中隊結成

第1話

 人を迎えに行くため、廊下を歩いていた。

 石造りの廊下は軍靴の音が硬質で格好良く響く。

 まるでこの音を奏でるために軍庁舎が石造りになっているのかもしれない、などと漠然と思う。


 軍庁舎を軍靴で歩く以上、俺はこの国の軍人だ。

 よその国の軍人だったら即座にであえであえと人気者になってしまうだろう。

 俺はどこにでもいる普通の男子、だと思う。

 いや普通よりもうちょっとダメな方か。

 いやいや、ぎりぎり普通にしがみつける程度かもしれない。


 いや、よそう。

 正直に言えば普通じゃない。

 自分が普通普通と思っていても、そうでないと気付いてしまう瞬間がある。

 小学校の時から皆がやらないようなバカなことに熱中したり、軍学校ではテストで変な所が気にかかって0点をとったり。

 周囲の奇異な目を何となく感じて、気付かない振りをして、でも気付かない振りも限界に来て。

 その時には遅かった。

 最初からぼっちではあったけど、ついぞ今まで変化は訪れなかった。


 落ち零れ。

 簡単に言えばそれだけ。

 でも落ち零れにかけられる言葉は冷たく、落ち零れに接してくる態度は冷たく、氷の上を歩くような人生だった。

 カキ氷はおいしい。

 急いで食べてキーンってなるかと思いきや、俺はならない。

 一気に頬張る。

 そうしたら幼馴染に『この人カキ氷食べてキーンってならないんだってー!』と言いふらされて大変だった。

 特技だと思っていたのに言いふらされると何故か無性に恥ずかしかった。

 暗いこと考えていたのにいつの間にか脱線した。

 だから俺はダメなのだ。

 話を戻そう。


 優秀な兄がいた。

 一つ上の兄は軍学校で学年主席を取り続けたエリート。

 将来を嘱望され軍のお偉いさんがわざわざ家に挨拶に来るほど期待されていた。

 学校で姿を見た時は大勢に囲まれ人望も厚かった。

 幼馴染も優秀な兄を絶賛し、好きだったんだろうと思う。

 そんな三拍子揃った優秀な兄は憧れだった。

 何度も兄のようになりたいと願った。

 だが現実は乖離するばかりで、自分に失望する日々が続いた。

 自分には何一つ良い所なんて無かった。

 諦めがつくと色々と割り切るようになり、口癖が『面倒臭い』になった。


 とは言え面倒臭くても生活はしなくちゃいけないわけで。

 事情があって別の国から今いる国に移住してきたのだが、自分にやれることと言ったら軍学校卒業した以上軍しか無いよなあと思い至り、兵士募集に応募。

 その時俺は運が良かったのかもしれない。

 たまたまこの国の元帥が面接してくれたのだ。

 元帥は気さくな挨拶をする人だった。

『魔法ぉぉぉぉ――――――中ぅぅ――年!』

 斬新な自己紹介でビビッた。

 魔法のステッキで決めポーズをする中年を置いて帰ろうかと思った。

 でもそんな勇気も無く、緊張しながら受け答えをした。

『君は何をしたいのだね?』

 どうせだからでっかいこと言おう。

 全国制覇とか良いな。

 よし全国制覇で。

『世界征服です!』

 間違えた。

 だから俺はダメなんだ……

