第14話
クローガの病室へ行くと、既にオグカールが来ていた。
「おおぅお主らか! 師匠、どうやら間に合ったぞグハハ!」
静謐を破るようにオグカールの声が響く。
するとクローガがベッドで上体を起こした。
「ネイダ、来てくれたんだね良かった」
ネイダはベッドに近寄っていった。
「師匠、起きられるように、なったの?」
「ネイダのお陰だよ」
状態は前回と変わらずに見えるのだが、穏やかな表情で苦しみからは解放されたようだった。
それから、オグカールが話し始めた。
「ネイダ、今日はお主の勘違いを正させてもらうぞ!」
ネイダは固い表情で尋ねた。
「勘違いって、何? 慰めなら、いらない」
「師匠にお主が初めて勝った時のことだ」
「だから、あれは、病気だったでしょ。ネイダを勝たせて、気分よくさせて、でも……ネイダ、そんなこと、してほしく、なかった」
「そもそも何故、あの時お主を対戦相手に選んだと思う?」
オグカールが尋ねるとネイダは首を傾げた。
「…………その場にいたのが、ネイダだったから?」
「道場を継承しないかという話をするためだったのだ!」
オグカールの言葉にネイダは三度、瞬きした。
意味を咀嚼してみたけど異物が入っているような表情。
俺は病室の壁に背中をつけ、アルフの話を思い出していた。
そう、これはネイダとクローガだけで話したのでは解決しない。
オグカールも交え三人で話さなければ解決しないものだった。
ネイダは道場に入って間もない頃、オグカールに敗北を喫している。
それが苦手意識に繋がり、互いが成長してからも力関係は変わらなかった。
二人が頭角を表してくると道場内ではクローガのあとを継ぐのはオグカールかネイダか、と言われるようになった。
ネイダはクローガのあとを継ぐことにかなり意欲を示していたらしい。
ネイダは信じられないといった表情をする。
「道場の継承なら……オグカールに、するものでしょ?」
その声には複雑な、微かな卑屈さが滲み出ていた。
彼女はあとを継ぐことに意欲を示していた、だが問題があった。
苦手意識。
オグカールの方が強い、という思い込み。
だから、ネイダは勘違いしてしまったのだ。
それを、オグカールが解き放つ。
「実はな、俺は師匠と勝負して、敗れたのだ! しかもネイダと師匠が勝負したのよりも後のことだ!」
ネイダが息を呑むのが分かった。
これが何を意味するのか分からない彼女ではない。
オグカールは続ける。
「お主は師匠が病気で全力が出せる状態でなかったと思っているようだが、実際はあの時が師匠が全力を出せる最後のチャンスだったのだ。だから真っ先にお主を勝負の相手に選んだ。師匠はお主を道場で筆頭だと認めたからこそ、最初に選んだのだ」
「そん、な……だって、だって、ネイダ、オグカールに勝ったこと、ない……」
「ここからは私が説明しよう」
クローガはそう言うと、優しい声で続けた。
「ネイダにはオグカールに対して苦手意識がある、だからオグカールを相手にした時に充分に力が出せていなかった。でも、私の見たところ互いが十全に力を出し切って戦った場合、ネイダの方が勝ると思っているよ。だから私はあの時ネイダと勝負をし、道場を継がないかと話を持ちかけるつもりだった。私は敗れむしろ清々しい気持ちで、ああ弟子が私を超えたのだから安心して道場を任せられると思ったものだ。だがまずは病気のことを打ち明けねばならない。そこで病気の話をしたら、ネイダが酷く怒ってしまってね……それ以上の話はできなかった」
「そんな……ネイダ、ずっと勘違い、してたの……?」
「当時の医師の診断書だってある。当時はまだ私が全力を出せたことは医師の御墨付きだよ。だからネイダ、君は本当に、私を超えたんだ……!」
ネイダは処理限界を超えたように頭を抱えた。
「ネイダ、軍に入っても、もやもやしていた……道場は、オグカールが継ぐと思って、ネイダ、何を目指せば良いのか、分からなく、なってた……どうせ実を結ばない努力だと思うと、全力が、出せなかった……!」
元帥の言葉が思い出される。
小隊長たちは充分に力が出せていない。
これがネイダの枷だったのだ。
「オグカールは道場を継がないよ。それは何でだと思う?」
クローガが問い掛けるとネイダは頭を捻る。
「……分からない」
早々にネイダが諦めると、クローガは指を立てて父が娘に作法を教えるように言った。
「オグカールの夢は、ケーキ屋さんになることだからだよ」
「……………………………………………………ブフッ」
「おい笑うんじゃねえ! ケーキ屋さんは誇り高い職業だぞ!」
オグカールが羞恥に顔を染めて抗議する。
「ケーキ屋は笑わない、けど、ケーキを作るオグカールは、ゴリラがケーキ作ってるみたいで、ブフッ」
ここへ来て初めてネイダが笑顔になった。
目元を拭っているがそれは笑ったためのものか他のものか。
「クソがっ! 俺の作るケーキは地方コンテストで繊細さが良いって言われて特別賞もらったりしたんだぞ!」
「そのハムみたいな太い指で、繊細……ブフフッ!」
