【父と娘】


 僕とめぐみは一緒になって紗織さんに歩み寄った。


「紗織さんのせいじゃないよ」僕は紗織さんをなぐさめた。「あやつられていただけなんだから。現に今だって未弥の命を救ってくれたじゃないか。命の恩人だよ」


 しかしそれでも彼女はこちらを見ようとせず、悲しそうな顔をしている。


「とにかく、正気に戻ってくれてよかったよ。学校のみんなも心配してたんだ」


「……」


「そうだよ紗織さん、ほんとに無事でよかったよ。これでクラスのみんなも安心するよ」めぐみも励ますかのようにつとめて明るい声を出す。


「私には、そんな資格はありません」


「何でそんなこというの紗織さん。さっきまでのことは正気じゃなかったんだからしょうがないじゃない」


「そうさ、きみは学校の中じゃ尊敬の的なんだぞ。みんな紗織さんのことを慕ってるんだよ」


「私には、父の血が流れているのです。人嫌いの父の血が」


 そういうと紗織さんはさらに寂しげな顔になり、訴えるかのようにこちらに顔を向けた。


「きっと私も父と同じなのです。今度のことでわかりました。ヒプノティの毒にやられて隠されていた私の本性がむき出しになったのに違いありません。私の本性は人を殺しても何とも思わないとても冷血な人間だったのです。あなたがたを殺そうとした事実は揺るぎません。私という人間は、最後の最後のところで結局誰にも心を開くことのできない冷たい鉄の心の持ち主だったのです」


「今、ちゃんと心を開いてるじゃないか」僕はいった。「ちゃんと今、僕たちに悩みを打ち明けてるじゃないか。それが心を開いてるってことじゃないの」


「……」

「そうだよ。紗織さん、深く考えすぎだよ」めぐみも同調した。「もしそれで悩んでいるんだったら、私たちが力になるよ。大丈夫だよ、そんなに気にすることないよ。お父さんはお父さん、紗織さんは紗織さんじゃない」


「鶯谷さん……」


「紗織さん」僕は聞いた。「その親父さんのことなんだけど……、きみが一週間もずっとストーカーの魔女に捕まってたのに、どうして親父さんは助けに来なかったの?」


 いったい侍従警団の連中も触れたがらなかった当の膝栗毛卓也氏はいったい今どこにいるんだろう? 何をしてるんだろう? それが僕には不思議でたまらなかった。


「父は……」


 紗織さんは悲しげに遠くの闇を見つめ、


「もうすでに、この世の人ではないのです」


「えっ」


 僕とめぐみは同時に声をあげた。


「死んだ、の?」


「……いえ、正確にはちがいます。父はこの屋敷の一部になったのです」


「……」


 どういうことだ。


「人嫌いの父はもうこれ以上、誰にもわずらわされたくなかったのです。世間から完全に姿を隠したかったのです。そっとしておいてほしかったのです。だからこんな迷宮みたいな屋敷を建てて、引退後はずっと閉じこもってしまったのです。いえ、正確にいうと……」と、いったん紗織さんはそこで言葉を区切って「……この屋敷の大部分は、父の思念が具現化したものなのです」


「えっ?」


「もちろんすべてがそうではありません。でも、私もよく知らない奥深い場所などは、ほとんど父の頭の中にあった世界だといっていいでしょう。だから私は父がこの屋敷の一部になったといったのです」


「……」


 返す言葉が見つからなかった。紗織さんのいった通りだとしたら、確かにこの屋敷の中がどんなに理不尽なありえない構造になっていようと不思議でもなんでもないことになる。


「そのことについて話したことはありませんが、父はきっとふつうの人間ではありません。だからこそ芸能界でネガティヴなオーラを発するスターとして人気が出たんだと思います。人に利用されるだけ利用され、その反動で人から恨まれるだけ恨まれました。また、そんな父の持つ神秘のベールをはがそうとやっきになって屋敷の中に勝手に侵入する人たちは来る日も来る日もあとを絶ちませんでした。父が人目を避けて屋敷に閉じこもったのは結局のところ逆効果だったのです。どうにかして父のプライバシーを暴こうとする人たち、好奇心から父に会おうとする人たち、父に危害を加えようとする人たちは今まで一日たりとも、決して途切れたりすることがありませんでした。父はすっかり嫌気がさして、とうとうこの世の中から完全に消え去ってしまうことを選択したのです。あとにこの父の心を象徴するような屋敷を残して」


「あ……」


 彼女に痛いところを突かれた。僕も勝手にこの屋敷に無断侵入したクチだったからだ。僕は卓也氏にとっては迷惑きわまりない有象無象のうちのひとりだったのだ。紗織さんを心配するのあまりに侵入したのは確かだが、その一方で、屋敷そのものに対する好奇心や冒険心がおおきなウェイトを占めていたのはまぎれもない事実だった。


「……ごめん、僕も不法侵入者だ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る