 でもこれがウケて即採用だった。


 俺はこの国、リノロス王国で軍に入隊し、中隊長になった。

 初日は各種手続きだけで終わり、二日目の今日から本格始動。

 副長を迎えに行くために今こうして歩を進めているところである。

 副長は初日にちょっと話してみたが、目の覚めるような美少女で、その上聡明だった。

 彼女を隊に迎えることができるのは喜ばしい限りだ。


 廊下を進み、目的地に到着。

 彼女は図書室にいることが多い、と自己申告していた。

 その自己申告をアテにしてやってきたのだ。

 図書室の重厚な扉を開けた。

 なかなか広い空間だ。

 高い本棚が立ち並んでいるため気持ち的には窮屈に感じるが。

 奥の方へ歩いていく。

 床の上にカーペットが敷いてあるため靴音も柔らかく、微かである。

 様々な装丁の本の列の間を通り抜けた。

 紙の放つ匂いが落ち着きと静謐を喚起する。

 奥の一角にはテーブルが幾つか確認できた。

 本棚を抜けると視界が一気に広がる。


 透明な扉をくぐったように、明らかにそれまでと異なる空気が頬を撫でていった。

 そこに広がっている光景があまりにも心を打つものだったので、そう感じたのかもしれない。

 絵画に命が吹き込まれたようだった。

 そこには一人の美少女がいた。

 テーブルの一つに着き、何やら難しそうな本を読んでいる。

 蒼い瞳は理知的な輝きを帯び、後ろで纏め上げたブロンドの髪は柔らかな艶を放っていた。

 纏め上げた髪は、下ろせば背中まで絹糸の川となって流れていきそう。

 真っ直ぐな眉や鼻、口などは硬質な印象。

 胸は服の上からでも押さえきれない隆起が確認でき、かなり大きいと見られる。

 本に集中しているからかもしれないが、怜悧な美貌を醸し出している。

 軍服の着こなしもサマになっていた。

 背筋が伸び、女性らしい丸みを帯びつつもその中にある種の格好良さも感じられる。

 頁を捲る時のたおやかな指先の動きはつい目で追ってしまう魅惑を放っていた。

 この一瞬をいつまでも残しておきたいと思えるほど絵になる光景だった。

 思わず息を呑み、見入ってしまう。

 胸の高鳴りを覚える。

 窓から差し込む陽光はオレンジになりつつある。

 そのオレンジの光が紙面を照らし、彼女の半身も照らしていた。

 陰影がくっきりと浮かび上がり、陽の当たる頬の滑らかな輝きが艶麗な顔の造作を強調していた。

 そんな彼女が、優雅に。


「ふへへ」


「………………………………え?」

 俺は耳を疑った。

 稲妻が落ちたようだった。

 夢の中にいるのかとも思った。

 彼女は難しそうな本を読みながら、ふへへと笑った。

 淑女が控え目に笑う『ふふっ』ではない。

 確かに完璧美少女と言って良い彼女が、ふへへと笑った。

 そして口元を手の甲で拭いながら『じゅるり』と呟き、その拍子にこちらと目が合う。

 彼女は手の甲を口に付けたまま、固まった。

 歌が苦手なんだけど部屋でこっそり練習していたらその内ノッてきてダンスの振り付けまで加えて熱唱していたところをガチャリと扉が開いて親が顔を覗かせ、視線が合ってしまった……そんな顔をしていた。

