【訪問】

 それは今から一時間くらい前のことだ。

 僕は膝栗毛紗織の家の前に立っていた。


 日曜日らしい、のんびりとした空気が青空いっぱいに満ちている。

 しかし、それにくらべると膝栗毛邸の門はものものしく、またどこかまがまがしいものに見え、のどかな陽気を拒否するかのような暗い孤高の雰囲気を有していた。


 この広大な屋敷の存在はちいさなころから知っていた。

 昔、銀幕の大スターだった膝栗毛卓也氏の私邸であることを親から聞かされていた。

 クールな二枚目や悲劇的な主人公を演じることの多かった膝栗毛卓也氏は、もともと大の人嫌いで通っており、若いうちからさっさと芸能界を引退してこの屋敷に引っ込んでしまったこと程度の知識はあった。

 でもこうやってこの屋敷の正面前に立ったのははじめてだ。


 それはまるでいかめしい城門のようだった。堅くてぶ厚そうな木の扉でがっちりと敵の侵入を防いでいる。たとえばいかに広大な田舎の旧家が何軒束になってかかったとしても、この屋敷にまったく勝ち目のないことは目にあきらかだった。


(まるで映画のセットだ……)


 見上げながら、僕は圧倒される気持ちを唾と一緒に飲み込んだ。番兵が左右に配置されていないのが不自然に感じられるくらいだった。

 しかも僕の背後はちょっとした森になっている。この森も敷地内なんだろうか。たぶんそうだろう。鬱蒼とした木々のあいだを抜け、ようやく膝栗毛屋敷の正門の前にスポンと出てきたというわけだった。

 あまりにも不釣り合いな防犯カメラが、門の斜め上に設置されている。不釣り合いといえば門の脇にインターホンがちょこっとついているのが僕の目に入った。


 僕は近づいていくとインターホンのボタンを押した。

 しばらくすると、「はい」と声が聞こえた。沙織本人じゃない。男か女かよくわからない。たぶん使用人だろう。


「あの」僕はちょっと緊張してインターホンに声をかけた。


「僕は……、膝栗毛紗織さんと同じクラスで矢岳田やたけた高校二年B組の煮凝大作戦といいます」


「ニコゴリ……?」怪訝そうな声がする。


「大作戦です。ほんとは大作って名前にしたかったみたいなんですけど、親父が酔ったいきおいでよけいな一文字を足して届けを出したみたいで」


「……」


「あっ、あのう、紗織さんはもう一週間も学校に来てませんし、どうしてるのかなあと思ってちょっとお見舞いに来たんです。クラスのみんなも心配してますし」


 するとインターホンから冷たい声が返ってきた。


「お嬢さまは体調不良です。学校にもそう伝えてありますが」


「あの、どこか具合でも悪いんですか」


「体調不良です」


「一週間も休みって、けっこう深刻な気もしますけど。それに、携帯でも連絡が取れないなんて同級生の女子たちが言ってました。何かあったんじゃないかと思って」


「特に心配はいりません。お見舞いは特に必要ありませんのでお引き取りください」


 あまりにも冷たいいいように僕はちょっとカチンときたので何かいい返してやろうと思ったら、先方が会話を打ち切るべくプツリと音がし、それきりインターホンは死んだようになった。


「クソ、感じ悪いな」


 僕は数歩身を引くと、巨大な門の周辺を見渡した。

 バカ高い塀が右も左も視界の消失点まで延々と続いている。

 ほとんど真上を見上げるまでに高くて白い塀が圧倒的な存在感を持って外部の人間を拒むようにそびえている。


 軽く十メートル以上はありそうだ。

 もちろん塀の向こう側の様子はまったくわからない。


 小学生のころ、今いるこの場所からは離れた塀の下までやって来た時のことを、僕はふと思い出した。当時は紗織さんのことなんか知らない。ただ子ども特有の好奇心に誘われて、吸い寄せられるように森を抜けて来たのだった。

 当時の友だちと、どうにかしてこの塀を乗り越えられないものか、塀の向こうには何があるんだろうなどとあれこれコソコソと話し合っていたことが脳裏によみがえる。


 するとそこに、いきなり忍者のような格好をした者が僕たちの前に現れて威嚇するように立ちふさがった。

 あまりにも突然のことだったので僕たちはしんから驚いてしまい、すっかり気圧されてあわてて逃げ帰ってしまった。

 膝栗毛屋敷のまわりはいつも黒ずくめのセキュリティが巡回しているとは聞いていたが、その通りだった。

 じっさいに目にした印象では、忍者のコスチュームと言うより、それはフルフェイスのヘルメットとライダースーツに近かった。もう今となってはおぼろげだが、なぜか背中におおきな刀のようなものを差していた記憶がある。


 それ以来、この屋敷に近づいたことはなかった。

 高校二年になって、まさかこの屋敷の住人である紗織さんと同じクラスになるとは思わなかった。

 めぐみのいった通り、別に当の紗織さんと親しくなったわけじゃない。口もほとんどきいたことがない。それがなぜ今こうやって、ひとりで見舞いに来ているんだろうか。


 何にしたところで、僕は紗織さんの見舞いを屋敷の者に拒否された。これ以上はどうしようもない。

 正門に背を向けると、あきらめて僕は森を抜けて帰ろうとしはじめた。


 その足がふと止まったのは、いったいどういう心の動きがあったからだろうか……。

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