第26話

「はあっ?! なっにっ……言ってんだ! 全て持ってるのはあんたの方だろうが! 学年主席という輝かしい成績も、将来を嘱望された期待も、人の集まる人望も!」

 俺は混乱を形にしたように吼える。

 俺とファルナムでは決定的な行き違いがあるようだった。

「お前の成績は偽りだ! 真面目にやっていなかっただろう!」

「何度も言っているが真面目にやっていたんだって……」

「ならばお前は覚えているか? 軍学校での模擬戦でインフルエンザが流行した時だ。お前のチームは欠席が多く、押し付けられる形で司令官役になっただろう?」

「ああ覚えているよ。どうせ負けるから誰もやりたがらず、押し付けられた」

「それなのにお前は勝利した……!」

「確かに、勝ったな……」

「その時の相手チームの司令官は、私だったんだよ!」

「……え?!」

 世界が反転してしまう感覚。

 兄に、昔勝っていた……?

「私がどれだけ惨めな思いをしたかお前には分からない! 学年七〇〇〇位にも届かない落ち零れに学年主席が敗北したんだぞ!」

「だけど、そんな一回勝ったぐらいで……全体の勝率は三〇%前後しかなかった」


「お前は何も分かっていない! 私は知っている、お前は勝率三〇%前後しかなかったがお前が司令官役や隊長役をやっていた時の勝率は……!」

 俺は遠い誰かの武勇伝でも聞いているように呆然とするしかなかった。

 いったい、どういうことなんだ……

「殆ど兵隊役だったから気にしてなかった……でも、結局将来を嘱望されたのはファルナムじゃないか。軍学校時代から既に軍のお偉いさんが挨拶に来るぐらいだった」

「最初はそうだった。だがな、お前の司令官役や隊長役をやっていた時の勝率が一〇〇%だったのを教えてくれたのもそのお偉いさんなんだ。その人は元帥でな、お前のデータを私に見せてこう言ったんだ。『あなたの弟の方が面白そうだ』って。この時の私の気持ちが分かるか? お前がラドクランで小隊長になれたのもその元帥が推薦したからだよ」

「何で小隊長になれたんだかそういえば知らなかったな……そういう事だったのか」

「しかもな、お前は私に人望があると言ったが、そんなものはどうでも良いんだ」

 世界が崩れていく。

 絶対神という存在は一体何だったのか?

 学年主席で将来を嘱望され人望も厚い、輝いた存在……その光が失われていくようだ。

「はあ?! どうしてだよ? 俺なんて周囲に人が集まるどころか全く……」

「お前は分かっていない……お前の隣にはアーネがいただろう!」

「そりゃアーネだけは傍にいてくれたけど。でもアーネだってあんたを褒めていた。あんたを好きなのかなって漠然と思ってた」

「違う! アーネに直接訊いたんだよ。私とハロルドどっちが好きかって。そうしたらこう言われた。『ファルナムは優秀だけど、ハロルドの方が面白いから好き』って」

「そ、そうだったのか……」


「例え何十人何百人周囲にいても私は満たされなかった! 何十人何百人が周囲にいるより、たった一人……アーネにいて欲しかったんだよ!」


 心からの本音を聞いた気がした。

 それだけファルナムはアーネのことを……

「アーネか……」

「お前は順位で表せない何かを持っていた。見えない所で期待されていた。アーネという大きな存在が隣にいた! 全部全部、私に無いものをお前は持っていたんだ!」

 知らなかった。

 全てを持っているのはファルナムだと思っていた。

 しかしファルナムから見れば、逆だったのか。

 俺は自分に良いところなど一つも無いと思っていた。

 違ったのか。

 プラムには人望ネイダには武力エレノアには戦術がある。

 だが彼女達は自分の良さに気付いていなかった。

 俺もそうだったというのか。

 俺の中に染み込んできた言葉が嵐となって荒れ狂う。

 心の声が叫ぶ。

 鏡を壊せ!

 それはお前を投影する物じゃない、

 枷、枷、枷……

 え、枷?

 俺はハッとした。

 エレノアも、ネイダも、プラムも、みんな枷があった。

 だから力を発揮できなかった。

 

 どうしてそれに気付かなかった!


