第15話
ネイダが師匠を見送った、翌日。
エレノアを説得してみるもダメ。
プラムも話を逸らす。
ネイダだけ吹っ切れたようで軍務に集中し始めた。
どうしたもんかな、と俺は思案しながら昼食を終えて軍庁舎へ向かっていた。
そんな時だ、ナニャフを見付けたのは。
確かナニャフはヘマシュと一緒に歩いていたことがあったな。
「ナニャフ小隊長、相談があるんだが」
俺が手を振って近付いていくと、ナニャフはニタアァッと嬉しそうにした。
「相談……? ハロルド中隊長、交渉とは代償がつきものでさぁククク……」
なんてこった。
とんでもない奴に相談を持ちかけちまった。
その翌日。
出発の日だ。
広場には馬車が集結し、それぞれ点検点呼を行っている。
一個中隊でしかないが遠征は遠征だ。
緊張感が漂っていた。
バタバタした状態が収まってくるとエレノアがバインダーを抱え近付いてくる。
「隊長、全ての準備が整いました……」
昨日も暗い表情をしていたが今日は一段と酷い。
出発してしまえばしばらく会えなくなる。
そしてそうしたら、もうヘマシュとは低温火傷みたいになるだろう。
日を重ねれば逃げたい心が常態化してしまうし、環境の変化はそれを正当化してしまうのに都合が良い。
会えないのだから修復は無理だったのだ、と。
彼女はそうした時間切れを望む部分が多数を占めているのが窺える。
だがそれで良いのかという気持ちも渦巻いているからこそ、暗くなる。
しかも渦巻いているそれを心の隅に押し込めようとしている自分への自己嫌悪もあるのだろう。
「分かった。では各自馬車へ搭乗。エレノア、街から出るまでに五分~十分くらいどこかで時間を取っても良いんだが、寄りたいところとか……無いか?」
俺は遠回しに言った。
ヘマシュの所に行って少し話をするくらいなら時間をとっても良いぞ、と。
エレノアはバインダーをぎゅっと抱いて首を振った。
「良いんです、もう……本当に、良いんです……向こうでは任務に集中しますから」
泣きそうになりながら言う。
辛いんだろうな……
俺は頭を掻き、号令を発した。
「……出発する!」
軍庁舎前の広場から一斉に馬車が出て行った。
俺が乗る馬車にはエレノア・ネイダ・プラムと小隊長が集まっている。
ゴトゴトという音と振動が車内を満たす。
窓の向こうの景色が急激に流れていく。
エレノアは憂鬱そうに窓の外を眺めていた。
その目が映しているのは流れる街並みか、親友との記憶か。
安堵か後悔か。
俺も窓の外に目を向けた。
この街にどれだけの悩みが落ちているんだろう。
住んでいる人の数だけあるのか。
いやそれで収まるわけないな。
街の出口に差し掛かると、急に馬車の速度が落ちた。
やがて停まる。
調子がおかしいので点検すると御者が言った。
渋々俺達は一旦降りる。
すると、甲高い声が聴こえてきた。
「エレノア!」
道の脇から女性が走ってくる。
その姿は。
「え、ヘマシュ……?」
エレノアは呆然として目を丸くした。
ヘマシュはエレノアの真正面に立った。
見つめ合うこと数秒。
ヘマシュはヤケクソになったようにハンドバッグからある物を取り出した。
それは戦術指南書だった。
「本当はっ……今でも家にいる時ちょくちょく読んでるのっ!」
傍から見れば戦術に興味のある勉強熱心な、という感想になる。
何も知らなければ。
だがエレノアには伝わった。
「そ、それはっ……! じゃあ、何でそれを下らないなんて!」
エレノアはつい責めるような口調になってしまう。
ヘマシュは痛みに耐えるように、ずっと隠していた心の底を語り始めた。
「…………あなたが私を追い抜いてしまったからよ。最初はあなたは私の弟子みたいなものだった。弟子に抜かれた師匠って結構傷付くのよ? だから私は社交界という別の道に固執し、戦術を『娯楽』と位置付けるようになった。そうでもしなければ……やってられなかったのよ……」
自嘲の独白は暗く沈んでいた。
ヘマシュはレストランでエレノアが出て行った時の顔をしていた。
弟子と師匠、か。
ネイダとクローガも弟子と師匠だったが、あっちはむしろ弟子が追い抜いたことを師匠は喜んでいたな。
だがエレノアとヘマシュは違った。
この違い目はどこにあったのだろう。
エレノアは処理しきれないように狼狽した。
「そんな、私、そんなつもりじゃ……」
卑屈なカミングアウトを聴かされればこうなる。
他人を蹴落としてのし上がっていくタイプなら屁とも思わないだろうが、エレノアはそんなギラギラした娘じゃない。
「こんなこと言われても困るわよね。そう、自分でも分かってるのよ。あなたに嫉妬するのは間違ってる。でも、親友という身近な相手だから差を感じるのは……辛いのよ」
ヘマシュの言葉に俺はそうか、と思った。
ネイダとクローガの関係性と違い、エレノアとヘマシュは親友だったのだ。
違い目はどこだろうと思っていたが、ここだったのか。
俺と兄は兄弟なので身近な相手、そして差は歴然だった。
俺は兄と自分を比べることが多かった。
俺は、兄に嫉妬していたのだろうか?
