第2話
俺は白目を剥きながらせり上がってくる拒否反応に耐える。
強烈な渋味が襲ってきた。
次いで痛い辛味。
苦行をするために飲むのかよこれ。
何を入れたらうええええぇっしかも妙に甘味まである。
純粋に気持ち悪い。
口が爆発したように膨らんでいるけど何とか堪える。
食い物を粗末にしてはいけない。
落ち着け、呼吸を整えろ、そして一気にいけ!
ごくん……
うええっおげっ!
胃が強烈にうねる!
胃に穴が空きそう!
妙に生温かいのもキツイ!
「だっ大丈夫ですか?!」
エレノアが俺の背中をさすってくれる。
ああこんな気を遣ってくれるとは、君はなんて天使なんだ。
そしてアレを飲んで何故平気なんだ!
「はっ……はっ……だ、大丈夫。しかし何故こんなに独創的な」
つーか『毒』創的な。
すると、彼女はキラリ、というかむしろギラリと目を光らせた。
何かのスイッチが入ったように拳を作り、力説を始める。
「よくぞ訊いてくれました! 軽く十八時間ほどで説明が終わりますからわたしの話を聴いてもらえますか?!」
頬を紅潮させて迫る彼女は水を得た魚のごとく活き活きとしていた。
早く話したくてたまらないというような、うずうずとした感じが伝わってくる。
我慢を重ねお腹を空かせた後にごちそうに出会った時のような飛びつきたい衝動に似たものが、彼女の瞳にごうごうと宿っていた。
しかしこの流れは……嫌な予感しかしない。
「それは全然軽くないと思うんだ。今度機会があったら聴かせてもらうことにするよ」
俺はサラリーマンの如く曖昧な笑みを浮かべ曖昧に濁して終わらせようと画策した。
「隊長、私は全ての味覚を強烈に刺激するモノを作りたいのです……!」
エレノアはどこか遠い山の頂を目指すように斜め上を指差し、恍惚とした表情で語り始める。
俺の言葉はもはや彼女の耳には届いていなかった。
「いや全てを刺激する必要は無いんじゃないかなあ」
「いいえ駄目です! 食は人生を豊かにしますよね、そこで私は食を極めたいと考えたのです。食べられないならそれは……死んだも同じですっ!」
「……食べなきゃ死ぬと思うけど」
「私は世界中の料理を試してみたい……! でも世界にはゲテモノだったり強烈な臭さだったりクセの激しいものだったり、色々なものがあるじゃないですか。それらを全て制覇するためには、全ての味覚を鍛えておく必要がありますよね? そこで私は日々研究を重ねているのです! 毎日違う味にして全ての味覚を鋭敏にしているんですよ。私の食への熱意……分かっていただけましたか?」
エレノアは一仕事やりきった感じで、ふう、と満足気な笑顔を見せる。
熱意というとまさに触れると火傷しそうな熱量だった。
どうやらエレノアは食にうるさい性格のようだ。
というか、凝り性なのか。
独創性が強すぎて変な方向に行っている気がするけど。
健康オタクで仕入れた情報以上のことをやり始めて周囲に理解されないところまで突っ走ってしまった知り合いがいたが、それに似ているかもしれない。
まあ、凝るものがある分には良い気がするけど。
ふと気付くと、エレノアがさっきまでいた所には文庫本が置かれていた。
俺に近付いたせいで落としてしまったようだ。
表紙はバトスリィ著『掌握戦』で戦術指南書。
そういえば図書室で彼女が読んでいたのも戦術指南書だった気がする。
「随分熱心なんだね。戦術の研究?」
俺が戦術指南書を手に取ろうとすると。
「これはっ……ええはいそうですそんなところです! 戦術が好きというか……!」
エレノアは猛ダッシュで本をひったくり、背中に隠した。
この狼狽ぶりはなんだ?
