【廊下電車】

 廊下の角から光のかたまりがヌッと顔を出したのだ。


 それはあっというまに膨張し、周辺の風景すべてを包み込んだ。


 光は轟音を伴い、かなり激しい震動で床や壁が揺れた。

 まるで今までいた薄暗い屋敷の廊下から、一瞬にして光満ちた別世界にでもトリップしたかのような感覚だった。


 ただし、光満ちた世界にしては荒々しく騒々しい。

 僕は鉄の軋むような音とまばゆい光の洪水に幻惑されて我をうしない、すっかり体が固まり線路の上で動けなくなってしまった。


 電車だった。


 走る電車がうなり声をあげながら廊下の奥の角からいきなり飛び出してきたのだった。

 そのあまりに場違いな鋼鉄の巨体は、もう僕たちの一センチ手前まで迫っている。光と軋みと咆吼が、圧倒的な迫力で襲いかかってくる。

 気がつくとその電車は僕とめぐみの脇ギリギリを走り抜けている。


 無意識のうちに僕はめぐみをかばい、一緒に転がるようにして廊下のはしっこによけていた。

 間一髪、動物的な本能とでもいうものが自分の命を救った。

 鉄の車輪が僕のすぐ目の前を次々に通りすぎていく。もうちょっとでこのたくさんの車輪に体をミンチにされるところだった。

 想像しただけで震えが来た。


(警笛くらい鳴らせよな……)


 見たところ二両編成のようだった。前面についているライトが行きすぎると、廊下はすぐに元の薄暗さに戻った。

 鋼鉄の巨体は去っていき、僕の腕の中で震えているめぐみと目が合った。


 めぐみは一瞬、乙女らしいハッとした表情を見せたように思えたが、次の瞬間にはいきなり僕を突き飛ばしたのだ。


「イテーッ、何すんだよ」


 線路の上に転がった僕は、自分の後頭部を撫でる。


「……ちょっと、今の何よ!」


 恥ずかしさをごまかすように、めぐみが大声を出した。

 何って……そらどう見たって電車だろう。そう答えようとしたが、やめた。あたりまえのことをいうとよけいにキレられそうな気がした。

 僕とめぐみは、電車の消えていった方角を見やった。


 今や嘘みたいに完全な静寂があたりに戻っていた。


「……いったい、どうなってるっていうのよ、ここ」


 僕の顔を見上げると、まだしゃがみ込んだままのめぐみがいった。


「さあ」僕はそっけなく答えた。聞かれたってわかるわけがないのだからしかたがない。


「広い屋敷のことだから、住人が電車で移動してるのは間違いないのかもね」


「じゃ、あの電車に誰か乗ってたってこと?」


「それはどうかな」僕はいった。「僕たちがいたのに急ブレーキがかからなかったし警笛も鳴らなかった。誰も乗ってなかった可能性もあるよ」


「どういうこと? 誰も乗ってない電車がどうして走ってきたの」


「うーん、ひょっとしたら、あらかじめ決められたダイヤがあるのかもしれない」


 急に思いついたことを僕は口にしていた。


「……え? ダイヤ?」


「時刻表だよ。時刻表に沿って、自動的に電車が屋敷の中を行き来してるんじゃないかっていってるんだ」


 じっさいに何となくそんな気がしたのだ。


「自動だからとうぜん運転手はいない。見たところ架線もないし、どっか別の場所で自動制御されてるんだ」


「それホント?」


「わからない。ただの仮説。もしあの電車にこの屋敷の人間が乗ってたんなら、僕たちは捕まってたはずだ」


「もういいよぉ、捕まえてほしいよ」


 めぐみが情けない声を出す。


「とにかく歩き出さないか。ここにじっとしてたってしょうがない」


「どうせもうすぐ屋敷の人が捕まえに来るでしょ。行きたかったらあんたひとりで行きなさいよ」


「誰も来なかったらどうすんだよ、おまえここでずっとひとりっきりだぞ」


「だから何よ」めぐみは気色ばんだ。「あたしがビビるとでも思ってんの?」


「そう」僕はわざと冷たく突き放すようにいった。「こっちは別にそれでもいいけどね。じゃ、僕は行くから」


 もちろんそれは本心じゃなく、不安をあおって互いが必要だという認識を持ってもらうためだ。単独行動はとても危険だ。僕の直感がそう教える。


 あんのじょう、めぐみは一瞬「……え」と不安げな表情になったが、


「あ、そ。好きにすれば」


 と、立とうとするそぶりも見せず、プイと横を向いてしまった。


 僕はかまわず、めぐみから離れてひとりでずんずんと電車の去っていった方角に向かって歩き出した。

 思った通りだ。僕の背後でめぐみが立ち上がる気配がした。そうして少し距離を置きながら、めぐみは僕のあとをそーっとついてきた。


「屋敷の誰かが捕まえに来るのを待ってるんじゃなかったの」


 と、僕はうしろを振り返らずに大声でいった。


「……だって、ここで捕まったら紗織さんに会えないまま屋敷から追い出されるでしょ」


 めぐみはまるでひとりごとのようにブツブツつぶやいているのが聞こえた。


(それでいいさ……)


 僕とめぐみは、改めて屋敷の道行をはじめた。


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