第27話

 俺は立ち上がり、アーネへと視線を向ける。

 アーネが木の根に取り囲まれていた。

 この木の根は魔法でできた檻。

【囲いの印章】は対象者を魔力の檻で10秒間閉じ込める。

 それはのだ!


 通常であれば【囲いの印章】を詠唱するまでにアーネの命が奪われていただろう。

 しかし、そこにも手が打ってあった。

 レトラが【炎気纏い】を詠唱した時、同時にエレノアが【天界の囁き】を詠唱していたのだ。

 エレノアは隊員達の中に隠れ、刀の輝きも隠した。

 そしてレトラと同時に詠唱したため目立たずにレドラスを起動できたのだ。

 そして音が聴こえなくなった敵はプラムの【囲いの印章】の詠唱に気付かなかった。

 しかも音が聴こえなくなる効果は味方以外に適用される。

 レトラは俺に刃を向けている以上味方とは認識されず、音が聴こえなくなった。

 俺を斬る前レトラは左足を一歩踏み出した。

 そこで彼女は音が聴こえなくなっているのに気付いたのだ。

 だから何か策があると思い、彼女は刃を俺の首の手前で止めた。

 これはレトラがそこまで気付いてくれるか賭けだった。

 最悪俺が死んでもこの後の作戦はできるから。

 俺はエレノア、プラム、ネイダの順に抱き締めて言い聞かせた時、この作戦を耳打ちしておいたのだ。

 エレノアの【天界の囁き】、プラムの【囲いの印章】は成功した。

 次は。

 俺はネイダの方を向いた。

 彼女は頷いて、レドラスを詠唱した。

 を。


「レドラス・ヴィリッサル――炎獄竜の化身!」


 ネイダの刀が強い赤光を放つ。

 その光は周囲に飛散し、うねり、空へ上っていった。

 そしてバチバチと音を立てて何かを形作っていく。

 びっしりと赤熱した鱗で埋め尽くされた体。

 長大で鋭い翼。

 強靭な腕や脚。

 何者をも噛み砕く牙だらけの口。

 威厳と凶暴性を存分に秘めた金色の眼光。

 世界を生み出したとされる伝説上のドラゴン、起源の炎獄竜の姿。

【炎獄竜の化身】は炎獄竜をその身に宿すカード。

 赤い光で再現された炎獄竜は空から一直線にネイダに急降下し、焼き尽くすように包んだ。

 そしてネイダの周囲に炎獄竜の輪郭が顕現した。

「いけ、ネイダ!」

 ネイダは口元を緩め、頷いた。

 そして走り出す。

 それは飛ぶようなものだった。

 灼熱の光の尾を引き、一気に目的地まで辿り着く。

 一閃。

 爆発したように何人もの人が吹き飛び宙を舞う。

 そしてもう一振り、もう一振り。

 ポンポン人が飛んでいく。

 アーネの周囲にいた敵は一瞬で蹴散らされた。

 ドーナツ状の空白地帯に佇むネイダは本当に龍を宿したかのようだった。

「天厳流剣術【火車奏刃(かしゃそうじん)】……!」

 周囲の敵兵は明らかに動揺。

 ネイダはそこへ飛び込む。

「この火の車がっ……!」

 身体を回転させながら振りぬく。

 敵兵が一気に三人倒れる。

「跳ね飛ばす!」

 回転に任せて更に振りぬく。

 敵兵がドミノ倒しになる。

「奏でる!」

 手当たり次第に攻撃。

 戦闘不能者を高速で量産していく。

「咲き誇る!」

 ネイダの進む先は死屍累々の様相を呈していた。

「この剣が、渇望する……! 焼き尽くされたい者は、前に出ろ……!」

 むしろ敵兵達は腰が引けて空白地帯が広がった。

 ビリヤードの初手で球の群れをバラバラに弾き飛ばすように。


 敵部隊の懐に飛び込み粉砕する、それがネイダの戦闘スタイル……!