「えっと、それは何か見せられないものなの?」
尋ねてみると、あからさまに彼女はビクッとなりわたわたと手を振る。
「それはっ……! そそそうですねこれは戦術指南書に見えて実は娯楽漫画だったりしますので戦術は載っていないんです。いや、娯楽漫画じゃなくてとびきり怖い怪談だったかな? まったく紛らわしいですよねえあははっ」
「え、でもバトスリィって風変わりな戦術論を沢山著述した人じゃなかったっけ?」
「あうっ……し、知っていたのですか? 割とマイナーだと思ったんですけど」
「最近になって知られてきたみたいだね」
そう言うと、それまで逃げ腰だったエレノアが途端に饒舌になった。
指を立てて力説を始める。
「ええそうです! バトスリィは存命の間は誰にも理解されずその戦術の奇抜さから『道化軍師』と揶揄されていました。でも死後五十年経って、最近ようやくそれが見直されてきたんです! この『掌握戦』を読みこんだ各国の軍師が目覚しい活躍を見せ、ある国の軍師は『バトスリィは五十年先の我々よりも遥か先が視えていたのだろう』と絶賛したほどなんですよ! 超オススメなんで是非読んで下さい!」
またもスイッチが入ったような目の輝きようだ。
この興奮ぶりからしてよっぽど好きなんだろう。
これって歴史女子……『歴女』っていうのか?
でも戦術指南書を愛読しているから、戦術好きが講じて覚えているのかもしれない。
しかし、興奮しているために彼女は自分がミスを犯したことに気付いていないようだ。
俺は苦笑しながらそのミスを指摘する。
「じゃあ、見せられないどころか超オススメなんだね?」
すると彼女は『しまった!』とばかりに手で口を覆い隠した。
完全に手遅れなのだが顔を赤く染めながらそうしている姿が破壊力抜群な可愛らしさだ。
存分に記憶に焼き付けておこう。
「うう……謀られました。【婉曲引話法】ですね……? バトスリィ著『掌握戦』第三章〈交渉術〉其の八【婉曲引話法】――相手が隠したい情報を、一見関係のない話を振ることで心の隙を作り出し、自ら喋ってしまうように仕向ける会話の戦術です。バトスリィを敬愛するあまりつい喋ってしまいました……」
「あ、ああ」
全くそんなつもりは無かったのだが、どう言っていいのか分からないのでとりあえずそういうことにしておいた。
そうか、会話も戦術なのか。
バトスリィを詳しく知っているわけではなかったが、どうやらその戦術論は多岐に渡るもののようだ。
それからエレノアはしばらく逡巡して、やがて諦めたように口を開いた。
「ちょっとわたし色々書き込んでしまっていますので……」
そう言って恥ずかしそうに胸の前に本を移動させる。
確かに紙が色あせて付箋も沢山飛び出ていた。
「あー使いこんでいるから?」
確かにボロボロになるまで使いこむと見せ辛いが……
「つっ?! つつつ使ってなんかいませんっ!」
突然の激高。
意味が分からない。
顔も真っ赤だしどうしたんだ?
「使わないでそれ読む意味あるの?」
するとエレノアは口に手を当てまたも『しまった!』のポーズ。
今度は目を白黒させていて、超弩級の秘密を隠していそうだ。
それからしどろもどろに弁明が始まった。
「あの、いえ、そ、そうでしたそういう意味なら使ってます! わたし戦術マニアなので書き込んだコメントとかかなり恥ずかしいのです。ですから見せるのだけは……」
『そういう意味』ってどういう意味?
他に本を使う意味ってあるの?
でも涙目の懇願だったのでそれ以上は何も言えなかった。
深く追求してほしくないオーラが強烈に出ているし。
まあ、とりあえずエレノアが戦術好き、というか『戦術マニア』だというのが分かっただけでも良いか。
ただ何か隠したい秘密があるようだけど。
ここまで切実に隠したい超弩級の秘密っていったい何なんだろうな?
