【妄執】
「卓也……」
それは、ささやき声のようなのに闇の空間に共鳴してやけにおおきく聞こえた。
どこから発せられたのか、誰が発したのかよくわからない。ここにいる誰の声でもない。なんだかひしゃげたような感じの発声で、まがまがしいような色合いが響きにこもっている。この声はでも、つい最近聞いたことがある。もしかして、やっぱり……。
「誰?」めぐみがいい、僕たち一同はあたりをキョロキョロと見回した。
「あれは」声を上げた紗織さんが、暗闇に伸びている線路の行く手を指さした。
「あいつ……」
一同は一斉に同じ方向に目をやる。
僕は、線路の先からゆらゆらゆっくりと近づいて来る者の姿を認めた。
やっぱり……。
やっぱりそうだった。
ストーカー魔女だった。
まだ生きていたんだ……。
あの執念のかたまりみたいな女が、そう簡単に水に呑まれて死んでしまうはずがなかったのだ。僕だって助かったのだから。
どうして僕たちのいるこの場所までうまい具合に辿り着けたのかはわからない。たまたまだろうか。その可能性は低くないのかもしれないが、だとしたら、どうやらこの疫病神とはそう簡単に縁が切れなさそうだな。
「卓也……、あたしを置いて逝ってしまうなんて……」
五メートルほどの間隔をあけて立ち止まった魔女は、どうやら僕たちと同じく闇の中に消えていくあの巨大なふたつの目を見ていたようだった。彼女もまた、あの目が膝栗毛卓也のものであることを理解したのだった。
一見したところ、魔女は相当弱っていた。
制御ドームで遭遇した時は全身から大輪のように生えていた触手それぞれがまがまがしく蠢いていたのに、今はすっかりしおれた花みたいに線路上に引きずりかげんになっている。
魔女はふたたびこちらにゆっくり近づいてきた。酔っているかのようにふらふらだ。
僕たちは息を飲んで呆然と見つめている。
「おまえ、しつこいぞ」僕は魔女に声を突き刺す。
「もはや……生きていく望みもなくなった。卓也……、今あたしもそっちに行くからね」
ストーカー魔女は力なくうなだれていたおびただしい触手群をよろよろと持ち上げると、じわじわ足もとの鉄橋に巻きつけ、やおら力をこめはじめた。
そうしてキッとこちらを睨みつけ、
「ただし、そこの女だけは許さない。おまえには死んでもらう」触手の一本が紗織さんを指した。ストーカー魔女にしてみれば、どうしても彼女の存在が我慢ならないものらしかった。
紗織さんは暗い表情のまま、一言も発しない。ひょっとして彼女は、これまでにも数ある卓也氏のストーカーから似たようなことをいわれ続けてきたんじゃないだろうか。
やがて、鉄橋からミシミシいう音が聞こえてきた。
へし折るつもりだ。
僕たちが落下した最初の鉄橋みたいにへし折って崩落させるつもりだ。
崩落させて、みずから暗闇の底に落ちていこうとするつもりだ。紗織さんを、いや僕たちをまるごと道連れにして死のうとするつもりだ。
「おいやめろ!」僕は魔女に向かって叫ぶ。
でも魔女のやつは聞く耳を持たない。いやな音を上げてさらに鉄橋が軋んできた。僕は一歩前に出ると風切を構える。やはり最後にはこいつと勝負するしかなかったのだろうか。
するとその時、
「やっぱり……」
と、不意に背後で誰かのつぶやく声がした。
「えっ」
振り返ると、めぐみがスッと僕の前に歩み出てきた。
めぐみの表情は緊張に満ちている。
「どうしたのめぐみ」
「お母さん……なんでしょ?」
めぐみは魔女に語りかけながらさらに近づいていく。
「何? おい、めぐみ」
当の魔女は怪訝そうにめぐみに視線を向けてくる。
「お母さんなんでしょ?」
胡乱な目つきでめぐみのことを見ていた魔女は、特に表情を変えるわけでもなかったが、ピタリと鉄橋のミシミシいう音が止まった。
そのまま魔女の体ぜんたいが、固まったように動かなくなったように見えた。
僕は気がついた。
いや、本当はたぶん最初から半無意識的に気づいていた。魔女がめぐみの家出した母親であることに(作者註:第6部分【めぐみと廊下】参照 )。
僕が制御ドームで魔女を間近から見た時、どこか奇妙な思いにとらわれたのはそういうことだったんだ。なんとなく見覚えのある顔だから奇妙に思えたんだ。
「お母さん、どうして……」
めぐみは魔女との距離をさらに縮めていく。
「危ないめぐみ!」
僕の叫びもむなしく魔女は突然ハッと我に返ったかのように、
「ぐおおおっ」と激高し、いきなり触手の中でも太いやつを一本高々と持ち上げたかと思うと、めぐみに向かっておもいきり振り下ろしてきたのだ。もはや心の中まで怪物化が進み、実の娘も判別できなくなってしまったんだろうか。
「あぶないっ!」
紗織さんが超人的な素早さで飛び出した。
力いっぱいめぐみを突き飛ばす。
太い触手が線路の上を叩く。鉄橋が揺れる。ふたりはゴロゴロと転がり、幅の狭い鉄橋からすぐに体が飛び出した。
「あっ!」僕のうしろにただひとり控えていた未弥が思わず両手で顔を覆う。
あわやふたりはふたたび暗黒の闇に墜落……と思いきや、間一髪、めぐみと紗織さんは並ぶようにして鉄橋の縁にブランとぶら下がった。
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