【絶体絶命】
彼女は宙に浮かんでいる。空気を操れる風切を下段に構えている。
紗織さんは無表情にこちらをじっと見ている。いったいいつからここにいたんだ。まったく気がつかなかった。
その距離は二メートルほどだ。
「紗織さん……」
いっさい無反応の紗織さんは、宙をゆっくり滑るように、さらにじわじわとこっちに近づいてきた。
「やっぱり僕を斬るの……」
「……」
紗織さんは答えない。
めぐみと未弥を両手にぶら下げた僕はいっさい動くことができない。まさに万事休す、このままじゃまったく無抵抗のまま殺されるしかない。
「紗織さん、やめて!」めぐみが大声で下から懇願した。「いったいどうしたの? 目をさまして!」
必死に叫ぶが、紗織さんは目の色ひとつ変えない。
「紗織さん! ちょっと待ってくれよ!」僕も叫んだ。ここであきらめて黙って斬って捨てられるわけにはいかないんだ。
「紗織さん! 聞いてよ。きみが魔女から受けた指令は僕を始末することなんだろ。僕を斬ると、めぐみと、それからもうひとり、未弥っていう関係ない子も殺すことになってしまうんだよ。きみはそれでもいいの?」
「……」あいかわらず紗織さんは黙っている。
「おい未弥、無事か?」僕は下に向かって声をかけた。
「……はい、ニコゴリさん、こわいです」未弥のかぼそい声が聞こえた。
僕はまた紗織さんに向きなおり、
「聞いたろ? 何とかふたりを助けてくれないか。そうでなくても、もうずり落ちそうなんだよ。手が限界に近いんだよ」
「……」
「めぐみはきみのことをずっと慕っていただろ。それを思い出せよ」
「……」
まったく聞く耳持たないといった様子で、とうとう紗織さんは風切を降り上げ、上段に構えなおした。
「紗織さん、やめて!」めぐみが叫ぶ。僕は両目をギュッと固く閉じた。
「ニコゴリを殺さないで!」
ダメだ! おわりだ! 「ぐあーっ!」
「ニコゴリ死ぬなーっ!」めぐみが絶叫する。
いちおう叫んでみたが、僕はまだ斬られてない。
「おまえが死ぬなめぐみ!」僕は目を閉じたままめぐみに大声でいいかえした。「僕が斬られてもおまえは何とか生きろ! ここから落ちても生きろ! 僕のかわりに未弥の面倒見てくれ!」
「バカヤローッ! おまえが斬られたらあたしたちだって助かるわけないだろーっ! それに人に責任押しつけんなっていってんだよっ! この中学生はおまえが面倒見ろっバカッ!」めぐみが怒鳴る。
「バカって何だよ!」僕も負けじとさらにおおきな声を出す。
「死ぬなバカーっ! おまえが死んだら……おまえが死んだら……」急に声が途切れた。
まさか泣き出したのか……?
「めぐみ、おまえ泣くんじゃない!」
「泣いてるかよバカ! おまえと一緒にすんな!」
「はあ? 僕がいつ泣いたよ」
「幼稚園のころ、おまえ毎日まいにち泣いてばっかりだったじゃないのよ!」
「幼稚園! 幼稚園! いつの話してんだよ! おまえいつまでさかのぼってんだよ!」
「小学校の時だって、あんたをイジメて泣かせたやつに、あたしが仇を取ってやったじゃない! もっと感謝してよね! だいたいあんたは感謝の気持ちが足りないのよ!」
「だからいつの話してんだよ!」
「あんたがあたしの子分だった時の話よ!」
「いつ僕がおまえの子分になったよ!」
「うるさいうるさい! とにかくおまえは死ぬなっていってんだよ!」
「僕はおまえの子分じゃない!」
「子分じゃなくてもいい! 死ぬな!」
「おまえが死ぬなクソめぐみ!」
「おまえが……バカニコゴリ、おまえが生きろ!」
「ふたりとも……生きる! いや、ふたりだけじゃないぞ、未弥も合わせて三人とも死んでたまるか!」
……ところで、何だこの会話?
わけがわからない。
この期に及んで何ていうくだらないやりとりをしてるんだ。
まるで滑稽な夫婦漫才みたいじゃないか。
それに紗織さん、刀を構えたわりにはちっとも斬ってこようとしないぞ。僕は痛くもかゆくもないぞ。もうとっくに斬られてもおかしくないっていうのに。いったい何してるんだ。
僕はおそるおそる両目を開いた。
(あれっ……)
紗織さんが刀を下ろしている。両腕をだらりと下げ、戦闘体勢を解除している。
気のせいだろうか、表情はあまり変わっていないのに、目に人間の光が戻ってきているようにも見える。なぜだ。どうなったんだ。
「紗織さん……」
僕はあっけに取られて、思わず声をかけた。
すると、紗織さんがぽつりと何かをいったような気がした。
「えっ」よく聞こえなかったので、僕は聞きかえした。
「仲がよくて……」紗織さんはいった。
「えっ」
「仲がよくて、いいですね……」
僕は絶句した。
「私……うらやましい」
「……」
それは前にも聞いたことのあるセリフだった。
いったいいつのことだったろうか。いつこの言葉を耳にしたんだったっけ……。
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