまん中にある、古ぼけた茶色の卓袱台だった。家具といえばたったそれだけで、しかも、この部屋には窓がなかった。

 僕たちはキョロキョロと見回しながら、畳の間に足を踏み入れた。

 はじめて部屋らしい部屋に来たが、なぜ陸の孤島のようにぽつんとここにあるのかがわからない。何の用途に使っているんだろう。部屋としての用をなしているのか。廊下にたくさんの分岐があったのだから、どんな作りになっていようが逆に不自然でもなんでもないともいえるが、それにしても奇妙すぎる。


 僕は押入れに目をやった。

 襖が閉まっているのが妙に意味ありげな感じに見えてくる。この中に何かあるんじゃないのか……。

 チラとめぐみの顔を見る。こいつも似たようなことを考えているのか、少しおびえ気味の顔をしている。


 少し躊躇したが、思い切って襖を開けてみた。


 からっぽだった。

 布団も何も入っていない。


 僕のうしろでめぐみがほっと安堵のため息を漏らしたのがわかった。


「……ここ、何の部屋?」


 気が抜けたせいか、胡乱な目つきになってめぐみがつぶやいた。

 襖を閉めた僕は、次に漆喰の壁に貼られてある比較的おおきな紙に注目した。


「おい、これ見てみろ」


 僕が指さすと、めぐみが近寄ってきた。


「何これ?」


「……時刻表かな?」


 確かにそれはパッと見た感じ、手書きの時刻表のように見えた。午前五時から夜の十二時まで、片道で五本か六本到着するダイヤになっている。上に「上り」「下り」と書かれてある。


「何の時刻表だろう」


 そういってすぐ廊下を走る電車のことが頭に浮かんだ。


「やっぱりだ」僕は時刻表をじっと見つめながらいった。「廊下を走る電車は時間がちゃんと決められているんだ。これはその時刻表なんだ」


「ってことは……?」


 めぐみが何かを考える顔をする。


「たぶん……この部屋は駅なんだ」


「えっ」


 突飛な解釈かもしれないが、そのように考えれば壁に時刻表が貼られてあることにも納得ができるってもんだ。


 僕はもう一度、時刻表とおぼしき紙を目を近づけてよく見てみた。


「朝露寮行き」

「十八条御手水間行き」

「取袴壺口行き」

「三十二条納殿行き」


 これじゃさっぱりわからない。どこに何があるのかも、どこをどう行けばいいのかも。


「ニコゴリ、これ」


 めぐみが声をかけてきた。

 振り返ると、彼女は向かいの壁を見ていた。


 近づくと、めぐみはそこに貼られていた別の紙を注視していた。

 その紙には、何やら抽象絵画のようなデザインが描かれてある。

 赤、青、緑、オレンジ、さまざまな色の線が複雑にくねくねと絡み合っているそれは、絵というよりは図解に近い。線の節々には円が描かれてあって、それぞれ個別の文字が横に並んでいる。


 要するにそれは電車の路線図だった。


 文字はそれぞれ


「蘆辺長橋」

「山橘口」

「飯匙賽子前」

「東三十五条初冠殿」

「続松」

「敷切」

「南切懸」

「亀尋」

「二条南西廂口」

「深蔦」

「壁渡殿坂上」

「東南三条仏間」

「六重ノ打橋横」

「竜頭殿広間西口」

「四条北納戸」


 などと書かれてあり、たぶん駅名であろうことを想起させた。


 僕は路線図の一点を示した。


「ほら、ここ見ろよ、ここだけ赤い円になってて、『当駅』って書いてあるじゃないか。つまりそれは」殺風景な部屋の中をぐるりと見回し、「この部屋のことだよ、きっと」


「この部屋が『当駅』ってこと?」


「そうとしか思えない。やっぱりこの部屋は駅なんだ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る