軍で何を成したいんだろう。
劣等感を克服したいのだろうか?
自分の気持ちが分からない……
「そ、その……ごめ」
エレノアが謝罪を口にしようとしたところでヘマシュは彼女を抱きしめた。
「謝らないで! あなたは悪くない、悪くないんだから……!」
そうしたらエレノアは洟をすすった。
目の端に涙をいっぱいに溜めてヘマシュを抱きしめ返した。
「ヘマシュ、話してくれてありがとう……本当はもう一度会ってちゃんと話したかった。でも怖くてできなかった……!」
「私も怖かった。でも、これを逃したらもうダメだと思ったのよ!」
「ヘマシュにこれ以上否定されたらって思うと眠れなかった。私、誰かを頼ってないと不安になる性格なんだと思う。だから頼っているヘマシュに否定されたら、誰もいない部屋に取り残されちゃうような気持ちだったから……勇気が出なかった。もう一度こうやって話せて本当に良かった!」
抱擁は零距離で行うものだ。
卒業から離れていた二人の心は、再び寄り添った。
馬車の点検が終わり、再出発。
走りながらヘマシュが叫ぶ。
「どうせやるなら思い切りやりなさい! あなたならきっと、立派にやっていけると思います。私の分まで……頑張って!」
「分かった、私頑張るから! だから、ヘマシュも……大物を釣って! ヘマシュもそっちの世界で、頑張って!」
エレノアも声を張り上げた。
どんどんヘマシュの姿は遠ざかっていく。
「当たり前よ! エレノア、諦めたりなんかしたら、承知しませんからね! 絶対に、絶対にっ……!」
ヘマシュはぶんぶん手を振った。
エレノアもそれに応えて手を振った。
その顔はここ数日の暗い表情を吹き飛ばすような晴れ晴れとしたものに変わっていた。
迷いの森を抜け出したようだ。
ヘマシュが見えなくなるとエレノアは目を潤ませて尋ねてきた。
「隊長ですね?」
「何が?」
「馬車の点検、仕組んだでしょう?」
「整備不良だったんだろう」
「ヘマシュに馬車が点検で停まる場所と時間を教えたのでしょう?」
「軍務を漏洩するなんてことするわけないじゃないか。ただ……俺とナニャフ小隊長が情報交換しているのをたまたま聴かれてしまった可能性は、あるかもしれないな。これからは外で話す時はもっと注意を払うようにするか」
俺は肩を竦めてそう言った。
「…………ありがとう……ございます」
ぐずりながらエレノアが礼を述べる。
「そうだ、伝言があったんだ」
「何ですか?」
「『素直に応援できなくてごめんね』って」
嫉妬に苛まれながらも、ヘマシュはずっと応援していたのだ。
エレノアは俯いて、両手で顔を覆った。
「ふっ……ううぅっ……ううっ……ふええぇ……っ!」
いたってシンプルな言葉。
でも、だからこそ磨き上げられた深い音色となって響く。
二人は別の道を歩んでいく。
互いにエールを送りながら。
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