「それでは他の小隊長を連れてきますので、顔合わせをっ!」
まるで逃げるように出ていってしまった。
秘密が気になるけどまあいいか……
ところで、エルサリカでは十六歳で軍にいるのは普通だ。
小学校で魔法の適正試験を受け、適正があれば中学校は軍学校に進学。
半分は座学、半分は訓練や模擬戦の日々。
卒業後は正式入隊し、模擬戦が実戦へと変わる。
二十歳を過ぎると魔法の劣化が始まり、十三~二十歳までが最も活躍できる時期とされている。
法律もこれを基準に作られる。
多くの国では実戦は軍学校卒業後から可能、成人は十六歳とされている。
これは【未成年者保護及び成年戦闘許可等に関する法律】だ。
子供を安易に戦闘に参加させるなという声と一番活躍できる時期に参加させたいという声が微妙なバランスで衝突した結果成立した。
恐らくこれからエレノアが連れてくる小隊長も年齢はそんなに離れていないだろう。
果たしてどんな人物だろうか。
屈強な戦士とか?
活きの良い荒くれ者とか?
そんな想像を膨らませていると、エレノアが戻ってきた。
「お待たせしました、バセラ2の小隊長をお連れしました」
エレノアは背後の人物を手招きし、自らは脇に避ける。
軽やかな靴音と共にその人物は入室してきた。
さあてどんな小隊長かな。
活きの良い荒くれ者でも一歩も引かないよう心の準備をする。
こういうのは最初が肝心だ。
しかし、目の前に現れたのは。
「…………ネイダ」
ぼそり。
以上。
鈴を転がしたような声の余韻だけが部屋を満たす。
たった三音。
それだけを告げた少女。
暗号や合言葉を交わす諜報員みたいに。
「…………え?」
俺は目を丸くして固まった。
屈強な戦士や活きの良い荒くれ者はどうした?
躍動する筋肉と飛び散る汗の男祭りを覚悟していただけに、予想外すぎて面食らってしまった。
少女の身体は筋肉ダルマでもなければアマゾネスでもない。
思わずまじまじと眺めてしまう。
青白い髪は緩くウェーブが掛かり、腰辺りまで届いている。
よく手入れが行き届き、毛先まで艶で輝いていた。
眉や口は引き結んだ形で、澄んだ瞳でありながらも硬質な目が磨きぬかれた宝石を思わせる。
肌の白さは透き通る透明感で陶磁器のようだ。
かなりの美少女であるが、感情の抜け落ちた雰囲気がどこか人形を思わせた。
軍服は着こなしているが人形めいた雰囲気からかコスプレのようにも見える。
軍服はダークブルーを基調とし、なかなかにセンスを感じさせる造形となっている。
俺もエレノアも同じものだ。
階級章だけ異なる。
俺は数秒間フリーズしていたがネイダ小隊長はそれ以上何も言わなかった。
ただじっとこちらを見ていた。
澄んだ瞳は水色で神秘的だった。
エレノアが俺の困惑を察してくれたのか、書類を読み上げてくれる。
「彼女はネイダ・アクトペル。十五歳です。軍学校では個人の武力が特に優れ、個人戦での勝率はなんと八五%にものぼります……! 彼女が参加した団体模擬戦においても一人で戦況を覆すことが度々あったという伝説もあり、付いた二つ名は〈静穏剣鬼〉」
おお、と俺は感心した。
非常に強力な人材のようだ。
エルサリカにおいて、男女の戦闘能力の差は殆ど無い。
体格差を補う重要な要素があるからだ。
それが魔法である。
戦闘要素は剣術・魔術・魔法の三つ。
まず一つ目の要素、剣術。
刀を使用する国が多い。
リノロスは刀だ。
槍や斧を主な武器とする国もある。
二つ目の要素、魔法〈アイ〉。
【願い】という意味を持つ単語だが、太古の言葉の中から気に入ったものを、三万年前の祖先が流用した。
〈アイ〉――願いを叶えてくれる力。身を守ったり、身体を強化したり、矢として相手にぶつけたり。この源は〈ジョウ〉で、瓶に入った液体。これはイメージでなく、本当に生体部品として脳に入っている。
〈ジョウ〉を蒸発させることにより〈アイ〉を行使する。
瓶が空になればそれ以上〈アイ〉は使えない。
減った〈ジョウ〉は体力みたいに徐々に回復していく。
後は〈アイ〉の素養と訓練でその威力や〈ジョウ〉の効率的使用が可能になる。
ネイダがぽつりぽつりと付け足すように言葉を紡いだ。
「よろしく、お願い、します」
「ハロルド・ロックスだ、こちらこそよろしく」
彼女は感情表現が乏しいのか、にこりともしない。
それが彼女の標準なのだろうか。
「ネイダ、隊長の強さ、知りたい」
特に表情を動かさず淡々と話すネイダ。
唐突な話に俺は聞き返しそうになる。
試合でもしたいのだろうか。
いや経歴とか実績を知りたいのだろうか。
いやもっと根本的に、意図が分からない。
何故そんな話をするのか。
強さって何だ?
