【ぶち犬】
僕は振り返ってもう一度正門を見た。
断固たる確信があったわけじゃない。
そう思った具体的な理由があるわけじゃない。
単なる勘だ。
そう、僕は考えた。
(この屋敷の中で何かがあったんじゃないか)と。
僕の直感がそう教える。
紗織さんの身によくないことが起こったんじゃないかと。そうして今も何かが起こっている最中なんじゃないかと。この巨大屋敷の中で。町はずれまで行ってもまだ高い塀が延々と続いているこの昔の大スターの広大な邸宅の中で。
この屋敷、おおげさすぎるし、どこか不穏な匂いに満ちている。
僕の心の中で、ふたたびあの小学生のころの好奇心、冒険心がよみがえってきた。塀の向こう側を探検してみたいという欲望がムラムラと湧いてきた。
好奇心はあのころにくらべてちっともすりへっていないことに僕は気づかされた。何年も抑えつけられていたものが、紗織さんの件をきっかけに急にまた頭をもたげてきたような感じだ。
(よし、いいきっかけだ。屋敷に潜入してやる)
門前払いされた怒りもあいまって、僕の心はいろんな意味でギラギラと燃えてきた。
問題はどうやって潜入するかだ。これだけバカデカい屋敷なのだから、どこかに必ず監視カメラの死角があるはずだ。僕はそう考えた。
何かが背後の森でガサッと音をたてた。
僕はビクッとなったが、木々のあいだから出てきたのは一匹の貧相なぶち犬だった。面長のマヌケ面をしている。そいつがどこから持ってきたのか運動靴を片方くわえてヒョコヒョコと僕のかたわらを通りすぎていったかと思うと、屋敷の塀に沿って歩きはじめたのだった。
じっと見ているとそのぶち犬、正門から五、六メートル離れた塀の下の地面を前足で掻きはじめた。
(何してるんだ……)
穴でも掘っているんだろうか。
そこに靴を埋めるつもりなんだろうか。
すると、不意に犬の姿がスッと消えたのだ。
目をこらしてみたが同じことだ。もうそこに犬の姿はない。
一瞬にして、消えた。
考えられる理由はひとつしかなかった。
僕は、犬の消えた地点まで、塀沿いにそろそろと近づいていった。
あんのじょうだ。
塀の下にちょっとしたくぐり穴ができている。
短い時間でここまで掘れるはずがないから、これはどうやらさっきの犬が常時利用している隠し穴に違いなかった。
(あの犬、自由に屋敷を出入りしてるんだ)
いとも簡単に屋敷内に潜入したという感じだ。
ちっとも警戒厳重じゃない。
僕はまだ開いたままの穴をしばらく見つめ、あたりをキョロキョロ見回した。
監視されているのかいないのか僕にはわからない。でも目の前に急に立ち現れたこのチャンスを逃す手はない。
(でも、人が入るにはちょっとちいさいかな……)
いや、あんがい人間でもいけそうだ。
僕は意を決して穴の前でしゃがみ込み、頭から穴に突っ込んでみた。
やっぱり狭い。通れるのか。抜けられるのか。こら相当キツいな。途中で詰まって尻を出したまま身動きできなくなったらメチャクチャかっこ悪いぞ。
おっ、よし抜けた。いいぞ。ある程度まで行くと、スルッと体が入った。とりあえず成功だ。僕はとうとう塀の向こう側に出ることができた。
これがはじまりだった。これが不法侵入のきっかけだったのだ。
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