 ネイダの【バセラ2】の隊員達が小隊長に続けと走り出す。

 次にプラムの部隊が動き出した。

「皆、行くよー!」

『おおお――――――――――――――――――っ!』

 そして。

 俺はエレノアに重要な任務を託した。

「エレノア、君の戦術を信じてる。プラムとネイダの指示は任せる。戦術マニアとして戦術とは何かを見せてやるんだ……!」

「でも、隊長が指揮した方が……」

 おろおろする彼女に俺は何でもないことのように微笑を浮かべてみせる。

「俺にはやる事がある。ファルナムとの決着は、俺がつける!」

 俺はファルナムの本音を聞いた。

 ならば、俺も返さなければならない。

 エレノアは納得し、頷いた。

「分かりました……! それでは行ってきます!」

 プラムのバセラ3にバセラ1が続いて乱戦の中へ入っていった。

 そしてエレノアが指示を出し始めるとすぐに統率の取れた動きへと変わっていく。

 アーネを保護しつつ【炎獄竜の化身】使用中のネイダを軸として一気に敵勢力を引き裂いていった。

 俺は右手が動かないため、左手だけで刀を抜き放つ。

 エレノアの思い出のカード【天界の囁き】、プラムの思い出のカード【囲いの印章】、そしてネイダの思い出のカード【炎獄竜の化身】……彼女達の思い出のカードがチャンスを繋いでくれた。


 レドラスは『盤上の叡智』という意味。

 戦局という盤上は千変万化する。

 その時々で最適のカードを、最適のタイミングで使わねばならない。

 そうして盤上を支配する。

 それこそがレドラスなのだ……!


 今度は俺の番だ。

 すると、目の前にレトラが立った。

 どうした、という視線を向けると彼女は言った。

「私が道を作る」

「子供達を守ってなよ」

「もう逃がしたよ」

 え、と見回すと既に子供達の姿は無かった。

 明かりの無い所まで逃げていればまず敵に捕まることは無いだろう。

 素早い対応だ。

 俺は肩を竦めた。

「よろしく、ガイドさん」

【ガシュラの戦姫】と共闘、光栄だ。


「ど――――けええええええええぇ――――――――――――――――っ!」

 レトラの二刀流は惚れ惚れする突破力だった。

 あっという間に道を作ってしまう。

 神速の剣閃が舞い踊る。

 縦横無尽に駆け回り敵を薙ぎ倒す。

 誰も彼女を止められない。

「ハロルド!」

 レトラの声に俺は走った。

 そしてすれ違いざまにお礼を言って行く。

「ありがとう!」

 手持ちのカードは【烈火の突撃】のみ。

 だがこれで決める。

 ファルナムの所まで一直線。

 奴は焦燥の顔だった。

「ハロルド、お前だけはああぁ!」

 そこに絶対神の姿は、無かった。

 思い込み。

 兄を絶対神だと思い込んでいるから勝てないのではないか?

 兄を絶対神だと思い込んでいるから自分に能力が無いと感じるのではないか?

 兄を絶対神だと思い込んでいるから自分と向き合えないのではないか?

 そう、全て、思い込みだった。

 俺は左手だけで刀を持ち、考える。

 片手で握った刀では重さが出ない。

 敵の刀を受けてからの反撃は不可能、刀が弾き飛ばされてしまうだろう。

 きちんと回避してからの反撃、もしくは相手に振らせずに先制、或いは一発もらうのを覚悟で相打ち。

 だが一発もらって大丈夫なほど〈ジョウ〉が回復しているか怪しい。

「レドラス・イルトラット――烈火の突撃!」

 刀が赤く発光。

 考える、奴の動きを見る、考える、奴の動きを見る……!

 俺は自分という存在を確認するために兄を利用していたのではないか?

 根底にあるのは、自分を捜して何も無い大地をさまよう自分自身だった。

 変わり者の自分はいったい何者なのか?

 それをずっと捜していたんだ。

 自分が誰でもない透明な人間に思えて確かな存在と感じられず、不安だったんだ。

 地に足がついていなかった。

 だが、自分という存在を定義するのはほかでもない、自分じゃないか……!