しかし次の瞬間、空気が一変。
彼女の体からぞわりと強烈な殺気が放たれた。
真っ白なキャンバスにペンキの缶をぶちまけるように一気に塗り替えられる。
そうしてぶちまけられた殺気は俺の周囲を槍で取り囲むような冷たい鋭さを持っていた。
腕を、背中を、頬を、怖気が撫でていく。
ネイダが動いた。
突然刀を抜き、斬りかかってきた。
残像を伴うほどの鋭い跳躍だった。
一足飛びでこちらに肉薄。
振りかぶられる刀。
全てが一瞬。
音さえ置き去りにするような激烈な速度。
気付いたら目の前に刀を振りかぶった彼女の姿……そのレベルの迅速さだった。
斬りかかりからそこに至るまでの過程がごっそり欠落したような。
俺は思考をショートカットし刀を抜きながら防御姿勢をとった。
こんな時何故とかどうしてとか思考を挟んでいたら間に合わない。
攻撃が来たから防ぐ。
そこまで思考を純化し脊髄反射の如く動く。
刹那の世界で勝負が決まる戦いでは当たり前のことだ。
際どいタイミング。
防御が間に合ったのは紙一重の差。
そこから一秒よりも遥かに短い時間の遅延でもあれば間に合わなかった。
俺は衝撃に備え全身の筋肉を硬化させる。
だが、俺の刀に打ち込まれたネイダの刀の衝撃はいつまで経ってもやってこなかった。
空気が通り過ぎていったみたいに何も無かった。
防御姿勢のまま疑問符を浮かべる俺。
手応えの無い斬撃。
面妖な。
と、気付いたらネイダの姿が目の前から消えていた。
いや、それは正確ではない。
ネイダは最初から一歩も動いていなかった。
気付くと濃密な殺気も消えていた。
まるで何事も無かったかのように。
いや、何事も無かったのだ。
俺は彼女が刀を抜いて斬りかかってきたと思い込み、咄嗟に防御姿勢をとっていた。『それだけのこと』だった。
全ては、殺気……!
「
ネイダは射抜くような鋭い目で、言った。強者の威圧が風のように駆け抜けていく。
エレノアが興奮気味に解説を始めた。
「天厳流剣術の指南書なら読んだことあります! 【夢陣幻撃】――強烈な殺気と微細な体捌きにより相手に攻撃を幻視させることができる、奇襲性が高く有効な技です!」
微細な体捌きは、攻撃の予備動作だ。
殺気を放った状態で攻撃の予備動作をすれば、相手は当然その先を予測して動く。
本物の攻撃と錯覚して。
だが、それは言うほど簡単な話ではない。
強烈な殺気。
微細な体捌き。
どちらも達人の域に達していなければ相手を錯覚させることなどできはしない。
こんな高度な芸当ができるとは、つまりはネイダは『その域の剣豪』だということだ。
俺は直感した。
この娘もアタリだ……!
その彼女は得意そうな顔一つせず、さも当然のような表情をしていた。
既に自信が板についているのかもしれない。
その小さな口は淡々と言葉を紡いだ。
「こんなものに惑わされるなんて、隙だらけ……強さ、感じられない。隊長、覚悟ある? 戦場に出たら、殺されるし、殺すでしょ?」
声からは見込み違いだったというような不満が感じられた。
俺はこの娘に認めてもらえるのだろうか。
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