【斬る】
「おおおーっ!」
すかさず太い触手を頭上高く持ち上げた魔女は、ふたりに向かってとどめの一撃を打ち込もうとする。
「やめろーっ!」
気がつくと僕は足もとの線路を蹴っていた。風切を振りかざした体勢で魔女に突進していった。
まさに魔女が触手を振り下ろすその瞬間、僕の持っていた刀が魔女の体を斜めに引き裂いた。
「ウギャャャーッ!」
うしろにのけぞった魔女は、斬られた部分から白濁した体液を毒々と吹き出し、触手をへなへなと線路の上へ横たえると、やがて崩れ折れるように倒れた。
魔女がそのまま起き上がってこないのを見て取った僕は、すぐさま鉄橋の縁にぶら下がっている紗織さんとめぐみの元に駆け寄り、風切を脇に置くと、ふたりを順番に引っ張り上げた。
両者ともしばらく地面にしゃがんだまま肩で息をしていたが、めぐみがハッと顔を上げ、倒れている魔女に目をやると、
「お母さん!」
あわてて魔女のところまで駆けていった。
「めぐみ……」
念のためにふたたび風切を手にした僕と、そして紗織さん、ひとりでずっとおろおろしていた未弥が、めぐみのあとに続くようにして全員魔女の元に集まった。
斬ってしまった……。
とっさのこととはいえ、僕はめぐみの母親を斬ってしまった。
遠い昔、よくめぐみの家でこの母親に手作りのケーキを焼いてもらったりしたことを僕は思い出した。それは僕がまだめぐみと一緒によく遊んでいた五、六歳のころだったから、向こうがこっちのことをおぼえていなくても無理はなかっただろう。やさしそうな印象が残っているけれど、彼女の心の中じゃドロドロした愛憎が渦巻いていたんだ。あの当時からすでにそうだったんだろうか。家出してまで追いかけたのはほかならない膝栗毛卓也のことだったとはまったく思いも寄らなかった。忘れられなかった昔の男というのは何のことはない、一方的に片想いしていたかつての大スターのことだったのだ。
めぐみの母、鶯谷響子は家出をしたあと、卓也氏に会うため何年も何年も広大なこの屋敷の中をさすらっていたのだ。
苦悶に顔を歪める鶯谷響子と、悲しみに顔を歪める娘のめぐみを前に、僕にはかける言葉も出なかった。
やむを得ないことだったかもしれないが、斬った事実には変わりない。
その場にしゃがみこんだめぐみが、魔女の肩を抱くようにして膝の上に頭を乗せている。
「お母さん、しっかりして」
すると響子が、弱々しく目を開け、語りかけてきた。
「めぐみ……」
「お母さん……」
すると、少しずつ怪物化していたはずの魔女……いや、鶯谷響子が、今度は少しずつ元の人間の姿に戻りはじめているではないか。芽吹いていたよけいな六つの目はそのまま閉じて消えつつあり、触手の群も心なしか全体的に縮んでるように見える。今度は完全に自分の娘も認識できるようだ。
なのに、クソ……やっぱり鶯谷響子はこのまま死んでしまうのか。
「どうしてあんたがここにいるの……」響子がかすれた声で娘に語りかけてくる。
「あたしは……」
めぐみはそのまま言葉に詰まった様子で、ただ母親の肩を強く抱くだけだ。
「ヒプノティの気が……消えている」
不意に、僕と同じように響子を見下ろしていた紗織さんがつぶやいた。「鶯谷さん、ひょっとしたらこの方は助かるかもしれません。でも……」
「えっ」驚いてめぐみが顔を上げる。
「それほんと?」僕も勢い込むように紗織さんに聞いた。
「まだこの方の目には光があります。人間の目の光です。屋敷の中には施薬院がありますから、そこへさえ運ぶことができれば。……でも、早く処置しないと間に合いません」
「だったらグズグズしちゃいられない。その、施薬院ってどこにあるの」
「残念ながら、ここから歩いて行ける距離ではありません」
「じゃ、どうすりゃいいんだ」
「私の腕に埋め込まれたチップからの信号を侍従警団が感知してくれることに期待するしかありません」
「バカだなあ、連中はたぶんもう……」
そこまでいいかけて僕は口をつぐんだ。響子に操られていた紗織さんは、制御ドーム水没の件は知らないだろう。
「父が組織した侍従警団は優秀です。きっともうじきここに来てくれるはずです」
「だからあいつらはもう」
「ニコゴリさん!」
未弥があわてたように僕に声をかけた。
見ると、周囲の暗闇がかすかに明るい。
次いで、空気を切る音がしたかと思うと二台の飛行ポッドが鉄橋の下から姿を現したのだ。
来た。
紗織さんのいった通り、本当にやって来た。
山吹と紫苑だ。
侍従警団の連中、生きてたんだ。
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