 親が『あ、ごめん……』と言って扉を閉めるか気遣いつつ無言で扉を閉めるかするパターン。

「にっ……」

 彼女が驚愕に目を見開いた様子で震える口を開く。

「…………に?」

「にゃあああああああああ――――――――――――――――――――――っ!」

 彼女は飛び上がって壁際まで猫みたいに逃げた。

 物凄い速さだった。

「ちょ、ちょ、図書室では静かに」

「いい今、今! 聞きました?! 聞いてました?!」

「まぁ、何というか」

 ふへへというか。

「うぅ聞かれちゃいました……もう生きていけません恥ずかしいです変な娘だと思われてしまいます! やあああああぁんどうしよう!」

「別にそんなことは……」

 頬を手で押さえ真っ赤な顔をぶんぶん振る女の子の姿にドキリとする。

 彼女は更にこちらを見ていられなくなったとばかりに壁の方を向いて縮こまってしまった。

 後ろから見ても蒸気が出ているんじゃないかというほど耳まで真っ赤だった。

 涙目で壁に張り付きぽかぽか叩く姿が愛らしい。

 さっきの怜悧な姿はどこへいった。

 でも綺麗も可愛いも兼ね備えているとは何たる。

「はっ……そうだこれは口止めしなくては……! あの! このことは誰にも言わないで下さいお願いします、何でもしますから!」

 今度は壁から離れ、俺の胸に飛び込んで懇願してきた。

 涙目で見上げてくる。

 絶対に封印したいアクシデントのようで、羞恥が全身を支配しているようだった。

 お腹を空かせた子猫に要求されているみたいで何でも叶えてあげたくなる。

 彼女と体が密着してしまったが、彼女から伝わる温もりはじんわりと俺の体温と鼓動の速度を上げた。

 そして服の繊維越しからでも肌の柔らかさが充分に感じられるような手触りが伝わってきた。

「や、特に何もしなくても……」

「そういうわけにもいきません! 口止めしてもらう以上はそれを守ってもらうための条件を示していただいた方が安心できます!」

 この口止めにそこまでの確約を求める必要があるのだろうか。

 まあでもこの慌てぶりを見る限り彼女にとっては死活問題クラスのものなんだろう。

 他人には分からなくても本人にとってはとても重要な事というのはけっこう存在するものだ。

 それに、この勢いだと引き下がってくれそうにない。

 ううむ。

 そして何かしら無いものかと考えた末に、一つだけ思い付いた。

「じゃあ、図書室から出ようか……?」

 我ながら無欲だ。

 でも、周囲の視線が気になったんだ。

 図書室らしく『このバカップルが』の声も控え目だったけど、いつの間にか注目の的になっていた。

 彼女は数度瞬きした後、ふわりと笑った。

「了解です、隊長!」

 彼女の名はエレノア・スフィーダ。

 もう俺の隊の副長になったのは既知のことであったようだ。

 エレノアの笑顔はあまりにも胸に直球で響く魅力で。

 この一瞬を水彩で残しても油絵で残しても、また違った趣の感動と共に記憶に刻まれるだろう。


「わざわざ大尉殿がやらずとも、私達に任せていただければ良いのに」

 クスクスと笑うエレノア。

 彼女はモップとバケツを持っている。

 それに対し雑巾を片手に応える俺。

「空き部屋だと聞いてね。隊長としての初仕事が部屋を綺麗にすること、初心を大切にしているみたいで良いじゃないか」

 新設した中隊の隊長室として、軍庁舎の空き部屋を一つ貰った。

 石造の十畳程度の部屋で、壁も床も天井も殺風景な石の色。

 奥には木枠の窓が設えられ手前に大きな焦げ茶色の机。

 向かって左端に二つの同色の本棚。

 向かって右の奥には傘入れや洋服掛け。

 カビの臭いはしなかったが、埃はうっすらと溜まっていた。

 二人ともマスクを着用し、作業開始。


 今階級の話が出たが、俺は大尉になった。

 大隊長になれば少佐、その上は連隊長の中佐や師団長の大佐があり、その上に立つ最高司令長官が元帥。

 ちなみにエレノア小隊長は中尉だ。

 その下の分隊長なら少尉、班長なら准尉。

 この国では隊長格に階級がリンクする仕組みになっているらしい。


 階級の仕組みが単純なのは、この国が小国だから。

 リノロス王国。

 エルサリカ大陸南端にある海沿いの辺境国。

 去年即位した女王ナリア六世が治める。

 人口一二七万人。

 主に鉱山と山林、海産物や農業による経済。

 領土は西はガシュラに面し、北西は僅かにカーニングエビッシ、北全般はオルトレア、東がパースケイルと隣接。

 南は海岸線。

 王都は海岸に面したリノ。

 八十年の歴史の中で黎明期は鉱山獲得のため西へ、漁場拡張のため東へ進出したが、それ以降は防衛が多い。


 エルサリカ大陸では三五二の国が存在するが、平均的な国は人口三〇〇万人で、一五〇万人以下の国は小国とされる。

 人口五〇〇万人を超えれば大国の仲間入りだ。


 掃除はすぐに終わった。

 広い部屋でもなかったので、二人なら綺麗にするのに多くの時間は掛からなかった。

 掃除用具を片付けると、飲物を飲みながら話そうという流れになった。

 俺は自前のコーヒーミルで豆を挽いてコーヒー、エレノアは一度部屋を出て湯気の立つマグカップを手に戻ってきた。

 エレノアはいそいそとバインダーを取り出した。

 それから待ちきれないとばかりに喜色満面で尋ねてくる。

「隊長、私達の部隊の説明を始めてもよろしいでしょうか?」

「ああ、頼むよ」

 俺が頷くと、彼女は気合を入れる仕草をする。

「はい! 説明ならお任せ下さい!」

 新入社員が見せるようなフレッシュさと弾んだ声だった。

 聞いているこっちまで楽しくなってくる。

 彼女のこの気合の源泉が何なのか興味が湧いた。

「ずいぶん張り切っているんだね?」

「こういうの憧れだったんです! 私、軍師や参謀といったポジションに魅力を感じていて。私が調べたデータや提案した戦術を人が使ってくれる……そしてそれが戦場で活かされるのを見るのが堪らないんです!」