「お前は俺の店に来たら追い払ってやる! ブラックリストだっ!」
ネイダだけでなくクローガも口を押さえて笑い、しばらく病室に笑い声が響いた。
それからネイダは吹っ切れたように、言った。
「ネイダ、道場を、継ぎたい……!」
クローガは確かめるように尋ねる。
「私は今となってはネイダの人生を縛ることも無いと思っている。本気かい?」
「本気。これは、ネイダの、意志」
「……それなら、【炎獄竜の化身】を実戦で使ったという実績を作りなさい。私は過去それを使ったという実績で門下生を集めていた。そうでもなければ道場はとっくに潰れていただろう。道場経営は甘くないのだ」
二人は見つめ合う。
眼球よりも奥にある気持ちを確かめ合うように。
「分かった……! きっと、使ってみせる!」
ネイダは力強く宣言した。
雛鳥が羽ばたき、巣立ちを迎える瞬間を見るようだった。
クローガはにっこり笑うと手を差し出した。
右手をネイダがとる。
それからオグカールが左手をとった。
「最期に会えて、感無量だ。こらこら、悲しんではいけないよ。これは旅立ちだ。だから『行ってらっしゃい』と言えば良いんだ」
「行ってらっしゃい、親父」「行って、らっしゃ……」
オグカールとネイダが送り出す言葉を口にし、クローガの肩に額を預けた。
クローガは安堵した表情で、脱力した。
しばし無言の後、ネイダが呟いた。
「道場に、行きたい」
ネイダとオグカールが通っていたという道場。
板張りで神棚もあり、どこか神聖な空気を醸し出していた。
そこで二人は神妙な顔つきで礼をする。
そして。
「ハアッ!」「ラアッ!」
試合が始まった。
師匠の旅路に捧げる真剣勝負。
俺は隅っこで観戦しているが、初撃から鳥肌が立った。
オグカールの剛剣の迫力。
しかしそれを力の方向を変えさせ華麗にいなすネイダ。
先手必勝とばかりのオグカールの猛攻。
竹刀が触れ合った時の音が鼓膜を叩くような存在感。
荒ぶる野獣がテリトリーから敵を排除しようとするかの如く。
一方ネイダは守勢に回る。
巧みな剣捌きと足捌きで次々襲い掛かる攻撃を受け流していく。
暴風に耐える旅人みたいだ。
板張りの床が軋む音。
打突の音。
気合の掛け声。
三人しかいない空間にそれらが反響する。
そこに侘しさは無く、大自然の中にいるような荘厳さがあった。
ネイダの表情が歪む。
苦手意識。
葛藤。
彼女が戦っているのは目の前の男というより自分自身に見えた。
昔の剣豪が『剣の道とは己に克つこと也』と言っていた。
俺は今までそれが何なのかよく分からなかったが、ネイダを見ていて初めてそれが分かった気がする。
自分の内側に潜んでいるモノとの闘いなのだ。
オグカールの攻撃は休まらない。
猪突猛進。
相手を倒すまで止まらない。
だが隙をついてネイダが大きく跳躍し、距離をとった。
猛烈な風雨の後、台風の目に入った、そんな静けさ。
そして、ネイダは一度目を閉じ、開いた。
その目には強烈な意志の炎が宿っていた。
気持ちが切り替わる瞬間を目撃した。
「アアアアアアアアァッ!」
ネイダが反転攻勢に出る。
全くさっきと剣捌きが別物に見えた。
迷いの無くなった剣というものはこんなにも凄烈なのか。
「ウオオオオォッ!」
オグカールも負けじと反撃。
だが何かが足りない。
流れは変わった。
ネイダ守勢の展開から両者一進一退へ。
呼吸を忘れるほどの攻防だった。
そして。
遂にネイダの竹刀がオグカールの額を捉えた。
二人は深々と礼をして試合を終えた。
それからネイダは神棚に向かって型を披露した。
演舞のような派手なものではなく、歴史を積み重ねてきた練磨を感じさせる厳かな型。
ゆっくりと足を運び剣を振りながら。
「師匠、勘違いしてて、ごめ……なさい。病気になったあの時、全力を出せる最後のチャンスを、ネイダに使ってくれて、ありがとう、ございます」
ネイダはどこへともなく語りかける。
大きな動作で剣を振る。
「最期に会えて良かった。最期に師匠の思いを聞けて、良かった……! 勘違いしたままなら、一生後悔していた……!」
仮想の敵からの攻撃を避け、返す刀で反撃する。
「師匠、見ていて、下さい。【炎獄竜の化身】、きっと使ってみせるから。そして、そして……この道場を、いつか……もう一度開いて、みせるから!」
型の最後、その剣はぴたりと止まった。
寸分のブレも無い見事なものだった。
それからネイダは晴れ晴れとした表情で神棚に向かい、礼をした。
「本当に……本当にっ……ありがとうございましたぁっ……! ああああああぁぁっ!」
堪えていたものが一気に噴出した。
パタパタとネイダの足下に雫が落ちていく。
型が終わるまでよく我慢した、よく頑張った。
俺からは深く深く頭を下げたネイダの顔は見えない。
『行ってらっしゃい』と笑って送り出すのだ。
だから、ネイダは笑顔で手を振っていることにしておく。
顔が見えないのだから、それで良いだろう?
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