『絶対神の兄』という言葉で作っていた鏡を、もう壊すべきだ!


 腕の痛みが熱をもって俺の思考を蝕む。

 平静を装っているが脂汗が額から噴出している状態。

 それでも無理矢理集中力を研ぎ澄ます。

「俺はあんたに憧れていた! 学年主席という順位、高い期待、厚い人望……でもそれもやめだ。俺は俺だ! 順位なんてどうでも良い、期待も要らない! そして……そして俺はアーネが傍にいてくれれば、それで良いんだ!」

 絶対神の兄には勝てない。

 絶対神の兄と違って自分には能力が無い。

 絶対神の兄と比べて『だから自分はダメなんだ』と諦める。

 そんなことはどうでも良かったんだ。

 誰かと比べてもしょうがないんだ!

 今、完全に鏡を叩き壊した。

 己が完全に定まった!


「死ねええええええぇ――――――――――――――――っ!」

 ファルナムは正眼のまま突っ込んできた。

 動きが読みづらい。

 こうなったら賭けだ!

 本能。

 勘。

 俺の体に染み付いた剣術の感覚を信じるしかない。

 この一撃に全てを乗せろ絶対に倒せ良く見ろ見極めろ瞬間を見逃すな!

 勝てる!

 いや……勝つんだ!

「だあ――――――らあああ――――――――――――――――――――っ!」

 奴の手が動く、俺の手はまだ動かさない。

 正眼のまま。

 極度にスローに感じられた。

 奴の刀がそのまま前に繰り出され、心臓の高さ辺りの体の中心を狙ってくる。

 俺は刃の軌道を確認しながら体を右回転で捻る。

 それと同時に左手に力を込め、突き出していく。

 刃の切先が迫って、迫って、俺の体に触れようとして。

 俺の刃の切先は進んで、進んで、ファルナムの鳩尾辺りへ吸い込まれていって。


 次の瞬間、勝負が着いた。


 ドカリと背中から地面に落ちた赤茶髪の男。

 それはファルナムの方だった。


「はあっ……はあっ……」

 俺は荒く息を吐く。

 そして、灼熱の痛みが襲ってきた。

 堪らずよろめき、刀を地面に刺して杖にする。

 右胸から右肩にかけて裂傷、血が流れ出してきた。

 避け切れなかった。

 加護の戦衣も貫かれた。

「ハロルド隊長!」

 エレノアが駆け寄ってきて支えてくれた。

「隊長、大丈夫?」「大丈夫ー?」

 ネイダとプラムもやってきた。

 周囲を見ると、敵の半分は倒し、残党も司令官が倒されて諦めたようだ。

「ハロルド!」「ハロルドー!」

 レトラとアーネもやってきた。

 俺は皆に向かって精一杯強がって見せる。

「たぶん大丈夫だから」

 それからファルナムに視線を落とした。

 悔しさでぐしゃぐしゃの顔だった。

「畜生、何故だ! 何故私が負ける……!」

 ファルナムが俺を倒して枷を外そうとしたのに対し、俺は枷を外してファルナムを倒そうとした。

 その違いだ、と思う。

「一つ訊きたい。何故アーネの居場所を知っていたんだ?」

 アーネは最後、引っ越し先を告げずにいなくなった。

 ファルナムが知っているのはおかしい。

「お前からアーネを引き離すためだったんだ。本当は引っ越し先は聞いていた。アーネには私がハロルドに伝えておくと言っておき、お前には嘘を教えた。それだけ私はアーネを愛していたんだよ……」

 彼女のために、ここまでしたのか。

 アーネの隣という居場所を得るために。

 ならば、一つ言っておかねばならない。


「それなら、あんたは大きな間違いを犯した。そんな事をしてアーネが振り向くわけが無い。あんたが見ていたのはアーネじゃない、自分自身しか見ていなかったんだよ。だからあんたはアーネに刃を向けた。そんな下らない自己満足を……アーネに押し付けるな!」


 そこまで言い切った所で、俺の意識は途切れた。

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