 夢が叶ったみたいに話す彼女はまさに夢見心地に頬を紅潮させていた。

「へえ、自分で実行するより他人の補佐をする方が良いのか。確かに軍師や参謀に向いていそうだね」

 ここでピンときた。

 この娘は才能アリアタリだ。

 直感的にそう思った。

 直感というのは根拠が乏しい状況にも関わらず突如湧いてくるものだが、これが意外に当たったりする。

 自分が調べたデータや提案した戦術を人に使ってもらいたいなら副長に最適だ。

 そして彼女は秘書然とした感じでバインダーの書類に目を落とし、説明を始めた。

「私達の部隊は【ギノル1大隊】所属、【アンガル4中隊】となります」

「アンガル4か。小隊の名称についてはもう固まったの?」

「ええ、小隊名は『バセラ』。バセラ川から命名しています。バセラ1~3小隊が与えられました。私がバセラ1の小隊長となります」

 部隊名には命名規則がある。

 師団は国名。

 リノロス1やリノロス2といった名称になる。

 連隊は龍名。

 王権を守護する神話の龍からとってラゴノア1やラゴノア2など。

 大隊は瑞動物。

 火山より生まれる伝説の鳳凰からとってギノル1やギノル2など。

 中隊は山の名前。

 アンガル山というのが西の国境付近の山脈にあるので、俺の部隊はその山から頂いた名称のようだ。

 俺の部隊がアンガル4なので、既にアンガル1~3が存在しているということ。

 小隊は川の名前。

 バセラ川は国土の北の方を蛇行しながら流れている清流だ。


 部隊規模は、一師団当たり約五〇〇〇名。

 一師団は二連隊を以って構成される。

 一連隊当たり約二五〇〇名。

 一連隊は四大隊を以って構成される。

 一大隊当たり約六二五名。

 一大隊は四中隊を以って構成される。

 一中隊当たり一五六~一五七名。

 一中隊は三小隊を以って構成される。

 一小隊当たり五〇~五六名という割り振り。

 リノロス王国は二個師団、約一〇〇〇〇名によって成り立っている。


 書類に目を落としながら報告するブロンドの美少女を眺めていると、早くも部隊の長となった実感が湧いてくる。

 副長の報告を聞く隊長という構図が何だかワクワクした。

 自分が部隊を持った、自分がこの部隊を動かせるんだ、自分が人を動かすんだ、という感じ。

 ただ、この構図は良いとして、一つエレノアにお願いをしてみた。

「副長は同い年だよね? 敬語じゃなくて良いよ」

 俺は十六歳、彼女も十六歳。

 何か俺だけが普通に話していて彼女は敬語、というか丁寧語か、それだと落ち着かないというか。

 でも彼女はにっこりと笑った。

「隊長は中隊長ですし、階級も上です。そういう訳にはいきませんよ。それに、他の隊の人に見られた時に示しがつかないということもありますし」

 別に屈託がある訳でも嫌がっている訳でもなさそうな笑顔。

 軍隊ですから、と言いたげだ。

 ま、そうではあるんだけど。

「指揮に響かない程度のことだったら、そんなに厳格にしなくても良いと思うけどな」

「お気持ちは感謝します。でも、もうこれで慣れてしまいましたから」

 俺は肩を竦めた。

 無理強いするつもりも無いし、良いか。

 彼女は割と真面目な性格なのかもしれない。

 お互いに飲物を口につける。

 エレノアはほぅ、とうっとりした顔になった。

 その表情を見るによほどおいしいのだろう。

 中身が何なのか興味が湧いた。

「それって何が入っているの?」

「ちょっと説明が難しいですね……あ、隊長これ飲んでみます?」

 エレノアは緩く湯気を立てるマグカップを差し出してきた。

 俺は軽い気持ちで受け取ってみたが、よく考えてみたら、これはついさっきエレノアが口をつけたものではないか。

 これに口をつけるというのは間接キスである。

 どうしよう。

 気にせずいっちゃう?

 気にしつついっちゃう?

 彼女もそれに気付いたようで、ちょっと恥ずかしそうだ。

 でも手振りでどうぞどうぞとせっついてくる。

 良いよね、行くよ?

 行っちゃうよ?

 これがエレノアの……

 軽く呷って飲んだ。

 最初は牛乳っぽい味。

 妙に喉に引っ掛かる。

 でも何か違う味も……?


「おうぅえええええぇ――――――――――――――――――っ!」


 急激に胃液が逆流してきて意識が飛びそうになった。

 それは食用ではない、今すぐ吐き出しなさいと胃がストライキを起こした。

 何でエレノアみたいな美少女が、雑食の昆虫でも即死するような汚物を……!

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