 ファルナムは次にレトラの方に向いた。

「さて、そこのお前は何だ? 何故アーネを知っている?」

「…………親戚だけど」

 レトラも状況を分かってか、慎重な口調になっている。

 髪の色が同じだと思ったら親戚だったのか。

 するとファルナムは、ニィッといやらしい笑みを浮かべた。

「良い事を思い付いたぞ……! ならそこのお前、ハロルドを斬れ!」

 あまりの衝撃にレトラが震えた。

「何、言ってるの……そんな事できる訳ない……」

「アーネがどうなっても良いのか?」

 ファルナムの問いにレトラが唇を噛んで俯く。

「…………従うしかないさ」

 俺は努めて穏やかな声でレトラに言った。

 アーネが斬られたらお終いだ。

 俺はアーネが幸せになれない世界なんて、いたくない。

「で、でも!」

「そんな事できる訳ないって言ってくれて嬉しかった。もう敵として見てないんだな」

「何変なこと言ってるの! まだ別に信用なんかしてないんだからね!」

 顔を林檎のようにしてレトラが慌てる。

「隊長、こんなの嫌です!」「隊長」「隊長ー!」

 エレノア、ネイダ、プラムが抱きついてきた。

 ファルナムから俺を庇うように。

「がああハロルド、お前女を盾にする気か!」

 ファルナムが頭を掻き毟るが、それにエレノア達が反論した。

「隊長はそんな卑怯な人じゃありません!」「あなたは、隊長に逆恨みしてるだけ」「隊長はこれからもボク達の隊長でいて欲しいですよー!」

 アーネも涙を流して訴えた。

「こんな事もうやめて! ファルナム、正気に戻って!」

「うるさい俺は正気だ! もう待たないぞ。そこのお前、ハロルドを早く斬れ!」

 ファルナムは烈火の如く怒鳴る。

 レトラが指名されてたじろぐ。

 そして、アーネの両脇に立っていた黒ずくめが刃をアーネの首に食い込ませる。

 つ、と血が滲んだ。


 俺は極限まで集中力を高め状況を打開する案を考えた。

 エレノアは【天界の囁き】、ネイダは【炎獄竜の化身】、プラムは【囲いの印章】。

 俺の残存カードは【烈火の突撃】。

 これが手持ちのカード。

 兵力はこちらの方が下。

 アーネとこちらの距離は五十歩ぐらい離れていて一足飛びに詰められる距離ではない……考えろ考えろ何か無いか、何か……!

 何度も何度も考えた。

 どうやれば打開できるあらゆるパターンを導き出せどうすればどうすれば……!

 が、導き出された答えは一つしかなかった。


「…………レトラ、やってくれ」

「どうして……」

「これしかないんだ! このままじゃアーネが!」

 俺が語調を強めると、遂にレトラが刀を抜いた。

 エレノア達が抗議の声をあげた。

「隊長、死んだら嫌です!」「隊長、嫌!」「嫌ですよーうわーん!」

「皆聞いてくれ。こうするしかないんだ……」

 俺はエレノア、プラム、ネイダの順に抱き締めて言い聞かせた。

 そして離れるよう指示する。

 彼女達はぐずりながらも隊員達の中へ入っていった。

 そして俺は、レトラへ向き直る。

「レトラ、何かカードは残っているか? どうせなら苦しまないよう強化カードを使ってほしいんだけど」

「…………【炎気纏い】がある」

「じゃあ分かった。それを唱えてくれ」

「さぁもうそれぐらいで良いだろう! やれ!」

 ファルナムの言葉に促され、俺は正座した。

 レトラを真っ直ぐ見詰める。

「う、ああ……」

 レトラは思いが込み上げてきて涙を溢れさせた。

「泣いちゃあ駄目だよ」

 俺は何でもない風を装って声を掛ける。

 だって、レトラは何も悪くないんだから。

「ハロルド、ごめん、ごめんなさい……」

 レトラが刀を握り直す。

「謝るなって。君は何も悪くない」

「隊長!」「隊長ー!」「隊長!」

 エレノア、プラム、ネイダの呼びかけに俺は頷いて返す。

「ハロルド、駄目、やめて!」

 アーネの叫びには複雑な表情で返すしかなかった。

 ファルナムが狂気の笑顔になった。

「ハロルド、これでお別れだ。お前は昔から憎たらしくて嫌いだったよ。これで私はラドクランで確かな地位を手に入れる! !」

 幾らかの沈黙が過ぎた後、レトラが刀を納刀してレドラスを詠唱した。

 それはこれから死にゆく者へのはなむけのように、ゆっくりと、そしてはっきりとしたものだった。

「レドラス・ヴィリッサル――炎気纏い!」

 レトラの右の刀が赤く光る。

 そして二刀を右の腰の位置に、横に構えた。

 そしてレトラは左足を一歩前に出し、腰を落として溜めを作る。

 全てが澄んでいて、音がしないかのようだった。

 レトラは覚悟を決め、動き出した。

 刀の動きがやけにスローモーションに見えた。

 ゆっくりと二つの刃がこちらへ滑ってくる。

 その軌道は的確に首を狙っている。

 刃と首の距離が縮まり、縮まって縮まって……


 そして、その時が来た。


「レドラス・ヴィリッサル――囲いの印章!」

 プラムの詠唱の声が聴こえた。


 俺はレトラと見詰めあったままだった。

 刃は俺の首に僅かな隙間を残し、止まっていた。

 レトラが止めたのだ。


 そう、時が来た。

 鏡を壊す時が……!

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